第三章十一話「隠れ家」
シリルは膝に手を置き、ぜえぜえと息を切らしている。
「だらしないな。威勢がよかったわりには」
今にも倒れこみそうなシリルとは対照的にケロリとした表情の圭太は軽く肩をすくめた。
まだ森から出たわけではない。走った距離は二キロいっていないし時間も十分と経っていない。
疲れるほどではないと思うのだが。
「仕方ないですよケータ様。並みの人間はエルフの身体能力に敵わないのですから」
圭太と同じく余裕たっぷりと言った様子のナヴィアがシリルをフォローする。
「そうか? 俺は余裕だったぞ?」
「おまっが変、なんだろっが」
圭太が首を傾げると息も絶え絶えなシリルに睨まれてしまった。納得いかない。
「ひでえや。競争しかけられたから全力出しただけなのに」
「ケータ様ってわりと大人げないですよね」
俺は被害者だとばかりに悲痛な顔を作っていると、ナヴィアに残念なものを見るような目で見られてしまった。
「ナヴィアには後で説教な。ところでシリル。もうそろそろ休憩を終えていいか?」
「は?」
「あまりゆっくりできないのは理解しているだろ? 今度はペースを合わせるから、少しずつでも動こうぜ」
圭太たちは隠れ家に向かっている。目の前にはツタが絡まっている廃墟があるだけだ。隠れるには最適だが生活するには苦痛だろう。
「何言ってんだ? もう着いてるぞ」
「は?」
「ここがオレの隠れ家だ」
圭太は絶句した。
ちょっと予想外だった。この子供は、シリルはこんな場所で生活しているのか。
「あの、廃墟しかないようなんですが」
ナヴィアが困惑したように言う。目の前にあるのはどう見ても廃墟。生活するには適さない。
「……オレの家だ。ゆっくりしていってくれ」
「あの、すみません?」
とっくに息を整えていたシリルは慣れた足取りで歩きだす。
無視されたと感じたのか手を伸ばそうとするナヴィアを圭太は肩を掴んで止めた。
「せっかくのご厚意だ。甘えさせてもらおうぜ」
「しかしケータ様」
「建物をよく見ろ。時間による朽ち方じゃない」
困った顔になっているナヴィアに圭太は耳打ちする。
「言われてみれば、そうですね。大穴が開いているのに壁はそれほど古くないです」
廃墟としか呼べない建物には壁と天井の一部が吹き飛んでいた。よく見てみると穴のふちは黒く焦げている。
誰が何をしてこの家は廃墟になってしまったのか。圭太はすぐに理解できた。
「それに雨風さえ凌げれば俺たちに文句を言う資格はない。助けてもらっている立場なんだからな」
「そうですね。わたくしたちは脱獄した身ですから、贅沢は言えませんね」
「お前ら二人で内緒話するの好きだよな」
圭太が説得しナヴィアが納得したところで、シリルが妙に興味ありげな冷たい視線を送りつけていた。
「まあな。俺たちそういう関係だし」
「ふぇっ!?」
圭太が冗談交じりに素直に頷いてやると、聞いたことのない甲高い声が聞こえた。
あまりに突然だったので声の出どころを探して圭太はナヴィアを見る。
「……今の声はナヴィアか?」
「わたくしではありません。いえとても驚きましたが」
見るとナヴィアの顔は真っ赤になっている。触れないほうがいいだろう。今後も楽しく旅をするために。
「じゃあシリル?」
「……」
圭太はシリルを見る。
俯いた様子のシリルはナヴィアに負けないぐらい顔を真っ赤にしていた。何なら涙目だ。
「お前、そんな声が出るんだな」
「うるさいっ! いいから飯を取ってこい!」
圭太がニヤリと口元に弧を描いてからかうと小さな体からは不釣り合いなぐらいの怒声を浴びせられてしまった。
「飯? 狩りをするのか?」
「当たり前だろ。町じゃないんだ。なんでもかんでもあると思うな」
まああるわけがないか。シリル以外にこの廃墟に住んでいる人間はいないだろうし気配もない。当然人がいないのだから商人が物を売ることもない。売られていなければ買うこともできない。残された道は自給自足だけだ。
「おう……マジか。狩りの経験はないぞ」
「大口叩いたわりには使えないな!」
「この野郎……ここぞとばかりに」
仕方がないだろうが。圭太は一般的な男子高校生だったのだ。必要だから戦う力は手に入れたが、自然を相手に生き残る術は習得していない。
「大丈夫ですケータ様。わたくしがケータ様の分まで探します」
ふんすっと鼻息荒く胸をはるナヴィア。エルフは森と共に生きる種族だからさぞ狩りにも慣れているだろう。頼もしい限りだ。
「いや、俺もやるよ。ナヴィアに頼ってばかりじゃダメだからな」
いくらナヴィアが手馴れているからといっても頼り切りにするのは少々かっこよくない。
差別だと言われそうだが、やっぱり狩りは男がするものだと思う。というかちょっと憧れがある。ぜひともやってみたい。
手伝うと言えば喜んでくれると思ったのだが、ナヴィアは肩を落としていた。
「……わたくしも頼られたいのですが」
頼られたいって、いつも頼っているじゃないか。とは言わなかった。圭太の直感が言えば取り返しがつかなくなると教えてくれたからだ。
同時に圭太の直感はこの場合の最適解も同時に導き出していた。だてにアニメや漫画で乙女心を研究してきたわけではない。
「じゃあ教えてくれ。先生」
「お任せください! すぐにどんな獲物でも捕まえられるようにしてみせます!」
「おっおう。お手柔らかにな」
圭太が頭を下げると、ナヴィアは一層気合いが入ったのか鼻息をさらに荒くした。
ちょっと引いてしまったのは内緒だ。
「お前らって不思議だよな」
圭太が一歩後ずさる様子を見て、シリルはなぜか神妙な顔で呟いた。
「何がだよ。あっおいナヴィア。今すぐ行きたいのは分かるけど、ちょっと待てって」
「先に辺りを見ておきます。狩場を把握しておきたいんで!」
「アッハイ。気合い入れすぎんだよ」
シリルと話をしている時間がもったいないとばかりにナヴィアは森の中へと走り出す。
圭太の静止の声も届いていないようだ。それどころか珍しく気合の入った彼女に言いくるめられてしまった。
「もちろんです。ケータ様に上達していただくためですから!」
「なんか放っておいたら一人で狩りつくしそうだなアレ。まあいいけど」
颯爽と森の奥へと消えていくナヴィアの背中に圭太は苦笑いを浮かべた。
手合わせならほぼ毎日してきたのに、どうしてあんなにも気合いが入っているのだろうか。いいところを見せたいからか。それなら普段の行動で十分なのだが本人は気付いていないようだ。
「それで、何が不思議だ?」
圭太は森の奥へと消えていったエルフから、目の前できょとんとしている子供に意識を切り替えた。
「あの魔族は奴隷だろ?」
なるほど。大体理解できた。
どうして奴隷相手に言い合ったりしているのかってとこか。旅をしているからか結構な割合で聞かれる質問だ。正直慣れてしまった。
「違うぞ。ナヴィアは俺の仲間だ奴隷じゃない」
「でも首輪をつけている」
「そりゃあそっちのほうが都合がいいからな。奴隷じゃないのに連れ歩いてたら目立ってしょうがない」
ナヴィアに奴隷同然の格好をさせているのはただのカモフラージュだ。元々は魔族が暮らす大陸に作られた人間の町に潜入するためだったのだが、いつしか定番になっていた。
どのみち人間が住む大陸に移動したから、ナヴィアには違和感のないような恰好をしてもらわなければならない。奴隷に扮するのがもっとも簡単なのが実情だ。
「でも魔王と一緒だったんだろ? それなら変わらないんじゃないか?」
圭太はシリルの疑問の正体に気付いて手を叩いた。
そうだ。今までの旅路とは違い、今回はイブの正体を話していたんだっけ。
「そう思うだろ? だけど違うんだ。イブの見た目は人間と大差ない。少なくとも一目で魔族と見破れる奴はそういない」
「? 捕まったんだよな?」
「相手は魔王と並ぶ魔法使いだからな。見事に見破られていたよ」
意味が分からないとシリルは首を傾げる。圭太は素直にキテラを称賛した。
魔王の隠蔽はほぼ完璧だ。それなりに旅をしているのが見破れたことはなかった。
魔王に並ぶという評価は間違ってないのだろう。キテラは魔王の隠蔽よりも上を行っていた。
「アイツを褒めるな」
復讐対象を持ち上げられて、シリルはぶすっと不機嫌になる。
「褒めてるつもりはないんだが。現実はありのままに受け入れたほうがいいぞ。曇りガラスで見てもいいことは一つもないからな」
睨まれている圭太は肩をすくめてシリルの視線を軽く受け流す。
常識などくだらない。色眼鏡ほど邪魔なものはない。
圭太は策を巡らせなければ英雄を出し抜けない。だからこそ現実という情報の扱い方は心得ている。
「お前、慣れてるよな」
「何が?」
「まだ仲間は捕まってて、相手は強くて勝てなくて、それでも落ち着いている」
状況を改めて説明されると頭が痛くなってきた。
「それって、慣れてないとできないことだろ?」
つまりいつも窮地に追い込まれているとでも言いたいのか。冗談じゃない。こんな苦難は二度と味わいたくないぐらいだ。
「さあどうなんだろう? 俺は元からあまり取り乱さないし」
「じゃあ感情がないのか?」
「かもな。知り合いには空っぽの人間だって言われたよ」
嬉しいし悲しいし怖いし怒ることもある。
感情がないわけではない。人並だと自分では思っていた。
サンに指摘されて初めて圭太は自分の異常性を知ったぐらいだ。
「叫んでイブが帰ってくるなら喉が潰れるぐらい叫ぶし、俺が死ねばいいのなら喜んで自殺する。でもそれじゃイブを返してもらえない」
本当は泣き喚きたい気分がずっと続いている。気を緩めれば震えで満足に立ってもいられないだろう。
「なら取り乱す暇はない。少しでも対策を考えたほうが得だろ?」
それでも、圭太は頭を動かさないといけない。不条理を覆さなければならない。
打開策があるとするならば、この世界の常識から外れた圭太にしか思いつかないのだから。
「お前は、何者なんだ?」
「人間だよ。ただの人間。ちょっと魔王と仲がいいだけさ」
圭太は、自分の存在を説明できる言葉をそれぐらいしか知らなかった。




