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第三章一話「退屈そう」

「これで、おしまい」


 赤い髪の女性が冷たく言い放ち、伸ばした白い手から紅蓮の炎が放たれた。


「熱い熱いあっつああああああ!」


 炎の波を一身に受けた男は、体にまとわりつく炎を払おうと暴れすぐに炭と化した。

 洞窟にたくさんの人がいると聞いていたが、いまや赤髪の女性と金髪の女性しかいない。

 すべて炭となり灰となった。赤髪の女性による炎魔法によって。


「……いつ見ても強力だね。キテラの魔法は」


 金髪の女性、勇者琥珀は一方的な蹂躙を見せつけた赤髪の女性に畏怖の表情を浮かべていた。

 少しだけ顔が引きつっているのは洞窟に充満した肉の焼けるにおいのせいだ。


「アンタに言われても嬉しくないわ。最強のユウシャ様?」

「やめてよ。ボクに期待されても困るって」


 キテラと呼ばれた赤髪の女性はからかうような笑みを刻み、琥珀は対象的に不機嫌に眉を寄せる。

 今回二人が洞窟を訪れたのは、近くの村で盗賊の討伐を依頼されたからだ。

 最近村の周りで騒ぎを起こす盗賊に悩まされている。どうやら洞窟を根城にしているようなので倒してくれ。なけなしの報酬は払うから。

 そう言われて村人全員に頭を下げられたら琥珀は断れない。というかサンもクリスも誰かを見捨てられない性格だから、断るのを許してくれない。

 今回二人だけで動いているのは、クリスの戦闘能力の低さと護衛無しでは何が起こるか分からないという不安からだ。そのため守りに長けたサンも村でお留守番となっている。


「事実じゃない。謙遜されたらアタシたちの立場がないわ」


 サンやクリス、そしてキテラの三名はそれぞれ得意分野がハッキリとしている。

 しかし勇者である琥珀はそれぞれ特化している三人にこそ及ばないもののすべてをそつなくこなせる。回復も防衛も攻撃も、最悪一人で可能なのだ。


「そう言われても。悪いのはキテラだし」


 唇を尖らせて、琥珀は不機嫌を露わにしていた。

 そもそも乗り気じゃなかったのに、それで期待されるのだから機嫌も悪くなる。

 しかもからかった当の本人が気心知れた友人なのだからなおさらだ。


「はいはいアタシが悪かったわよ。許してコハク」

「うん。ボクも怒ってるわけじゃないから大丈夫だよ」


 キテラが降参だとばかりに肩をすくめると、むうとしていた琥珀もすぐに笑顔になった。


「それにしても――」


 琥珀はキテラから視線をずらし、先ほどまで男がたむろしていた洞窟を改めて見渡す。

 つい三十分前には下品な笑いが響いていたのに、今は静まり返っている。洞窟の印象もさっきまでとはまるで別物みたいに思えた。


「どうしてこの世界は盗賊が多いのかな?」


 それは世界を渡ったからこその疑問だった。


「まるでコハクのいた世界は盗賊がいないみたいな言い方ね」


 琥珀が別世界から召喚されたという話はすでに勇者パーティには伝えてある。旅をする以上変な誤解を与えたくないという琥珀の配慮だ。

 サンもクリスも純真だからすぐに信じたし、キテラも初めこそ疑っていたがあまりにも常識を知らなすぎるので今ではそうなんだろうと受け入れている。


「泥棒はいたよ。悪い人もいた。だけど洞窟にこもる人はいなかったかな」


 泥棒も強盗もヤクザもいた。

 だけど皆自分の建物を持っていた。ホームレスの怪盗なんて聞いたことがない。

 この世界に来てたくさんの頼みを聞いている琥珀だけど、未だに洞窟に立てこもっている悪党には慣れない。


「いい世界ね。退屈そうだわ」


 キテラは吐き捨てるように呟いた。

 どんな悪党でも持ち家がある。それはつまり、ある程度の生活水準が誰にでも保障されているということだ。

 他人を殺さなければ生きていけない世界で育ってきたキテラにとって、理想郷のようにも思えるし監獄のようにも感じた。


「あっちの世界は警察が、えっとなんて説明すればいいのかな。悪い人を捕まえる専門の騎士? がいたんだよ」

「便利じゃない。治安が良いってことよね?」

「うんそうだよ。だからわざわざ人の目を避けようとする人はいなかった。皆警察が守ってくれるから」


 どれだけお金がなくてもちゃんとした手続きさえすれば生きていける。日本で生まれ育った琥珀は本気でそう考えている。

 犯罪に巻き込まれても警察が助けてくれる。だから安心だと本気で考えている。


「へえ。でもこの世界では不可能よそれ」

「どうして?」

「だってコハクの世界には魔法がなかったんでしょ? 誰でも持っている武器がないんだもの。そりゃあ平和よ」


 魔法は人を殺せる。

 数多くの魔法を習得し、魔法によって盗賊を全滅させたキテラの言葉はそれなりの重みがある。


「あっちの世界でも武器はあったよ?」


 琥珀は首を傾げて納得していない様子を見せる。

 魔法は確かになかった。でも包丁はあったし銃だって存在している。

 武器が存在しないのならまだしも、あるのだからキテラの理屈は合わない。


「でも手放せたんでしょ? こっちの世界で完全に魔法を捨てる方法なんてない。死ぬしかないわ」

「そうだね。確かに死なない限り魔力は無くならない」


 キテラはこの世界の常識を口にし、この世界に染まりきった琥珀は何の躊躇いもなく頷いた。

 魔力は誰もが持っている。人間はもちろん魔族や魔物、動物や植物などの生物だけでなく、岩や海などの無機物であっても変わらない。

 魔法は魔力を消費する。そしてあらゆるものは魔力を所有している。つまり魔法を根絶させる方法はないのだ。


「そっ。誰でも武器があるから徒党を組まれれば厄介だし、そういう連中を相手にするためにアタシたちみたいなのがいる」


 村人が盗賊に敵わないのは単純に戦い慣れしていないからだ。数が同規模であれば、戦闘慣れしているほうに軍配が上がる。

 逆を言えば戦闘経験が豊富なら多少の数の差はひっくり返せるということだ。勇者である琥珀が頼られたのは簡単な理由だった。


「だから悲しまなくてもいいわよ。どうせアタシたちがやらなくてもどうせ殺されたんだから」

「……なんでもお見通しだね」

「そりゃあね。アタシは勇者様の先生だし」


 琥珀はため息を吐いた。

 旅立つ前にキテラには魔法をいくつか教えてもらった。でもたったそれだけでこうも隠し事が通じないものだろうか。

 琥珀は深く考えないことにした。様々な魔法を習得しているキテラは万能と言って過言じゃない。


「ここにいた人たちは確かに盗賊で色々な人に迷惑をかけた。だけど、助ける方法もあったんじゃないかって思うんだ」


 殺す以外の方法はなかったのか。助けられたかもしれないのに殺してもよかったのか。

 敵を倒すとき、琥珀はいつもその言葉が頭をよぎる。

 そして毎日のように後悔するのだ。殺さなければ殺される、日本のように甘い世界ではないと理解していても。


「不可能よ。更生はしない。躊躇ったら殺されるだけよ」

「それでも説得すれば」

「無理よ。仮に心を入れ替えたとしても村人に殺されるわ」


 力の差は歴然なのだから、話し合いも可能と言えば可能だ。

 だけど、犯罪者を生かしておこうと思う人間は、この世界にいない。琥珀と同じ考えのほうが珍しいぐらいだ。村に連れて帰っても盗賊たちに未来はない。


「……」

「コハク。アンタの考えは尊重するわ。性善説を本気で信じているのは凄いと思う」


 黙り込んだ琥珀に言い聞かせるようにキテラの声は柔らかい。


「だけど現実は違う。一度でも悪に染まれば、簡単には抜け出せないの」


 それはこの世界の真理。

 更生が信用されていないこの世界では、犯罪者イコール死となる。

 昔はやんちゃしていたけど今は足を洗ったという人がいたとする。とても優しく立派であっても、過去の犯罪歴がバレれば粛清されるだろう。

 それがこの世界の常識だ。

 人殺しに躊躇わない理由だ。


「皆を説得できれば変わるかな」

「変わらないわ。説得してどうにかなるのなら魔王を倒そうなんて考えないもの」

「…………そうだね」


 キテラは軽く答え、琥珀はしばし考えてから頷いた。

 魔王を倒した人間はいない。魔王を倒せる人間もいない。

 武力でどうにもできないのだから説得しようという考えもよぎったはずだ。交渉で終わるのならそれに越したことはない。

 話し合いで解決できないからこそ、琥珀たちは旅をしている。


「今のアタシたちができるとすれば早く魔王を倒すこと。そうしたら聞く耳ぐらいは持ってもらえるはずよ」

「うん、うん。ありがとうキテラ。頑張るよ」

「気にしなくていいわ。どうせただの暇つぶしなんだから」


 キテラが道を示し、彼女の意図を正確に読み取った琥珀は感激して何度も頭を下げる。

 なんだか恥ずかしくなったキテラは目を逸らすが、赤髪の隙間から覗く耳は朱色に染まっていた。

 何かが焼けるような音がして、キテラは顔をしかめた。


「キテラ? 大丈夫?」


 音の聞こえた方向から琥珀はすぐに心配そうな顔になった。


「ええ大丈夫よ」

「嘘だよ。だって辛そうな顔をしてる。村に戻ろう。クリスなら治してくれるよ」


 顔を逸らしていたのをこれ幸いとキテラは即答で嘘を吐くが、両手で顔の向きを変えられるのは予想外だった。

 痛みを堪えている顔と心配そうな顔が正面から向き合う。


「いつもは鈍感なくせにこういうときだけ……」

「何? 聞こえないよ」

「心配性だって言ったの」


 いつも無意識で人の好意を避けているくせに隠していたかったことにはすぐに気付く琥珀に、キテラは痛みとは別の理由でため息を吐いた。


「大丈夫よ。もう治った。心配かけて悪かったわ」


 顔を左右に振って琥珀の手から逃れたキテラは、一歩下がりながらへらっと笑う。


「本当に?」

「本当よ。何? アタシの言うことが信じられない?」

「いやそういうわけじゃないんだけど……」


 キテラがジト目で睨むと琥珀は尻すぼみに声を小さくさせてモジモジしだす。

 こういうお人好しだから困るのだ。そこが琥珀のいいところでもあるのだが。


「でもま、アタシだけ秘密を持っているのもフェアじゃないわよね」

「えっなんだって?」

「村に戻るわよ。村長に報告しなくちゃ」


 キテラはボソリと呟いてから勢いよく踵を返した。

 肉が焼けたにおいにも耐えられなくなってきた。服ににおいがついていなければいいのだが、絶望的だろう。


「それに、帰ったら三人に話があるの」

「ボクたちに? ……大事な話なんだね」

「いえ、大した話じゃないわ」


 キテラの様子から何かを感じ取ったのか、琥珀の表情は引き締まる。

 キテラは妙な勘違いに肩をすくめるが、振り返ったりはしない。

 上唇を噛んで痛みに耐えている様子を見られたくはない。


「どうしてアタシの魔力はコハクよりも多いのか。その仕組みを話すだけよ」


 勇者である琥珀の魔力は生半可なものではない。クリスとサンを足しても琥珀の魔力量には遠く及ばない。

 その琥珀よりもさらに魔力量を増やすことに成功したカラクリを、キテラは旅の仲間だけに伝えることを決意した。

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