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第二章五話「回復魔法」

「アダム様? どうして急にそんなことを?」


 男性は本気で分からないとばかりに首を傾けた。

 圭太一行は村へ到着した。今まで立ち寄った中でも一番大きな村だ。農作物以外にも収入があるらしい。男性の服装もどこか上等なもののようだ。

 村に着いた圭太はさっそくアダムという存在について調べることにした。一人で行動しているのはそのほうが何かと都合がいいからだ。


「巡礼をしようと思い立ったはよいのですが、旅をしていたせいでその手の知識が皆無でして。どこが一番近いのか教えていただきたいのです」


 いくらなんでも人間がアダムを知らないのは無理がある。宗教を信仰しているかしていないかはともかく、圭太が元いた世界でも三大宗教が崇める神の名前は知れ渡っていたからだ。

 一般常識レベルでアダムが浸透している場合、警戒させてしまうのは避けられない。巡礼の場所を探していると言ったほうがまだマシだと圭太は考えていた。


「なるほどそうですか。大変なことがあったのですね」


 男性は憐れみの目を向けてきた。


「……どうして分かるのですか?」


 大変なことは確かにあったが、見ず知らずの人間に憐れんでもらう理由はない。

 圭太はとりあえず話に乗っかってみたが、頭の中では疑問符を浮かべていた。


「分かりますよ。巡礼を始める人間は心に傷を負った方ばかりですから」


 どこの世界も宗教の役割は変わらないらしい。


「そうなのですか。やはり許しを求めて?」


 教会に行って懺悔する。神に包み隠さず告白し、罪を許してもらう目的だ。

 圭太の知る教会の役目はそれぐらいだ。宗教の役割が同じなのだから、仕事も同じはずである。


「それもありますが、癒しを求める場合もあります」


 男性は首を横に振りながら人差し指を立てた。


「癒し、ですか?」

「ご存じないのですか?」

「恥ずかしながら。常識知らずで申し訳ない」


 男性の訝しげな視線を圭太は頭を下げて回避する。

 常識を知ってるわけがない。この世界の人間ではないのだから。とはさすがに言えなかった。


「アダム様の信徒は回復魔法が使えるのですよ」


 なるほど。ファンタジーでよくある、シスターのみが使えるリジェネ魔法的なアレか。イメージしやすい。


「回復魔法、ですか? 治癒魔法とは違うのですか?」


 ナヴィアが使えるのは治癒魔法だったはずだ。イブはどちらか忘れたが、ナヴィアに近い種類の魔法だったと思う。

 名前だけが違うのか、効能が違うのか。どちらにせよ好奇心を刺激される。


「治癒魔法は忌まわしき魔族のものです。どこでそれを?」


 どうやら使用条件に差があるタイプだったようだ。

 訝しげに眉を寄せ、警戒心を露わにしている男性に圭太は後悔した。

 どこも何も、魔王やエルフと一緒に旅してますとも。知らないわけがないですとも。


「そうなんですか知らなかったです。遭遇した魔族が使っていたから、てっきりそれしかないのかと」


 本心で話できればどれだけ楽だっただろうか。仕方がないので圭太は嘘ではない偽りの話をする。

 シャルロットと鍛錬という名目で何度も戦った。それは間違いない。鋭き剣士はまったく魔法を使わないし治癒魔法なんて使えないが、それはそれである。


「魔族と戦ったのですか!?」

「えっ、まあ」


 男性が思いのほか食いついてきたので、圭太はちょっと引いた。


「お若いのに強いのですね」

「死にかけましたけどね」


 シャルロットは遠慮がなかったもので。イブがいなければとっくに殺されていた。


「それでもです。あなたがいれば変わったかもしれませんね」

「何の話です?」

「魔王を倒して平穏を取り戻した新大陸の町が、魔族によって壊滅したそうです」


 ここだけの話ですと声を潜めて、男性はとてもよく知っていることを教えてくれた。


「さすがに話が回ってるか」


 当事者どころか壊滅させた主犯である圭太は、男性から顔を逸らして呟いた。

 圭太の顔も知られる可能性がある。あまり顔を売りたくない立場なので、少し困ってしまう。


「どうなさいました?」

「いえ何も。忌まわしい事件ですね」


 圭太は苦虫を噛み潰したような顔を作った。戦闘能力だけでなく演技する能力も上達している気がする。


「まったくです。そもそも勇者の盾一人に任せるのが間違っていたのです。だから滅びた」


 男性は眉を吊り上げ、不満を露わにする。


「噂で聞きましたが勇者の盾以外に兵士はいなかったとか」

「そのようです。勇者様の仲間だからと過度に期待しなければ」


 期待しなければ、圭太は勝利を掴めなかった。

 だが期待していたからこそ、人間は魔族の奴隷をたくさん仕入れられたのだ。イブが封印されてから一年が経過した。その間に売られた奴隷の数は決して少なくない。


「勇者の盾も英雄でしょう? なぜそこまで言うのですか」


 確かにサンは敗北したが、いくらなんでも言い過ぎではないだろうか。

 人間に焦点を合わせれば少なくない利益をもたらしたはずだ。忌むべきものと断ずるには短絡すぎる。


「英雄? 魔族ごときに負けるような方は英雄と呼べませんよ」


 男性は鼻を鳴らし、嘲笑を浮かべて言い切った。

 表情に嘘はない。演技をしている様子もない。この男性は本気で、たったひとつのミスを犯したサンを英雄ではないと断言した。

 見ているだけで胸糞悪い。


「なるほど。ところでこれから用事はあるのですか?」


 気付いたら圭太の口から勝手に言葉が出てきていた。とても人懐っこい笑みを浮かべていた。


「いえ。ありませんが」

「そうですか。ちょっと道案内を頼んでもよろしいかな?」

「ええ。大丈夫ですよ」


 男性が笑顔で頷く。

 圭太はとても嬉しくなった。


「そうですか。ありがとうございます」


 短絡的な人間を一人減らせるのだから。

 車イスの旅人が村を立ち去った頃、井戸の中から袈裟斬りされた男の死体が見つかるのだが、それはまた別の話。




「ナヴィア」

「はいここに」


 圭太が一人虚空に呟くと、跪いた態勢でナヴィアが現れた。


「おぉーっ、とても気持ちいいなこれ」


 先ほどゴミ掃除をしてテンションの下がっていた圭太だが、憧れのシチュエーションができて少し声が弾む。


「ケータ様の言うことはたまに理解できません」

「あぁー悪い。どうしてもやりたかったんだ」


 呆れたような顔になるナヴィアに圭太は手を合わせて謝る。

 忍者と殿様のようなやり取りに憧れない男の子はいない。巨大人型ロボットと同じぐらいロマンだ。


「それで、どうだった?」


 圭太は本題に戻すべく、わざと主語を抜いた問いかけをする。


「アダムという名前を知らない人間はいないですね。皆崇拝しているようです」

「やっぱり宗教化しているのか。他に情報は?」

「肖像画も見つけられました」


 ナヴィアは胸元から紙を取り出す。

 おい今どこから出した。もう一度ゆっくりやってくれ。船でのやり取りのせいだろうか、それとも元々の性格だろうか。どちらにせよ思春期真っ盛りには刺激が強い。


「すごいな。見せてくれるか」


 圭太は鼻の下が伸びそうになったが気合で引き締める。


「もちろんです」


 ナヴィアは紙を手渡してきた。なんだか生温い。テンションが劇的に上昇した。


「これはまた、どこかで見たような」


 丸められていた紙を広げると、前世でも見たことあるような絵が描かれていた。

 翼の生えたブロンズ髪のイケメンが天から舞い降りる絵。ご丁寧に後光が差しており、神々しさがプラスされている。どこの世界も宗教の肖像画は似たようなものになるようだ。


「彼は人間なのでしょうか? 背中から翼を生やしているなんて、魔族でもいないのに」


 ナヴィアは圭太に近付いて、顔を覗き込ませて一緒に絵を見る。

 なんだお前は童貞を殺すエルフか。勘違いさせるだけさせて最後はごめん友達だと思っていたとか言って振るタイプの性悪か。ちくしょう。分かっているのに抗えない。


「やつは正真正銘の神なんだろう。神気取りってだけかもしれないけど」


 顔がにやけていないか、もはや圭太は判別できなくなっていた。顔が引きつっている感覚はあるから、多分我慢はできているのではないだろうか。できていてほしい。


「さっきからケータ様が言っている神とは何なのでしょう?」


 一歩下がって圭太から距離を取って、ナヴィアは小さく首を傾げる。

 圭太は辛うじて平静を取り戻した。


「あれ、この世界に神はいないのか?」


 神頼みができないのは困る。トイレがない場所で腹痛に襲われたときは何に頼ればいいのか。


「わたくしは知りません。魔王様みたいなものなのでしょうか?」


 ナヴィアの頭に疑問符が浮かんでいるのを幻視した。


「そうかイブがいるから神を崇める必要がないのか。合ってるよ。神は魔族にとっての魔王みたいなものだ」


 圭太は納得して一度頷いた。

 神は存在した。これで腹痛に襲われても安心だ。


「人間にとっての魔王様がこの背中に翼の生えた人間というわけですね」

「多分これは人間が勝手に付け足したものだと思うけどな」

「翼を付け足す? 本物には存在しないのですか?」


 実在する神しか知らないナヴィアは、不思議そうな顔になる。


「これは偶像だ。威光が増すよう装飾された作り物なんだよ」


 言い方を悪くすれば、神なんてものはしょせん妄想の産物だ。ほとんどの神にモデルは存在するが、こうであってほしいという人間の妄想が混じっていない神は一人もいない。

 きっとこの世界でも同じだろう。翼が生えた人間はいない。


「そんなものを信仰して何の意味があるのでしょう」

「さあな。俺は神を信じてないから分からない」


 信仰というものを圭太は語ることができない。

 神の実在は信じていないが、それでも腹痛の際は神頼みする。圭太の信仰心はその程度なのだから、本気で信仰している人を語れないし馬鹿にもできない。


「でもそうだな。この世界なら神が実在していたとしてもおかしくないか」

「ケータ様?」


 圭太が独り言を呟くと、聞き取れなかったらしいナヴィアが困ったように聞き返してきた。

 神とは太陽であり、雷であり、天候であり、大地であり、海であった。でもこの世界は魔法があるファンタジーだ。

 神が実在していたとしても不思議ではない。


「この村に用はない。幸い近くに大きな町があるらしいから、そっちに移動しよう」


 どうやら聖人の女性が生まれて有名な町なのだそうだ。殺す直前に聞いた話だから詳しく聞いていないのだが、参考ぐらいにはなるだろう。


「分かりました。ですが、アダムについてはもうよいのですか?」


 ナヴィアが当然の問いを口にする。

 正直、情報は十分なほど集まった。圭太の邪魔になるのは回復魔法だけ。それほど気にする必要もない。


「ああ、これ以上は本人に聞いたほうが早い」


 だからここから先はただの好奇心だ。


「アダムがどこにいるのか分かったのですか?」


 ナヴィアが目を丸くして驚いた。


「違うよ。もう一人の当事者、千年を生きた魔王に話を聞くんだ」


 圭太はナヴィアに微笑んで足を動かす。

 アダムとイブは聖書にも登場した名前。偶然でなければ、何か知っているのは疑いようがなかった。

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