第二章二十九話「遅咲きの英雄」
すっかり日は高くなり、圭太はうんざりとした顔になっていた。
「それじゃあ行ってくるの」
「クリス、気を付けるのですよ」
目の前では旅支度を整えた英雄と旅立ちを応援する人たちの感動の場面が流れている。
予定を狂わされっぱなしの圭太は額に青筋を浮かべて、その様子を眺めていた。
「分かっているのシスター。大丈夫。旅は慣れているの」
心配そうに眉を八の字にするシスターに、クリスは安心させようと微笑みを浮かべている。
「別に一人ってわけじゃない。今回は俺たちが一緒だ」
圭太は大きなため息を吐いて、ようやく旅が再開できそうなので口を開く。
旅立とうとする娘を心配する気持ちは理解できる。だけどそろそろ止めてくれ。予定が狂わされてイライラしているんだ。
「ケータ様」
「圭太な。微妙に違うから発音」
シスターの呼び方に圭太はビシィッと指差して訂正する。
イブもナヴィアもクリスも皆発音を間違えているが、けいたが正しい名前だ。伸ばし棒はどこにも存在しない。
「なんとこの人も勇者なの。遅咲きの英雄というやつなの」
「お前バカにしてるだろ」
ふふーんと我がことのように胸をはるクリスに、圭太はジト目をプレゼントする。
遅咲きも遅咲きだ。何せ魔王は既に倒されている。勇者の仕事はないも同然なのだから。
「そんなわけないの」
「そうじゃぞ遅刻魔」
「素直に褒め言葉として受け取ればいいじゃないですか出遅れ様」
「よぉーしお前ら表に出ろ。まとめて買ってやんよ」
圭太は頭のどこかでブチッと切れる音を聞いた。
クリスもイブもナヴィアも楽しそうに笑っている。それがまた圭太の火に油を注いでいた。
「ああ、ああ。そうですね確かに。彼は勇者のようです」
どこか懐かしいものを見るように、眩しいものを見るように目を細めて、シスターは一人納得したように頷いている。
「似てるの。あのときに」
きゃっきゃっと圭太とじゃれ合いから逃れたクリスは、いつもと同じ柔らかい微笑みを浮かべてシスターに肩を並べる。
「そうですね。クリスが旅に出たあの日のようです。きっとクリスにとっても大切な旅なのでしょう」
勇者、魔王を倒したコハクとの旅立ちも似たようなじゃれ合いがあった。片方は仏頂面で片方は笑顔。どちらもどこか楽しそうな旅立ちだった。
その旅立ちを見送った後、娘は一回りも二回りも成長して帰ってきた。魔王を倒したという大きすぎるお土産もついていた。
似た雰囲気の旅立ちだ。きっと今回も大きなことを成し遂げるのだろう。クリスにとって必要な旅なのだ。
「うん大切なの。私の力が必要な人はまだたくさんいるの」
「ならば貴方の親として、教師として、止める理由はありません」
クリスは頷き、答えを聞いたシスターもまた頷いた。
そしてクリスとシスターは抱きしめ合った。
「ありがとうなの。どうかお元気で」
いつしかまた傍観者になっていた圭太は、クリスの声に涙が混ざった気がした。
「貴方もですクリス。また魔王を倒すなんて無茶はしないでくださいよ」
「あ、あはは。気を付けるの」
二人は離れ、クリスは渇いた笑いを浮かべている。
クリスは再び魔王城に向かう。
無茶をしないという保証はどこにもなかった。
とても人気者のクリスを人目がつく場所で魔王城に送るわけにもいかないので、圭太たちは町の外めがけ歩いていた。
すれ違う相手に何度も行く手を阻まれたせいで、もう日は傾きつつある。圭太はもはや諦めた。
「……よかったのか?」
「何がなの?」
無言の足取りの中圭太は口を開き、クリスは首をひねった。
「人間を捨てて。魔王の城に行くということは奴隷になるってことだ。倒すべき魔王はもういないんだぞ」
サンはすべて受け入れた上で利き腕を失い、魔王城でコスプレをしている。人と同じ扱いは受けられないと理解した上で、圭太にお礼を言い首を渡そうとした。
だがクリスはどうだろうか。
クリスの馬鹿力こそ脅威であるが、回復職である彼女は脅威になり得ない。圭太たちの目標はあくまでも勇者の討伐であり、人間と全面戦争するつもりはない。いくら治療しようと圭太たちには被害がないのだ。
わざわざ奴隷に落ちる必要はない。それに英雄二人を揃えて逃げられる期間も捨てきれない。
「魔王はいるの。ここに」
「倒せると思うておるのか?」
クリスに指差され、イブは右手に黒い炎を纏わせる。
魔力量を感知できるナヴィアが涙目になって震えていた。
「コハクは、お前を封印した勇者はもしもまた戦いになったら勝てないって言ってたの。それにお互い名乗ったから友人同士だとも言ってたの」
圭太は召喚された直後のことを思い出していた。
黄金の剣に貫かれたイブ。圭太が引き抜くと剣はまるで空気に溶けるように消えた。
もしも封印にあの剣が必須だとしたら、もうイブを封印はできない。
「ふん。名前に何の意味があるんじゃ」
「コハクの友人と戦う理由はないの」
鼻を鳴らしてそっぽを向くイブに、クリスは慈悲深い瞳を向けている。
どう見てもイブよりクリスのほうができた大人だ。これでイブのほうが何百歳も年上なのだから世の中分からない。
「なんだ。いつから勇者と仲良くなったんだ?」
圭太はニヤニヤと悪戯っぽく笑い、イブに追い打ちをかけた。
「うるさいわ。勇者を召喚した時点でワシの気は狂っておる」
「だな。天敵を召喚するなんて正気の沙汰じゃない」
むくれたイブの言葉に圭太は思わず苦笑した。
天敵をわざわざ増やしてしかも両足の自由を失った。これが狂ってなければ何なのか。
「驚くじゃろうなあ。シャルルは」
「間違いなく怒られますね」
イブとナヴィアは同じ顔を思い浮かべた。
ただ一つ違うのはイブは喜ぶ顔を、ナヴィアは般若のごとき顔という点だ。
「なぜじゃ。思い焦がれておったではないか」
「憎しみの炎にな。サンの様子から考えれば大丈夫なのかもしれないが」
本気で分かっていない様子のイブに、圭太は呆れた口調で説明してやる。
悟ったような考え方のイブとシャルロットでは物事の考え方が違う。この千年間経験してこなかっただけに余計とズレが生じている。
「もしも憎しみがまだ消えないなら、私が癒してみせるの」
クリスは両手を組み合わせ、祈るポーズになる。
「それはそれで拷問だな」
「憎しみの対象に癒されるほど屈辱はないですよね」
「もしかしたらこの人間の本性やもしれぬぞ」
限りなく魔族に近い立場の圭太とエルフのナヴィアと魔王のイブは善意の暴力に顔を引きつらせた。
敵に情けをかけられるのは恥だとする考え方がある。シャルロットは間違いなくその考え方だ。顔に泥を塗りたくられるようなものだろう。
「それはないな。バカだし」
クリスが策を巡らせられるわけがない。そんな奴が簡単に生贄になろうとするものか。
「よく聞き取れなかったけどバカってどういうことなの!」
「そのまんまの意味だ。この大バカ者め」
「ひどい言われようなの!」
数日でたくさん尻拭いをしてきた圭太はとても冷めた目になっている。クリスが不本意だと叫んでも表情筋はまったく動かない。
「ふむ。もう戯れもよいじゃろう」
「町からは離れましたね。人間の気配もないです」
人並み外れた魔力感知能力を持っているイブとナヴィアが、辺りを見渡しながら言った。
町を出てからそれなりの時間が経った。人気は無くなっていたし後をつけている不届きものもいなくなった。
そろそろ敵同士の談笑もやめていいだろう。
「そうか。じゃあ頼んだ」
「うむ」
イブは頷いて、手を前に伸ばす。
魔王城との空間を繋ぐ暗い穴が出現した。
「クリス。この穴をくぐればもう後には戻れない」
圭太は腕を組み、牢獄行きの黒い穴を見つめていた。
「それは引き返すなら今のうちって意味なの? なら聞くつもりはないの」
クリスから予想通りの答えを返してきた。
この頑固者め、という言葉を何とか飲み込む。
「お前を頼る人間はきっと多いぞ」
「くどいの。私はサンを治すの」
黒い穴からクリスへと目を動かす。
彼女の瞳はまっすぐで、圭太がどれだけ説得しようが微塵も揺れないと直感させられた。
「そうか。なら勝手にしろ。無理はするなよ」
圭太がため息を吐くと、クリスはきょとんと目を丸くしていた。
「勇者を倒すつもりの人だとは思えない言葉なの」
くすくすと口元に手を当てて、クリスは笑い出した。
まさか笑われると思っていなかった圭太は、盛大に顔をしかめる。
「そうなんじゃよ。こやつは英雄に憧れるあまり傷つけたくないと思うておるんじゃ」
「変なの。それじゃコハクを倒せないの」
イブが肩をすくめて、しょうがないとばかりに苦笑していた。
「二人して笑うなよ。腹立つな」
笑いのタネになっている圭太は当然面白くない。
ますます仏頂面になり、イブとクリスをジト目で睨んだ。
「わたくしはケータ様の味方ですからね」
「肩震えてるぞナヴィア」
仲間のフリをしているが、悲しいかな。ナヴィアの演技力では到底嘘を信じ込ませられない。
「じゃあ、そろそろ行くの」
ひとしきり笑ったクリスは目尻に浮かんだ涙を指で拭った。
「また会おうなの。コハクとキテラ以外に負けたら承知しないの」
「その二人にも負けるつもりはないっての」
手を振るクリスに、圭太は不機嫌な調子のまま答える。
敵に負けるつもりで戦うバカはいない。もちろん圭太も負けるつもりはなかった。
「それは楽しみなの」
くすくすと微笑んだまま、クリスは黒い穴の向こう側へと消えた。




