第二章十六話「迷える子羊」
「見つからないのー!」
クリスの声が静寂を突き破り、山積みにされた本がどさどさーっと雪崩を起こした。
クリスを巻き込んだ雪崩に辺りがざわめき始める。すぐにウガーっと本が何冊か宙に舞った。
「落ち着けよ。イライラしてたら見つかるものも見つからねーぞ」
今にも暴れ出しそうな顔のクリスに、圭太はジト目をプレゼントする。
心配そうな視線は圭太が口を開いた瞬間に散らかっていった。保護者がいると安心されたのだろうか。保護者どころか敵対者なのだが。
圭太とクリスは図書館に来ていた。
調べ物をするならインターネット。と言いたいところだが、この世界には普及していない。
代わりに本を読み漁るため、町に唯一の図書館に来ているのだ。
「だって、この量なの。全部目を通すなんて一生かかっても無理なの」
図書館、しかも町に一つというだけあって本の総数は計り知れない。魔王城謁見の間と同じ広さの空間に、所狭しと本が詰め込まれている。紙とインクのにおいは世界が違っても変わらない。
「だからって投げ出せないだろ。別のやつを探してくる」
クリスの前に積まれ、つい先ほど雪崩を起こした本たちは圭太とクリスが三十分ぐらいかけて、体感なのでもっとかかっているかもしれない、捜し集めたものである。
内容は大雑把に言うなら魔法について。細かく分類するなら子供向けの入門書から武器になりそうな分厚さの研究文書まで多岐にわたる。
「うぅっ、頑張るの」
クリスのくぐもった声を背中で聞きながら、圭太は人目の少ないエリアに足を進める。
因みに圭太が本を開くことはない。なぜなら文字が読めないからだ。
「さて教会の図書館ならアダムに会う方法も残っているかな?」
圭太も情報を求めている。そこまではクリスと同じだ。
だが魔力を分け合う方法などどうでもいい。
欲しいものはいつだって敵の情報なのだ。
「ありませんよ。そんなのは」
背表紙の雰囲気だけで本を探し歩く背に声がかけられ、圭太は足を止めて振り返る。
「誰だアンタは」
顔にはうっすらとシワが刻まれている女性。服装はクリスと同じ黒装束だ。
パッと見た印象は妙齢のシスター。
しかし圭太は警戒を露わにしていた。人が少ないこの区画で、圭太はシスターの接近に気付かなかったのだから。
「はじめまして迷える子羊よ」
「質問に答えろシスター」
「答えなら出ましたよ。おっしゃる通りです」
シスターは万人受けしそうな微笑みを浮かべている。
「……シスターが何の用だ」
警戒をより強くした圭太が半眼で睨む。
なんだか普通に話をしていてはダメな気がする。
「主に出会う方法という邪な声が聞こえたものですから」
しゅ、というのはアダムのことだろう。
「邪、ねえ。アンタだって顔を直接拝んでみたいとは思わないか?」
「不敬です。が、違うと言えば嘘になりますね」
「ならあるだろう? アダムに会う方法。これだけ聖書があるのだから」
圭太は両手を広げて、天井まで伸びる棚にぎっしりと詰め込まれている本を見渡した。
この町には聖人がいる。神に祈りを届けられるクリスがいる。
クリスがいるのだから、情報もそれなりに集まっているはずだ。それこそ神と遭遇した聖人の話だって。
「この図書館の司書として答えましょう。そんな本はありません」
だが、ケイタの予想と反し、シスターは首を左右に振った。
「何? 嘘を吐いているのか?」
「嘘を吐くメリットがどこにあるのでしょう。本当ですよ。この図書館の、いえこの世界にアダム様に出会ったという本はありません。誰も出会ったことがないのですから」
シスターは本当に残念そうに伏し目がちになっている。
嘘を吐いているとは、とても思えなかった。
「そんなバカな。クリスが祈れば癒しを与えられるんだぞ」
「あの子は特別です。普通は声が届くこともありません」
アダムを信仰している宗教が小規模とは思えない。何せ実在する神なのだから。
信徒全員の祈りの声がアダム本人まで届いたらかなりの騒音だろう。圭太が同じ立場だったらうんざりして災厄を引き起こすのは間違いない。
「マジかよ……クリスって凄いんだな。そりゃ銅像にもなるわ」
クリスは選ばれし者。勇者と似たような称号を持つ数少ない人物だ。
そんな彼女の生まれ故郷が浮かれないわけがない。きっとあの銅像も誰かの思いつきで建てられたのだろう。
「私たちの誇りですからねあの子は」
「でも戦場に送り出した」
シスターの表情がわずかに固まった。
「勇者の仲間として、彼女が潜り抜けた死線はいくつあるんだろうな。生きているだけで奇跡だろう?」
「そうですね。無事帰ってきたことに皆ホッとしています」
「だろうな。なんてったって大事な客寄せを失うところだったんだから」
圭太はシスターの表情が強張るのを見て、満足げに頷いた。
シスターであっても人間だ。欲がないわけがない。
求めているものが見つからないのなら、多少の八つ当たりは許されるはずだ。
「なんですって?」
「クリスの才能は圧倒的だ。なんせ本来は届かぬ祈りが神に聞こえるのだから。勇者と旅をする前でもすでに有名人だったはずだ」
今のクリスは魔族との戦争に勝利したこともあり、魔力量は常人の数倍はある。祈りで治せる傷の程度も増しているだろう。
だが、祈り自体はできたはず。
「わざわざ勇者に付き添わせる必要はなかったはずだ。教会側にメリットはない。違うか?」
魔王討伐は帰ってこれない可能性のほうが高いはずだ。聖人として働いていたであろうクリスを前線に出しても得することはない。
教会がわざわざ勇者に預けたのは、普通ではない利点を見出したからだ。
「何が言いたいのです」
「勇者は選ばれた者だ。恐らく選んだのはアダム。勇者の近くにいれば神の啓示が来る可能性が高い」
勇者が圭太のように異世界から召喚されたのかこの世界で生まれたのかは分からない。
だがしかし、どちらにせよアダムの意思が混ざっているはずだ。じゃなければ勇者の剣、イブを封印できるほどの神造兵器が渡されるとは思えない。
神に選ばれし者同士、共鳴するものがある。
欲にくらんだ汚い人間がそう企んだとしても不思議ではない。
「この世界で唯一、神に直接出会った聖人としてクリスを売り出すつもりだった。そうなんだろう?」
神に出会う方法は存在しない。神に出会った人間も存在しない。
ならクリスが世界で初めての人間になればいい。
そして彼女をダシにお布施を荒稼ぎすればいいのだ。
「そんなことはないです」
「ああーいいよ。そういう形だけの否定は」
予想通りの言葉を口に出すシスターに圭太は露骨に顔をしかめた。
「神に出会った聖人がいれば、そりゃあ教会の威信も増すだろうな。あの魔王を倒したのは他ならぬ神の意志だった。そう言えばお布施をふんだくれただろう」
圭太ならばそうする。自分を普通だと断言するつもりはないが、組織という大きな思考の中には圭太と同じ考えを持つ人間がいたとしてもおかしくない。
教会は善意を売る商売だ。儲けは多いほうがいい。
「――失礼が過ぎますよ」
「いや失敬。こちとら喧嘩したばかりでね。その上探し物が見つからないというからどうしても八つ当たりしてしまった」
圭太はへらりと笑って、飄々と肩をすくめる。
「だがそうだな。神の教えに従わず独占をするというのなら、また別の場所で八つ当たりをしてしまうかもしれない」
聖人は言った。独占は悪だと。
シスターなのだから当然神の教えに従っているだろう。当然、独占が悪だと理解しているはずだ。
「脅しのつもりですか? たった一人の発言に何ができるというのです」
「噂を舐めないほうがいい。クリスの人望だ。嘘も民衆を通して本当になるぞ」
噂には尾びれがつく。
たった今圭太が話した教会の企み。事実がどうかは関係なく、教会に利用されている立場のクリスを心配する人間が出るのは間違いない。さらに狂信的な人間なら武力行使に出るかもしれない。
民衆対教会。圭太としては最高のシチュエーションだ。
「……分かりました。ですが本当にアダム様に謁見する方法はないのです」
絞り出すような声でシスターは従う様子を見せるが、態度とは裏腹に望んでいる言葉は出てこない。
「チッ。これだけ脅してもってことはどうやら本当らしいな」
「この世界に主と会う方法があるとするならば、それは魔王を崇拝している邪教のみ。アダム様ではありません」
魔王を信仰するから邪教なのか、はたまた神の敵対者だからだろうか。そこまで細かいことは圭太には判別できない。
「魔王は実在するからな。そうか。邪教ってのはどこにでもあるんだな」
テンプレ通りなら、邪教徒は儀式という名目で不毛に命を奪っているはずだ。
放置しておくには少々胸糞悪い。
「あの、聞き取れませんが」
「気にするな。邪教について知りたい。魔王がいなくなった今でも活動しているのか?」
軽く話をすり替えて、圭太は新たな興味について掘り下げる。
「噂でしか知りませんが、はい。しているようです。それがどうかしましたか?」
喉まで出かかったため息を飲み込んだ圭太を誰か褒めて欲しい。
「いやなに、物騒な話だと思っただけだ。位置は分からないんだろう?」
「人目を避けて活動しているため、森や洞窟を拠点にしている場合が多いと聞きます」
ことごとくテンプレ通りの情報に、圭太の口元がピクリと反応した。
ここまで予想通りだと、やっていることも一緒だろう。早めに潰さなければならない。
「そうかありがとう。ああそれと、魔力を他人に分ける方法が書いたある本があれば教えてやってくれ。探しているやつがいる」
「えっ? はい。分かりました。探しておきます」
突然態度の変わった圭太に反応が鈍くなるシスター。圭太はそんな彼女に後ろ手で別れを告げる。
右手の腕輪が鈍く光を反射した。




