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第二章二話「温室育ち」

「かわいた肉を食べるなぞ初めてじゃ」


 イブが両手で掴んだ干し肉を噛みちぎって、眉を寄せた。

 奴隷解放の大立ち回りをしてから一週間、七日が経過していた。まだこの世界のカレンダーを圭太は見たことがないため、一週間が何日で一ヶ月がどれぐらいなのかも分からない。


「俺もだよ。結構いけるよな」


 圭太も干し肉を片手で噛みちぎった。塩っ辛さが疲れた体に染み渡る。

 圭太一行が口にしている干し肉は魔王城から持ち出したものではない。

 サンを魔王城に転送した後、適当に道沿いに歩き、運良く人間の村を見つけた。情報などを集めるために立ち寄り、何人かの財布を拝借した。干し肉も正当な方法で買い込んだものである。


「どこがじゃ。硬いわ味が濃いわで最悪じゃ」

「魔王様は温室育ちですから。高価なものしか食べられないんですよ」


 イブは先ほどから干し肉を噛み切るのに苦戦していた。少女の体では食べづらいのかもしれない。

 イブの車イスを押しながら、ナヴィアは肩をすくめる。ニヤニヤと笑っていても元がいいので嫌な印象を与えない。


「ああそうか。それはそれでもったいないな」

「はいまったくです」


 文句のつけようのないいい笑顔でナヴィアは微笑んだ。


「おい小娘。誰が温室育ちじゃ。ワシほど死線の数を超えた者はおらんのじゃぞ」

「でも今一番不満を垂らしているのはほかでもない魔王様ですよね」


 不機嫌を露わにして、イブは上体を回して背後へ振り返る。

 魔王に睨まれてもエルフの少女は屈託のない笑顔を浮かべていた。どう考えても挑発である。


「ほほう? 喧嘩がしたいのならはじめからそう言えばよいではないか」


 そして残念ながら、イブには挑発を流せるこらえ性はない。

 天へと掲げられたイブの手に小さな黒い球体が出現した。


「まあまあ落ち着けよ。すぐに力任せにするのはよくない癖だぞ」


 この一週間の間に何度も見た黒い球体に、圭太は眉一つ動かさず仲裁に入る。


「じゃってこやつが」

「大人なんだから子供の戯言に怒るなよ。な?」

「う、むむぅ」


 イブは唸り声をあげて、仕方なさそうに黒い球体を消した。


「ケータ様。それだとわたくしの立場がなくなるのですが」

「すまんナヴィア許してくれ」

「いいですよ。わたくしは魔王様より大人なんですから」


 ナヴィアはわたくしできる奴隷ですからとでも言わんばかりに微笑んでいる。


「なんじゃとぉ」


 挑発に弱いイブが簡単に顔を真っ赤にする。


「あのなナヴィア。イブが怒るときのほとんどはお前のせいなんだからな?」


 圭太は半眼になり、ナヴィアに冷たい視線を送った。

 少なくともナヴィアがイブより大人な対応ができるとは思えない。

 圭太は二人を似た者同士だと思っている。争いは同レベルでしか起こらないのだから。


「さて、それでこれからなんだけど。情報が足りない現状を二人はどう考える?」


 話を続けてもメリットはないと思ったので、圭太はこちらの大陸に来てから何度目かの会議を開催する。

 圭太たちの目的は勇者一味をすべて叩き潰すこと。サンの話から勇者を含め三人いるのは予想されるが、それぞれの所在を含めた肝心な情報は掴めないでいた。

 ちなみにサンを尋問するという選択肢はない。

 サンなら確かに三人の動向を知っている可能性が高い。しかし、情報すら自分で集められないのに勇者に勝てるわけがない。

 何よりサンが嘲笑うだろう。意気揚々と吠えたのにその程度か、と。ただでさえ腹立たしいイケメンなのにバカにされたら頭の血管が切れてしまう。


「どうもこうもないのではないか? 今までたずねたのは小さな村ばかりじゃったし」

「大きな町に行くってことですか。それしかないですね」


 イブがそれ以外あるかと首を傾げ、ナヴィアも同意して大きく頷いた。

 圭太たちが立ち寄った村は二つ。得られたものは薄汚れた銀貨や銅貨、大量の干し肉だけだ。圭太のもっとも欲しい情報は得られなかった。


「いや待て。それは確かに有効的だと思うが、それ以外にもあるだろ」


 圭太は一人だけ首を横に振った。原因の根本的解決には至っていないと感じたからだ。


「そうですか?」

「身に覚えがないのう」

「お前ら……脳筋もたいがいにしろよ」


 イブもナヴィアも首を傾げており、圭太の言葉にピンときていないようだ。


「まずナヴィア! お前、奴隷のフリをやめろ」


 圭太がナヴィアを勢いよく指差すと、彼女は驚いた様子を見せた。


「えっ、なぜですか? この大陸にいるエルフは奴隷しかいないはずですよ」

「だからだよ! 知らないのか奴隷は本来金持ちのもんなんだ。今まで立ち寄った村はお前を見た瞬間に態度が変わったんだぞ!」


 圭太が訪れた二つの村はお世辞にも大きいとは言えない規模だった。そんな村に突然奴隷連れが現れたのだ。さぞ驚いたことだろう。態度がかしこまるぐらいには。


「そうじゃったか? ワシらの威光がまぶしすぎるからじゃと思っておったわ」


 心当たりがないのか、イブはさらに首を傾げた。


「お前もだよイブ! お前の尊大な態度のせいで余計と誤解されるんだろうが。貴族扱いされたから情報を聞き出せないんだぞ」


 イブは魔王である。態度は尊大であり、所作には気品を漂わせている。誰だって一目でわかるだろう。彼女が上流階級の人間だと。

 ナヴィアが与えたきっかけをイブが育てる。おかげさまで会話しようとしても村人がかしこまって話にならなかった。


「ふぅむ。なるほど一理あるのう」

「なんで他人事みたいに頷いているんだおい」


 腕組みをしてその考えはなかったとばかりに何度も頷くイブに、圭太は冷たい視線を叩きつけた。


「無理じゃからじゃ。ワシは千年以上生きておるんじゃぞ? 今さら態度を変えられるわけがない」

「わたくしもです。奴隷ではないエルフは目立ちすぎるでしょう。もっと警戒されるだけでは?」

「ぐぅっ。た、確かにそうかもしれないが」


 魔王とエルフに簡単に論破されて、圭太は唸るしかなかった。

 男子高校生は美女に弱い。それが二人なのだから勝てるわけないのだ。


「人のせいにする前に、まずは主が改善すればよいのではないか?」

「なっ、俺が何したって言うんだよ」


 心当たりがない圭太は狼狽えて一歩後ずさった。

 イブやナヴィアに脳筋だと言った手前、自分も同じ状態でしたでは笑えない。


「ケータ様は若すぎますよね」


 ナヴィアのどうしょうもない指摘は、圭太の胸に突き刺さった。


「そうじゃな。奴隷と見慣れぬものに女を乗せた青年なぞ、それこそ貴族としか思われぬじゃろ」

「……それもそうだな。俺も似たようなものか」


 圭太の世界では車イスは普通だし、エルフの奴隷を連れた高校生もテンプレの設定だ。だから気にしなかったが、この世界の庶民にとっては普通ではないらしい。盲点だった。


「そこでじゃ。いっそ本物の貴族のように振舞ってはどうじゃ?」

「へっ?」

「いい案ですねそれ。勘違いされる状況を利用するなんて、魔王様にしては上出来です」


 イブの提案に圭太は素っ頓狂な声を出し、ナヴィアは手を叩いてイブを褒める。


「小娘はワシを挑発せねば死んでしまうのか? それとも挑発して今すぐ死にたいのか?」


 さっきしまわせた魔力の塊が再び出現し、イブは鋭い目つきでナヴィアを睨む。

 圭太は二人のやりとりを止める気にはならなかった。つい五分前の出来事なのだ。ナヴィアにもいい加減反省してもらう必要がある。


「魔王様が殺せるほどわたくしの命も安くはないですよ? なんてったってケータ様の奴隷ですからね」


 ナヴィアは胸をはった。決して小さくない柔らかな膨らみがかすかに揺れる。


「ほーう? ならワシはこやつの妻なんじゃが? 小娘もワシの所有物になるんじゃが?」

「あれは嘘でしょう?」

「なら小娘の奴隷扱いも嘘じゃろが!」


 うがーっと叫んで、イブは黒い魔力の塊を振りかぶった。


「あー、待て頼むから考えさせてくれよ」


 圭太は額に手を当てて、放置していたら取り返しがつかなくなりそうなので仕方なく仲裁に入る。

 頭の中はイブが言った貴族のフリでいっぱいだ。

 郷に入れば郷に従えという言葉もある。イブの提案もあながち的外れではないのかもしれない。


「怒られてますよ魔王様」

「小娘じゃろうが」

「黙れと言っている」


 圭太の低い声に、ナヴィアとイブの肩が跳ねた。


「ケ、ケータ?」

「もしかして怒ってますか?」

「怒ってなどおらぬ。キサマらが静かならな」

「「はいっすみませんでした!」」


 圭太が据わった目で睨むと、イブとナヴィアは同時に頭を下げた。綺麗に九十度、見事なお辞儀だ。


「まあ、こんなところかな? 何してんだよ二人とも。軽い冗談だぞ」


 圭太は表情を崩し、ケラケラと笑って歩き出す。

 もう食事は終わった。次の村へ急がないと、また野宿になってしまう。


「えぇー。あれが軽いのですか?」


 ナヴィアが車イスを押すフリをして、イブの耳元に顔を近付ける。


「戦闘の才はともかく、役者の素質は優秀すぎるのじゃ。本心かと思ったわ」

「わたくしもです」


 うんうんと頷く二人の顔は心なしか青ざめていた。


「何してんだ置いていくぞー」

「あっ待ってくださいすぐ行きます!」


 圭太に声をかけられて、ナヴィアは小走りで車イスを押す。ガタガタと音がなるが、イブにまで振動が伝わっているようには見えない。


「ワシはとんでもない逸材を呼び寄せてしまったやもしれぬな」


 イブの独り言は、揺れる車イスにかき消された。

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