第二章四話「不機嫌」
イブが魔法を使ってから三十分が経過した。
「いつまで地面を見ておる!」
「いって!」
スパァンと小気味良い音が響いて、四つん這い中の尻を叩かれた圭太は跳ね起きた。
「わたくしの弓……」
「どうせワシが作り直した弓じゃ。文句言うでないわ」
圭太の尻を叩いたもの、ナヴィア愛用の弓を投げて渡し、イブはふんっと鼻を鳴らした。
「あれ? あの人間は?」
圭太は辺りを見渡す。魔物に襲われた人間がいたはずだ。名前を聞いていないし、イブとナヴィアに責められるというとてもショッキングな出来事のせいで顔も思い出せないが、確かにいたはずだ。
「とっくに帰りましたよ」
肩を落としているナヴィアが教えてくれた。
「なんだそうなのか……殺してないよな?」
「ケータよ。あまりワシを怒らせぬほうがよいぞ」
魔王の本気の眼光が圭太を貫いた。
「悪かった。軽い冗談だ」
「ふん!」
イブは大きく鼻を鳴らし、一人で車イスを操作して先に進んでいく。
圭太とナヴィアは慌てて彼女の後を追った。
「……どうしたんだイブは。えらく不機嫌じゃないか」
圭太は隣を早足で歩いているナヴィアに耳打ちする。
「分かりません。あの人間の記憶を消したようですし」
ナヴィアは不可解だと言わんばかりに眉間にしわを寄せている。
「人間の記憶を? そこまでする必要があるのか?」
「ですから分かりません。魔王様に聞いてください」
圭太が助けた人間は、確か圭太を貴族か何かと勘違いしているようだった。ナヴィアとの関係性や魔王の正体に気付いたわけではなさそうだった。
わざわざ記憶を消すようなメリットはないはずだ。
「なあイブ」
「ホントに聞くのですね」
ナヴィアの呆れたような声が聞こえたが無視した。
「なんじゃ? 小娘との内緒話はもうよいのか?」
首だけを動かしてイブは振り返る。どうやら話は聞かれていたらしい。
「大した話じゃない。それよりも大事なことがある」
「大事なこと?」
「敬愛なる魔王が不機嫌な理由だ。それを知るまでは夜も眠れない」
圭太はへらっと笑ってみせた。我ながら軽薄な笑顔だ。役者の才能があるかもしれない。
「減らず口を」
イブは不機嫌に吐き捨て、再び前を向いて進んでいく。少しペースが上がっていた。
「どうしたんだよ一体。今までそんな不機嫌にならなかったのに」
小走りでイブの隣に並んだ圭太は、競歩かというペースで足を動かす。
「ワシじゃて完全無欠ではない。怒りもすれば不機嫌なときもある」
知ってるよ。イブは子供みたいに怒りっぽいんだから。
圭太は無意識に出てこようとした言葉を咄嗟に飲み込んだ。
「嘘を吐くなよ。下手なんだから」
圭太は役者なので代わりの言葉をすぐに出した。
ホントによく回る口である。前の世界でも同じように話ができたらきっとイジメにも遭わなかっただろう。いや、それはないか。どうせ無視されるだけだ。自分で言ってて悲しくなってくる。
「なんじゃと?」
イブの手が止まり、車イスは動かなくなる。
圭太とナヴィアも同時に足を止めた。
ちょっと疲れた。息が上がる。ナヴィアは膝に手を置いていた。ずるいぞ。
「さっきの人間の言葉が気に入らなかったんだろ? 何かまでは知らないけどさ」
圭太は荒ぶる息を全力で抑え、柔らかく微笑んだ。
「違う」
「違うものか」
「……」
否定されたので即答で否定し返してやると、イブは顔を俯かせて黙り込んだ。
「イブ、お前が言いたくないのなら無理に聞くつもりはない。ただ一つ教えてほしい。アダムってのは勇者討伐に関係あるか?」
四つん這いになってショックに耐えていたが、大事そうな名前はしっかりと聞いていた。
アダム。創造神にして恐らく人間たちが崇拝している宗教の元締め。信徒は治癒魔法が使えるようになるらしい。
まず間違いなく勇者の一味の誰かが信徒だろう。サンが言っていた。圭太はシスターにも勝てないと。
「聞いておるではないか。しっかりと」
「どうなんだ?」
ジロリと睨まれたが無視して、圭太はもう一度問いかける。
イブはアダムという名を忌み嫌っているようだ。不機嫌の原因も名前を聞いたからだろう。
だが、勇者に関連するのなら圭太も遠慮してはいられない。情報は立派な武器だ。どんな小さなネタでも役に立つときがあるかもしれない。
「関係は、ない。はずじゃ」
歯切れ悪く、イブは勇者とアダムとやらの関連性を否定した。
「そうか。それならどうでもいいや」
圭太は呟いて、車イスの持ち手を掴んだ。
息は整った。そろそろ遅れを取り戻さなければ野宿になってしまう。
「よいのか? 詳しく聞かんでも」
「聞かないでくれって顔しているくせに何言ってやがる。どうせはぐらかすんだろ?」
「それは……」
圭太が軽く笑うと、イブは黙り込んだ。その通りですと態度が語っている。
「なら聞かないよ。イブにはな。気になるから個人的に調べるけど」
「わたくしも気になります」
圭太の隣に並び話を聞いていたナヴィアが、小さく手を挙げた。
「じゃあ二人で調べよう。仲間外れにされたって怒るなよ?」
前半はナヴィアに、後半はイブに向けた言葉。ナヴィアは嬉しそうに頷いていた。
「ふんっ。誰が怒るか子供じゃあるまいし」
イブは頰をふくらませているが、目元は先ほどまでの不機嫌な鋭さはなかった。
「それならいいんだ。あっついでに聞いてもいいか?」
「なんじゃまだ何かあるのか」
イブがやれやれと肩をすくめる。
「これはそれほど重要な話じゃないんだ。いや重要っちゃあ重要か。まあいいや」
「もったいぶるな」
「そうですよ。早く言ってください」
銀髪の魔王と緑髪のエルフが早くも痺れを切らす。
堪え性はないのか。あるわけがないか。二人は似た者同士。そしてイブはワガママ魔王様なのだから。
「こっちの魔物は弱すぎないか?」
圭太が気になったのは、魔物を両断したときの話だった。
いくら獲物が目の前にあるからといって、外敵の存在に気付かないものだろうか。これまで戦ってきた魔物は相手である圭太だけでなく、居合わせたシャルロットやイブ、ナヴィアをしっかりと視界に収めていた。
「わたくしも思いました。同じ魔物のはずなのに手ごたえがなさすぎます」
ナヴィアも同じことに気付いていたようだ。元々ナヴィアは旅の経験がない。大陸を渡った経験もないのだろう。圭太よりも違和感が強いのか、顔をしかめて気持ち悪そうにしていた。
「小娘はともかく、ケータには説明したはずじゃろう」
イブが一瞬だけ、ナヴィアへ馬鹿にしたような視線を送ったのを、圭太は見逃さなかった。
「魔物の強さに違いがあるって話か。確かにされたけど、あそこまで感覚が違うとは思わなかった」
ちなみに話をしたのはシャルロットだ。イブじゃない。車イスの魔王に呆れたような目を向けられる理由はない。
「ふう。まったく、不出来な生徒を持つと大変じゃな」
「うるせえよ。俺の残念な頭でも理解できるよう説明してくれ」
肩をすくめるイブに、圭太は不機嫌に睨んだ。
「魔物は魔素、大気中に漂っている魔力の元のようなものじゃ、によって生まれる」
「そうですね。だから魔物は魔力を求めて生物を襲う。魔素よりも濃い塊ですからね」
イブの説明にナヴィアも参加する。一行で一番情報を持ってない圭太は頷くばかりだ。
「うむ。ここまでは分かるか?」
「なんとなくな。イブが作った大陸は魔素が濃いから魔物も強くなるんだっけ?」
「む。誰から聞いたんじゃ? おとぎ話じゃろう」
イブの左の眉毛が二ミリほど上昇した。
「ナヴィアから」
「小娘か。ケータは別世界の人間じゃぞ。信じたらどうするんじゃ」
「わたくしも嘘だとは思ってません」
「……そうか。まあよい話を戻そう」
真剣な表情を浮かべているナヴィアに、イブは複雑そうな顔になった。
「魔素が濃いと魔物が強くなる。そして、人間はワシら魔族の大陸の魔物に苦戦する。なぜか分かるか?」
「もちろん。人間が相手する魔物は弱いんだろ?」
とても簡単な話だ。
イブは千年間魔王をしてきたのだそうだ。その間に勇者は現れなかったのだろうか。自分たちで戦おうとしなかったのだろうか。
しただろう。間違いなく人間は大勢で攻め入ったはずだ。だが、魔王に剣を突き立てた者は千年間いなかった。
つまり人間を苦戦させる要因が魔王以外にもいたということだ。四天王もだろうが、大陸を闊歩している魔物だって要因になっただろう。
「それがそのまま主らが抱いている違和感の答えじゃ。こちらの魔物はワシらが知るものと比べれば相手にもならぬ雑魚ばかり。物足りなさを感じるのも仕方ないのじゃよ」
イブの説明はとても単純なもので、とても簡潔に疑問を完結してくれた。
「俺は人間なんだけど」
圭太は不服だった。ナヴィアはエルフだ。魔物に物足りなさを感じるのも無理はない。
だが圭太は人間だ。エルフや魔王とは違い、あの大陸では生きていけない種族の一人である。
「シャルルと組み手をしたり向こうの魔物の大群と戦った経験を持つんじゃ。ケータはとっくに勇者クラスの強者じゃろうな」
「冗談だろ。シャルロットには一回も勝てなかったぞ」
何ならいつもコテンパンにやられたのだが。勇者に並ぶ実力者なんて言われても抵抗感がすごい。
「勇者一味の一人としのぎを削ったではないか。弱者には違いなぞ分からぬよ」
ほぼ一方的にやられていたのだが、一撃を防いだだけでも実力者扱いされるのかもしれない。
「マジか……あんまり嬉しくないな」
なんだか人間離れしているような気がして、圭太は肩を落とした。




