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第二章二十三話「回復に専念」

「やぁっと歯ごたえのある魔物だぜまったく!」


 飛びかかってくる魔物にカウンターを合わせたのに力負けして、圭太は綺麗な放射を描いて空を飛ぶ。

 パルクールで鍛えられた平衡感覚がなければとっくに力尽きていただろう。


「本当、硬いの。こんなときコハクがいてくれれば」


 隣に駆け寄ってきたクリスが手を組み、圭太の傷を癒す。

 先ほどから同じことの繰り返しだ。魔物の剛毛はイロアスを難なく受け止め、圭太に小さな傷がたまるとクリスがなけなしの魔力で癒す。

 救いなのは魔物の動きにまだ反応がついていけることだ。おかげで膠着状態を保てている。


「勇者ならこの装甲を破れるってのかよ。やっぱり魔力量が多いってのは羨ましいね」


 さすが山一つを潰せると言われていただけはある。

 魔力を自由に扱えない圭太は、思い切り顔をしかめた。


「違うの。コハクの魔法は確かに凄いけど、特別攻撃力に秀でているわけじゃないの」

「そうなのか? まあいい。どっちにしろ俺たちが倒さなければ意味ないんだ」


 今この場に魔王を倒した勇者はいない。

 いない人間に頼るほど圭太は落ちぶれていないし、頼ったところで状況が打破されるわけでもない。

 圭太とクリスが魔物を倒さなければ多大な被害が出るのだから。


「まずは足!」

「ゴアアアア!」


 見上げるような高さから、圭太を容易にペチャンコに押し潰すであろう前足が振り下ろされる。

 圭太はその場でスライディングをして回避し、起き上がりと同時に目の高さにある足の関節裏に全力で斧を叩き込んだ。

 手応えは変わらず硬い。だが、わずかに沈む感触があった。


「硬い、が通らないわけじゃなさそうだな」

「ケータ!」


 クリスが叫ぶより早く、魔物が関節を曲げて圭太を蹴り飛ばした。


「イッテ!」


 咄嗟にイロアスを前に出していた圭太は、痛みに悪態つく余裕があった。


「んのやろうッ調子乗りやがって……目だゴルア!」


 圭太は石柱を簡単に駆け上がって、魔物に向かって飛びかかる。そして、勢いよく魔物に目を突いた。

 ガチン。


「嘘だろ……大体アニメでも目はダメージ通るのに。やっぱり足か」


 体をひねって魔物から離れながら着地する圭太。

 イロアスを持っている右手が痺れていた。剛毛の鎧で覆われていない場所はまだ柔らかいと思ったのだが、どうやら違うようだ。むしろさらに頑強ですらある。

 目を狙うのは得策ではない。やはり関節裏を重点的に狙うしかないようだ。


「戦い慣れしてるの」


 圭太の戦闘を眺めていたクリスは懐かしさに目を細めている。

 魔王が封印されて一年。ここまで苦戦する相手は久しぶりだろう。

 現役時代の勘を取り戻してパワーアップとかないのか。期待しているのだが。


「ほどほどにな。そっちは……聞くまでもないか」

「修羅場の経験も多いの。コハクのおかげで退屈しなかったの」


 クリスはどこか誇らしげに胸をはっていた。

 勇者に連れ回されて平穏無事なわけがない。

 圭太は自分のことを棚に上げて、クリスに同情した。


「なるほど。信用しよう。足を狙う。アシストしてくれ」

「分かったの」


 クリスは頷いて、一歩踏み込む。

 そして十五メートルぐらいの体躯の魔物を殴り飛ばした。


「ちょっ」

「久しぶりだけどやっぱり痛いの。主よ」


 クリスはプランプランと腕を振っている。曲がってはいけない方向に曲がっているが、当の彼女は気にしていない。

 折れた右手を下げ、無事な左手だけを胸の前に構えて祈る。

 たったそれだけで、折れた右腕は完治した。


「もうお前一人でいいんじゃないかな」

「ひどいの。私に傷つけって言うの?」


 圭太は遠い目になる。

 クリスは自分が傷つくのも構わず攻撃した。本来人間は自分の体を傷つけないよう出力をセーブしているらしいが、クリスはリミッターを無視している。魔物を殴り飛ばすぐらいの馬鹿力も、リミッターが解除されているからだ。


「お前なら余裕だろ」

「そんなことないの。もう一度殴るから今度こそ攻撃してほしいの」

「ああそういうことね。任せろ」


 クリスの視線の先で、魔物は頭を振って起き上がるところだった。

 衝撃の大きさに驚いているようだが、ダメージを負っているようには見えない。

 クリス一人ではやはり敵わないようだ。だが、その馬鹿力を活用すれば勝機はある。

 圭太はもう一度石柱によじ登った。


「そおれっ!」

「おおおっりゃ!」


 圭太の立つ石柱に向けて、クリスは魔物を殴り飛ばす。

 飛んできた魔物が石柱を壊す前に圭太は跳び、独楽のように体を回す。

 そして遠心力と重力を加えた渾身の一撃を魔物に叩き込んだ。

 イロアスから何かを砕く感触が伝わった。


「よし!」


 着地に失敗して倒れこむ圭太は、初めての有効打に笑みをこぼした。

 これで勝てる。今まで膠着状態が続いていただけにとても嬉しくなった。


「この調子でいくの」

「の前に腕を治せ」


 クリスの右腕はまたプランプランとしている。見ているこちらが痛いと思うぐらい痛々しい。一瞬で治せるんだから早く治してくれ。


「これくらい大丈夫なの」

「じゃあ俺の膝と一緒に治してくれ。さっき擦りむいたんだ」

「しょうがないの」


 やれやれと肩をすくめて、クリスは左手だけで祈りを捧げる。

 圭太の体が軽くなるのと同時にクリスの右腕も治った。


「ゴアアアアア」

「さて、殴り飛ばされてもピンピンしているクソ硬魔物でも、さすがに足を折られちゃ動きにくいか」


 左の前足を引きずるようにして吠える魔物。目には怒気が宿っているが上手く動けないのか襲ってくる気配はない。


「……いや、足をへし折ったところで意味がないな。魔物を殺すには至らない」


 魔物と睨み合ったまま、圭太はポツリと呟いた。


「どうしたのケータ? まさか怖じ気づいたの?」

「んなわけあるか。考えがある。手伝ってくれ」


 勝機が見えてきたのに誰が怖じ気づくか。


「さっきからポンポンと策が出てくるの。凄いの。コハクみたいなの」


 クリスの声は心なしか弾んでいる。顔は見れないが、どうせ嬉しそうに笑っているのだろう。


「まあ俺も勇者の端くれだからな」

「えっ?」

「まずは俺が叩く!」


 クリスとの談笑を終わらせて、圭太は石柱を足場に飛び上がり、魔物の顔面を斧で叩く。


「ゴアアアア」


 魔物の硬い剛毛は相変わらずイロアスを受け止める。

 そんなことは予想済み。だからこそ圭太はわざわざ顔面に叩き込んだのだ。


「今だクリス。()()()()()()()!」

「――ッ! 分かったの!」


 たった一言で正確に圭太の思惑を理解して、クリスは足が砕けるのも構わずに垂直に跳ぶ。

 そして自分の何倍もの大きさでも吹き飛ばす腕力で、未だ刃が当たっているイロアスを押し込んだ。


「ゴアアアア」


 楔のようにイロアスが食い込み、魔物の額が割れる。赤黒い液体が辺りに飛び散った。


「やったの!」

「まだだ。まだ終わりじゃない!」


 喜ぶクリスに叫んで、圭太は両手首を全力で回した。

 圭太の手首に連動してイロアスも回る。食い込んだ状態で回った結果傷はさらに広がった。


「ゴアアアアアアッ!?」


 魔物が初めて痛みに喘ぐ。

 血は止めどなく流れ、魔物の顔を濡らしている。

 考えるまでもなく深手。それも致命になり得る一撃だ。


「凄いの。凄いのケータ! 深手を与えたの!」


 クリスが両手を叩き、ピョンピョンと跳ねている。


「クリス、後は任せてくれ」


 圭太は魔物を睨んだまま、クリスを守るように一歩前に出る。


「私だって戦えるの」

「分かった言い換える。俺の回復に専念してくれ」


 案の定不満げな口調が背中に飛んできたので、圭太はため息を吐いて訂正した。


「ここから先はイロアスだけで十分だ。お前がこぶしを痛める必要はない」


 硬い魔物にヒビは入れた。

 圭太一人でもヒビを広げることぐらいはできる。

 クリスが自分ごと攻撃する必要はない。


「分かったの。絶対に死なせないの」


 クリスは引き締めた表情で一度頷く。

 とても頼りになる言葉だ。これぐらい頼もしくなりたいものだ。


「あはっ」


 魔物と圭太がお互いの隙を探り合い、決定打がなかったときとは別の意味で膠着状態が続く。

 まったく知らない声が、圭太の鼓膜に届いた。


「……?」

「あはははははっ。あれが魔王か。やったぞついに魔王様が復活した!」


 圭太が音だけを頼りに気配を探っていると、大笑いしながら右手を上に伸ばしている男が物陰から這って出てきた。


「何してるの? 危ないの! すぐ避難するの!」

「いや待て。アイツの顔は見覚えがあるぞ」


 クリスが部外者に避難を呼びかけるが、圭太は這うように近寄ってくる男を知っている気がした。

 左腕と右足がない、ローブ姿の男。ローブには血がべったりとついており、黒い生地なのに光を鈍く反射している。


「一人で寂しいでしょう。今すぐに配下を呼び戻しましょう」


 男はクリスの呼びかけを無視して、右手一本で魔物に這い寄っている。目には危ない光が宿っており、一目で正気じゃないと分かった。


「そうかそうだ。邪教徒だ。せっかく見逃してやったのに、魔力を嗅ぎつけてきやがった」

「今こそ私めの命と引き換えに四天王をお呼びしましょう」


 圭太の叫びにクリスは目を見開き動きが止まっている。

 魔物は弱者に興味がないのか目もくれず、邪教徒は魔物しか視界に入っていない。


「ふざけんな!」


 圭太はイロアスを投擲。山なりに飛んだ槍は邪教徒の腹部を貫き、地面に縫い付ける。

 ーーしかし、一歩遅かった。


「あははっ! 魔王様の復活だ――!!」


 口から滝のように血を流し、それでも一切気にせず叫ぶ。

 魔物を中心に嵐が吹き荒れ、男の姿は事切れた魔物のように空気に溶けた。


「嘘だろ……」


 暴風は一瞬。

 だが、圭太たちが深手を与えた魔物の姿はなくなっており、三体の真っ黒なヒトガタが静かに立っていた。

 威圧感や気配はシャルロットに近い。

 つまり、先ほど苦戦した魔物より圧倒的に強い存在が三体いるということだ。


「ケータ。手伝いはもう終わりなの」


 クリスの顔は今までにないくらい真剣で、圭太は口を挟めない。


「私も全力で戦うの」


 クリスも全力で戦わなければならない相手、魔王四天王の三人がゆっくりと目を覚ます。




「魔王様。ここなら問題ないでしょう」


 圭太が魔物に決定打を与えた頃、全力で車イスを押していたナヴィアが足を止めた。


「ふむご苦労じゃ小娘。さて、どの程度の規模なら文句を言われずに済むんじゃろうな?」


 イブは素性を隠している身だ。圭太が苦戦する相手であろうと瞬殺できる魔法は大量に扱える。

 ただ、あまりド派手な魔法は使えない。素性を疑われ、魔王がまだ生きていると疑われたら厄介にしかならないからだ。

 イブがいたずらを思いついた子供のように悪い笑みを浮かべ、ナヴィアが嫌な予感に胃を痛めていると。

 クリスの儀式よりも濃い魔力が流れ、二人の前髪を揺らした。


「また魔力が膨れ上がるのですか……魔王様?」


 ナヴィアは今も戦っているであろう圭太の身を案じ、祈るように胸元を握りしめていた。

 人間は魔力を増やす方法を持たない。つまり今も増大し続けているのは魔物側ということだ。

 そして、車イスに座る自分よりも小さい影に不穏な気配が渦巻いているのを感じて、すぐに確信に変わる。


「ナヴィア。下がっておれ」


 イブの顔から感情が抜け落ちていた。


「――どうなさいました?」


 ナヴィアは背筋を走る冷たいものに気付かないフリをして、声が震えないよう気をつけて問いかける。

 イブが無表情になったところを今まで見たことがない。それだけ彼女の感情は一点に集約されているのだろう。


「ふん。人間の分際でワシの眷属を叩き起こしおった」


 それは怒り。

 鼻を鳴らして腕を組んでいるイブは、まさに魔王然とした迫力があった。


「どういう――まさか四天王たちが?」

「うむ。ワシに仕えてくれた者たちを愚弄する真似は見過ごせぬ」


 イブはおもむろに手を天へと伸ばす。

 彼女の子供のような手に、黒い魔力がまとわりつく。

 ナヴィアはさらに顔を青くした。魔力量が比較的多めなエルフでも、ただの魔力が視認できることはない。イブが手にまとっている魔力だけで、ナヴィアの全魔力量を大いに超えている。


「ケータ様たちを巻き込まないでください」

「当然じゃ。ワシが同士討ちなぞするはずないじゃろう」


 イブは魔力をまとっている右手を高く掲げたまま、口の中で何かを呟く。

 イブの頭上に黒い穴が現れた。サンを魔王城に転送したときと同じ魔法、空間を繋げる転送魔法だ。


「呑まれ朽ちよ。終末の炎(コラプサー)


 イブの右手から黒い炎が放たれる。

 時間にして一秒弱。黒い炎は黒い穴に飲み込まれ、遠くから地鳴りのような音が聞こえてくる。


「うむ。すべて片付いた」


 ナヴィアが震え上がる魔法を放ち終え、手を下ろしたイブは満足げに頷いた。


「お疲れ様です。それでは戻りましょうか」

「そうじゃな。ケータの驚いた顔が楽しみじゃ」


 一度頷いて、ナヴィアはイブの車イスを押す。

 圭太たちの元に戻ると底が見えない大穴と口をあんぐりを開けた人間二人が呆然としており、イブとナヴィアは質問攻めにあうのだが、それはまた別のお話。

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