第二章六話「昔話」
「もうよいのか?」
借りた部屋に戻ってきた圭太とナヴィアを、車イスの少女が出迎えてくれた。
村としては比較的大きめな村には一丁前に宿屋があった。ベッド一つ置いただけでギッチギチの印象を与える狭さには目を瞑っておこう。
光を入れるための窓は今、夕日を取り込んでいる。暖かな橙色を反射している銀髪と焼けるような紅色の瞳に、圭太の目は吸い込まれてしまう。
「ああ、宗教になっているってのはよく分かったよ」
「崇拝されておるんじゃろ? 知っとるよ」
うんざりと圭太が答えると、イブは初めから分かっていたのか顔を逸らした。
「なんで知ってるんだ? お前は千年前から人間とほとんどかかわっていないはずだろ?」
夕日をバックにしたイブに見惚れていたと気付いた圭太は、顔が熱くなるのを感じた。
夕暮れ時でよかった。でなければ顔が赤いのをからかわれていただろう。
「何が言いたい?」
「アダムについて知っていることを話せ」
まどろっこしく話をするのも面倒だったし本音が隠せるとも思えなかったので、圭太は単刀直入に告げた。
「無理に聞くつもりはないと言っておったではないか」
イブの目は冷ややかだ。確かに圭太は不機嫌なイブに話をする必要はないと言った。
「ああそうだ。だから事細かく話を聞くつもりはない」
「矛盾しておるぞ」
イブの目がさらに冷たくなった。
「分かってる。だけど聞きたいんだ。俺やナヴィアが知らない昔話を」
矛盾していると自覚している圭太はすぐに頷いた。
圭太は情報を重視している。
本人が話したくないからと情報を専有されても困るのだ。
「嫌じゃと言ったら?」
「こっちも情報を出さない。それならどうだ?」
圭太はニヤリと不敵に笑った。
「情報? この村で何かあるとは思えぬが」
「超重要な情報を持ってるぜ。イブが黙ってる限り内緒だけどな」
本当はさほど重要でもない。聖人が勇者の一味であるという保証はないのだから、大きな町に行くメリットはない。
まあ大きなベッドで寝られるのは朗報かもしれないが。
「……ふむ。まあよいじゃろう。隠すほどのものでもない。小娘も知っておるじゃろうしな」
「わたくしが、ですか?」
突然話を振られたナヴィアが目を丸くした。
「おとぎ話じゃよ。四天王の一人にワシを崇拝している者がおっての。やめろと言うたのに話を広めたのじゃ」
話を聞いていただけの圭太は、表情を曇らせる。
魔王の四天王を圭太は一人しか知らない。それ以外の三人は、シャルロットとサンの会話から察するにもうこの世にはいないのだ。
「ワシは千年前、人間と戦争を起こした」
イブは圭太の表情の変化に気付かず話を始めた。
「もちろんワシは魔族の中心じゃった。そして人間側にも中心になる存在がおった」
容易に想像がつく。
イブは魔王。シャルロットを含めた魔族を束ねた唯一の存在だ。
人間にもイブと似たような立場がいたとしても不思議ではない。魔王を封印した勇者も同じようなものだろう。
「それが、アダムじゃ」
中心人物の名は、ここ最近でよく聞くものだった。
「待てよ。アダムって神だろ? まるで生きていたみたいじゃないか」
圭太はイブの説明を中断させた。
アダムは宗教で崇められている神の一柱だ。元は人間の可能性もあるが、神化するような奴が戦争に関与しているとは考えにくい。
「生きておるよ。元は人間じゃったからな」
イブは首を横に振った。
どうやらアダムは戦いの神らしい。人間の敵という立場からは、厄介な宗教としか言いようがない。
「アダムは人間じゃった。さらに言えばワシの仲間じゃった」
「魔王様の仲間だったのですか!?」
今度はナヴィアがイブの話を遮った。
「知らなかったのか? おとぎ話はどうなっておる」
ナヴィアからの疑問は予想外だったのか、イブは片眉をわずかにあげる。
「魔王様は魔族を守るために人間と戦い、勝利した後新たに大陸を作った、と」
「それだけか?」
「はい。それだけです」
「スカルドめ。もう少しワシの偉大さを話してもよいものを」
一度頷いたナヴィアにイブは途端に不機嫌になり、この場にはいないエルフの名を出して唇を突き出した。
そういえばスカルドも千年以上生きているのだったか。神の軍勢に立ち向かった英雄たちが残っているのだから、そりゃあ人間が魔族に勝てないわけである。
「まあよい。軽い昔話を始めよう」
少なくとも千年前は軽い昔ではないという言葉を、話の流れを壊したくない圭太は飲み込んだ。
「ワシとアダム、そして様々な動物は同時に生まれた。今も生きておる生物もおるが、ほとんどは死んだ。なぜじゃか分かるか?」
「アダムがやったのか?」
「そうじゃ。ワシらは楽園に住んでおったが禁忌に触れ、楽園を追放されてしもうた」
圭太の答えにイブは一度頷いた。
元の世界の聖書と同じ展開である。詳細は異なるのだろうが、多分ほとんど圭太のイメージと同じだろう。
「そのとき既にワシらは子をなし次なる命を育んでおった。今の魔族や人間も、元を辿れば親は同じじゃ」
「それはまた、聖書もびっくりの展開だな」
圭太は思わず呟いた。
エルフも人間も魔族も元は同じ親という壮大なスケールの話は簡単には信じられない。圭太の知る聖書でもそこまでスケールは大きくなかったはずだ。
「聖書というものが分からぬが、話を進めるぞ」
詳しく説明もできないので、イブに話を流された圭太は安堵した。
「アダムは中心人物じゃった。ワシを含めた皆が信頼し、尊敬しておった」
イブは目を細め、大昔の記憶を懐かしんでいるようだった。
イブとアダムの道は決定的なまでに違えた。過去は過去であり、二度と取り戻せない。
「だったらなぜアダムと魔王様が敵対するのですか?」
ナヴィアが首を傾げていきなり本題へと切り込んだ。
ナヴィアお前……いいだろゆっくりでも。
圭太はとても残念な気持ちになった。ナヴィアが圭太の表情に気付いている様子はない、
「楽園を追放されて、ワシらはゼロから生活を始めたからじゃ」
なんとなく、圭太は何があったのか察した。
「とても辛かったよ。食べ物もなく、食べ物を用意する術もなかった。子供も多かったからの。食わせるのも難しかった」
楽園から突然追い出されたのだ。その苦労はかなりのものだっただろう。
多分だが、楽園はとても美味な果実とかあったのではないだろうか。自然に生えているすべてが食べられて、すべてが美味しく、働く必要もなかったのではないだろうか。知識も知恵も必要なく、ただただ楽しく生活できていたのではないだろうか。
例えるなら、突然家から追い出されたニート。
イブたちを襲ったのは、一人だとなんとかなるが集団だと致命的な問題だったのだろう。
「ある日アダムが決断したのじゃ。このままでは全滅する。だから世話をする種族を限定しようとな」
「妥当な判断だ。全員が助けられないのなら、早めに切り捨てたほうがいい」
「そうじゃな。合理的かつ無機質な判断じゃ。もちろんアダム以外は反対したよ。ワシを含めてな」
アダムの考えに同意した圭太をイブはとても鋭く睨んだ。
圭太がもしその場に居合わせたなら、同じように取捨選択をしただろう。
食い扶持を確保する確実な方法は、食い扶持を減らすことだから。
「それが、千年前の話じゃ」
簡単に言うが、その時間の重みは半端ではない。
イブはアダムと戦い、魔族を守り、新たな大陸を作り出した。
アダムが神だというのなら、千年以上も戦い続けたイブも神の一柱だ。
「半数以上の仲間を失い、ワシらはとある秘策を思いついた。アダムを神に押し上げることでこの世に干渉できぬようにしたのじゃ」
アダムが神だと崇められているのは人間のせいではなく人間の敵対者によるものらしい。人類の敵が作ったものに拝んでいるのだから皮肉だ。
「じゃあアダムは……」
「今も生きておるよ。人間がおる限りあやつは死なぬ」
顔を青くしているナヴィアに、イブは即答した。
神だから寿命の概念がない。もしくはイブと同じく不老不死なのか。
「神が魔王の敵対者か。勇者を呼んだのもそいつだろうな。そうか、殺せない相手かなるほどな」
どちらにせよ今も生きているのなら圭太の敵だ。
圭太はあごをさすって自分の世界に没頭する。
「ケータ?」
「イブ。教えてくれてありがとう。そしてふざけんな。何が関係ないだ、元凶じゃねえか」
イブは勇者を倒す上でアダムは関係ないと言っていた。だが、勇者に手を貸しているのは間違いなくアダムだろう。圭太と同じ召喚された勇者だとしたら召喚主だろう。
「ケータ様、そこまで言わなくても」
「だから俺が倒すよ。その神気取りを」
圭太ははっきりと胸を張り、断言した。
「……なんじゃと?」
「勇者を倒す上で絶対邪魔になるからな。どうにかしないといけない」
勇者を倒し、魔族に平穏をもたらすにはアダムの存在は邪魔でしかない。勇者をまた召喚されてしまってはいたちごっこになってしまう。
「とりあえず、聖人が生まれたらしい町が近くにあるからそこ行こうぜ。アダムの顔に泥塗ってやるんだ」
そう言って圭太はベッドに飛び込んだ。
今は夕方。もうすぐ日が落ちるのだから、ゆっくりベッドで羽を伸ばすべきだ。旅立ちは明朝早くでいい。
「くっふっははは! 主よ、何を言うておるか分かっておるのか!」
「当然。神殺しとか箔がつくだろ?」
車イスの肘掛けを何度も叩いてイブは大爆笑している。笑いすぎたからか目にはうっすら涙が浮かんでいた。
「主は本当に、面白いやつじゃ」
目元を拭いながらの言葉に、圭太もナヴィアも返事しなかった。




