第二章十七話「崇拝」
「あれからケータ様が戻ってこないです」
ナヴィアは町を散歩しながら、口を尖らせていた。
悩みのタネは彼女の主である圭太のことだ。すぐに帰ると言っていたのに、気が付けば三日が経過していた。
「二人とも仲良くすればいいのに」
銀貨一枚を干し肉十枚に交換して、ナヴィアはため息を吐く。
圭太がいない以上ナヴィアたちは何もすることがない。よって彼女はゆっくりと旅の消耗品を補充していた。財布は圭太が持っていったので、主人と同じ方法でお金を調達している。
圭太とイブが喧嘩別れした。
内容は仕方がないものだと思う。敵にすら優しく接してしまう圭太にイブが警鐘を鳴らし、機嫌を悪くしたのか飛び出してしまった。
イブの言う通り圭太の考えは褒められたものではない。無情にならなければ敵を殺せない。
だがしかし、ナヴィアもイブと同じ意見かと問われると首をひねってしまう。
ナヴィアを助けてくれたのは圭太の甘さとも言える考え方だ。彼の思考にナヴィアは好意すら抱いている。
この喧嘩にエルフの奴隷役は口を閉ざしていた。どちらの態度も間違っていないと思っているからだ。
「悪かったな。お互い子供なんだよ」
ナヴィアの意識の外、建物の間、雑踏から一歩外れた場所から声をかける人間。
苦笑交じりの言葉は若くして奴隷の所有主という設定の旅人だった。
「ケータ様! どうしてここに」
三日ぶりの圭太の姿にナヴィアは顔を輝かせ、人間よりもはるかに優れたエルフの身体能力をフル活用して駆け寄る。
「どうしてって、一応お前の主人って設定だし。同じ町にいるんだから会いもするだろ」
「だってケータ様は帰ってこなかったじゃないですか」
約束を破られた立場のナヴィアは存分に唇を尖らせる。
「ああ、それは別件があったからだ」
そんな彼女の態度に圭太は苦笑いを浮かべていた。強く言い返せないのを分かって不機嫌を露わにしていると理解しているからだ。
「別件ですか?」
「人間の中にも魔王を崇拝している連中がいるらしい」
圭太は顔をしかめて言った。
顔色がよくない。三日間ろくに休んでいないようだ。
まったくこれだからこの人は、とナヴィアはそっと息を吐き出した。
「よいことではないですか。我々の味方ということですよね?」
魔王を信仰している人間がいる。今も魔王のために行動しているナヴィアと圭太にとって、同じ考えを持つ同士が増えるのは朗報のはずだ。
「魔王は千年前に人間が生きていけない大陸に移動したんだぞ。イブの顔を見ても魔王だと断定できないだろ」
「そうか。そうですね」
幼いころからのおとぎ話だ。人間と戦争をした魔王は新大陸を作り出した。だから安心して幸せな世界で生活できるのだとスカルドに何度も聞かされたのは今でも覚えている。
「魔王の顔も知らないくせに魔王を崇拝している邪教なんだと。何をしていると思う?」
「何をしているのでしょうか? 想像ができないです」
「そっか。邪教なんて縁がないか」
質問に答えてもらえなかった圭太はどことなく肩を落とした。
圭太に聞かれてもナヴィアは答えられない。生まれた頃からイブという絶対神がいたのだから、偶像を崇拝するなんて考えられないのだ。
「連中は魔王に会うために儀式をしているらしい。ここで邪教の意味なんだけど、違う神を信仰している場合と別の原因もある。新たな宗教として受け入れられない理由があるんだ」
例えばまったく意味のない儀式を連日試しているとか。しかも人の命を代償にしていれば、人々に受け入れられるわけがない。
「そうなのですか? 宗教にも詳しいんですね」
「俺はそっち側が異常だと思うけどな。宗教がないなんて考えられない」
「わたくしの神は魔王様ただ一人ですから」
「まあいいや。話を続けるぞ」
圭太は早めに話を切り上げる。
世界が違う。種族が違う。文化が違う。
色々と違うのだ。常識が通じないのも慣れっこだった。
「世間一般では魔王は死んだ扱いになっているだろ?」
だから魔族を奴隷にしようなんて愚かな行動がとれるわけだが。
「なっていますね。勇者は真実を告げなかったのでしょうか?」
「告げられないさ。もしくは曲解して伝わったか。人間にとって魔王は存在してほしくない敵だからな」
魔族は人間にとって畏怖の対象だ。魔力量、身体能力共に遠く及ばない。
勇者一味以外でナヴィアの魔力量に並ぶ人間を、圭太はまだ見たことない。ナヴィアが優秀なのは知っているがそれでも限度がある。
「誰かが真実を捻じ曲げたとしても不思議じゃない」
勇者か、報告を受けた権力者か、お触れを聞いた民衆か。
どこで歪んだのかまで興味はないが、魔王が死んだという人間にとって心地よい嘘が浸透しているのだ。
不老不死の魔王を倒せなかったので封印しましたという真実は見たくないというのが人間の総意だろう。
「愚かですね。現実から目を背けるなんて」
「そうでもないさ。魔王の封印は勇者以外には解けない。まさか魔王が新たな宿敵を召喚するとは思わなかったんだろう」
呆れたようなナヴィアに圭太は首を横に振る。
この世界に勇者は一人。魔王を倒した者だけだ。
わざわざ別の世界から勇者が召喚されるなんて想像できるはずがない。対策なんて不可能だ。
「魔王を崇拝している邪教は当然生き返らせようとする。自分たちの神の復活を目論んでいるんだ」
「では勇者を召喚するのですか?」
「不可能だ。イブでさえ代償に両足の自由を奪われた。並みの人間じゃ召喚する前に死ぬよ」
勇者を召喚するのは禁忌魔法だ。世界を渡るような真似が神以外に許されるはずがない。
禁忌魔法の代償は魔力量によって左右される。つまり魔力が足りれば代償はないということだ。
だがここで問題が発生する。それは無限に近しい魔力量を持つイブであっても両足の自由を奪われてしまったという点。普通の人間が同じ魔法を使ったとしても失敗して死ぬだけだ。
それに普通の人間が新たな勇者を呼ぼうという考えになるとは考えにくい。なぜなら勇者と呼ばれる存在は既にいるからだ。
「それに人間は魔王が封印されていたとは知らない。多分知っているのは勇者一味だけだろう。民衆を無駄に不安がらせる意味がない」
これは圭太の予想だが、真実を捻じ曲げたのは王ではないかと考えている。
勇者から魔王を倒しきれなかったから封印したと報告を受け、そのまま伝えては民衆を不安がらせるだけだと判断した結果事実を捻じ曲げたのではないかと思われる。
サンの様子から察するに勇者一味が進んで嘘を吐くとは思えないし、合理的な王だったら圭太の予想通りの判断を下すだろう。
「ではそのジャキョウの人間は何をしているのでしょうか?」
「決まってる。禁忌魔法の真似事。他者の命を犠牲にした蘇生魔法だよ」
ナヴィアの問いに、圭太は簡単に答えた。
死んだ存在を生き返らせるのは禁忌だ。魔力がなければ代償に命を奪われる。
だが魔力量が少しだけ多ければ、それこそ命を含めた勘定でならぎりぎり蘇生ができるとしたら。
可能性があるとは考えられないだろうか。邪教徒が託すだけの望みになるのではないだろうか。
「そんなの意味がないじゃないですか。だって魔王様はまだ生きているのに」
人間にあまりいい感情を抱いていないエルフのナヴィアも、圭太の話す狂気に顔を引きつらせている。
「ああそうだ無駄だ。だけどそんなの邪教崇拝者は知らない。だから犠牲を払ってでも生き返らせようとしている」
誰だって神の姿を一度ぐらい見たいと思うだろう。圭太の世界では神に会う方法はないとなっているが、この世界の魔王崇拝者にとっては違う。生き返らせればいいのだし、他人を生き返らせたという前例は既に存在している。
理想を為すために犠牲を払う。誰だって可能な簡単なことだ。
「しかも面白いのは、人間は自分が傷つくことは大嫌いなのに他者の痛みにはひどく鈍感ってことだ。つまり何が言いたいか分かるか?」
「魔王様を復活させるという名目で大量殺人をやっているわけですね」
「そういうことだ」
ナヴィアの回転の早さに満足して、圭太は頷いた。
「ここから先は根拠なしだが、俺なら魔王を復活させるために魔族が必要だと考える」
「なぜですか?」
「魔王の眷属だからだ。縁が近いほうが確立高いだろ?」
イブは魔族の王。つまり魔族の一人である。
最初に生贄に捧げるのは入手しやすい人間だろう。しかし、人間ではダメだと判断したとき次の標的になるのは魔族だ。
ただでさえ魔族は人間より魔力量が多い。禁忌魔法に詳しくなっていけば成功のために何が必要かも分かるようになるだろう。魔力量から考えても魔族が生贄になる可能性は非常に高かった。
「バカなんじゃないですか? 関係ないに決まっているじゃないですか」
ナヴィアの顔が今度は怒りに染まる。端正な顔立ちは歪んだところで綺麗なままだ。彼女の実力を肌で痛感してなければ茶化していたかもしれない。
「知らないんだよ。関係あるかどうかも。だから止めたいんだ」
圭太は人類の敵に加担している。だが無作為に死んでほしいわけではない。犠牲は最小にしたいのだ。
圭太が殺してきた人間は、死んでもよい価値がないと判断した敵ばかりだ。他人の幸せを壊すつもりはない。
「まさかケータ様が帰ってこなかったのは……」
「いやー、一人で探していたんだけど魔力探知できないと全然見つけられないんだよ」
圭太は後頭部に手を回して観念したように笑った。
ナヴィアたちから離れたこの三日間、圭太は食事や睡眠の時間を削ってまで走り回っていたのである。
「一人で戦うつもりだったのですか? また一人で背負うつもりだったのですか」
「怒んなよ。結果的に無理だったんだから」
責めるような視線に圭太は苦笑しながらそっぽを向いた。
邪教徒を見つければどうしていたか。もちろんイロアスと一緒に頑張っていた。ナヴィアの予想は何一つ外れていない。
「わたくしも一緒に行きます」
「もちろん。頼んだぞ」
頼もしい少女の肩を、圭太は軽く叩いた。




