第一章三話「楽になれる」
おぼつかない足取りでふらふらと歩く。焦点の定まっていない瞳は映るものをぼかしていく。
気がつけば駅に着いていた。電車に乗って降りて、後は誰も待っていない家で一人ベッドに倒れれば今日が終わる。寝ていれば家族が帰ってくるかもしれない。あのニュースが嘘で、本当は皆無事なのかもしれない。
分かっている。現実逃避であることぐらい自分が一番分かっている。
『まもなく一番線に電車が参ります』
「ああ、そうか。死んだら楽になれるのか」
電車、死亡、自殺。
連想ゲームのように結ばれる単語に、圭太は合点がいったかのように呟いた。
「家族だもんな。一緒に居ないと」
自分に言い聞かせるように呟いて、圭太はふらふらと歩き、点字ブロックの上を跨いだ。
「――待って!」
後一歩で線路に落ちるというところで、後ろから伸びた手に肩を掴まれた。
「……琥珀」
首だけで背後を確認すると、金髪イケメン美少女が肩で息をしていた。
「学校はどうしたんだよ」
教師から許可を得た圭太とは違い、琥珀は午後からの授業があるはずだ。圭太の肩を掴む時間はない。
「鳥羽君が帰るから先生に聞いたんだよ。ご家族が亡くなったんだって」
「だったら?」
「一緒にいよう。一人でいても辛いだけだよ。ボクが身の回りのことするから」
息を整えた琥珀が真っ直ぐな目を向けてくる。
いつものニコニコとは違うキリッとした表情。彼女が同年代の初恋をことごとく奪っていった要因の一つだ。
だが、圭太には通用しない。
「必要ないな。俺には」
「なんで? 誰かと一緒にいるだけで気は紛れるよ」
「俺は家族旅行するんだ」
「家族旅行って、一人で行くつもり?」
圭太は答えず琥珀の手を振り払おうと肩を回すが、彼女の手は払えなかった。琥珀の手は固く握り締められており、絶対に離さないという強い意志が感じられる。
「何してんだ離せよ」
「やだ」
即答である。
「いややだとかじゃなくて」
「絶対にやだ」
琥珀は首を左右に振った。
先ほどの真剣な表情はどこに行ったのかと思うぐらい弱々しい顔だ。
「ボクは鳥羽君と一緒にいたい」
顔に赤みが増しているような気がするが、きっと気のせいなので無視する。
「離せ」
「嫌だ。この手を離したらボクは一生後悔する」
「知らねえよ。お前の事情なんて」
どうして圭太が学校で人気者の金髪イケメン美少女を気にかけなければならないのだろう。どうせ皆が注目しているのだから、圭太が気にする必要はない。
「じゃあどうやって旅行に行くの?」
「なんで言わないといけないんだ」
「答えて」
有無を言わせない顔は、答え以外を望んでいないと言っているようだった。
この顔を向けられているのが圭太じゃなければ、勢いに任せて愛の告白でもしていただろう。
「強引な……電車で行くんだ」
「どこへ?」
「なんでそこまで言わないといけない」
「違う場所に行こうとしてるからだよ」
どうやら琥珀は圭太が片道旅行に行こうとしていると気付いているらしい。
「ねえ鳥羽君。ご家族といきなり離れ離れになって辛いのは分かるよ。だけど死んじゃうのはダメだよ」
「お前に何が分かんだよ!」
誰も失っていない人間の綺麗事に耐えきれず、圭太は怒鳴り声を出す。他の客がぎょっとした目で見てくるが、そんなもの知ったことではない。
「家族がいなくなったんだぞ! 俺はもう一人だ。生きている意味はもう無くなった!」
親孝行をすることも、家族を介護することも、孫の顔を見せることもできなくなった。彼にとっての大切なものはすべて失った。楽しい未来もすべて失った。何があっても歯を食いしばる原動力も失った。
両親がいない圭太に待っているのは接点のない親戚をたらい回しにされる未来だけだ。腫れ物のように扱われるかもしれないし、そこまでして生きていたいとも思わない。圭太はただの高校生だ。彼の世界はずっと狭い。
「無くなってないよ! 鳥羽君が生きている意味はある!」
「じゃあなんだよ答えてみろよ! 俺が生きなければならない理由を!」
「鳥羽君が死んじゃったらボク寂しいよ!」
「小鳥遊になんの関係があんだよ!」
「関係あるよ! だって――」
勢いのままに言い争っていた琥珀が言い淀む。
周りは何だか興味深そうな視線を圭太たちに向けていた。見世物じゃない。どっか行け。
琥珀の次の言葉を待つ圭太は周りへと意識を向ける余裕が生まれていた。だから気付いた。
琥珀の足元に浮かび上がった、真っ白の魔法陣を。
顔を真っ赤にしている彼女は足元の変化に気付いていない。口を何度か開閉させて迷っているように見えた。
「おい、たかな――」
「だってボクは鳥羽君のことが――」
電車のブレーキ音が駅構内に鳴り響いた。
「……あれ?」
一人で周囲からの視線に晒されていた圭太は、小さく首を傾げる。
「俺は誰と話してたんだ? なんだか大事な話だったような気が」
誰かと言葉をぶつけ合ったときのような感情の高まりが残っている。
ずっと一人で電車を待っていたはずなのに、どうして誰かと話をしていたと思ったのだろうか。
「まあ気のせいか」
『まもなく電車が到着します』
「次で死のう」
三分後。学ランを着た男子生徒は一人線路へと飛び降りる。
驚く車掌と黒い魔法陣の浮かんだ電車が印象的だった。
急ブレーキした電車のせいで乗客の何人かが軽傷を負った。
急停車する要因が見つからなかったため警察は運転手に事情聴取を行ったところ、飛び込み自殺を図った青年がいたと話していることが判明した。
しかし警察の調べでは、線路へと飛び降りた青年の姿はおろか痕跡の一つも見つけられなかった。