第一章二十九話「潮風」
「潮風が気持ちいいな」
船首に立つ圭太が目元に手をかざしながら呟いた。
圭太たち御一行は船の上にいた。創作の中でしか見たことのない木造の帆船に揺られ、青い海面が日光を優しく反射する。
船に乗って初めて知ったが、どうやらこの世界も青空が広がっているらしい。魔族の住む大陸から離れるほど赤い空も離れていく。空の色が変わる原理は分からないが、魔界のイメージを作る上ではいい仕事をしていた。細かい原理は気にしない。
「そうじゃな。ワシも船に乗るのは初めてじゃ」
「千年以上生きているのに?」
「魔法でひとっ飛びじゃからな。渡ったときはまだ船なかったころじゃし」
世界一の魔法使いは、自信満々に胸を張った。
確かに大陸間を飛んで移動できる存在は多くないだろう。全力でドヤ顔している彼女を認めたくないが。
「伝承で聞いたよ。千年前に魔族は今の大陸へと移った。おかげで戦争は無くなったとか」
サンが圭太たちとは少し離れた位置に座っていたのに話に入ってきた。
「人間が勝手に喧嘩吹っ掛けてきたんじゃ。ワシらが原因ではない」
当時のことを今でも鮮明に覚えているのか、イブがうんざりした顔になる。
「どうせ言い争いの勢いのままに山を一つ消し飛ばしたりとかしたんじゃないか?」
「するわけないじゃろうが! 虐げられておった魔族のためにワシが一肌脱いだだけじゃ」
「その結果山が一つなくなったと。そりゃ人間に嫌われるわ」
豪快な性格のイブだ。かっとなった拍子で地形を変えたとしても驚かない。
彼女は圭太の反応が不本意だったようだ。頰をふくらませて半眼になっている。
「山ではなく湖だよ。魔王が作ったと言われる大きな湖は今も残っている」
「まだあの大穴は残っておったのか」
イブがさらに重たいため息を吐いた。この話題はもう広げないほうがよさそうだ。
「にしてもよかったのか? 俺たちだけ別の船だなんて好待遇で」
圭太は少々強引に話を切り替えた。
この船に圭太とイブ、サンの他はほとんど船を動かす人間しかいない。いくら英雄視されていたからといって高待遇すぎる。
「元々貴族用の船だからね。血なまぐさい人ばかりで貴族はいなかったし、君たち魔族と人間を同じ船に乗せるわけにもいかないから」
どうやらちゃんとした理由があったようだ。
サンの話からしてあの町に貴族はいなかったらしい。奴隷狩りが流行っていたようだが客はいなかった。多分奴隷商がまとめて別の人間に売り付けるつもりだったのだろう。
「当然じゃな。ワシらの化けの皮が剥がれたとき、あの人間どもがどう手のひらを返すのか楽しみじゃ」
イブが腕組みをして、ウンウンと頷く。
ワシらというかお前一人だからな。
「英雄呼ばわりはされないだろうなあ。なんてったって魔王だし」
「魔王に召喚された勇者なぞも人間からすれば脅威じゃろうな」
「なんだよお前と一緒にすんな」
「二人きりの旅じゃぞ。釣れない態度取るでないわ」
イブと同類扱いは絶対されたくない圭太は眉を寄せて否定する。イブも頑なに拒まれると思ってなかったのか、ムキになっていた。
冗談じゃない。圭太は勇者かもしれないが、サンにも勝てない一般人だ。千年以上も生きている最強のロリババアと一緒にされたくない。
「ああ、それなんだけど」
とうとう無言になって睨み合う二人に割って入って、サンは申し訳なさそうに頭をかいた。
「残念でしたね魔王様。ケータ様は占領させませんよ?」
船首に立っていた圭太たちの後方。宿泊用の部屋が用意されている船内から、聞き知った少女の声が飛んできた。
「……なぜおるんじゃ小娘」
振り返ったイブが、またうんざりとした顔になる。
町に潜入したときのような肌着に首輪。左肩には弓を、腰には矢筒を装着している金髪のエルフがそこに立っていた。
「奴隷となったエルフを解放してくれた英雄のお世話を頼まれましたので」
ナヴィアは屈託のない笑顔で言い放ち、どういうことだという目が圭太を貫いた。
「いや俺じゃないぞ。というか俺もこの船が出航してから知ったんだし」
「僕は話を聞いていたけど、てっきり二人にも話をしているものかと」
男性二人は首を横に振り、自分も被害者だとアピールする。
実際、ナヴィアはしたたかに秘密裏に動いていた。戦闘に能力を全振りしている圭太やサンでは気付かないのも無理はない。
「……口から出まかせじゃな?」
二人があまりにも必死に首を振るので、イブはそう結論付けた。
誰も聞いてないのなら、嘘である。頼んだ相手がいないのだから英雄の世話がしたいのはナヴィア自身だ。
「違いますよ。父の命令です」
「スカルドの? あ奴がそんな恩を売るような真似をするはずが」
圭太もイブと同じ意見だった。
圭太はエルフを助けた。奴隷にされていたエルフのほとんどは解放できたはずだ。
その恩は、圭太の我儘にエルフを派遣したことで返してもらったはずである。
「わたくしが熱心に頼み込んだら首を縦に振ってくれましたよ」
「うわー、同情するわ」
ナヴィアに命令した立場であるスカルドに圭太は同情した。
ナヴィアは父親をよく思ってない。いわゆる思春期というやつだ。見てるこっちが戦慄するぐらい強烈だった。
スカルドに頼み込むとき、どんな罵詈雑言があったのか。想像するだけで圭太は顔を青くした。
「何か?」
「いや何でもないよ」
正直に答えられるわけがないので、圭太は顔を逸らした。
「悪いことは言わぬ。今からでも帰れ。何ならワシが帰してやるぞ?」
「イヤですお断りします」
「ダメじゃ。これは勇者を倒すための旅。命の保証はできぬのじゃぞ?」
首を横に振るナヴィアに、イブは子供に言って聞かせるような厳しい目になる。
こうして見るとやはりイブのほうが年上なのだと理解させられる。いつもはナヴィアがからかう立場だが、今回ばかりはふざけられないだろう。
「元より覚悟の上です」
愚直なまでに真っ直ぐとした瞳。
「じゃがな。小娘に何かあればワシがスカルドに合わせる顔がないのじゃ」
危険な旅だ。
圭太が目指しているのは、世界最強である勇者を倒すこと。すべてを出し切って戦うつもりだが、勝てない可能性のほうがよっぽど高い。
「守っていただけますよね? 魔王様」
「ワシを頼るつもりか?」
「当然です。長いものには巻かれろって言いますし」
「むう。それはそうかもしれぬが」
それでいいのかと思ったが、無粋なので口には出さなかった。
頼られているイブは満更でもなさそうだ。父親と旧知の仲だから、ナヴィアも娘のように思っているのかもしれない。
「まあまあ。いいじゃないかイブ」
「ケータ。主も小娘の肩を持つつもりか?」
イブにジトーっと睨まれるが、圭太は苦笑いで受け流した。
「どうせ言うこと聞くつもりはないんだろ?」
「はいもちろんです」
「本人はこう言ってるし、ナヴィアは俺よりも強い。イブが気にかけていればそう簡単にはやられないさ」
ナヴィアは師匠の一人だ。民衆の目を引きやすい美人のエルフという欠点を差し引いてもあまりあるほどの利点がある。
しかもイブが守るのだ。もう奴隷狩りに遭わせるなんて失態もしないはず。もしかするとエルフの村にいるより安全かもしれない。
「むぅ」
「それに、イブの世話を異性の俺がずっとするってのも変だろ? 主にトイレとか風呂とか。俺絶対困るし」
無視できない問題がある。
イブは両足が動かせない。つまり誰かしらの介護が必要になってくる。
魔王城にいたときはシャルロットが率先してやってくれた。しかしイブとの二人旅では圭太が介護しなければならない。
女性の手があったほうが、元男子高校生の圭太はとても助かる。
「ワシは気にせぬぞ」
「俺が気にするんだ。だからまあ、ナヴィアがついてきてくれると俺としても助かるんだよ」
「むむぅ。主が言うのなら仕方ないのう」
圭太の意見は参考にしてくれるらしい。
イブは唇を突き出して、言葉通り仕方ないという様子で同行を許可した。
「やったっ!」
ナヴィアが両手でガッツポーズする。とても子供っぽい仕草だ。初めて見た。
「じゃがナヴィア。主に何かあれば困るのはワシじゃ。色々と手を加えさせてももらうがよいな?」
「具体的には何をするのです?」
「武器である弓の改良。後はそうじゃな。ワシの魔力が続く限り死なぬ、疑似的不死を与えるとするかの」
なんでもないことのように言うイブに、人間二人とエルフの目は丸くなった。
「そっそんなことができるのですか?」
「まあの。シャルルたち四天王にも与えておった。では行こうか」
イブはナヴィアの腕を掴んだ。
「えっあの魔王様?」
「疑似的不死を与えるためには魂を重ねねばならぬ。そのためにはそうじゃな。最低でも体を重ねなければならぬ」
圭太は聞かなかったことにした。顔を背けて聴力に意識を集中する。
「えっあのわたくしははじ――」
「大丈夫じゃ。天井のしみでも数えておれ」
車イスのイブになぜか腕を引かれているナヴィアは、薄暗い船内へと消えていった。




