第二章三十話「世界にたった一人」
「………………」
クリスが黒い穴を潜り、黒い穴そのものが消えても、圭太は同じ場所を無言で眺めていた。
「ケータ様」
「さ。行こうぜ二人とも。次は魔法使いだ」
ナヴィアに呼ばれ、どこかに行っていた意識を取り戻した圭太はいつも通りのひょうきんな様子で足を動かす。
「ケータ様。無理しないでください」
「無理なんかしてないって。大丈夫だ」
ナヴィアの心配を振り払うために、圭太は苦笑いを浮かべる。
どこも変なところはない。いたっていつも通り、無理しているとはまったく思えない。
「どこがじゃ。無理しておるのが丸わかりじゃぞ」
「やっぱりバレちまうか」
だが、イブたちは圭太の迷いを看過していた。
今度は本心から圭太は苦笑する。
二人の人生ならぬ魔族生からすれば短すぎる時間しか一緒に過ごしていないが、それでも圭太の演技は通用しなくなったようだ。
嘘を吐けないと痛感して、圭太は代わりにため息を吐き出した。
「俺は英雄にとことん向いてないんだってはっきり分かったよ。サンのときもクリスのときも共感できなかったんだ」
自分の意見を飲み込んでまで町を守っていたサン。見ず知らずの魔族を治療しようと何の躊躇いもなく死のうとしたクリス。
どちらも圭太の理想であるヒーロー像そのものであるが同時に度し難い愚か者だと感じていた。
少なくとも圭太には同じ行動はできない。見返りが少なすぎる。
「主は英雄ではないじゃろう。主は主、世界にたった一人しかいないケータじゃ」
「そうだな。俺はしょせん俺でしかない。ならせめて俺らしく生きるしかない、か」
わざと英雄のように振る舞う必要はどこにもない。憧れるのは結構だが、理想に焦がされては元も子もない。
圭太は英雄たちを理解こそすれ、隣を歩く理由はない。
「そうじゃ。本人もあずかり知らぬところで崇められる気分を主まで味わう必要はない」
「説得力が違うな。さすが魔族にも人間にも崇め讃えられている魔王様だ」
イブは気付けば魔族だけでなく人間にまで信仰対象にされていた。
しかも人間側は魔王の姿を知らない。巨大な魔物を見て魔王復活だと喜んだくらいなのだ。
イブからすれば人間に信仰されるのは面白くないだろう。
「喧嘩売っとるじゃろ」
「そんなことないさ」
イブのジロリとした眼光を圭太は肩をすくめて受け流した。
「これからどうするのですか?」
「今までと変わらない。情報を集めるだけだ」
何もコネのない圭太たちにできることはあまり多くない。
結局は無い物ねだり。戦争において最も重要な情報を集めるだけだ。
「邪教徒についてじゃな」
「アダムについてもだ」
「忙しいですね」
大陸を渡るまでは勇者パーティの情報だかで済むと思っていた。しかし、現実はそんなに甘くなく、色々と調べなければならないことが増えた。
ナヴィアの言う通り、情報集めもこれから忙しくなる。
「疲れたなら帰ってもいいんだぞ? どうせ俺一人でやるつもりだし」
「ダメです」
「なんでだよ」
一人で動くほうが色々と楽だ。邪教徒を探すのには手こずったが、魔力感知しか頼りにならない場面はそう多くないはずだ。
しかしナヴィアに即答で却下された。解せない。
「ケータ様と離れ離れになるなんて耐えられません。心配で眠れないです」
「そんな無謀なことしてないだろ」
大げさな、と思ったが圭太は黙っておいた。
なぜかニヤニヤと笑っているイブが視界に入り、無性に腹が立つ。
「今回は、です。逃げろと言ったのに勇者の盾に一人で立ち向かったことは忘れてないですからね」
「いい加減許してくれよ」
「ダメです」
あれは仕方なかった。戦えるのは圭太だけだったし、ナヴィアを見捨てられない理由もあった。
だけど命令を聞いてもらえなかったナヴィアは相当根に持っているようだ。
「主ら、ワシを置いて楽しそうじゃな」
ニヤニヤと含み笑いをしているイブが、とうとう話に入ってきた。
圭太をからかおうと思っているのだろうが、それは悪手だ。
「構ってほしかったのか?」
「たわけ」
圭太が逆にからかってやると、途端にむすっとしてイブは不機嫌をあらわにした。
「ヘソを曲げないでください魔王様」
「誰のせいじゃと思うておるんじゃ小娘。また遊ばれたいか?」
「それだけは勘弁してください」
ナヴィアが神速で頭を下げる。
一瞬だけ見えた彼女の顔が赤くなっているように見えたがきっと気のせいだろう。思春期真っ盛りの圭太には言及する勇気を持っていなかった。
目を泳がせる圭太と頭を下げ続けているナヴィアの姿に、イブは肩をすくめて自分で車イスを動かす。
三人の旅は、笑顔で再開した。




