第二章十話「連れ帰った」
宿まで急いで帰ってきた圭太一行。
クリスの護衛らしき人間と出会うことはなかった。イブとナヴィアが全力で探知していたから、別の路地を通れたのだ。ホント魔族とは便利なものである。
「さて」
宿に戻り、背中に背負っていた荷物をベッドに下ろす圭太。うっすらと汗ばんでいる背中をイブはとても冷ややかに睨んでいた。
「なぜ連れ帰ったのじゃ」
「はいすみません」
圭太は神速で頭を下げた。
「すぅーっすぅーっ」
ベッドに下ろした荷物は胸を上下させて寝息をたてる、水色の髪に漆黒の修道服を着ている女性。
言うまでもないかもしれないが彼女の名前はクリス。勇者一味にして町一番の有名人だ。
分かっている。やってしまったと反省もしている。
でも一つだけ言い訳させてほしい。意識のない女の子を路地に放置するのはさすがにないだろ。
「どうするのですか? これ」
ひたすら頭を下げる圭太と冷たい視線で貫いているイブの代わりに、ナヴィアはこれからの動きを考える。
「とりあえず勇者の一味じゃし、倒せばよいのではないか?」
イブは軽い調子でとても物騒な解決策を提示した。
「無理だろ。こいつも英雄視されている。いきなり殺せば大問題だ」
今なら圭太でも余裕で暗殺できるだろう。だが、英雄が誰かに暗殺されたとあっては大問題だ。
「そうですね。いくら記憶の操作ができるといっても、町全体が突然英雄を知らないものとするのは無理があります」
「同時に多数の記憶は変えられぬしの」
「じゃあどうすんだよ」
絶好のチャンスなのに暗殺はできない。暗殺したとしても記憶操作して隠蔽もできない。
少々投げやり気味に圭太は二人にたずねた。
「それをワシらが聞いておるんじゃろうがたわけ」
「すみませんでした」
ごもっともな意見に圭太は再び頭を下げた。
「ケータ様を責めるのは後にしましょう。今はこの人間をどうするかです」
ナヴィアがイブの絶対零度を止めてくれた。
天使のように見えたが、ナヴィアがただ事態の解決を求めているのは知っていたので圭太はちょっと悲しい気持ちになる。いくらなんでも淡白すぎやしないだろうか。
「返すべきじゃ」
「わたくしも同意です」
イブが発言してナヴィアが頷く。
確かに早期解決をするなら一番早い解決法だ。女の子を路地に放置するという、良心が痛む代償ぐらいしかデメリットがない。
「ダメだ。それは得策とは言えない」
圭太は首を左右に振って、二人の意見に反対した。
「なぜです?」
「俺たちは既に顔を見られた。しかも斬りかかったせいで印象にも残っている。探されると後が面倒だ」
元の位置にクリスを戻せばとりあえずひと段落はする。
しかし、圭太たちの印象はクリスに色濃く刻まれているだろう。興味を持たれ、町の人間総動員で探されては安心して寝られない。少なくとも彼女のカリスマは町一つ簡単に動かせるはずだ。
「ほぼケータ様のせいですね」
「じゃな」
「うるさいぞ二人とも」
悪かったよ軽率に攻撃して。悪かったよ軽率に運び込んで。反省してるから冷たく睨むのはやめてくれ。
「ん、んんっ」
「げっ起きやがった」
ベッドに置きっ放しだった荷物ことクリスの瞼が震え、圭太は反射的に飛び退いた。
「ふわぁ……あれ? 寝ちゃってたの?」
上体を起こしたクリスはあくびを噛み殺し、両手を上げて伸びをする。
ぼーっとした目で辺りを見渡し、記憶の整理がついたのか小さく首を傾げた。
「起きましたね」
ナヴィアが呟き、警戒態勢に移る。彼女の武器である弓こそ取り出さなかったが、いつでもクリスの動きに反応できるよう素手で構えた。
「……ケータよさすがに情けないのじゃ」
イブの呆れたような声にナヴィアとクリスの視線が集中する。
二人が視界に捉えたのは車イスの後ろに隠れるこの場で唯一の男の姿だった。
「はっ反射的に隠れただけだ」
全員の呆れたような視線に圭太はムキになって言い返した。
今日は当たりが強い気がする。
「君、ケガしてるの?」
「む?」
圭太を無視して、クリスがイブに駆け寄った。
そしてなんの遠慮もなしに白く透き通った肌のおみ足を鷲掴みにする。
「これ、触るでない!」
イブがクリスをひっぺがそうと体をよじらせる。しかし、まったく動かないイブの両足ではクリスを引き剥がせない。
「ピクリとも動かない。刺激しても反応なし。動かせないだけじゃなく感覚もないの?」
彫刻のような綺麗な足を掴んだりペチペチ叩いたりしながらクリスは独り言を漏らす。
「いい加減にせぬか」
言葉を無視され、興味本位で自分の足を好き勝手に触られて、とうとう魔王の堪忍袋の緒が切れた。
イブは右手をクリスの頭に向ける。そして一瞬で可視化する密度の魔力を、乱暴に放出した。
「主よ。我を守りたまえ」
「何っ!?」
クリスはイブの手を一瞥し、素早く言葉を紡ぐ。たったそれだけでクリスの頭を守るように光の障壁が現れ、イブの魔法を受け止めた。
「……嘘だろ。仮にもイブの魔法だぞ。それを防ぐなんて」
「わたくしも初めて見ました」
イブの魔法を正面から受け止めて無事だったのはクリスが初めてだ。いくらとっさの魔法で威力がなかったとしても、簡単に止められるような代物ではない。
これが、魔王を倒したパーティの一人か。
圭太の喉がゴクリと鳴った。
「恥ずかしがらなくていいの。君たちはこの傷を治したくて訪ねてきたの?」
「あ、ああ。だったらなんだ?」
魔王の一撃を照れ隠し扱いするクリスに、圭太は言葉を詰まらせながら同意した。
治るに越したことはない。クリスへに会おうとした目的はそれだけではないが。
「ケータ様」
「俺に任せろ。話に乗っておいたほうがいいだろ」
ナヴィアが裾をつまんできたので、圭太も小声で対応する。
交渉ごとは脳筋魔王や狩人エルフには任せられない。
「私に任せてほしいの。主よ。彼の者に癒しを」
クリスが両手を胸の位置で組む。祈る女神的な題名で絵画になっていそうな、とても幻想的な光景だ。
クリスが祈り始めると、イブの足を光が包み込んだ。
「ガッアアア!?」
光に包まれたイブが、今まで聞いたことのない悲鳴をあげる。
「大丈夫なの。安心して身をゆだねてほしいの」
「あああああ!?」
「待てそこまでだ英雄」
イブが悶え苦しもうが関係なく祈りを続けるクリス。
圭太は自分勝手なシスターの祈りを、クリスの手を掴むことで強制的に終わらせた。
「放してほしいの。彼女を助けられないの」
クリスは目だけで人を殺しそうな眼光で圭太を睨む。
「助けられていないだろうが。それに苦痛に叫んでいる彼女を放ってはおけない」
正面から睨み返して、圭太は掴んでいる手に力を加えた。
ミシミシと嫌な音が聞こえてくる。
「はぁっ、はぁ」
「大丈夫ですか? お水です」
「はぁっ、助かる、のじゃ」
憔悴しきった様子のイブは、ナヴィアに差し出された水を一気飲みした後もぐったりと車イスに全体重を預けている。
圭太が止めなければどうなっていたのだろうか。
「君たちは何者なの? 主の癒しを拒むなんてよっぽどなの」
圭太の手を振り払って、クリスは怪訝にイブと圭太の顔を交互に見る。
「俺たちは――」
「禁忌じゃよ。ワシの両足は禁忌魔法の代償として支払った。じゃから完治することはない」
どこまで話すべきか悩む圭太の代わりにイブが簡潔に説明する。
間違ってはいない。いないがその説明では色々と足りないのではないだろうか。
「禁忌魔法……!? なんでそんなものを使ったの」
「語る理由はない」
クリスが予想通りの問いかけをするが、イブはぴしゃりと切り捨てた。
初めから答える気はなかったらしい。
「俺たちには別の目的がある。この町に寄ったのも偶然だ。お前の力を求めてじゃない」
半分は本当だ。この町に来たのも特別な何かぎあったからではない。大きな町なら話が聞けると思ったから寄っただけだ。
聖人なら勇者について何か知っているか勇者の一味かもしれないとは期待したが、能力についてはまったく興味がなかった。
この場でイブの足が治らなかったとしても、何ら問題はない。
「そん、な……いいの分かったの。こうなったら私の意地にかけてあなたを治すの」
クリスは自分が頼られていない事実にショックを受けたのか、何度もまばたきをする。
そして平静を取り戻した彼女の表情は、とても頼りになるものだった。
「話を聞いてましたか? 奥方様の足はもう二度と」
「私は不可能って言葉が大嫌いなの。やってみなければ分からないしできないのはその人が未熟だからなの」
ナヴィアが困ったように説明を繰り返そうとする。しかしクリスは首を勢いよく振った。こちら側の意見を聞くつもりはないらしい。
「不可能って言われてた魔王だって私たちは倒せたの。だから禁忌魔法ぐらい癒してみせるの」
「むぅ」
倒された立場のイブが小さく唸った。
「ですからね――」
「いいじゃねえか。満足させるまでやらせてみれば」
まだ説得しようとするナヴィアに、今度は圭太が言葉をかぶせた。
前世の記憶から想像できる。大きな芯を持っている人間は他者の言うことなど聞かないのだ。
そこまで考えて圭太は首をひねった。知り合いにそれほどまでに頑固な人間がいただろうか。
「ケータ? どういうつもりじゃ」
まさか圭太がクリスの味方をするとは思っていなかったのか、イブが訝しげに眉を寄せる。
「どうって別に。俺だってイブの足が治るならそれに越したことはないって思ってるだけだぜ」
「それはそうじゃが」
完全体魔王が復活すれば、どれだけ楽に作戦を組めるだろうか。
最悪町の人間全員を人質にすれば勇者だって簡単に倒せる。でもそれを実行するにはイブが自分の足で歩かなければ意味がない。車イスに座ったままでは隙になる。
「それに、当てはあるんだろう? 英雄様」
「クリスでいいの。うん。準備すれば必ず治せるはずなの」
クリスはしっかりと頷いてくれた。とても頼りになる。彼女ができるというのなら本当にできるのだろう。
「だとさ。どうするイブ。せっかくの機会だ。試してみてもいいんじゃないか?」
「ダメですよ。また苦痛が」
圭太は不敵に微笑みかけ、ナヴィアが心配そうに眉をひそめる。
ナヴィアの言う通り、先ほどと同じかそれ以上の苦痛を受ける可能性は否定できない。
「いいじゃろう。主にも考えがあるんじゃろうからな」
「魔王様!?」
イブはやれやれと肩をすくめ、ナヴィアが悲鳴に近い声で名前を呼ぶ。
「サンキューイブ。ごめんな。辛い役を与えて」
圭太は両手を合わせ、我慢を選んでくれたイブに感謝した。




