第二章十九話「どうしてこうなった」
「さて、どうしてこうなった?」
腕を組んだ圭太は、正座しているクリスを冷たく見下ろしていた。
圭太とナヴィア、クリスの三名は教会まで帰ってきていた。
先に歩いて帰っていた圭太たちに駆け足のクリスが追い付き、どうせ話をするならと彼女の自室まで連れてこられたのだ。
なんやかんや女の子の部屋に入るのは初めてだったりする。ちょっとだけ鼓動が忙しいのを圭太は気付いていないフリをした。
「分からないの。なんで変な座り方をさせられているの? 足がしびれてきたの」
「反省の色なしか」
正座の文化がないからか、クリスはモジモジと足を動かしている。
圭太の目はますます冷たくなった。もはや絶対零度だ。
「なんでお前は邪教に捕まっていた? 自分の立場は分かっているよな」
圭太の怒気を孕んだ問いに、クリスは小さく頷いた。
クリスは簡単には死ねない立場だ。どうやらそれぐらいは理解しているらしい。朗報である。
「というか、あり得ないですよね。勇者の仲間が人間相手に遅れをとるとは思えません」
「そうだな。真っ向勝負ならそう簡単には負けないだろ」
ナヴィアが納得できないのか首をひねり、圭太も同意して頷いた。
勇者パーティは魔王を封印し四天王を壊滅状態まで追い込んだ。
基本的に魔族は人間よりも強いから、クリスも人間ごときに遅れを取らないぐらいの実力があるのは間違いない。
力づくで連れ去られるなんてあり得ない。
「自分からついていくようなことをしなければ」
力づくで連れて行けなくても、説得して手懐けてしまえばどうだろう。腕力の差など関係なく思い通りに動かせるのではないだろうか。
クリスが囚われの身であの場にいたのは、他ならぬ本人の意思があったからだ。
「な、何のことなの?」
「しらばっくれるか。この状況で」
足の位置を気にしていたクリスが露骨に目を逸らした。
「どういうことですかケータ様? 人間にとって魔王は忌むべき存在。まさか自分から協力したとでも?」
「したんだよこいつは。どういうわけかな」
圭太は額を押さえて盛大なため息を吐き出す。
クリスは聖人であり勇者パーティの一員という立場なのにもかかわらず、邪教徒に唆されて殺されそうになった。
しかも本人はすべて理解していたのだ。頭痛がひどくなる気持ちを理解してもらえるだろうか。
「違うの。魔力を分け合う方法を探していたら魔王にたどり着いたの」
クリスは少し本題から外れた言い訳を口にする。
「魔王様は魔法に詳しかったですから。魔力を分け合う方法についても知っていると思いますよ」
「だから魔王を復活させようとしたのか? 倒したはずの敵を?」
ナヴィアの補足説明で事情が理解できたが、今度はその神経の太さが理解できなかった。
イブを倒したのはクリスたち勇者パーティである。見ず知らずの第三者ならともかく、敵まで生き返らせようなど正気の沙汰ではない。
「死者蘇生が簡単じゃないのは知っているの。仮に儀式が成功しても魔王の完全復活とはならないの」
そりゃあまあ、復活も何もイブは死んですらいないのだ。生きている相手に蘇生は不可能である。
「それに、私は魔王を悪い人だとは思っていないの」
「は? 倒したのにか?」
ちょっと言ってる意味が分からない。
魔王と敵対し、勝利したのはクリスたちだ。
そんな彼女が魔王と敵対する必要はなかったと言っている。理解が追い付かなくてもおかしくないはずだ。
「確かに魔王がいると人間に得はないの。戦争もあったし、主も倒すよう告げていたの」
主というのはアダムのことだ。
千年前にイブや協力者の手によって神に押し上げられた存在。手が出せないから指示を出す。いたって普通の判断だ。
「だけど魔族から見れば人間も似たようなものだと思うの」
「そうですね。人間は魔族を奴隷にし、わたくしたちを蹂躙した」
ナヴィアの表情は硬くなっていた。圭太が召喚されるまでの日常を思い出したのだろう。
圭太は無言でナヴィアの手を握った。
「倒してから気付いたの。魔王は確かに敵だったけど、もしかしたら人間にとっての主と同じだったんじゃないかって」
ナヴィアの表情がわずかに綻ぶのを尻目に眺めていたが、聞き逃させない話が聞こえてきたので口を開く。
「お前、自分が何を言っているか分かっているか?」
「分かっているの」
「分かっていないな。お前はあろうことか自分の崇める神を忌まわしき魔王と同列だと語っているんだぞ」
シスターとして、聖人としてあり得ない考え方だ。自分が仕える存在と自分の敵を、あろうことか同じ存在だと断言したのだ。
「きっと主に怒られてしまうの。だけど戦争ってそういうものだと思うの」
クリスは目を伏せていて、申し訳なさそうにしている。
「どちらも正義で、どちらかが悪というわけではないの。皆正しいからこそ起こる衝突なの」
だが出てくる言葉はとても申し訳ないと感じているとは思えない。
魔族を肯定した。
千年以上続いた争い。そして傷付いた兵士たちを侮辱しているに等しい。聖人といえどさすがに許されないだろう。
「この世界でも人間同士の戦争があるのか?」
だが、圭太は別にアダムに仕えているわけではない。むしろイブとともに英雄を倒す立場である。
イブの評価が上がるのはいいことなので言及しなかった。代わりに興味を引かれた情報を掘り下げる。
「今はまだ小競り合いなの。だけど、最近よく聞くの」
それは面白い。助けになることがあるかもしれないから覚えておこう。
「知らない奴がいないほどの有名人だもんな。救いを求める人の中には敵同士だってあり得るわけか」
「そういうことなの」
クリスは頷いた。
「なるほどな。あぁーもう。面倒くさい」
「ケータ様?」
頭をガシガシとかいて、圭太は大きなため息を吐いた。
突然の行動にナヴィアが小さく首を傾げた。
「ナヴィア、先に謝っておく。俺が話すのは本音だ。気を悪くしたらゴメン」
「いいですよ。ケータ様に幻滅することはありませんから」
「頼もしい限りだよまったく」
信頼がたっぷり詰まった返事に圭太は苦笑した。
「いいかクリス。お前の考えは正しい。戦争は正義のぶつかり合いだし、この世に悪は存在しない」
「なら助けないと――」
「なぜだ? 魔族は敵だ。救う価値がどこにある?」
ナヴィアの表情が強張ったのが横目で確認できた。
「この世にあるのは正義のみ。悪はない。ならば悪を倒そうとする正義もまた、存在しない」
特撮で主役を演じるのは大体が正義の味方だ。
だが、悪が存在しなければ正義の味方もまた存在しない。戦う勢力はどちらも正義なのだ。
「お前は人間にとって正義だ。だが魔族にとっては悪そのものだ」
勇者は魔王を倒した。そして勇者パーティのクリスは英雄になった。
それはクリスたちが正義のために戦ったからだ。人間の正義の味方だったから受け入れられた。
「なぜ嫌っている魔族のためにお前が動かなければならない?」
「なぜって、私を頼っているの。だから助けるの」
クリスは困惑した様子を見せていた。
助ける理由を今までたずねられたことがないのだろうか。あるわけないか。
「お前はそう言うが、命乞いをした魔族を助けたか?」
「それは……」
兵士には少々酷な質問に、案の定クリスは黙り込んでしまった。
「魔族だけじゃない。悪人、そうだな例えば盗賊とか、英雄が倒した悪は数えきれないだろう」
正義の味方は頼られて、たくさん仕事をしたのだろう。
戦う力を持つ勇者にどのような頼みが集まるか。ゲームから予想しただけでもとても血生臭い答えになる。
「倒される直前までお前らに見逃してもらえるよう祈っていた彼らを、お前は助けてきたのか?」
たずねるが、圭太は答えを既に知っている。
否だ。クリスたちは一度も敵に情けをかけなかった。命こそ奪わなかったかもしれないが、悪党を見逃すような真似は一度もしなかったはずだ。
「だって誰も言わなかったの。助けてなんて言わなかったの」
「そりゃあそうだろう。敵に頭を下げた時点で心は死ぬ。それまで生きていたすべてが無くなるのだから」
頭を下げれば命は助けてくれるだろう。だが命以外のすべてを捨てるに等しい。
待っているのは蹂躙だ。持ち物を奪われ、奴隷同然の扱いを受ける未来が待ち受けている。
「クリス。お前がやってきたのは間違いなく善行だ。たくさんの命を救い、迷える人を導いてきた」
クリスの両肩を掴み、圭太は微笑みかける。
「だが、救われた人間はどうなったんだろうな。癒しを求めた次の日に誰かを不幸にしていないと、どうして言い切れるのだろうな?」
誰にも迷惑をかけない人間はいない。生きている限り、誰かが誰かに迷惑をかけている。
その迷惑の内容次第では、当然取り返しがつかないような大きな面倒が生まれる。人命にかかわるものだってあるかもしれない。
「それでも私は」
「言い繕うな。魔族は敵だ。迷わず滅ぼせ。人間を殺されるのは憎いだろう?」
圭太は変わらず微笑んでいる。
いわゆる暗黒微笑というやつだ。ただ、常人とは比較にならない演技力を持つ圭太がすると、ネタにならないぐらい薄気味悪い雰囲気が漂わせていた。
「ううん。私はやっぱり割り切れないの。人間でも魔族でも助けられるなら助けたいの。もちろんケータだって」
クリスは自分の肩に置かれている手を握る。
力がまるでこもっていない優しい手だ。
「――チッ、分からず屋め。勝手にしろ」
圭太はクリスの手を振り払った。
頑固者め。
圭太は胸中で悪態をつくことしかできなかった。




