第三章十話「アンチ魔法」
「……んっ」
木漏れ日の照らす中、シリルは小さな吐息を漏らす。
「起きたか?」
辺りの警戒を強めていた圭太はシリルが意識を取り戻したことに気付き、顔を覗き込んだ。
顔色は良好。ケガや精神的な不調も見受けられない。素人目では大丈夫そうだ。
「ここは……?」
「森の中だ。脱獄先が獣道だとは思わなかったよ」
牢獄から続く長い穴は鬱蒼とした森の中に繋がっていた。
圭太たちはある程度穴から距離をとったのち、シリルの意識が戻るまで休憩していたというわけだ。
追手があるかもしれないのに休憩など愚策でしかない。しかし人一人分の荷物を背負い続けて移動するぐらいならいっそ目覚めるまで待つのも有効だと判断した。もちろん周囲の警戒はしている。
「ちょっと嬉しそうでしたよね」
「そりゃあ牢獄から逃げられたらな。ナヴィアだって顔がにやけてるぞ」
忍者のように姿を現したナヴィアは、どこか嬉しそうに圭太をからかう。
圭太も気持ちは分かる。三日以上日もろくに差さない檻の中で過ごしていたのだ。太陽の光をこれほど嬉しく思ったのは初めてだ。
「久しぶりの森ですから。ちょっとしか経っていないのにとても懐かしい感じがします」
「森と生きる民だったっけ? どうりで人一人背負っても動きが軽やかなわけだ」
ナヴィアはほとんど一人でシリルを運んできた。言っておくが圭太も変わるとは言った。却下されてしまったからできなかっただけだ。押し付けていたわけじゃない。
「ケータ様との競争には負けますけどね」
「俺のはアレだ。障害物競争特化型の移動法だから仕方ないんだよ」
「それは知ってますが納得できるかどうかは別です」
むぅとナヴィアに睨まれてしまうと圭太も困ってしまう。
圭太の走り方、パルクールというものだ、は元々建物や障害物ありきでのパフォーマンスだ。圭太は見世物にできるほど昇華させていないが、それでも追いかけっこぐらいだったら十分に使える。
生まれたときから森で走り回っていたであろうナヴィアも障害物競争は速いほうだと思う。だからこそ余計と圭太に負けるのが悔しいのかもしれないが、手加減できる性格ではないのでそればっかりは何とも言えない。
「あのゴーレムたちはどうなった?」
圭太とナヴィアのやり取りを眺めていたシリルが、頃を見て首を傾げる。まだ意識が完全に戻っていないのか、目は据わっていた。
「全滅したよ。キテラは逃げ出したし今は追っ手もない。一応は安全だ」
「よかった……オレは守れたのか」
まだ記憶の整理がついていないから覚えていないのかもしれないと思った圭太は、懇切丁寧に説明してあげる。
シリルはふぅと一息吐いて安堵の表情を浮かべた。今まで牢獄に忍び込むとかしていたから忘れていたが、シリルはまだ幼い。背負っていたものはあまりにも重すぎただろう。脱獄した今は圭太も荷物を軽くするために手伝っていきたいものだ。
「そうだ忘れていた。聞きたいことがあったんだ」
子供らしい表情のシリルを温かい目で見ていた圭太は、突如思い出したように手を叩いた。
「なんだ? しつこく聞いてきてた協力者なら灰になったぞ」
「俺も見てたよ。じゃなくて、ゴーレムを倒したあの魔法だ」
圭太は一度苦笑してから咳払いをして、表情を引き締める。
シリルの協力者はキテラが殺した。もう二度と思い出すこともないだろう。自分の利益のために子供を売ったクソ野郎はどうでもいい。
聞きたかったのは、ゴーレムを倒したときの魔法についてだ。
あの切り札について色々と知っておきたい。使うための条件とかは特に。
「ケータ様、魔力は感じられませんでしたよ」
「奴隷の言う通りだ。オレに魔力はない」
「じゃあアレはなんだ? 道具を使ったようには見えなかったぞ」
ナヴィアは首を横に振り、シリルも彼女の考えが正しいと頷く。
だけどそれではどうやってゴーレムを倒したのか説明はつかない。特別な道具を使っていたという可能性もあるが、シリルがしたのは圭太には聞き取れなかった歌だけだ。声に反応して作動する道具なんてこの世界には存在しない。あるとすればそれは魔法だけだ。
「……」
ナヴィアは答えが見つけられず、シリルは答えを既に知っているからこそ黙り込んでいた。
どうやらシリルの秘密を語るまでは信頼度が足りていないらしい。ギャルゲじゃないんだから、素直に教えてほしいものだ。
「だんまりか。俺の予想を適当に言うが合ってるかぐらいは教えてくれるか?」
「嫌だと言ったら?」
「お前の反応を見て勝手に判断する」
圭太は演技に自信がある。演技は人を見ていなければできない。つまり圭太は人の表情の変化とかには目ざといのだ。
確信を突かれたときの顔なんてすぐに見破れる。
「絶対言わないからな」
「じゃあ勝手に言ってるぞ」
事実上の許可を得たので、圭太はシリルの顔をじっくり観察し始める。
「シリルの魔力は特殊で他人の魔法を阻害する性質がある。魔力感知にも引っかからない代わりに魔法を撃ち消す魔法以外は使えない。こんなところじゃないか?」
シリルの魔力を分析したわけではない。圭太は前世の記憶から能力無効系能力者の特徴を並べただけだ。
無効化系はポピュラーな割にほとんどバリエーションがない。能力の持ち主によって差別化されているが、根本はほとんどテンプレ通りだ。
「――チッ」
「どうやら図星みたいだな」
舌打ちしあからさまに顔をしかめるシリルに、圭太は微笑みかけた。
予想通り、シリルの魔法もテンプレ通りらしい。
「お待ちくださいケータ様」
「ん? どした?」
「先ほどの仮説はあり得ないです」
圭太がナヴィアを見ると、彼女は深刻な顔になっていた。
「本人は認めたぞ?」
「それでもです。常識的に考えて、他人の魔力に干渉するなんてありえません」
それは前にも聞いた気がする。
圭太は思わずため息を漏らした。
「まだ常識に囚われているのか? 前例を既に知っているだろ?」
「それは……」
圭太の指摘にナヴィアは言い淀む。
他人の魔力に干渉する魔法には一つ心当たりがある。他人の魔力を奪う魔法だ。
なんというかナヴィアは常識に囚われすぎな気がする。既に百六十年生きているから仕方ないといえばそれまでだが、凝り固まった考えはいざというときに足手まといになる。
「それにだ。あのゴーレムたちを、仮にも魔王に匹敵する魔法使いの魔法を一瞬で片付けた原因をどうやって説明する?」
「確かに、説明は難しいです。でもわたくしの知らない魔法の可能性も」
「それがアンチ魔法。他人の魔力を阻害する魔法だって言ってんだよ」
現にナヴィアは知らないだろうから条件揃っているだろうが。
「むう。出過ぎた真似をお許しください」
「気にするな。引っかかりは大事だからな」
「ありがとうございます」
ナヴィアは頭を下げるが、圭太はそこまでする必要はないんじゃないかと思った。
ナヴィアの視点は言うならばこの世界における常識人の視点だ。あらゆる面で規格外のイブやそもそも生まれた世界が違う圭太にとって、一般人の視点は逆に貴重だ。彼女が否と唱えるときは敵も予想だにしていないと考えられるのは立派な長所だと思う。
直接言っても変に捉えられてしまうだろうから言わないけど、ナヴィアの硬い思考にはそれなりにお世話になっている。
「さてシリルよ」
「なんだ?」
一人で立ち上がり、お尻を払っていたシリルが首を傾げる。
「俺たちには行くあてがない。脱獄したから町にも入れない」
「隠れ家なら用意してる」
「それは僥倖。案内してくれるか?」
圭太とナヴィアはもう町には入れない。正確に言うなら拠点にすることはできない。
圭太たちは脱獄犯。大罪人だ。長居するなんて愚行極まりない。
「当たり前だ。オレの協力をするという条件付きだが」
「今更断るかよ。どうせキテラを一緒に倒してくれとかだろ? 目的は一致している」
「分かった。ついてきてくれ」
交渉はビックリするぐらいスムーズに終わり、圭太とシリルは協力関係になった。
「ケータ様。もう一つ聞いてもよいでしょうか」
シリルが前を歩き、少し離れたなと感じたぐらいでナヴィアが耳打ちしてきた。
「なんだ?」
「あの人間、シリルがいれば魔法使いの打倒は簡単なのではないでしょうか」
それは正面から戦っても勝てるかって話か。
「本当に他人の魔法を封じられるならってか? 甘いな」
「やはり無理でしょうか」
「そりゃあそうさ。相手は独裁者、ただの魔法使いじゃない。魔法が通じないなら数で攻めればいいだけの話だ」
キテラだけが相手なら相性の問題もあるからかなり優位に動ける。
だけどキテラは権力者でもあり、兵隊を動かす力を持っている。ある意味一番厄介な力だ。
「人間が束になれば厄介ですね。イブ様の魔力に埋もれない実力者が数人いますし」
「そういうこと。魔法を封じたところでまだ足りない。イブを助けるにはカードが少ない」
今の状態でもカードの切り方次第では何とかなるかもしれない。だけど運頼みで勝てるほど英雄は甘い存在じゃない。
勝つためには手札を増やさなければならない。
「それに、キテラは今までの相手と違って対抗策を考えてくると思うぜ? 俺の予想だけどな」
「そうなのですか?」
「サンもクリスも俺の策にあっさりと引っかかった。魔王の復活という切り札のおかげでもあるけど、それにしても簡単すぎる」
サンは見事に誘導に引っかかったし、クリスはこちらから正体を明かすまで魔王の正体に気付かなかった。
圭太からすれば実力は認めるがチョロい相手だった。歯ごたえがなかったと言ってもいい。
「それはケータ様が優れていたからでは?」
「お世辞と受け取っておくよ。俺はあの二人が駒であり司令塔は別にいると考えている」
ナヴィアが安易に褒めるので、圭太は苦笑してしまう。
「それがあの魔法使いですか」
「ああ。今までのように単純なアイデアじゃあ通じない。イブという最高の切り札を失ったのもあって、俺たちは詰み一歩手前だ」
力技は使えない。作戦の起点として頼っていたイブもいない。
どうやって倒すか。それは圭太の頭脳にかかっている。
「まあ、シリルの能力は間違いなく起点になるけどな」
魔法の無効化なんて正にキテラ殺しだ。使わない手はない。
「何をブツブツ話しているんだ。置いていくぞ?」
圭太とナヴィアが話し合いを終えると、いつのまにか前を歩いていたシリルが振り返っており、どことなくジトーとした目になっていた。
内緒話はよくないよな。ちょっと反省。
「おっ、俺たち相手に競争を仕掛けるつもりか? 容赦はしないぞ」
「はっ! 面白い。じゃあ競争だ。方向はこのまままっすぐだから」
「後悔すんなよー!」
圭太は肩をぐるりと回し、シリルは不敵に子供っぽく笑った。
三十分後、ぜえぜえと息を切らしたシリルが競争の最下位となったのは余談である。




