第二章十二話「弁明」
「クリスは今頃大変だろうな」
圭太は独り言とともに顎をさすりながら、白亜の建物内を歩いていた。
クリスとの待ち合わせ場所に選んだ教会。本来ならスタッフオンリーな区画に圭太は潜入している。
この町を訪ねてまだ一日経っていない。当然教会の場所も知らなかった。ただ、クリスという聖人の恩恵を受けてかこの町の教会もまた有名であり、軽く聞き込みしただけですぐに見つけられた。
人気になるのは結構だが過ぎるのも問題だ。不審者同然の圭太は一人肩をすくめた。
「さて、アダムの情報はあるかな?」
圭太がわざわざ教会内部に潜入したのは、教会にあるであろう情報を求めてだ。
教会は言うなればアダムの喉元にある機関だ。情報がないとは考えにくい。圭太は最悪聖書の一つでも持って帰ろうと企んでいる。
圭太が企みに胸を躍らせて目に付いた部屋を覗いてみる。紙の束が木の棚に積まれていた。資料室だろうか。
圭太は資料室に潜入する。紙には何か書いてあるようだが、異世界人にはまったく読めなかった。
「ねえ聞いた?」
がっくしと肩を落としていると知らない声が聞こえた。
圭太は反射的に棚に背を預け、耳を研ぎ澄ませる。
イロアスはまだ出さない。武器を持っていると見つかったときに言い訳できない。
「クリスの話でしょ? 町中で大騒ぎしているとか」
声は資料室の奥から聞こえてくる。
先ほどとは声が違う。どうやら複数人いるようだ。
声の調子からまだ見つかっていないと判断した圭太は胸をなでおろした。
「調子乗ってるよねー」
「ねー。ちょっと有名だからって」
声音が高い。女だ。数は二。多分シスターだろう。
「……驚いたな。アイツでも嫌われてるのか」
二人が話す内容はクリスに対する陰口だった。盛り上がっているようだが弱点になりそうな情報は出てこない。
圭太はゆっくりとした動作で一歩前に出た。
「待て。なんで俺はクリスの弁明に行こうとしている?」
自分の足を眺めながら圭太は首を傾げた。
今も悪意を垂れ流している声二つ。彼女たちの元に向かおうとした一歩は完全に意識の外だった。自分でもなぜ足が動いたのか分からない。
「まあいいか。損にはならない」
圭太は考え直して大きく息を吐いた。
クリスは倒すべき敵。それは間違いない。
だが、英雄と呼ばれるほどの苦難に立ち向かった彼女をバカにされるのは面白くない。
圭太はもう一度深呼吸する。
演じるのは軽薄なチャラ男。薄く軽やかにテンションを上げていけ。
「ハロー美人さんたち!」
イブあたりが見たらドン引きしそうなテンションと笑顔を携えて、圭太は物陰から飛び出した。
「なっ何?」
「どうしてここに人が? 禁止区域なのに」
「細かいことは気にしなーい。今は出会えた運命に感謝するべーき」
予想通り陰口叩きはシスター二人が行なっていたようだ。
人のいい笑顔を浮かべた圭太はクルクルと踊るように二人に近付き、一人の手首を華麗に手に取る。
「ね? そうでしょ?」
同時に圭太は片膝をつき、テレビでしか見たことないような仕草でシスターの手の甲に口付けした。
「ヒッ……!」
シスターは顔を青くして圭太を振り払う。
シスターの動きに合わせて立ち上がった圭太はわずかに顔をしかめた。
「おっと危ないなー。乱暴は主義に反するんだけどー?」
「だ、誰かングッ」
「もう一度言うよ? 大人しくしてろ」
利口なシスターが叫ぼうとしたので口を押さえ、ニコニコとした表情を一転させ、圭太は低い声で睨みつける。
シスター二人は顔が真っ青になっていた。
「たっ助けて」
二人とも体が震えて声も上ずっている。
圭太の狙い通りであった。これ以上余計に騒がれることもないだろう。
「おぉーっと怯えないで。俺はただ話をしたいだけなんだ」
圭太はわざとらしい笑みを浮かべ一歩下がって両手を広げる。
圭太がわずかながら距離を取ったことで二人は安堵の息を漏らした。
「二人に聞きたいのは体の相性についてなんだけど」
圭太が手をワキワキして微笑むと、二人の顔が再び凍りついた。
シスターだから穢れていないはずだ。それが名も知らぬ不審者に奪われるのだからショックを受けないわけがない。
「それ以上に気になるのは英雄様についてかなー?」
シスターたちの感情は圭太の思いのままになった。
胡散臭い笑みを浮かべて首を傾げる圭太に、二人の表情はまた変化した。
「英雄? クリスのこと?」
「じゃあ私たちはクリスのせいで」
「あー、あー。勘違いしないで。俺は英雄様がスキスキダイスキってわけじゃないから。むしろ逆だから」
ここにはいないクリスに意識を向け始めたシスターたち。圭太は関心を取り戻すために片手を顔の前で左右に揺らした。
「そのクリスってやつの話を聞かせてよ。そしたら今日は何もせずに帰るからさ」
シスターの目に光が宿った。
素性の知れない不審者は話をしたら帰ってくれるという。一刻も早く逃げ出したい彼女たちからすれば希望の種だろう。
「彼女の弱点。何か知らないかなー?」
勇者と旅をして魔王を倒した聖人。
圭太が求めた情報は一見すると無理難題だった。
「弱点? そんなの」
「イロアス」
「分かった。言う。言うから!」
圭太がイロアスを腕輪から斧槍へと変えると、今度は別の意味でシスターたちは焦った様子を見せた。
「でもクリスの弱点なんて」
「あるでしょ。ほらあの噂」
「噂? 何それ知らない。俺にも教えて?」
弱点になり得る情報なら何でも欲しい。たとえ眉唾物の噂であってもだ。
火のないところに煙はたたない。
「あの女は禁忌魔法に手を出したのよ」
「そうそう。神に仕える身で、死者を蘇らせようとしたんだって」
思った以上に弱点になり得そうな情報に、圭太の演技は一瞬崩れた。
「死者蘇生の魔法か。そんなのできるの?」
「知らないわよ。そんなの」
釣れない反応をされたので無言でイロアスの刃を首元に突きつける。
赤い雫がイロアスを伝った。
「小さな教会の司教とか勇者とかいろいろな噂があるの!」
シスターの顔が真っ青になり、焦った様子も色濃くなる。
嘘を吐いているようには見えない。
「ホント? 隠してるんじゃないの?」
「ホントだって! 嘘じゃない!」
念のためしつこく聞いてみるが、首が取れんばかりに左右に振られた。目尻に涙が浮かんでいるように見えるのは気のせいではないだろう。
「へぇー。でも禁忌魔法って何かを失うんじゃないの? 代償としてさ」
「代償? ははっそれなら知ってるわ!」
「そうね。あの女には必要ないんでしょうけど」
シスター二人は顔を綻ばせている。
今度は答えられるからだろう。楽しそうなのはいいことだ。一番聞きたい部分が期待外れならどうなるか理解しているのだろうか。
「あの女は未来を差し出した」
イロアスを持つ手に力が入った。
「女としての幸福を、子供を産むという可能性をクリスは捨てたのよ!」
話の内容から察するに子宮関係の機能を生贄にしたのだろう。
男である圭太にはよく分からないが、前の世界で見たネットニュースでは子供を身籠もらず苦悩する女性は多いらしい。
「……そっか。聖女だもんな。穢れの必要はないってか」
クリスは自ら子育てし、平和な家庭という未来を捨てた。
彼女にとって、それはどれだけ辛いものだったのだろうか。自殺未遂者である圭太には共感すらできなかった。
「二人ともありがとう! じゃあ俺からお礼なんだけど」
圭太はイロアスを見せびらかすようにして上段に構える。
代償はたしかに大きいが、使い勝手がいいかと言われると首を横に振らざるを得ない。
それは弱点とは呼べない。
「嫌っ! 話はしたじゃない」
「解放するって話でしょ!?」
シスター二人がやかましいぐらいに騒いでいる。
騒がれると厄介ではあるが、もう止めるつもりもない。なぜならもうすぐこの叫び声はなくなるからだ。
「君たちも神に仕えるんだから聞いたことない?」
圭太がイロアスを振り回す。
シスターの軽い体はあっさりと両断された。
「この現世こそ地獄なのだと」
「ケータ。あなたのせいで大変だったの」
教会内の一般開放されている区画にて、クリスは頰をふくらまれていた。
町人たちが先ほどからクリスに話したそうにチラチラと見てくる。町中を歩いているときと違って話しかけてこないのは、仕事中だと思われているからだろう。
代わりとばかりに恨ましげな視線をぶつけられている圭太はかなり鬱陶しい思いをしていた。
「悪いな。有名人と一緒に歩くってのはどうにも慣れなくて」
嘘ではない。前世では有名人はテレビの中だけの存在だったのだ。仲良く散歩できるほど圭太の神経は太くない。
かの大陸で知らぬ者なしの有名人と旅をしているのはこの際置いておく。
「困った人なの。あれ? なんだか変なにおいが」
すんすんと鼻を動かして、クリスは顔をしかめる。
「ああ。多分焼却炉で変なものでも焼いているんだろう」
「またなの? ちゃんとごみの分別はしてほしいの」
どうやらこの世界でも燃えるゴミ燃えないゴミはあるようだ。そして教会といえどゴミの分別問題はあるらしい。
「そうだな。ごみはちゃんと捨てないといけないな」
英雄の陰口を叩くようなゴミだ。燃やしてやるだけ良い扱いだろう。
「ところで準備はできたのか?」
圭太は露骨に話を逸らした。
今はまだ激昂したクリスと戦うべきではない。
「うん! バッチリなの」
クリスは自信満々に胸をはる。十字架のペンダントが揺れた。
「それじゃあ戻ろう。間違っても、イブにこれ以上の苦痛を与えるなよ」
これ以上好奇の視線に晒されるつもりもなかったので、圭太は速やかに宿に帰ろうとする。
しっかり釘を刺すことも忘れない。
クリスの癒しはアダムが与えている。敵対しているイブにどのような影響が出るかは予想できない。
「分かってるの。今度こそ必ず治してみせるの。私の名にかけて」
勇者パーティの回復役は、とても頼もしく断言した。




