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第二章三話「同じ味」

「暇じゃあぁ。何かないのかぁ」


 イブは森の中、両手をバタつかせて退屈に喘いだ。

 森に入るときはまだ日は低い位置にあったのだが、もう真上にまで上がっていた。確か一時間で十五度太陽が動くそうだから、ざっと三時間は森の中を歩いている計算になる。


「もうちょいで村に着く。我慢してくれ」


 圭太は車イスを押しながら、暴れるイブにため息を吐く。

 干し肉を買った村の話では森を抜ければ村があるらしい。三時間も歩いているのだ。もう抜けてもいい頃だと思う。


「言われんでも分かっておるわ。ワシの魔力感知能力を舐めるでない」

「なんで俺が怒られるんだよ」


 励ましたつもりだが気に入らなかったようで首だけ動かしたイブに睨まれてしまった。納得いかない。


「ケータ様代わりますよ?」


 隣を歩くナヴィアが近付いて、下から見上げてくる。


「大丈夫だ。体力付けないと」


 突然の上目遣いに圭太は胸を押さえる。しかし首を横に振って申し出は断った。

 車イスを押すぐらいでバテてはいられない。旅をしているせいであまり特訓できてないのだから、しっかり体を動かさなければならない。


「ワシは重荷になるじゃろうからな」


 イブが唇を尖らせて呟いた。


「拗ねんなよそんなつもりじゃないって」


 圭太は苦笑いを浮かべて、彼女の肩をポンポンと叩く。女性に体重の話はするべきではなかった。


「まあ、お子様な魔王様は放っておいてですね」

「おい」

「人間の気配がします。奴隷に楽させる主人は悪目立ちしますよ」


 イブの鋭い眼光を笑顔で受け流して、車イスの取っ手を掴んでいる圭太の手にナヴィアは手を重ねた。


「なんだって? ……ホントだ走ってるのか?」


 圭太が目を閉じて意識を集中させると、かすかに葉っぱが動く音が聞こえた。

 何かが走っているようだ。人数までは分からないが、少しずつ音は遠ざかっている。


「追われとるようじゃの。魔物が二匹おるようじゃ」

「それを早く言えよ!」


 圭太はイロアスを腕輪から斧槍に姿を変えさせ、音の方向に向かって走り出す。


「ケータ様!?」

「先に行って助けてくる!」

「待ってください! なんて身のこなし……!」


 ナヴィアが呼び止めるが、既に圭太の背中は指先サイズまで小さくなっていた。


「先に行け。ワシもすぐに向かう」

「分かりました!」


 ナヴィアは頷き、急いで圭太の後を追う。圭太の姿はとっくになくなっていた。




「イタッ!」


 セレーナは木の根っこに足を引っ掛けて、盛大にヘッドスライディングした。

 こんなはずじゃなかった。森に入って野草を取り、すぐに帰るつもりだったのだ。

 なのに赤毛の髪には木の葉が付き、スネや膝は傷だらけになってしまった。ヘッドスライディングしたせいでワンピース調の服も泥まみれだ。


「あ、ああっ」


 すぐに体を起こすセレーナの顔を覗き込むようにして、魔物の一匹が先回りしていた。

 口から滝のようなヨダレを垂らしている。ヨダレが落ちた地面はジューと音がした。


「グオガアア!」


 魔物は吠えると同時にセレーナへと飛びかかる。


「ひいっ!」


 セレーナは悲鳴を漏らし、反射的に手で顔を隠して目を閉じる。魔物のヨダレは土を溶かしていた。手で守りきれるはずがない。セレーナは終わったと思った。

 ガキン!


「がきん?」


 予想とは違う音に、セレーナはゆっくりと目を開ける。

 彼女の腕は鉄ではない。金属音がするはずがないのだ。

 セレーナが目を開けると、魔物の口に斧槍を咥えさせて牙を無理やり止めている黒髪の少年の姿があった。


「血と同じ味だ。旨いだろう?」


 黒髪の少年、圭太は不敵に笑いかける。セレーナへではなく、イロアスを口に突っ込まれている魔物に対してだ。

 圭太は腰を回して、魔物を上下真っ二つに両断した。


「体が二つになるぐらいにな」


 黒い粒子へと変わっていく魔物はもう戦えないだろう。

 即死だった。あまりの弱さに物足りなさを感じる。


「助、かった?」


 セレーナは何が起こったのかまだ理解できていないようで、呆然と目を丸くしていた。


「大丈夫か?」


 圭太は理解を待つのも面倒だったので、取り敢えず手を差し出した。


「ありがとうございます……あなたは?」

「あー、えっとだな」


 当然の問いに圭太は目を泳がせた。

 この世界の人間に触れて日が浅いので、なんと答えれば不自然ではないか悩んでしまう。


「ケータ様! 大丈夫ですか」


 圭太が言い淀んでいると、ナヴィアが駆けつけた。


「ナヴィア。早かったな」


 助かった。色々困っていたんだと視線で訴えつつ、圭太は強気に胸をはった。


「ケータ様こそ! なぜわたくしより早く森を走れるのですか!」


 怒られてしまった。それも結構な勢いで。

 ナヴィアは圭太の救援要請を踏みにじり、顔を真っ赤にして怒声をあげている。まだ弓を取り出さないだけマシだと考えよう。


「えっ、まあ練習してたし」


 圭太は最近のオープンワールドゲームではすっかりお馴染みのパルクールを前の世界で練習していた。おかげで森の中を全力疾走しても全然困らない。


「練習したって、わたくしエルフなんですよ? 人間のケータ様とは年季が違うんですよ?」


 だがナヴィアは許せないようだ。エルフという森の民とも言える種族が人間ごときに追いつけなかったのは、どうやらプライドを傷つけてしまったらしい。


「まあ、それはそれってことで」

「納得できません!」


 圭太が苦笑して話を終わらせようとする。しかしプライドを傷つけられたエルフは怒鳴り、話を中断させてはくれなかった。


「――エ、エルフ?」

「あっ」


 圭太ではない声に、ナヴィアは思い出したかのような表情になった。

 そう、まだセレーナがこの場にいる。だからあまり身内話をしたくなかったのだ。


「えっ、どうして魔族が? 奴隷? ってことは、貴族様?」


 セレーナは圭太を指差し、ナヴィアの首輪を指差し、もう一度圭太を指差した。

 彼女の表情は心なしか魔物に襲われたときよりも青ざめている。


「チッ」


 圭太は舌打ちをして、イロアスをぐるりと一回転させた。


「お待ちください。どうするつもりですか」

「どうする? 決まってるだろ」


 圭太はイロアスを振りかぶり、背後へと振り向く。

 イブの話では魔物は二匹。圭太が相手したのは一匹。まだ一匹残っている。

 イロアスは確かに背後から圭太を襲おうとした魔物に命中した。一つ違うのは、既に魔物の顔面には大量の矢が刺さっている点だ。


「もう一度聞きます。どうするつもりですか?」


 ナヴィアは弓を構え、右手の指を弦から離したような姿勢で微笑んでいる。

 圭太よりも先に動いたのは、間違いなく彼女だろう。


「……いい腕だ。さすがナヴィア」

「お褒めにあずかり光栄です」


 とても嬉しそうに頷いて、ナヴィアは弓をイヤリングへと変える。

 イロアスと同じ変身機能だろう。船に乗っているときにイブが手を加えたに違いない。


「それとお前」

「ひゃい!」


 圭太の視線に反応して、セリーナは座ったまま気をつけ状態になった。


「落ち着いてくれ。俺たちはお前を殺したいわけじゃない。耳障りにならなければな」

「はいっ黙ります!」


 今度は額に手を持っていって敬礼までしてみせる。

 この世界は色々と常識が違うはずなのだが、敬礼の動作は変わらないのだろうか。


「はぁ。面倒な。やっぱりナヴィアのせいじゃないか」


 どう考えてもかしこまっているようにしか思えないセリーナに、圭太は重たいため息を吐いた。


「違いますよ。彼女はどう見てもケータ様に怯えています」

「貴族にな。お前が姿を見せなければもう少しやりようがあった」

「言いがかりです。わたくしが来なくても同じ結末になってました」


 圭太とナヴィアが睨み合う。意見は平行線、ならば決める方法は一つしかあるまい。

 ナヴィアはもう一度弓を構え、圭太もイロアスを上段に持ち直した。


「今は下らぬ話をしておる場合ではないと思うんじゃが?」


 森の奥から、この場でもっとも落ち着いた声がした。


「イブ」

「遅かったですね」


 木陰から姿を現したのは我らが魔王様だった。頭にはフードを被っており、ぱっと見ではシスターのようだ。


「足が動かぬものでな。それより、そこの人間はケガをしているようじゃぞ」


 ふんっと鼻を鳴らして、イブは不機嫌を露わにした。


「なんだって? どこだ?」

「いっいえそんな貴族様が気にするようなものでは」


 圭太がイロアスを腕輪へと戻しつつ赤毛の少女に目を向けると、庶民らしい彼女は両手を前にして全力で遠慮する。樹木に背中を預けていなければ後ずさっていたことだろう。


「足じゃ。右足の膝」

「見せてみろ」

「うぅ、はい」


 圭太をどこぞの貴族だと勘違いしているセリーナは、拒否権がないので仕方なくといった表情でスカートの裾を膝上まで上げる。


「擦り傷ですね」


 ナヴィアが跪き、セリーナの傷を確かめる。セリーナの膝からスネにかけて小さな傷がたくさんできていた。

 圭太の素人目からではどの傷も大怪我には見えない。イブやナヴィアも同じ意見のようだ。


「はい。先ほど転んだ拍子に」

「ああ、木の根っこに引っかかってたときの」

「見ていたのですか?」

「まあ、助けに来たわけだし」


 豪快なヘッドスライディングはしっかりと見えていた。魔物がいなければ手を叩いていたぐらいだ。


「うぅ、なんて醜態を」

「なんで恥ずかしがるんだ?」


 セリーナは両手で顔を隠す。髪の隙間から見える耳は真っ赤になっていた。

 別にこけただけだ。恥ずかしがるようなものではないと思う。圭太なら自分で大爆笑する。


「ケータ様。さすがにデリカシーがなさすぎます」

「えっそうなのか?」

「うむ。サイテーじゃな」

「イブまで。俺そんな変なことを言ってるのか……マジかよ」


 ナヴィアとイブに冷たく責められて、圭太はとても深く落ち込んだ。四つん這いになって項垂れる。ずーんと効果音が聞こえてきそうだ。


「さて、主人が猛省している間に話を進めておくかの。小娘」

「はい。治癒魔法ですね」


 イブの指示に従い、ナヴィアはセリーナの足に手を添える。ナヴィアの手を柔らかな光が包み、光はセリーナの足に移る。

 魔物から逃げている間にできた擦り傷が瞬く間に塞がれていった。


「すごい一瞬で……」


 セリーナはエルフの所業に感嘆の吐息を漏らした。


「どうですか? 違和感はありますか?」


 傷をすべて治したナヴィアが膝をついたまま首を傾げる。

 治癒魔法といえば、テンプレ通りならかなりの魔力を食うはずだ。だが、ナヴィアの息はまったく乱れていなかった。


「いいえありません。あなたは魔族なのにアダム様の信徒なのですね」

「わたくしはエルフです。魔族とは違います」

「そっそうなのですか? 申し訳ありません! 何も知らなくて」


 譲れないポイントを見事に刺激してしまったセリーナは、勢いよく頭を下げた。


「奴隷に頭を下げないでください。それより、アダムとは何なのでしょう?」


 ナヴィアは苦笑して、聞き慣れない名前を聞き返した。


「アダム様をご存じないのですか?」


 セリーナはとても驚いた顔になっていた。一般常識を知らないのかと表情が語っていた。


「恥ずかしながら。旦那様に買われるまで人間に出会ったことがないもので」


 その旦那様は今も四つん這いで地面とにらめっこしている。もちろんアダムなどという存在は知らない。


「アダム様は神様です。私たちを生んでくださった創造神なんです」


 胸に手を当て、とても柔らかく慈しみを持った表情でセリーナは告げる。

 嘘貴族に怯えていたなんて考えられない堂々とした姿だ。


「そう、なのですか。魔王と似たような逸話を持っているのですね」

「魔王なんかと一緒にしないでください! アダム様は偉大な神様なんですよ!」


 大陸を作ったと言われるイブも創造神に近い存在だ。そう思ってナヴィアは軽く口に出したのだが、セリーナは血相を変えて怒鳴った。

 とても崇拝しているらしい。それとも単純に人類の天敵と同視されたくないだけか。


「小娘。代われ」

「? はい」


 ナヴィアは首を傾げながら一歩下がり、自然とイブとセリーナが対面する。


「人間。二度とその忌まわしい名を口にするな」


 魔王は厳かな声で手を伸ばす。手のひらには複雑な魔法陣が浮かんでいた。

 イブの手がセリーナの額に当たる。

 セリーナの肩が大きく跳ねて、意識を失った。


「何を、したのですか魔王様」


 ナヴィアは動揺しながらセリーナの首に手を添える。脈はある。死んではいないようだ。


「簡単じゃ。記憶を消した」


 イブはとても簡単に、とても難しいことを言った。

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