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第二章一話「はじめまして」

「主よ。彼の者を呼び戻したまえ」


 水色の髪の少女は胸の前で手を合わせて、天を仰いで呟いた。

 真っ白な壁に規則正しく並ぶ長イス。たくさんの人が通れる扉と反対側の壁には天使をテーマにしたステンドグラスはこの建物に入った人間を魅了する。

 ここは教会であり、水色の少女は教会で働くシスターである。今も祈りを捧げている少女の眼前には寝たきりの傷を負った男性が寝そべっていた。

 いや、傷を負ったというのは語弊がある。

 少女が祈りを続けている間に、男性の傷は急激に塞がっているのだから。


「すごいね。噂通りだ」

「誰なのっ!?」


 祈りの邪魔をした声に、水色の少女は大声で振り返った。


「はじめまして。ボクは琥珀。よろしくね」


 いつのまにか開け放たれていた教会の入り口。扉にもたれかかるようにして金髪の少女が立っていた。

 水色の少女、クリスは教会の関係者全員の顔を覚えている。それどころか町の人間すべての顔と名前を覚えていた。昨日生まれた女の子の名前の意味から一昨日亡くなったおじいちゃんが好きな食べ物だってそらで言える。

 だがそんなクリスでも、扉の前に立つ金髪の少女の顔は知らなかった。

 砂ぼこりで茶色くなった外套に歩きやすさを重視したボロボロの靴。恐らく旅人だろう。クリスが顔を知らないのも当然である。


「コハク、さん? ってこの教会に野蛮なものを持ち込まないでほしいの」


 鈍く光を反射する腰の剣に、クリスは顔をしかめた。


「えっ? ああごめん! ダメだったのか。ちょっと待ってて。すぐ置いてくるから」


 澄ました顔で佇んでいた琥珀は、クリスに指摘されて大慌てで教会を出ようとする。

 旅人らしいから宿まで引き返すつもりだろう。余所者を受け入れるという立場上、教会と反対の位置にある。どれだけ足が速くてもそれなりの時間を待たされてしまう。


「待ってほしいの」


 誤魔化す言い訳を考える時間を与えたくなかった。


「ん?」

「あなたのその剣、どこで手に入れたの?」


 クリスの目は、琥珀の腰に釘付けになっていた。

 腰に差して地面にはすれすれで届かない長さ。琥珀は外套を着用してても分かるぐらいスタイルが良く、足は長いほうだ。でもさすがに大剣とは呼べない長さだ。クリスは剣について詳しくないが、片手剣だと思う。


「これ? 目立つよね黄金の剣なんて」


 装飾は決して多くないが神秘性を感じる黄金の剣。

 琥珀は困ったような笑みを浮かべて、剣を指差していた。何度か同じような質問を受けたのだろう。慣れている感じがする。


「質問に答えてほしいの」

「えーと、えへへ。なんで睨まれているのか分からないんだけど」

「あなたの剣から主の御力を感じるの。どこから盗んだの? ……やっぱり言わなくていいの」


 クリスは祈りのため組まれていた指をほどき、こぶしを固く握り締めてファイティングポーズを取る。

 そして流れるように琥珀に殴りかかった。


「うわあっと! 待ってよボクは盗んでないって!」


 琥珀は大げさな動作で横に動き、飛びかかってくるクリスを避ける。


「泥棒も同じことを言うの」

「そうだよね悪いことしたって懺悔できるのは教会ぐらいだし」

「覚悟するの」


 ふむと琥珀が納得すると、クリスはもう一度殴りかかった。今度は逃さないよう連撃を仕掛ける。


「待ってよ話を聞いて!」

「弁明なの? 聞き遂げるの」


 ヒラリとクリスの攻撃を避け続け、琥珀は大慌てで弁明する。

 クリスは戦闘態勢のまま、足を止めて耳を傾ける。彼女はシスターだ。話を聞き届けるのが仕事である。


「違うよ。ボクはこの剣を直接貰ったんだ」

「あり得ないの。その剣は主のものなの」

「だからそのしゅ? から貰ったんだよ。アダムでしょ? 君たちの神様の名前は」

「不敬なのっ」


 主の名前を敬称もつけずに言い放った琥珀にクリスは再び殴りかかる。


「おわっと危ない! 僧侶は優しいと相場が決まってるって鳥羽君が言ってたんだけど、嘘だったのかなあ」

「何をブツブツ言っているの」

「おっと。いい加減に話を聞いてよ。本気出しちゃうから」


 闘牛士のように飛びかかってくるクリスを軽くあしらって、琥珀は困ったように頰をかいた。


「どうぞご自由になの」

「後悔しても知らないからね」


 琥珀は剣を抜いて、クリスの右手を受け止める。防御をすり抜けるためにクリスが左手を振りかぶると同時に、黄金の剣は光の奔流を解き放った。


「ぐっ!?」


 光に突き飛ばされて、イスをなぎ倒しながらクリスが吹き飛んだ。壁に背中を打ち、変な声が出た。


「だから言ったでしょ。後悔するって」


 琥珀はため息を吐いて手首をくるりと回し、剣を鞘へと納めた。


「あなたは、何者なの?」

「ボクは琥珀だよ。さっきも言ったけどね」


 琥珀は明るく笑っている。たった今クリスを吹き飛ばしたとは思えない顔だ。


「まあそれ以外だと勇者と呼ばれたりしているかな?」

「勇者。あなたが」


 琥珀の告白に、クリスは目を見開いた。


「ああごめんね。ボクはあまり勇者と呼ばれたくないんだ。ちゃんと名前を呼んでほしいなクリスさん」

「私の名前……」

「有名人だからね。とても美人の凄腕僧侶がいるって。話半分で聞いてたんだよ? 祈るだけで傷を治せる徳の高い僧侶の話なんて」


 勇者は有名だ。魔王を倒すために神であるアダムが呼んだと言われている。世界中で彼女を知らない人間はいない。

 だが、クリスもこの村で知らぬ者はいないほどの有名人だった。

 神に祈り、他人の傷を治す聖人。国の外れの村にいるにもかかわらず首都にまで噂が伝わる聖職者。それがクリスだ。


「何が目的なの?」

「まあそんなことはどうでもいいでしょ。君の仕事はまだ終わってないんだし」


 琥珀の目はクリスではなく、騒ぎがあった今でも目を覚まさない男性に向けられていた。


「なっ何を言ってるの?」

「傷は癒えたみたいだけど、まだ治している最中なんでしょ? だってその人は既に死んで――」

「死んでないの! 私が治すの!」


 琥珀の言葉を遮って、クリスが胸の位置で両手を組む。

 目を覚まさない男性を柔らかな光が包み込んだ。


「……難しそうだね」


 祈るシスターと光に包まれる男性という幻想的な光景を眺め、琥珀は呟いた。

 光に包まれている男性の傷はとっくに癒えていた。体は完治しているのに目を覚まさない。一度死んだ人間は生き返らないのだから当然だ。


「黙るの! 私は集中しているの!」


 クリスは大声で怒鳴り、祈りを続ける。

 彼女も分かっているはずだ。自分が行なっていることがどれだけ無謀なのか理解しているはずだ。

 分かっていても譲れないものがある。その気持ちは琥珀も共感できた。


「意固地になってたら治せるものも治せないよ」


 だから勇者は祈りを捧げるシスターに手を貸す。

 琥珀は男性を包んでいる光に手を添え、祈るように目を閉じた。


「何をしているの?」

「さっきも言ったけどボクは勇者だ。言い換えるなら神に愛されている立場だと思うんだよね」


 わずかに微笑む琥珀の全身に淡い光が浮かび上がる。

 強い魔力は視認できるようになるというが、クリスも初めて見る光景だった。


「光が……」


 琥珀の体に表面化した魔力は、男性を包み込んでいる光に溶け込んでいった。

 目でも見えるぐらいの魔力。生半可な密度ではないのに、それでも男性の体はピクリとも動かない。


「ちょっと集中させて。この剣の力なら使えるかも」


 琥珀は左手で鞘ごと剣を抜き、男性の上に置いた。祈りによる光が強くなり、目が開けられなくなる。


「ん、んんっ」

「っ!!」


 男性特有の低い声が聞こえ、クリスの肩が大きく跳ねた。

 クリスが動揺したからか、光は弾けて霧散した。


「よしっ、成功だ。よかったよ。ボクも力になれて」


 剣を腰に差し直して、琥珀は立ち上がる。

 仕事は終わった。彼女の背中はそう語っていた。


「待ってほしいの。どこ行くの?」


 クリスは思わず呼び止めた。


「ん? 祈るなんて慣れないことはするものじゃないね。どっと疲れちゃった」


 振り向いた琥珀の顔は確かに疲れの色が濃くなっていた。


「嘘なの。確かにあの光はあなたの魔力なの」

「違うよ。君の祈りが起こした奇跡だ。ボクはただ手伝いをしただけだよ」


 琥珀はクリスのおかげにしたいらしい。

 始めたのはクリスだが、魔力のほとんどを使ったのは琥珀だ。勇者がいなければ男性の蘇生は不可能だった。


「そんな――」

「もしもボクに感謝したいって気持ちがあるのなら」


 クリスの言葉を遮って、琥珀は微笑む。


「一緒に旅に出ませんか? ちょうど回復役が欲しかったところなんだ」


 まったく予想していなかった言葉に、クリスは目を丸くした。


「もしかして、最初からそれが目的だったの?」


 クリスの目はすぐに鋭くなり、琥珀を睨む。

 クリスは聖人だ。似たような勧誘は多い。信心深い彼女にとって、欲をさらけ出す人間は軽蔑の対象だった。


「さあどうだろうねって言いたいところだけど……そうだよ。助けたかったのはホントだけどね」


 正直な欲求を言い当てられて誤魔化そうとする人間は多かったが、琥珀は微笑むばかりで取り繕おうとはしなかった。

 どうやら嘘を吐くような性格ではないようだ。少なくとも信用に値する人間だと思う。


「もし治らなかったらどうするの。あなたはさっき全力で魔力を使ってたの。そうでもないとフラフラにならないの」


 琥珀は立って会話している今もバランスが取れないのか時折フラついていた。

 いったいどれだけの魔力を使ったのだろう。全身から溢れ出していた魔力は、彼女のほぼすべてだったのではないだろうか。


「どれだけ可能性が低くても助けられるのなら協力するよ。見捨てたくないから。君も一緒でしょ?」

「確かに、私も一緒なの」


 先ほど見せた全力な姿が、よりいっそう説得力を強めていた。

 クリスはこの後琥珀と一緒に旅をする。

 そして、魔王を封印した彼女は、聖人としてその名を全世界に轟かせる。

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