第二章二十話「理想」
「よかったのですかケータ様」
「ん? 何が?」
三日ぶりの高級ホテルに向かっている圭太は、ナヴィアの言葉に首を傾げた。
この町にも長居しすぎた。そろそろ旅を再開しなければならない。
ナヴィアが一人で準備を進めてくれていたおかげですぐにでも出発できそうだ。後は銀髪赤眼のワガママ魔王と合流するだけだ。
「英雄のことです。倒すことが目的だったのでは?」
旅を再開しようとナヴィアに言ったばかりだ。彼女が疑問に思うのも当然である。
圭太は勇者の一味を見逃すと言ったのだから。
「目的は勇者の討伐だ。別に一味を壊滅させる必要はない」
イブにとって、脅威になるのは勇者だけのはずだ。サンもクリスもイブより強いとは到底思えなかった。まだ魔法使いが残っているが、イブが同じ土俵で負けるとは思えない。
「そうなのですか? てっきり人間を滅ぼすつもりなのかと」
ことんと首を傾げて恐ろしいことを言うナヴィア。圭太は思わず苦笑した。
「人間を滅ぼそうとすれば泥沼は回避できない。いくらイブでも時間がかかるだろう」
魔族の強みが個の能力なら、人間の強みはその数の多さにある。
いくらイブの魔力が無尽蔵でデタラメな規模の魔法を連発できるとはいえ、数の多い人間を絶滅させるには長い時間が必要になる。少なくとも圭太が生きている間には達成不可能だろう。
「それにイブは種族の滅亡は望んでいない。千年間人間を野放しにしていたのがその証拠だ」
イブが人間の神、アダムと敵対したのは魔族を守るためだ。
守るための戦いだからこそ、相手を殲滅する気がない。もしも人間と魔族の全面戦争が起こったら、勢力の差など関係なく止めるために動くだろう。
「ですが勇者の討伐には積極的ですよ?」
「協力してくれているだけだ。俺がやめたいと言えばすぐにやめるさ。同時に俺もお払い箱だけどな」
イブが圭太を召喚したのは封印の元凶である勇者の剣を抜かせるためだけだった。実際、抜いてすぐにお払い箱だと言われた。
勇者を倒そうと提案したのは圭太であり、圭太が渋ればイブはあっさりと手を切る。初めからそういう契約なのだ。
「もしもそうなったらわたくしが養います」
「ははっ助かるよ」
鼻息荒く決して小さくはない胸をはるナヴィアに、圭太は苦笑で応じた。
「嬉しいけど残念ながら寿命の差がある。どっちにしろ魔王の秘術に頼らないといけなくなるから、俺が勇者討伐をやめるわけにはいかないな」
エルフは人間の何倍も長生きだ。
寿命の差なんて下らないもののせいで誰かを悲しませたくはない。そのためにはイブの協力が不可欠であり、勇者の討伐は避けられない。
「クリスを倒さないのは自滅するのが目に見えてるからだ。どうも自分の命を軽く考えているからな。放っておけば禁忌に持っていかれる」
「ケータ様が思わず説教するぐらいですものね」
「からかうな。どうにも見過ごせないんだ。ああいうタイプは」
面白そうに顔を綻ばせるナヴィアに、圭太は形だけの仏頂面を返す。
他人に説教するなんて柄ではない。前世なら考えられなかった。
「やっぱりケータ様も勇者一味に憧れているのですか?」
「どうしてそう思うんだ?」
隣を歩いていたナヴィアが足を止め、三歩進んでから圭太は振り返った。
「ケータ様は英雄に憧れていると聞きました」
ナヴィアは変わらず微笑んでいる。
だけど圭太は、彼女の雰囲気がいつもと違う真剣なものだとすぐに気付いた。
「そうだな。俺もなりたいと思ってる」
ナヴィアにはすでに語った、力を求める理由。
圭太は肯定した。隠す必要などどこにもないからだ。
「魔王様を封印した勇者一味もまた英雄として扱われています。ケータ様なら憧れるのもおかしくはないかと」
「その通りだ。アンチ勇者だけど一応俺も勇者だ。憧れていないと言えば嘘になるよ」
圭太からすれば、イブを封印した勇者は先輩だ。しかも偉業を成し遂げた英雄である。
同じ人間として憧れないわけがない。
「だからかな。英雄にはこうあってほしいみたいなものがあるんだ。理想みたいなもんかな」
たとえば誰からも慕われて、陰口を叩かれないとか。
圭太がまったく意味のない殺人を繰り返したのも、何も知らないくせにバカにしたからだ。
「理想、ですか。だからわざわざ説教したのですか?」
「理想通り過ぎるからかな。自分を無視して動けるからこそ理想の英雄だけど、さすがに目の当たりにすれば口も出したくなるさ」
無私で誰かを救おうと働く姿はまさに理想である。
だが理想通りすぎるからこそ、同じ人間として圭太は柄にもない説教をしてしまったのだ。
無私で誰かのために命を捨てる。狂ってるとしか思えない。
「ケータ様……だから自分の命を平気で賭けるのですね」
ナヴィアがジト目で睨んできた。
「いいんだよ。俺は別に」
「よくないです。あの人間に向けたケータ様の気持ちが痛いほどに分かりましたよまったく」
ナヴィアは深いため息を吐いて、やれやれとばかりに首を左右に振った。
「ま、まあいいだろ。取り合えず支度をしよう。クリスと戦わない以上この町に残る理由もない」
ナヴィアの言う通りすぎて何も言い返せない圭太は強引に話を切り替える。
「かしこまりました。ですがいいのですか? まだ魔王様と仲直りされていないのでは?」
「痛いところを突いてくるな」
圭太は本気で嫌そうな顔をした。
イブと言い争いをして、飛び出すように出たまま三日間会っていないのだ。
正直これからイブに会わなければならないと思うと胃が痛くなる。
「当然です。夫婦喧嘩は奴隷にしてみれば大ごとですから」
「都合がいいときだけ奴隷役を演じやがって」
「旦那様の話はよく分かりません」
ナヴィアはとてもいい笑顔でしらを切った。
圭太に抜群の演技力がなければイラッとしていることに気付かれていただろう。
「……まあ、今回悪かったのは俺だ。やり方は気に入らないがイブの考え方のほうが正しい。素直に頭を下げるよ」
圭太は大人な態度でナヴィアの笑顔を受け流し、大人な対応をすると断言した。
イブの言う通り、英雄を殺す覚悟はまだ決まっていない。サンのようにケジメがつくとは限らないし、クリスのように自滅を計算できるような相手の可能性も低い。
いつか圭太自身が英雄を殺さなければならないときが来る。そのときに迷うなとイブは忠告してくれたのだ。
難しい話も終わり、スリしつつの買い物を楽しもうと圭太が一歩踏み出す。
肌を焼かれるような感覚が、圭太の全身を襲った。
「――なんだ?」
肌を焼くような感覚。圭太は心当たりがあった。
イブが魔物を呼んだときと同じだ。つまり魔力を肌で感じたということ。魔力に鈍い圭太でも感じ取れる濃い魔力が近くで噴出しているようだ。
「分かりません。町の外れからのようです」
ナヴィアの表情は戦闘中のそれに変わっており、緊張を加速させてくる。
町中でなければ武器を出していた。武装を我慢しているのは、違和感にざわめく人間の中にいるからだ。余計な刺激を与えるのが得策ではないと圭太とナヴィアは理解していた。
「イブの位置は?」
圭太でも感じ取れる濃い魔力を持っている存在は決して多くない。
可能性として最も高い人物の所在を確認するのは当然だ。
「今も宿にいるようです」
「それは確かか?」
「魔王様ほどの魔力をそう簡単に間違えません」
ナヴィアは心外だとばかりに眉間にしわを作った。
「だよな。イブが魔力を垂れ流す理由もない。魔物は人間でもどうにかできるぐらい弱いしいきなり魔法を使うメリットもない」
いくら人間が弱いからといって、魔物を集めても対して効果は得られない。
そもそもこの町を潰す理由そのものがない。
イブが動いているとは考えにくい。
「しびれを切らして町全体を滅ぼそうとしている可能性もあるのでは?」
ナヴィアが一番あって欲しくない可能性を提示した。
ムシャクシャしてやった。もはやただの通り魔だ。
「だったら最初からやってる。イブの性格は知っているだろ?」
「そうですね。魔王様が我慢なんてするはずがない」
圭太とナヴィアは同時に疲れた表情になった。
「だからこれは魔王以外の仕業ってわけだ。となると該当者は一人しかいない」
「魔王を倒した英雄の一味、ですね。今度は何をしたんでしょう」
圭太とは比較にならないほどナヴィアの頭はいい。ちょっと常識の枠にとらわれ過ぎているだけで、可能性さえ示せば圭太以上に推理を巡らせられる。
だが、情報がなければさすがに推理のしようがない。
「分からない。とりあえず止めたほうがいいと思うが、ナヴィアの意見は?」
「人間の味方をするのは癪ですが同意見です。どのような目的があるにしろ濡れ衣を着させられたくないです」
民衆をざわつかせるほどの魔力を持っている人間はそう多くない。魔族が暴れていると言われたほうがまだ信用される。
ナヴィアたちにとってはただの濡れ衣だ。
「じゃあ行こう。案内を頼む」
「かしこまりましたご主人様」
そう言って、二人は魔力源に向かって走り出す。
単純な身体能力では優っているはずのナヴィアが先にバテたのはまた別の話である。




