第二章十四話「仲間ではない」
「魔王様」
宿に残った二人。そのうちの一人が口を開いた。
「なんじゃ小娘」
対するイブも威厳たっぷりに口を開く。
この場にいるのはナヴィアとイブのみ。奴隷と主人の妻という役を演じる必要はない。
「どうしてあんな言い方をしたのですか」
問いかけるような言葉だが、口調は責めるように冷たい。
「ケータのことか。何が気に入らぬ」
「わたくしたちはケータ様に一度救われました。なのにどうして彼の行動を責めるような言い方をしたのですか」
ナヴィアは怒っていた。
彼女にとって圭太は恩人だ。それはイブも同じはずである。
どうして恩を仇で返すような真似をするのか。
「なんじゃそんなことか」
厳しい表情をしているナヴィアとは対照的に、イブは涼しい顔をしていた。
「簡単じゃよ。あやつはまだワシらの仲間ではないからじゃ」
「何を言っているのですか。人間を大陸から追い出したのはケータ様じゃないですか」
言っている意味が分からないとばかりにナヴィアが顔をしかめる。
圭太は魔族たちに多大な貢献を捧げた。味方でないのならなんだと言うのか。
「策を弄しただけじゃ。やつの役目は英雄の足止め。決定打を出したのはワシじゃよ」
「それは、適材適所に役割分担したから」
英雄であるサンを町の外まで誘い出し、その間に魔物を呼び寄せる。
圭太の練った作戦は単純だが簡単ではない。まず魔物を呼び寄せるほどの魔力量の持ち主は魔王しかいないのだ。
イブが作戦の根幹を務めるのは必然だった。たとえばナヴィアでは代役にならない。
「それだけではない。あやつはまだ一度も戦争をしておらぬのじゃ」
「意味が分かりません。何が言いたいのですか?」
ナヴィアは厳しい表情を怪訝に歪める。
圭太は人間と戦い魔物から町を守り勇者の盾を倒した。
魔王が封印された戦争を傍観していたエルフのナヴィアにとって、間違いなく人生で一番大きな戦いだった。
なのにイブはまだ戦争をしていないと言う。ナヴィアが理解できないのも当然だった。
「やつはまだ殺し合いをしておらぬ。心の底から魔族の手助けをしておるわけではないんじゃよ」
「あり得ないです。ケータ様は人間に襲われているわたくしを助けてくれました。魔族の味方でなければわたくしを助けないはずです」
この先死ぬまで忘れないだろう。圭太と初めて出会ったときの話だ。
奴隷として捕らえるフリをして、圭太は人間二人を両断した。綺麗に騙されていたので驚いたのはよく覚えている。
「じゃが、町を襲ったとき人間を助けたぞ?」
圭太が数えるのも億劫になるほどの魔物の群れに立ち向かったのは、避難中の人間が巻き込まれないようにするためだ。
イブの試すような視線に、ナヴィアは少し言葉を詰まらせる。
「それは、不要な犠牲を避けるために」
「おかしいとは思わぬか? ワシら魔族は人間の敵じゃ。魔物から守る必要がどこにある?」
イブは魔王として魔族を率いる立場として、数えきれない人間を処分してきた。
武器庫にあった神造兵器の数々は、かつて人間が所有していたのだ。有象無象の武器を使っていた人間はさらに多いだろう。二倍三倍では足りない。
「報復を避けるためだと、言ってました」
魔王は死んだ。本当は封印されていただけだが、人間たちで真実を知るのは勇者だけだ。
魔王がいないのに町が潰されれば、人間の憎悪は魔族に向けられる。根絶やしにしようという動きになるかもしれない。
不要な争いはナヴィアも望んでいない。エルフも同じ見解だったからこそ、人間を守ろうと動いたのだ。
「そうじゃな。確かにその考えが間違っておるとは言わぬ」
イブは何度も頷いて、ナヴィアのひいては圭太の考えを肯定した。
「だったらいいじゃないですか」
先ほどからイブの意図が読みきれないナヴィアは胡散臭い目で敬愛する魔王を見る。
「ではサンを片腕で逃がした理由は?」
「利用価値があると言っていたではないですか」
大陸を渡るには船が必要だ。そしてサンが融通してくれれば圭太たちを乗せるぐらいはできる。
圭太がサンを殺さなかったのは英雄のコネを頼るためだ。少なくともナヴィアはそう聞かされている。
「ワシは魔王じゃ。人間一人連れて海を渡るなぞ造作もないんじゃぞ?」
ナヴィアが知っているおとぎ話では、イブは魔族の住む今の大陸を自分で作ったとなっている。仮に話に尾びれがついていたとしても大陸を渡ったぐらいのことはしていてもおかしくない。
現にイブは船で大陸を渡った後、サンを魔王城に送り返した。
圭太と一緒に大陸を渡るぐらい造作もない。
「知らなかったのでは?」
「の割には頼ってくるのう。訓練にしろ策にしろワシがおって初めて成立するものばかりじゃ」
イブはあごをさすって不敵に微笑む。
圭太の訓練内容はいたって簡単。自分よりも強い存在に半殺しにされるだけ。実戦に近い環境で訓練するためだが、治療なしでは圭太の身がもたない。策については言わずもがなだ。
イブの強大な魔力があって初めて圭太の今が成り立つ。そもそも圭太をこの世界に呼んだのも魔王なのだ。
「そうですね。確かに魔王様の力を知らないとは考えにくいです」
ナヴィアもふむと納得して頷いた。
イブの力は隠し通せるようなものではない。聡い圭太が見抜けていないわけがなかった。
「先ほども盗みにワシの力を借りた。なのになぜ人間の女を殺すことに躊躇った。記憶魔法は使えぬが、また魔物にでも襲われたことにすればよかろう」
「魔王様だと勘付かれるのを恐れたのでは」
「ワシは死んだ扱いじゃぞ? ワシの大陸ならまだしも、勇者一味をよく思っていない人間の仕業と考えるのが筋ではないか?」
イブの言葉にナヴィアは何も言えなくなった。
魔王は死んだのだから、皆に愛される聖人を殺した犯人が魔族になる可能性は低い。
それどころか人間同士の争いに発展するだろう。ナヴィアたちに疑いが向けられる可能性は限りなく低い。
「ケータは人間を殺す。じゃが恐らく敵がたまたま人間だっただけじゃ。ワシらが人間を奴隷にしておれば、切っ先はこちらに向いておったじゃろう」
もしもの話だ。それは理解しているが、あまりの恐ろしさにナヴィアは震えた。
イブが勝利し、魔族が人間を奴隷にしていれば圭太は敵になる。
きっと人間を大陸から追い出したときとまったく同じ手はずを使うだろう。
「そんなことは――」
「ないと言い切れるか? やつは仮にも勇者じゃぞ?」
そう。結局は。
圭太は人間で勇者。イブを封印し、四天王のほとんどを倒した連中と同種なのである。
「あってほしくないです。わたくしは、ケータ様と戦いたくはない」
ナヴィアは最悪の未来を振り落としたくて、勢いよく首を振った。
刃を向けるには親しくなりすぎた。
「そうじゃな。ワシもやつに死なれるのはつまらぬ。じゃからあの物言いじゃ。目的の達成を第一に考えてもらわねばならぬ」
ナヴィアの内心をすべて見透かしているとでも言わんばかりにイブは柔らかく微笑む。
イブはナヴィアが赤ん坊の頃から知っている。親のような感情をまったく抱いていないといえば嘘になる。
「まあ、ワシも言い過ぎたとは思うておるよ。あの人間も自己犠牲までするとは思うておらんかったしな」
「あれは、策ではないのですか?」
「そんなわけないじゃろう。ワシは諦めるものじゃと思うておったわ。素性の知れぬ相手に命を捧げるなぞ正気の沙汰ではない」
イブが苦虫を噛み潰したような顔になる。
命を捧げられるのは想定外だった。だが止めようとも思わなかった。だから圭太に怒られてしまったわけだが。
「ケータ様は顔も知らない誰かのために無数の魔物を相手取りましたよ」
「……そうじゃった。あの人間も勇者の一味じゃ。ワシらの常識と違う考えでもおかしくはないか」
額に手を当ててイブは大きく項垂れる。その口元は緩く弧を描いていた。
「楽しそうですね魔王様」
「楽しい? ワシがか? くっはっはははは!」
イブが突如笑い出した。腹を抱える大爆笑っぷりだ。
「そうやもしれぬな。ワシと仲良くしたいという人間は千年間現れなんだ。それが最近になって二人じゃ。不思議の連続じゃよ」
目尻に浮かんだ涙を指で拭って、人類最大の敵は楽しそうに笑っていた。
圭太はもちろんイブを封印した勇者もまた、普通ではない思考回路を持っていた。
二人の人間はイブのこれまでを完膚なきまで破壊した。初体験の連続だ。ナヴィアの言う通り楽しんでいる。
「――ケータ様はどちらの味方になるのでしょうか」
イブの爆笑が収まるのを待って、ナヴィアは小さく呟く。
「なんじゃまだ気にしておったのか?」
「もちろんです。ケータ様はわたくしを二度も助けてくれました。絶対に戦いたくないんです」
圭太が助けてくれなければナヴィアは本当に奴隷にされていた。恩人というにはあまりにも眩しく遠い存在なのだ。
エルフを滅ぼすとでも言わない限り、ナヴィアはずっと味方でいたい。
「ふうむそうじゃな。ケータが味方するのは弱いほうじゃろうな。英雄はいつだって戦況をひっくり返す」
だから英雄と呼ばれるんじゃがなというイブの声は、どこか遠くに聞こえた。
『どこかで誰かが泣きながら助けを求めている。俺はそんな人に頼りにされたい。任せろって言葉だけで泣き止ませられるような、そんな英雄になりたいんだ』
まだ鼓膜に残っている、圭太の強さを求める理由。
「わたくしの助けてはまだ残っているのでしょうか」
ナヴィアの独り言は、空気の中に溶けていった。




