第二章二十四話「綺麗な手」
「さあ、好きなだけ味わってほしいの!」
クリスは両手を広げて、テーブルに所狭しと並べられている料理に胸をはった。
「凄いなこれ」
魔物を倒した圭太たちは最低限の泥だけ落とし、クリスに案内されるまま料理屋に来た。
一目で分かる高級店だ。店を出ていった客の服装や店の内装、料理を持ってきた店員の態度に至るまで気品を感じられる。安さが売りのファストフード店しか縁のない圭太は注文だけでも緊張してしまったのは内緒だ。
勇者になってから色々と厚遇である。泥まみれになった価値もあったというものだ。
「うむ。味は物足りぬが量だけは十分じゃな」
さすが食い意地の張ったイブはナヴィアの助けもあって既に席に着いており、高級料理店の安くはないメニューの数々を口に流し込んでいた。
この世界の物の価値は分からないが恐らく高級品であろう食べ物を次々と平らげていくイブにクリスがちょっと悲しそうになっている。
「久しぶりのちゃんとした料理ですね。しかも残り食材を考えなくて済むなんて」
ナヴィアはイブを完全に無視してゆっくりと席に着き、ナイフとフォークを手に取る。彼女の顔はいつにもまして楽しそうだ。
旅を始めてから初めての豪勢な食事。圭太の口角も自然と上がっていた。
「ナヴィアがいてくれて助かったよ」
圭太も盛り付けられた料理を小皿に取り分け、三日ぶりの食事を開始する。
消耗品の管理や簡潔な調理はナヴィアの役目だ。圭太は料理ができないしイブは論外だ。必然と役割が決まってしまった。
何も気にせず舌鼓を打てるのは、圭太が想像しているよりも気楽だろう。
「気に入ってもらえてよかったの」
クリスはイブを視界に入れないようにして微笑んだ。
「でもよかったのか? 聖人が旅人に奢ったりして」
一口食べて緩みそうになる頬を圭太は必死に引き締めた。
今まで食べたことのない味だ。いや異世界だから当然食べたことのない食材なのだがそうではなく、なんというか高級なんだとすぐに理解できるような繊細な味付けだ。
少なくとも口にかき込むような料理ではない。圭太も女性二人に習ってそっと残念な魔王を視界から外した。
「当然なの。皆は助けてくれたの」
「まあ成り行きだけどな」
「ワシと小娘は逃げておっただけじゃし」
逃げるどころか移動砲台を頼んでいたわけだが。
さすがにバカ正直に話せる内容でもないので圭太は口をつぐんだ。残念なイブを視界に入れたくもなかったし。
「逃げていたで思い出したの。最後の魔法は本当に心当たりがないの?」
「あ、ああ。邪教徒が呼び覚ました四天王を一撃で葬った魔法だろ? 俺はどこから来たのか分からなかったな」
クリスが全力宣言をし、圭太も死を覚悟した四天王との戦闘。
しかし結果は空から落ちてきた黒い炎の奔流に四天王が呑み込まれるというあっけないものだった。結局圭太たちは一度も剣を交えることはなく、それどころか四天王は指一本動かす前に消滅した。
頼んだ立場である圭太はすぐに正体に気付いたが、それでも底の見えない奈落を作るような強力な魔法を頼んだ覚えはない。
「わっ、わたくしたちもです。誰がやったんでしょうね?」
ナヴィアも下手な演技でとぼけ、圭太の助太刀をする。
声がどもっているぞ。クリスは抜けているから見破られないだろうけど。
「ううーん。あの魔力は忘れるわけがないの。魔王、だと思うの」
ギクッ。
圭太とナヴィアの顔が一瞬凍り付いた。
「魔王は死んだんだろ? なら違うんじゃないかなー?」
「そうですよ。わたくしもあの魔法初めて見ましたし」
二人は嘘を吐いていない。
人間は魔王が死んだと勘違いしているのは本当だし、ナヴィアが黒い炎の魔法を見たことがないのも真実だ。
唯一すべての事情を最初から理解しているイブは無言でただ飯を食らっていた。
「でもあの規模の魔法は魔王しか使えないの。ううーん?」
「まっまあいいじゃないか。もしも魔王が復活していたら黙っているわけないしな」
首を傾げるクリスに対し、圭太は強引に話を切り替えた。
「……見事に墓穴を掘りよる」
イブがボソッと言った内容は無視だ。
「それより今は食べようぜ。せっかくの料理が冷めちまう」
「そうだったの。おなかいっぱい食べないと考えもまとまらないの」
「助かりました……」
うんうんと頷いて食事を再開したクリスに安堵して、ナヴィアは胸をなでおろした。
だからお前、もうちょっと隠そうとしてくれよ。バレるから。色々と大問題になるから。
「そうだクリス。手を見せてくれ」
圭太はポンコツナヴィアと論外イブを意識させないために口を開く。
「手を? 分かったの」
クリスは素直に右手を差し出してくれたので、圭太は両手で持って軽く握ったりしてみた。
細い指先に弾力のある手のひらだ。美人というのは手だけでも違うものがあるのか。
タコがたくさんできてゴツゴツと石みたいな感触の圭太の手とは大違いだ。
「綺麗な手だな。とても魔物を殴り飛ばしたとは思えない」
「主の御業なの。当然なの」
ふふんとクリスは胸をはった。
アダムは神で力を持っているのは確かだ。だけど傷を癒させるのは間違いなくクリスの才能だと思う。鉄拳が飛んできそうだから絶対に口には出さないが。
「待つのじゃケータ。あの魔物を殴り飛ばしたじゃと? どんな冗談じゃ」
イブが初めて食事の手を止めて会話に参加してきた。
イブも魔物の大きさは目にしている。軽く十五メートルほどある巨躯をだ。イブと比較したら十倍ぐらい背丈に差があるかもしれない。
「それが冗談じゃないんだよ。コイツは自分の手を砕く勢いで殴ったんだ」
実際に目の当たりにした圭太も最初は現実を受け入れられなかった。
いくら自分の腕を顧みない力で殴ったとして、数倍の体格差を無視して殴り飛ばせるとは思えない。
餅のように柔らかな手のどこにそんな力が隠されているのか。圭太は不思議でならなかった。
「身体強化の魔法を使ったのですか? いやでも、手が砕けるはずが」
ナヴィアがブツブツと考え込んでしまった。
エルフは人間より寿命が長い。ゆえに知識量は人間の比ではないのだが、そんなナヴィアでもクリスのバカ力のカラクリは解けないようだ。
「私は祈る以外の魔法は使えないの。あれはただのげんこつなの」
「マジかよ。どんな訓練を積んだんだ? 詳しく教えてくれ」
特別な魔法は一切使っていないと言われてしまうと、圭太は好奇心に目を輝かせてしまう。
魔法ではないのなら、圭太でも真似できるということだ。
見上げるような体躯の魔物でも腕一本で殴り飛ばす。まさにスーパーヒーローだ。
「なんだかケータが怖いの」
目を輝かせている圭太に、色々な人の悩みを聞いて解決させたであろうシスターのクリスはちょっと引いていた。
ドン引きしなかった彼女を褒めるべきである。シャルロットならあまりの気持ち悪さに剣を抜いていた。
「仕方ないんです。わたくしの主は極度の訓練バカですから」
「おいこらナヴィア。仮にも所有主に向かってバカとはなんだ」
残念ながら奇行に慣れてしまったナヴィアが簡単に頭を下げて、不本意な評価を受けた圭太はエルフの少女を指差した。
役とは言え奴隷にバカ呼ばわりされてしまうと、主人の威厳も何もあったものではない。
「特別なことは何もしていないの。コハクと旅をしていたら腕力が勝手に身についたの」
「クソ。参考になる情報はなしか。サンも力強かったし旅してれば勝手に強くなるもんなのか?」
圭太がとても悩んだ様子で腕を組んで考え込む。
圭太は気付いていない。クリスたち勇者パーティは厄介を避けるどころか全部正面から受け止めてみせた。旅路の停滞と引き換えに得た力なのだ。効率を求める圭太とはそもそものスタート地点が違う。
「というか自滅技をケータに覚えさせるわけないじゃろが。主がそんなものを覚えてしまえばますます取り返しがつかぬ」
「そうですよ。すぐ自分の命を安売りするような人なんですから」
イブとナヴィアに同時に睨まれてしまった。
心外である。弁明を要求する。
「しないって。ちゃんと制御するさ」
「絶対せぬ」
「ですね」
「お前ら……」
圭太はあまりの信用のなさに恨めし気に睨み返すことしかできなかった。
「ケータはサンに会ったことがあるの?」
圭太とイブたちの睨み合いを中断させたのは、クリスの疑問だった。
「ん? ああ。ナヴィアを買ったときに世話になった」
主にズタボロにされただけだが。あのときは死ぬかと思った。
圭太はサンとの殺し合いを思い出して口角をわずかに上げた。極度の訓練バカは死の淵に立たされることも訓練の一環なのである。
「そう、なの。魔族の奴隷を連れているからもしかしてって思ったの。サンは元気にしてたの?」
魔族を奴隷にしている人間は珍しい。この大陸に魔族はいないから、奴隷として連れているのは大陸間を往復した人間だけだ。
奴隷を買うお金持ちなのだから、町一番の有名人と出会う可能性は高い。ちょうど今のように。もし会わなかったとしても噂ぐらいは聞いてくるものだ。
「おお。元気だったぜ?」
片腕なくなったけど。主に圭太のせいで。
つい出てきそうになる言葉を圭太は無理やり呑み込んだ。言葉に出せば最後、魔物も殴り飛ばす腕力にひき肉にされる。
「よかったの……サンが無事で本当によかったの」
クリスは胸に手を当てて、心底安心したような表情になっていた。
そういえば人間たちにはサンが行方不明になったと伝わっていたはずだ。仲間が消息不明なのだから心配の一つぐらいするか。
圭太はクリスをそっとしておくことにした。食事を再開するが、しんみりした雰囲気のせいであまり箸が進まない。
「ふむ。感傷に浸るのはよいが、まだ注文してもよいか?」
雰囲気をぶち壊したのは、皿を乱暴にテーブルに置いたイブの一言だった。
「うおっいつの間に。というかまだ食うのか? どこに入るんだよ……」
気が付けば料理のほとんどは無くなっていた。圭太やナヴィアが小皿に取り分けていなければ、二人が食べる分もなかっただろう。
イブは人間で言う十歳ぐらいの小柄な体だ。一体どこにテーブルいっぱいに並べられた料理を入れるスペースがあるのだろう。
「当たり前じゃ。ワシは主らみたく軟弱じゃないんじゃ」
「車イスに座っている奴の言葉とは思えないな」
イブの言葉に呆れながら、圭太はチラリともう一人の魔族に目を向けた。
「いやわたくしはこれほど食べられないですからね? 奥方様と一緒にされても困ります」
圭太の視線に気付いたナヴィアは苦笑しながら片手をヒラヒラと動かして否定する。
「ふん。軟弱者め」
口を尖らせたイブの言葉を否定できるものはいなかった。




