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第二章十五話「君の隙間」

 背中でうぅんと声がした。


「あれ? また私寝てたの……?」


 路地裏、人目を避けて進む圭太の背で、クリスはまぶたを震わせた。


「おはようクリス」


 聖人様には縁のない場所に連れ込んだ優越感を胸に、圭太は優しく微笑んだ。背中のクリスには当然見えないのだが、残念ながら気付いていない。


「なっなんでおんぶされてるの!?」

「痛い痛い暴れんなよ」

「はーなーすーのー!」

「はいはい分かったよ。ほれ」


 バシバシと背中やら頭やらを叩くクリスに顔をしかめて、圭太は両手を広げて彼女を解放した。

 まあ、目が覚めると日も当たらぬ路地裏に男と二人なのだ。動揺するのも頷ける。


「この変態! なんてことするの!」


 心外である。


「ふざけんな。気絶したお前を送り返してやろうとしてやったんだろうが」


 ぺたんと座り込み、隠すように自分の体を抱きしめるクリスに、圭太は真顔で現実を突きつけた。

 この聖人様なら冤罪でも極刑にできる。それだけの人気者だ。

 ……おぶって運んだのはちょっと軽率すぎたと圭太は内心で反省した。


「えっ? あっ……あの人を治そうとして」

「そう。無理したせいで気を失ったんだ」


 気を失う直前の記憶を思い出したらしいクリスに圭太は安堵のため息をこぼした。もちろん冤罪を免れた安堵だ。


「また治せなかったの」


 肩を落としているクリスはとても元気そうには見えなかった。魔力を少なからず消耗したのも理由の一つだろうが、どう見ても心労のほうが重そうだ。


「なんでそんな落ち込んでいるんだ? 普通は禁忌魔法の代償は治せないんだろう?」

「機会がないだけなの。絶対に治せるはずなの」


 機敏な動きで顔が動き圭太を睨む。ホラー映画も真っ青な動きに圭太は息を呑んだ。


「分からないな。自分を犠牲にしてまで誰かを治そうとするなんて」


 圭太は話を逸らす目的で表情を引き締める。

 クリスは命を代償にしてまでイブの両足を直そうとした。

 圭太にはとても真似できない。確実に治るというのならともかく、治る確証もないのにどうして他人のために賭けられるのか。

 圭太は自殺志願者であり今も自分の命を一番安く見積もっている。だが、それでも無価値な賭けはしない主義だ。逆を言えば少しでも価値があればすぐ賭けるのでイブやナヴィアに監視されているわけだが。


「前にも同じようなことを言われたの。君は人の気持ちが分からないの?」


 たしかに言ったかもしれない。

 クリスの行動理念を圭太は理解できないからだ。

 名前も知らない他者のために命を捨てる。しかも利益を求めていないのだ。

 前の世界でイジメを受けていた圭太は人間の汚さをよく理解している。それ故に、クリスの清らかな精神が理解できない。


「……知り合い曰く心が空っぽらしいからな。共感できないんだろうよ」


 圭太の口調はどこか他人事だった。

 仕方がないだろう。サンに言われるまで意識したことすらなかったのだ。

 もしかしたら圭太がイジメられていたのもこれが原因なのかもしれない。


「なんだ知ってたの」

「クリスも見破ってたのか」

「もちろんなの。君ほど異質な人間もそう多くはないの」


 クリスは英雄であり聖人であり癒しの権化である。人に接する機会は圭太の数倍あるのは間違いない。もしかしたら数千倍かもしれない。

 そんな彼女が異質と言うのだから、多分異質なのだろう。しかもかなりの説得力がある。


「異質って、本人を前にしてなんて言い方だ」


 さすがの圭太もちょっと傷ついたので、分かりやすく不機嫌な顔になった。


「君の隙間はさすがの私も埋められないの。自分で埋めるの」


 肉体的にも精神的にも癒しを与えることで有名なクリスでも匙を投げるレベルらしい。


「うるさいな。俺の話はいいんだよ」


 圭太は深く考えないことにした。


「つーか、俺ばっかり秘密を知られててずるいだろ」

「そうなの? ……そうかもしれないの」


 クリスは小さく首を傾げ、そのまま数秒考え、圭太の理不尽な言いがかりを肯定した。

 否定されると思っていただけに圭太は拍子抜けな気分になった。言いくるめるつもりだった気分は台無しだ。


「お前に一つ質問したい。今のままじゃ不公平だ」

「嫌なの」

「なぜだ?」


 即答で断られた。しかしこれは予想の範囲内。圭太は言いくるめるための材料集めのためにもさらに疑問を飛ばす。


「君が質問は分かっているの。どうして禁忌魔法を使ったか、なの」

「そうだ。興味本位で悪いが知りたい」


 本当は違う。

 クリスは禁忌魔法を使い、そして子供を宿せなくなった。

 イブのように戦闘に支障の出る代償ではない。もしもクリスと正面衝突したとして、弱点になるようなものでもない。

 では、クリスが禁忌を犯した理由はどうだ。

 少なくとも付け入る隙ぐらいにはなるのではないか。


「そもそもそっち側の事情だって教えてもらえなかったの」

「独占は悪なんだろ?」


 圭太は意地の悪い笑みを浮かべた。

 本人が言ったのだ。違うとは言わせない。


「んっんんー……確かにそうなの。分かったの仕方ないの。どうせ減るものではないの」


 痛いところを突かれたクリスは唸り考え込んで、やがて諦めたようにため息を吐いた。


「お前は死者を蘇らせようとしたんだろ?」

「なんで君はそんなに詳しいの?」

「噂だって。別にいいだろ?」

「まあいいの」


 噂というよりは尋問というか脅迫というか。まあそんな細かい部分を、寛容な聖人様が気にするとは思えないので放置だ。

 クリスの訝しげな視線を顔を逸らして回避しつつ、圭太は胸中で誰にでもなく言い訳した。


「私が禁忌魔法を使ったのは勇者と出会ったときなの。亡くなった人を二人で治したの」

「勇者と二人で? じゃあ勇者にも禁忌があるのか?」

「分からないの。彼女は自分の話をあまりしなかったの」


 クリスは首を横に振っているが、まず間違いないだろう。

 人を生き返らせるのは禁忌。ファンタジーな世界観でもよくある設定である。チートな転生者がよくゴリ押しで踏み越える反則だ。

 しかし、いくら主人公補正のある勇者といえど術者にも与えられた代償を避けられるとは思えない。一般的というかテンプレ通りな勇者なら、痛みを分かち合うよう考える場合が多いからだ。

 クリスと同等かそれ以上の代償を支払ったに違いない。


「私自身代償に捧げたものがあると気付いたのは随分経ってからなの。もしかしたらまだ気付いていない可能性もあるの」

「まあ個人の幸せが無くなっても勇者としての活動には問題ないか」

「うん。コハクのことだから能天気に喜んでいるかもしれないの」


 圭太が適当な予想を口にして、クリスはあっさりと同調した。

 勇者とは人ではなくシステムだ。

 他者のために自分を犠牲にすることも厭わない、ある意味で人間離れした思考回路の存在だ。

 一応勇者の肩書きを持っている圭太は、少なくともそう考えている。


「勇者とお前二人が生き返らせたってことは、死んでた人間はとても大切な人だったのか?」

「ううん名前も知らない人なの」

「はぁ?」


 続けての予想は首を振られ、圭太は素っ頓狂な声を出した。


「当時の私はまだ弱くて、魔物にも勝てない臆病者だったの」


 圭太を焦らすように、クリスは話を続ける。


「そんな私を助けようとしてかばってくれた人がいたの。魔物はすぐに討伐されたけど、その人は亡くなってしまったの」

「だから生き返らせようとした。自分を犠牲にしてでも」


 圭太にその理由は理解できるものではなかったが容易に想像できた。

 クリスは見ず知らずのイブのために命をかけるような聖人だ。自分のせいで傷ついた人間を放っておけるとは思えない。


「私のせいで死ぬなんて耐えられなかったの。だから私は全力で祈ったの。コハクの力を借りてようやく治せたの」


 予想通りの言葉が出てくるが、圭太の興味はすでに別の場所にあった。


「確か魔力量によって代償の大小は違うんだったか。勇者と二人がかりだったから死なずに済んだってわけだ」

「そうなの。コハクがいなければ助けられなかったの」


 クリスはあくまでも相手を助けられるか否かでしか考えていないようだ。自分の生死を初めから度外視している。

 勇者も酷い奴だ。サンに奴隷のお守りをしろと我慢を強いただけでなく、壊れているクリスを放置しているなんて。


「ふうん。それでどうしてイブを命がけで治そうとしたんだ?」

「まだ分からないの? 私は見過ごせないから――」

「その場にいた全員の魔力を使えばまだ何とかなったんじゃないか?」


 クリスの言葉に重ねて、圭太は魅力的であろう提案をした。


「俺は魔法を使えないから分からないけど、ナヴィアも魔力はそこそこ持っているしイブも魔力量は化け物クラスだ。勇者としたときみたいに協力すればいいんじゃないのか?」


 一人で足りないのであれば複数人の魔力でやればいい。簡単な話だ。

 しかも魔力量では右に出る者がいないイブがいる。

 全員の魔力を合わせれば、それこそ死人でも生き返らせられるだろう。


「あっ……言われてみれば言う通りなの。でも魔力を分け合うなんてできないの」

「勇者はやったんだろう?」


 前例があるのだ。不可能ではない。


「やる方法はあるけど知らないだけかもしれない。そう言いたいの?」

「調べる価値はあると思うぜ」


 圭太は不敵な笑みを浮かべ、内心では別の意味で笑っていた。

 どうして敵に助言を送っているのだろうか。

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