第二章二十二話「魔王を復活」
「よっと」
「楽しそうじゃなケータよ」
圭太が五十匹目の魔物を斬り倒したころ、上空から鈴のような声が飛んできた。
さらに魔物を両断しながら圭太は見上げる。車イスに座ったまま腕を組んでいる銀髪の少女としがみついているエルフが宙に浮いていた。
「転移魔法か。さすが異世界便利なもんだ」
突然姿を現したイブのカラクリを圭太は一発で言い当てる。
転生者御用達の便利魔法。瞬間移動ができる転移魔法を使ったのだろう。魔王なのだからそれぐらいできても驚かない。
「使える者はそう多くない。ワシら第一世代でもない限り飛べぬよ」
「し、死ぬかと思いました」
圭太の反応が気に入らなかったのか、イブはちょっとだけムスッとした顔で降りてきた。
ナヴィアの彼女らしくない弱々しい独り言は聞かなかったことにしよう。高所恐怖症のエルフがいたっていいじゃないか。
「来てくれて助かった。いい加減飽きてきたんだ」
「お任せください。わたくし一人で殲滅してみせます」
「頼んだ」
一瞬だけ見せていたへっぴり腰はどこへやら。とても男らしく胸を叩くナヴィアに全部任せて、圭太はようやく一息を吐いた。
「それで、こやつは何をしておる」
件の元凶、未だ祈りを続けているクリスを一瞥して、イブは気持ち悪いものでも見るように眉をひそめた。
「魔王を復活させるんだと」
「ワシを? 生きておるのに?」
まさか自分を生き返らせるためにこんな奇行をしているとは予想していなかったようだ。
イブの表情に珍しく驚きの色が宿った。
「勇者様は封印していると言わなかったらしい」
「ふうむ。よく分からぬな」
イブも王の一人だが、なぜ真実を隠したかは読み取れないらしい。
イブが強すぎるからだよ。圭太は思ったが黙っておいた。大きな顔をされるのはなんとなく面白くない。
「それで、頼みたいことだが」
「魔力を奪ってこの歪な魔法を止めればよいのじゃろう?」
イブは圭太の考えを看過していた。さすが魔王だ。彼女には敵わない。
「そうだ。できるか?」
「ワシを誰じゃと思うておる」
もちろん魔法なら右に出る者なしの魔王様だ。
イブを調子に乗らせたくなかったのでニヤリと笑うだけで済ませると、イブも圭太と同じ意味の笑顔になってから目を閉じた。
内容までは聞き取れないが小声で何か呟いている。魔法の詠唱をしているのだろう。ある程度なら詠唱なしで魔法を使えるイブをもってして、わざわざ呪文詠唱が必要な難易度の魔法ということだろう。
「さてと。俺はどうするべきか」
イブは集中しており話しかけてもいい雰囲気ではない。ナヴィアは圭太の代わりに魔物の相手をしている。
圭太はやることが無くなってしまった。イブはもちろん、ナヴィアの手伝いも必要なさそうだ。もともと圭太一人で足りていた防衛線である。圭太より強いナヴィアなら一人でも余裕だろう。
「休んでおくか。こういうとき、大抵めんどくさくなるからな」
この世界はテンプレ通りの世界だ。
こういうときは大体強敵登場フラグ。ボス前最後の休憩時間と考えておくべきだ。そう予想していればどれだけ事態が悪化しようと疲労は少なくて済む。
圭太は石柱の一つに背を預け、静かに目を閉じた。
石柱にもたれかかって眠っていたクリスが目を覚ます。
「あれ? どうして皆がここにいるの?」
泥だらけの圭太とナヴィア、顔色一つ変わっていないイブの顔を見渡して、クリスは小さく首を傾げる。
まだ寝ぼけているのかクリスの目はどことなく焦点が定まっていない。
「誰かさんが大騒ぎしたからな」
圭太はイロアスを腕輪に戻していた。ナヴィアもヒリアをピアスに戻している。
イブの魔法によりクリスの魔力はほとんど奪われた。そして儀式が中断された結果魔物が寄ってくることもなくなった。
クリスが起こした騒ぎは一応収まったのだ。結果論だが被害は出ていない。圭太たちがこの町に訪れていなければどうなっていたのか。ため息を吐くだけでは済まなかったのは確実だ。
「勇者というのは迷惑しかかけぬのう」
「俺を見るなよ」
イブが圭太に物言いたげな瞳を向けていた。色々と心当たりがある圭太はすぐに目を逸らす。
圭太がイブにかけた迷惑も生半可なものではない。確かに人にものが言える立場ではないかもしれない。
「大丈夫ですか? 一人で立てますか?」
優しいナヴィアがクリスに手を差し伸べて肩を貸す。
この優しさの一割でもイブにあれば圭太としても嬉しいのだが。
「大丈夫なの。あっそうだ儀式は?」
「儀式ってのが何なのかは分からないが、あの魔法陣は動いてないぞ」
圭太は儀式に心当たりがありすぎたがとぼけて、背後にある邪教徒の忘れ形見である魔法陣を指差した。
六芒星の魔法陣は不気味な色に光っていない。完全に沈黙している。
「そ、そんな。ならもう一度」
ナヴィアの肩を借りているクリスが、おぼつかない足取りで魔法陣に近づこうとしてナヴィアに無言で止められた。
「無理だ。お前の魔力はないだろう?」
「な、んでないの? 私の魔力はそう簡単には無くならないの」
圭太が指摘して初めて気付いた様子のクリスが、茫然と目を見開いていた。
さすが英雄様だ。自分の魔力を使い切ったことにそんな驚くなんて。ここ最近使い切るほどの魔力消費はなかったのだろうか。
「儀式がそれだけ大変だったってことだろ。なあイブ」
「そうじゃな」
「と、とりあえず今日は帰りましょう。ね?」
驚愕に揺れているクリスに適当なことを言って、圭太とイブは頷き合い、ナヴィアは話を少しでも早く終わらせたいのかクリスを引きずるようにして足を進める。
「だな。今回ばかりは大ごとだろうから頑張れよ」
魔力感知が少しでも得意だったら、クリスがしでかしたことに気付かないはずがない。
今頃大騒ぎになっているだろう。しかもクリスが関わっていないと考えている人間は皆無だ。逃げ場はない。
帰ったら盛大な説教が待っているだろう。ご愁傷様だ。
「ひどいの全部押し付けられたの」
「そりゃあな。俺たち関係ないし」
ナヴィアが無言で早く帰ろうとうるさいので、圭太も仕方なく足を動かす。圭太が動くのを確認して、ようやくクリスも足を動かし始めた。
ただ一人、イブだけは魔法陣から目を離さない。
「どうしたんだイブ。早く帰ろうぜ」
転移魔法があるから一人残るつもりだろうか。もしそうだとしてもクリスの前で言うべき話ではない。なんでそんな魔法が使えるんだと聞かれたら正体を明かさなければならなくなる。
今この場でイブが魔王だと明かすメリットはない。むしろデメリットでしかないのだ。
「先に帰れ」
「――どこに厄介ごとが現れた?」
釣れないイブの態度に、圭太は一瞬で思考を切り替えた。
「主は魔力が感知できぬのではなかったか?」
「ああ。だけどなんとなくよくない影響があるってのは分かるぜ。お決まりの展開ってやつだ」
イブの鋭い表情が圭太の予想通りの展開が起きようとしていると語っていた。
すなわち、ボス戦。さらなる強敵の出現だ。
「よく分からぬがそうじゃな。ケータの予想は外れておらぬ」
イブの視線は沈黙した魔法陣から離れていない。
圭太は鋭い視線の魔王に習って魔法陣を注視する。どこか嫌な予感が渦巻いているような、そんな感覚がした。
「人間はあまり見れぬじゃろう。魔物の誕生じゃ」
イブが呟くと同時に渦巻いていた気配が形を成す。
鋭い爪に大きな口、とがった牙にゴワゴワの毛。
「ゴアアアアアアア」
今まで見た魔物のどれよりも大きく迫力のある四足歩行の化け物が、魔法陣の上に立っていた。
「なんだよこれ」
圭太の口元は引きつっている。
予想通りといえば予想通りの、規格外のボスモンスター。
だが一目で分かる格の違い。圭太一人では絶対に敵わないと理解させられる。
やはりクリスを見捨てればよかったと今更ながら後悔してしまった。
「今まで見たことない魔力量です。これが魔物なのですか!?」
「当たり前なの。この魔物は私の魔力から生まれたの。生半可なわけないの」
「そういうことじゃ。逃げるなら今のうちじゃぞ」
イブは魅力的な提案をしてくれた。
軽く十五メートルぐらいはある体躯は、確かに動きがにぶい。生まれたてでまだ完全に目覚めていない様子だ。
今ならまだ逃げられる。圭太はすぐに判断して――
「ダメなの! このまま逃げたら町に被害が出るの!」
「じゃあ倒すか」
クリスの憶測で覚悟を決めた。
「本気ですか? わたくしやケータ様では歯が立たないんですよ?」
「マジかよ」
圭太一人ならともかく、ナヴィアにまで歯が立たないと言わしめるとは、さすが英雄が生んだだけはある。
感心している場合ではない。圭太は既に戦闘モードだ。必死に弱点を探していた。
「私がなんとかするの」
クリスがナヴィアを押しのけて、圭太たちを守るように一歩前に出た。
「魔力がないじゃろ」
「それでも、私が巻いた種だから私が解決するの」
この状況になっても、クリスは自己犠牲の精神でいる。
彼女は頑固者だ。たとえ魔力が無くなっていても、意思を曲げることは絶対にない。
「ナヴィア。イブを頼む」
クリスが意見を曲げない以上、こちらも柔軟に対応するしかない。
「かしこまりました。ケータ様は?」
「どうせクリス一人じゃ無理なんだから俺も頑張るさ」
「無謀です」
ナヴィアの目がとても怖くなった。
ナヴィアの反応は予想の範囲内だ。ちょっと予想と違うのは怖さぐらいのものである。
圭太はどんな状況でもロールプレイングに付き合ってくれるナヴィアに感謝しつつ、彼女の長い耳元に口を寄せる。
「イブを連れて遠くに行ってくれ。魔王なんだから遠距離魔法ぐらい使えるだろ」
「なるほど分かりました。行きましょうイブ様」
指示にして一つ。説明を含めて二つ。
たったそれだけで圭太の考えをすべて理解したナヴィアは速やかに行動に移した。
圭太の考えは簡単だ。圭太やナヴィアでは勝てないぐらいの魔物。倒すためにはもっと強い存在を当てればいい。
素性を知られないようこの場を離れた後、イブの魔法で殲滅する。
圭太が考えているのはそれだけだ。そしてその作戦は、いかに早く魔法を放つかによって成否が決まる。
「ケータ。しっかりとけじめをつけるのじゃぞ」
「はいはい。早く行け」
猛烈な勢いで車イスを押されているイブが一瞬だけ見せた心配そうな顔に、圭太はヒラヒラと手を振ってやった。
「どうして残るの?」
「なんだよ文句あるのか?」
魔力がないからかいつもより覇気のないクリスの疑問に、圭太は疑問で返した。
ナヴィアのほうがよかったか。残念だったな。お前を助けるのは俺だよ。
「だって君は強くないの」
「うるさいな。状況が読めていないわけじゃないだろ」
「……うん」
いかにクリスでも、いやむしろ戦い慣れしているからこそか。クリスは小さく頷いた。
魔力がない状態で、自分の魔力を元に出現した魔物を相手にする。決して楽な相手ではない。
というかどうして魔力を奪い取ったのに魔物が出現するんだ。イブめ。適当な仕事しやがったな。
「可愛げのない。言うべきことがあるんじゃないか?」
圭太はからかうような笑みを浮かべていた。
求めている言葉は、逃げろなんて下らないものではない。
「私の魔力はほとんどないの」
「うんうんそれで?」
「あの魔物は今の私が一人で勝てるほど甘い相手ではないの」
「そうだな。骨が折れそうだ」
二重の意味で。見よこの高度なギャグ。武者震いの最中でも口は絶好調だ。
「だから、その……」
「なんだはっきり言えよ」
今の圭太はまさにいたずらっ子のそれだった。とても楽しそうにニヤニヤ笑っている。
「………………助けてほしいの」
「任せろ」
「ゴアアアアアア!!」
やっと望んでいた言葉を吐き出したクリスを待っていたのか、魔物が全身に振動を感じるぐらいの咆哮をした。
「目が覚めたみたいだな寝坊助。イロアス」
圭太は腕輪を斧槍に変えて、先制の一撃を全力で叩き込んだ。
魔物の剛毛は圭太の一撃を難なく受け止める。
刃が通らない。それどころか身震い一つで圭太を弾き飛ばした。
「硬いな」
弾き飛ばされた圭太は空中で宙返りをして軽く着地する。圭太自身の攻撃による衝撃で手が痺れていなければ、優勢だと虚勢を張っていた。
「困ったの。私の攻撃は皆の中で一番弱かったの」
事態を背後から見ていたクリスが、妙に落ち着いた声で呟く。
くそうこれが場数の差か。動揺している様子がまったく感じられない。
「それって勇者パーティのことか?」
「うんそうなの」
「クリスが弱いんじゃなくて他がとんでもないんだろ。比較にならねえよ」
サンなら力技で刃を食い込ませるだろう。噂では山すら吹き飛ばす他二人ならもはやこの魔物など相手にすらならない。
どれも人間基準ではありえない異常っぷりだ。そいつら基準のアイデアは参考にならない。
「でもあの魔物を倒す術はないの」
「オーケー。意地でも倒してやるよ」
倒す術がないと言われると、どうしても倒したくなるのが男の性だ。
苦戦を覚悟しながら絶対に引かないと覚悟を固めた圭太は、長丁場に付き合ってくれる相棒をそっと握り直した。




