第一章五話「そこの肉」
「イブ様!」
イブが串刺しにされていた天井のない部屋。彼女曰く謁見の間を出てすぐに桃色の髪の女性が駆け寄ってきた。
大きい。とても大きい。背中に当たる小さな感触とは違う確かな山が二つ。いや違うぞ。額から伸びた角の話をしているんだ。決しておぶったら柔らかそうだとかそういう話ではない。
彼女の目はイブと似て吊り上がっている。だけどイブが支配者としての鋭さなら桃色の髪の女性は武人としての鋭さだ。いや武人の知り合いなどいないが、彼女の醸し出す雰囲気は研ぎ澄まされた剣のようで、先ほどの勇者の剣ではないが触れるだけで怪我してしまいそうだ。
服装はぱっと見着物のようにも見えるが、生粋の日本人である圭太が違和感を感じたから多分着物ではない。恐らく着物を元にアレンジされたドレスのようなものだろう。腰の左側には剣が差してある。
どうでもいいが本物の鬼を見た圭太は改めてこの世界が異世界なのだと痛感した。
「おおシャルル。よく無事じゃったな」
圭太の背中越しに飛ぶイブの声はかすかに弾んでいた。
声と言葉から察するに、封印されている間の二人は顔を合わせてなかったようだ。
「イブ様こそ! ところでそこの肉は」
「初めまして鳥羽圭太です」
「誰が息をする許可を出した?」
肉が自己紹介すると、シャルルと呼ばれた女性が剣を喉元に突き付けてきた。
いつの間に剣を抜いたのだろうか。彼女の動きがまったく見えなかった圭太は、睨み付けてくるシャルルを前に冷や汗を流す。
「まあまあ。こやつはワシの新しいおもちゃじゃ。あまりイジメてくれるな」
「イブ様がおっしゃるのなら」
「ところでええっと、シャルルさん?」
「殺すぞ」
イジメないという話はなんだったのだろうか。
再び首元に突き付けられる剣に、圭太は声すら出せなくなる。
「落ち着くんじゃシャルル。今のは名乗っておらぬ主のせいじゃろ」
「いやむしろイブの言い方のせいじゃ」
「何イブ様を呼び捨てにしてんだ凡骨。そんなに首と体を切り離されたいか?」
なぜ彼女が怒っているのかは分からないが、イブの言い方的にシャルルには別の名前があるのだろう。親しい存在のみに許している呼び名とかよくある展開だ。なるほど。圭太の予想が当たっているのなら、ぽっと出の人間に呼ばれて怒るのも頷ける。
圭太がイブを呼び捨てにしたことで、シャルルの剣が数ミリ近付く。今のは軽率だった。魔王が封印されていた建物にいる鬼が、魔王を慕っていないはずがない。
「言われただろ? 俺を殺してイブ様を悲しませても知らないぜ?」
「ワシは悲しまんぞ」
「……イブ様の恩人だぞ俺は」
「チッ」
シャルルは舌打ちを一つして剣を腰の鞘に納め、圭太から一歩距離を取った。
あっぶねー。イブが余計なことを言ったせいで勇者の冒険が早くも完結するところだった。
「慕われてるんだな」
圭太は肩越しに冷たい視線を背中の少女に向ける。銀髪の魔王は圭太の無言の抗議を何食わぬ顔で受け流した。
「当たり前じゃ。ワシは魔王じゃぞ。できる上司なんじゃよ」
「そうか。じゃあどうして部下に助けてもらわなかったんだ?」
「あー、それはじゃなあ」
「イブ様は我々魔族を守るために一人で部屋にこもっていた。勇者を閉じ込めようとしていたのだ」
イブに聞いたのだが、シャルルが自信満々に答えてくれた。
胸をはることでとある部分が大きく揺れた。何がかは言わない。察してほしい。
「えっでも普通に開けられたけど」
「それ以上口を開くな。ワシの威厳のために」
「アッハイ」
今度は背後から冷たい声が聞こえてきて、首に回されていた腕に力が入る。圭太の腕はイブを支えるために足へと伸びているため、彼女の静かな脅しに逆らえる術はなかった。
「ちなみに勘違いされんように言っておくが、ワシに刺さっていた剣は勇者しか扱えぬ代物じゃった。ワシはともかくただの魔族が触れればそれだけで消滅するじゃろう強い魔力を持っとったんじゃ」
圭太は剣に触れても抜いても何も起こらなかった。いや起こったといえば起こったか。イブの体から抜いた剣は圭太の体へと取り込まれてしまった。
未だに信じられないがイブの話では圭太は勇者の一人。勇者の剣に拒絶されないのは当然だろう。拒絶された場合どうなるのか、剣が無くなった今は知る機会もない。
「なるほど。そういう設定で行くわけね」
「主、信じておらぬな?」
「まっさかー。魔王様の言葉を疑うわけないじゃないですかー」
「恐ろしいぐらいに棒読みじゃな」
信じている。イブの言葉は正しいのだろう。彼女は今まで一度も嘘を吐いていない。
だが手放しで信用していると言うのもなんだか気恥ずかしかったので、圭太は茶化してやった。イブが不満げに頬をふくらませる。
「イブ様と内緒話をするな羨まゲフンゲフン不敬だ」
耳元で話し合っていたからか、蚊帳の外だったシャルルが咳ばらいをした。一瞬だけ本音が聞こえたような
「なんとなくどんな人か分かったよ」
「じゃろ? 割と苦労するんじゃ」
イブは小さな見た目とは不釣り合いなほど疲れ切ったため息をこぼした。彼女も何かと苦労しているらしい。仕方ないか魔王だし。部下の重すぎる忠誠に応えるのも王の務めだろう。
「言ったそばから! というかいつまでイブ様を背負っているつもりだ早く降ろせ」
「いや、悪いがその命令は聞けない」
「なぜだっ」
「ワシの両足が動かぬのじゃ。勇者召喚に代償が必要なのは盲点じゃった」
鼻息荒く唸り始めるシャルルに、イブは簡単に事情を説明した。
彼女の両足を犠牲にして圭太はこの場に立っている。せめて代償分ぐらいは活躍したいものである。
「ならばわたしが――」
「嫌じゃ。シャルルは美人じゃが故に体が細い。まだこやつのほうが安心じゃ」
「だそうだ。俺は代わってもいいと思ってるんだぞ?」
確かにシャルルと比べれば男女の差もあって肩幅が広いのは圭太のほうではある。しかし、がっくりと肩を落としている桃色の武人、だと思われる、を見ているとなんだか申し訳ない気持ちになってくる。
どれぐらい魔王が封印されていたのかは不明だ。だけどその間、忠誠を誓っているだろうこの剣士はさぞ気を揉んだだろう。やっと再会できたと思ったらどこの馬の骨とも知れぬ人間に奉仕の機会を奪われて、代わると申し出れば主に拒絶される。
と、ここまで考えてみて気付いた。悪いのはすべて圭太な気がする。
「……分かりました。頑張って太ります」
「ダメじゃ。ワシをおぶりたいがために体形を崩すのならクビじゃからな」
「ど、どうすれば……」
とうとう足腰に力が入らなくなったのか、シャルルはガックシと四つん這いになった。
「行くぞ」
「いいのか? めちゃくちゃ凹んでるけど」
「構わぬ。どうせ数分後には元通りじゃ」
圭太よりもよっぽどシャルルの扱いに慣れているイブが言うのだ。見ていて辛くなるが、きっと大丈夫なのだろう。
「あっそ。で、どこに行けばいいんだ?」
「シャルル! 何をしておる。この阿呆をさっさと案内せぬか!」
「はいっただいま!」
圭太が首を傾げるとイブが叫び、シャルルが一瞬で立ち直って圭太を先導し始めた。
「なんて扱いのひどい」
「当然じゃ。ワシは魔王なんじゃからな」
肩越しに見えるイブは、それはもう楽しそうに口元を緩めていた。