第二章二十六話「主人想い」
「イブ」
宿に戻り、フワフワの絨毯を躊躇いなく踏みながら荷物をまとめている圭太は、謎の魔法陣を空中に展開して眺めている魔王の名前を呼んだ。
「なんじゃ」
「来てくれて助かった」
圭太は作業の合間にイブの顔を見る。
彼女は右手で魔法陣を維持しながら、目を丸くして圭太を見ている。二人の視線はすぐにぶつかった。
「……今さらじゃな。小娘に呼びに来させたのじゃろう?」
イブがふいっと目を逸らし、再び複雑な魔法陣を弄り始めた。
「ナヴィアに連れてくるよう頼んだのは俺だ。だけど正直来てくれるかは微妙なところだと思ってた」
「人間を助ける必要なぞない。じゃからケータの頼みを聞く理由もない」
右手を握ることで魔法陣を消したイブは、背筋が凍るぐらい冷たい瞳になる。
圭太は息を呑んだが、何度か見た魔王の姿だ。手が震える以外の変化を無理して抑え込む。
「確かにそうじゃ。呼びに来たのがケータじゃったら、甘えるでないと突き返していたじゃろう」
イブはケタケタと笑いながら、とても笑えない言葉を口にする。
イブがいなければ圭太もクリスも無傷では済まなかった。それどころか二人揃って死んでいた可能性のほうが高い。
合理的な判断が別の場所で窮地を救っていた。すべて終わった後だからこそ、滝のような冷や汗が出てくる。
「よかったのうケータ。主の奴隷は主人想いじゃ」
「なんだよそれ」
イブがからかうように笑うので、圭太は全力で嫌な顔をした。
圭太一人ならまだしも、この場にいないナヴィアを巻き込むのはいい気分ではない。
「これこれ。顔をしかめるでない。気付いておるんじゃろう?」
「なんの話だ」
「小娘の好意じゃ。主は賢いものな。当然気付いておるはずじゃ」
ナヴィアの好意。誰に向けたものか。もちろん圭太へのだ。
イブが言葉にしたせいで、見ないようにしていたものを突きつけられた気分になった。
「……その話、続けないとダメか?」
全力で避けたい話題だ。イブはただの好奇心で聞いているのだろうが、答える圭太は答えを決めないといけなくなる。
全部が全部白黒付けるべきではない。灰色が必要なときだってある。
「ワシをあごで使うたバツじゃ。どう思うておる」
「話さないとダメな流れか。はぁ」
圭太は肩を落とし、重たいため息を吐いた。
バツなら償わなくてはならない。でなければ次は助けてもらえないからだ。イブに頼らざるを得ないときは基本的に切羽詰まっているのだから、渋られるだけでも取り返しがつかない可能性が高い。
「ナヴィアはいるのか?」
「おったらこんな話はせぬ」
「本当かよ」
ナヴィアには消耗品の補充を頼んでいるが、仕事の早い彼女ならもう終えている可能性もある。
圭太は懐疑的な視線でイブを貫く。
件の魔王様は嬉しそうに目を輝かせていた。ウキウキという音が聞こえてきそうだ。
「俺は、そうだな。ナヴィアが特別な感情を持ってくれていることに気付いてる」
言葉を選び、感情を整理しながら、圭太は話す。
見ないようにしていた。気付かないフリをしていた。
ナヴィアの危ういばかりの信頼。魔王に捨てられたら養うとまで言ってくれたのだ。
信仰対象に見捨てられたものを、どうして助けようなどと思えるのだろう。
「ほうほう」
「なんで嬉しそうなんだお前は……」
ブンブンとデスメタル歌手並みに激しいヘドバンをしているイブに、圭太はさらに肩を落とす。
もうすぐ両手が地面に落ちてしまいそうだ。
「でも、俺から話をするつもりはない。向こうからなら答えないといけないけど、できる限り避けるつもりだ」
もしもナヴィアが告白しようとしてきたら、圭太は鈍感主人公顔負けの演技で話題を流すつもりだ。一度出鼻をくじけばもう告白できないだろう。
「なぜじゃ。小娘は人間に人気だったではないか」
心なしかイブの顔に不機嫌の色が混ざる。
「それは容姿の話か? たしかに美人だよ。絶世の美女ってのは彼女みたいなのを言うんだと思う」
エルフを連れていても不自然ではなくするために、ナヴィアの首には無粋な首輪がつけられている。イブが手を加えているので本来の機能である魔力封印こそ解除されているが、見た目は完全に奴隷用だ。説明するまでもなく、人間は勝手に誤解してくれる。
ナヴィアとすれ違う人間は、奴隷と分かっていても皆足を止めて振り返っていた。
圭太から見てもナヴィアは美人だ。おまけにスタイルも整っている。美男美女しかいないエルフの村を訪ねたせいで耐性が付いている圭太ならともかく、いきなりエルフと遭遇すれば視線が吸い付くのも仕方がない。
「でも、俺は人間で彼女はエルフだ。だから、結ばれない」
「なんじゃ。主は人間がよいと言うつもりか?」
イブはなんだか失望したというような怒りにも似た感情を顔に滲ませる。
結局は人間と一緒にいたいのか。イブの瞳は確かにそう語っていた。
「違うよ。俺は人間でエルフより早死にするからナヴィアの気持ちに応えられないってだけだ」
圭太は首を振って、イブの怒りを否定する。
ナヴィアは、エルフは人間の数倍から十数倍長く生きる。
もしもナヴィアが誤魔化しようがないくらい告白してくれば、圭太はきっと折れる。元いじめられっ子には過ぎた娘だ。容姿はもちろん内面も釣り合わない。
一緒に暮らしていれば圭太は幸せだろう。でもその幸せは圭太の寿命が尽きるまでしか続かない。
一人残されたナヴィアは幸せの残骸を抱きしめて生きていかなければならない。ナヴィアにそんな辛い思いをさせたくはなかった。
「それならワシが解決してやれるぞ? 不死は無理じゃが不老ぐらいはできる」
便利な魔王様は魅力的な提案をしてきた。
圭太もなんとなく予想はできていた。
イブは千年生きたにもかかわらず見た目は十歳くらいの少女だ。最初から歳をとらない可能性もあるが、魔法で老化を防いでいる可能性もある。
もしも魔法により老化を防止できるのなら、他者の寿命も伸ばし放題だろう。
「つまりイブとも一緒じゃないといけない。それじゃダメなんだよ」
「むぅ?」
圭太がさらに首を左右に振ると、イブは納得できないのか首を大きく傾げた。
「今回みたいに意見が食い違ったらどうする。もっと悪くなって殺し合いにまで発展したら?」
それは数ある可能性の中でも最悪の未来だ。
今一緒に旅をしている圭太とイブが仲違いする。
行き着く果ては壮絶な殺し合い。お互い失うものは多いだろう。
「ないとは言えぬな」
イブもあごを撫で、圭太の予想を否定しなかった。
イブも理解はしている。圭太とイブの立場は本来馴れ合うものではない。
「俺は勇者。魔王を討った者と同じ人間だ」
「程度の差はあるがな」
「それは俺が一番知っているっての」
悪かったな。魔王の宿敵には遠く及ばない雑魚で。
「とにかく、この先ずっと魔王と一緒に歩めるかどうかも分からないのに、目的以外に現を抜かすわけにはいかないんだ」
ナヴィアと永遠を共にできるかどうかは誰にも分からない。
ただでさえ勇者の討伐という難題に挑戦しているのだ。できれば全部終わってから改めて考えたい。
「難儀な奴じゃな。小娘も苦労するのう」
「思慮深いと言ってほしいね」
圭太の意思が硬いと悟ったのか、イブは肩をすくめてため息を吐いた。
「さてと、旅支度はすぐ終わったな」
「そうじゃな。すでに手を付けておったからな」
圭太が三日間も邪教徒探しに勤しんでいる間に、ある程度の旅支度はされていた。具体的には着替えやタオルなどの日持ちする消耗品の補充、旅用の外套や靴の購入までしてあった。圭太がしたのは仕分けと傷んだものがないかの点検ぐらいだ。
圭太は働き者のナヴィアに内心で手を合わせた。
イブは絶対働かないから全部一人でやってくれたのだろう。頭が上がらない。
「クリスのせいで出発が遅れたけどな。もう変なことはしないだろ」
狙ったかのようなタイミングで騒ぎを起こすクリスのせいで、想像以上に滞在してしまった。もは高級宿の請求書を見れない。
「勇者の連れというのはワシら魔族だけでなく人間にまで迷惑をかけるんじゃな」
「クリスは例外だと思うぞ。サンは人間に迷惑をかけてなかっただろ」
サンはすべての人間に頼られていた。クリス並みに迷惑をかけていたら人望は得られないだろう。
「弱点になっておったがな。結果として迷惑じゃろう」
「まあそうだな。だから付け入る隙になったわけだが、人間からしたらいい迷惑だ」
今考えたらとんでもない話だ。
たった一人に町の護衛を任せ、ようやく成り立つような町だった。
勇者の盾とまで言われる並外れた耐久力がなければ、まず瓦解していただろう。
「それで主よ」
「なんだ?」
「勇者の一味を殺さぬのは分かるが、見逃す気か?」
イブは先ほどナヴィアとの色恋沙汰を聞いていたときとはまるで別人の真剣な表情になっていた。
「どうしたい?」
「盾と同じように我が城に仕舞いたい」
イブに釣られて圭太も表情を引き締めて、イブの簡単な答えに顔を引きつらせた。
「サンとは次元が違う。クリスの収益はさんざん見てきただろう」
「うむ。あの人間がいなくなれば大騒ぎになるじゃろう」
分かっているならどうして拉致監禁したいだなんて言うんだ。
「じゃが、いくらでも言い訳ができるのではないか? 例えばそうじゃな。ここまで来れぬ者のために旅を再開すると言えばどうじゃ」
「合意の上で連れ出すと? それは無理だ」
「なぜじゃ?」
不自然ではないが、不可能なのは変わらない。
イブの提案はとても論理的ではある。しかし見えていないのだ。
「クリスは善意の塊みたいな奴だ。自分を求めている人間を放置できない」
クリスは見ず知らずの誰かのために無理をして死にかけるような人間だ。
確かに旅を再開すればたくさんの人を助けられるだろう。だが、だからといってこの町を後にすればクリスに癒されようと旅路を歩んできた者たちはどうなる。
クリスは求める手を振り払えるような人間ではない。きっと躊躇い、足は動かない。
「ならば脅せばよいじゃろ。この町すべての人間と引き換えじゃ」
「イブなら簡単だろうけど……おいまさか正体を明かす気か?」
圭太は緩急ついた交渉方法に納得しかけるが、あることに気付いてすぐに顔色を変えた。
正体を明かせばまた別の問題が出てくる。イブの正体はまさに切り札だ。おいそれと切れるカードではない。
「遅かれ早かれじゃ。それに連れ出す以上名乗らねばならんじゃろう。ワシこそが魔王じゃと」
「いやダメだ。それは許可できない」
「なぜじゃ」
「最悪の可能性が残っている。もしも脅しに屈しなければどうする。魔王復活が勇者の耳にまで入ったらどうするつもりだ」
魔王城に監禁するなら確かにイブの正体も明かさなければならない。
だが、もしも脅しに屈さず徹底抗戦されたらどうだ。魔力切れを起こしていなければ圭太やナヴィアでは歯が立たず、イブといえど逃す可能性はゼロではない。
逃げた先で勇者と連絡を取り、魔王の復活を伝えられたら目も当てられない敗北が待っている。
「迎え撃てばよかろう」
「その足でか? 俺やナヴィアとは次元が違う強さなんだろ? 戦力にはならないぞ」
「む。それもそうじゃな」
イブは思い出したように自分の足を一撫でし、あっけなく納得した。
自分で言っておいてなんだが、戦力外通告はやはり思う部分がある。
圭太は無意識で血が滲まんばかりに拳を握りしめていた。
「仕方ない。諦めるとするか」
「おうそうだ。失敗の可能性は少しでも減らしておきたいからな」
戦力外でも勇者を倒す方法はきっとある。
圭太は演技の仮面ですべての感情を隠し、軽い調子で肩をすくめた。




