最終章十九話「――助けてくれ」
光の世界はとてもスローだった。
ゆっくりと、まるで生まれたての小鹿が立ち上がるように虚空に魔法が生み出される。圭太が走って近付き、剣となった琥珀を使ってかき乱してやると魔法は形成する途中でかき消えた。
初めて見るスローな世界に感動する暇もないぐらい生まれたての小鹿が無数に生まれ、圭太は光の速さですべてをかき乱した。
「ふむ。さすがといったところじゃな。あちらの勇者の力を奪うとは」
「奪ってなんかいない。俺はただ受け入れてるだけだ。琥珀の魔法を」
圭太まで光の速さで動くことにイブは興味深そうに呟いていた。
だけどイブの言葉は一つだけ間違っていた。圭太は琥珀の能力を奪ってはいない。むしろ琥珀に助けてもらっている。
剣となった琥珀が魔法を発動、制御している。圭太は琥珀の魔法に便乗して動いているだけに過ぎない。はたから見れば圭太が魔法を使っているように見えるかもしれないが、すべて琥珀が圭太に合わせて行動してくれているだけだ。圭太一人だったらここまで上手く戦えなかっただろう。
「もちろんお前も受け入れられるぞ」
「ワシをか? 魔王の力まで奪えれば最強じゃろうな」
「俺は冗談を言ってるつもりはないぜ」
一桜が琥珀の中に移った以上、圭太の容量にも空きがある。今ならイブぐらいは受け入れられるはずだ。
イブは信じていないみたいだったが、圭太にふざけているつもりはない。イブと力を合わせればそれはもう最強だろう。神だって倒せるかもしれない。
「そうか。ならワシも真面目に答えてやろう」
圭太がふざけているわけではないと声音と表情で判断したのだろうイブが、ゆっくりと頷いた。
「残念じゃが不可能じゃ。手加減できぬからな」
そして彼女は両手を広げる。展開される魔法の数がさらに増えた。
「まだ魔法の数が増えるなんて」
「ワシを舐めるでない。初めから真面目に戦っておれば造作もないことじゃ。元より勇者の対策は考えておったし」
「対策ね。聞かせてもらってもいいか?」
圭太が閃光として走り抜けながら魔法に対処する。光の速さで移動できるようになったのだからすり抜ければいいと思うのだが、剣である琥珀は魔法の撃退を優先していた。魔法の密度的に逃げ道がないということだろうか。
「素早いのなら、逃げ切れないほどの物量で押し潰す」
「今まさにその対策がされてるわけか。厄介だな」
「そう言うでない。まだ空間までは破壊しておらぬじゃろ?」
「まあな。じゃあ今度は俺が魔王の対策を考える番だ」
イブがその気になれば空間も簡単に破壊できるだろう。まだしていないということは、それだけ余力があるということだ。
光速魔法は最速だ。だけど言い換えれば速いだけに過ぎない。逃げる隙間がなければ結末は変わらないのだ。だから物量で押し潰す。圭太では到底真似できないゴリ押しに思わず苦笑してしまう。
「ところでイブ」
「なんじゃ?」
「お前、車イスはどうしたんだ?」
圭太は行動の優先順位を決めるのは琥珀に任せ、他愛ない話をイブに吹っ掛ける。
イブは今自分の両足で立っている。圭太とシャルロットが作った車イスは近くにない。あの車イスこそ圭太とイブが共に歩んだ象徴だというのに。
「捨てた」
「お前には聞いてないんだがなアダム」
「不必要だったから捨てた。我の力があれば禁忌の代償を取り戻すぐらい造作もない」
「無視かよくそったれ」
圭太はうんざりとした顔になるが、アダムはそんなことお構いなしだとばかりに語ってくれた。そもそも現在進行形で光の速さで魔法の対処をしている圭太の表情が見えるわけもないのだが、当の本人はそんな些細なことなど忘れていた。
「どうするの圭太君?」
「どうするかな? イブに弱点なんて脳筋なことと不器用なことぐらいだ。どっちも克服してると見ていいだろう」
「どうじゃろうな。少なくともワシは、車イスを作る直前まで自分が細かい制御を苦手にしているなぞ知らなんだぞ?」
琥珀と圭太が作戦会議を始めると、イブも普通に話に入ってきた。
イブは魔法で何でもできる。両足が動かないと判明してすぐのころは自分で空を飛んで移動しようとしていたぐらいだ。きっと彼女にできないことはないのだろう。それこそ禁忌魔法ですら一度は発動できるだろう。
だけどイブは魔法の繊細な制御はできない。先ほどの空を飛ぶ魔法でいえば壁は壊すわ屋根は突き破るわといった具合に。
「つまり本人でも自覚してない弱点があるかもしれないってこと?」
「そう甘い話じゃないさ。イブの実力は知ってるだろ?」
「うんもちろん」
「少なくとも俺たちとは次元が違う。なら正面突破するしかないだろ?」
本人も知らないイブの弱点はまだあるのかもしれない。だけど検証に使う時間は存在しない。その前に魔法の物量で押し潰されてしまうだろう。
だから正面から持てるカードをすべて切って倒すしかない。圭太は既に一つの可能性を思いついていた。
「頼りにしてるぜ一桜」
「先ほどから頼りにしすぎですわ」
圭太の手札の中で間違いなく切り札である一桜の名前を呼ぶと、左手に握る剣から呆れたような声が聞こえてきた。
「そりゃあ俺の手札で一番信用しているからな」
「心外ですわ。いつか手痛い目にあわせないと」
「できれば勘弁してほしいもんだが」
一桜に裏切られてしまうと圭太は困るという次元を超えてしまう。一桜に頼るような状況は間違いなく圭太にとって窮地に等しい状況だ。そんなときに期待を裏切られてしまえばそれすなわち圭太の死を意味している。
「じゃあ任せたぜ」
圭太は光速魔法を解いて立ち止まり、イブに向けて左手の剣を投げた。勇者の剣はかつてイブを封印するのに使われていたぐらいだ。刺されば動きを止められるかもしれない。イロアスで慣れているため投擲のコントロールは間違いない。
「……? 何を企んでおる?」
圭太の攻撃に不審に眉をひそめ、イブは剣に視線を向ける。それだけで炎と水と木と土と風の魔法が取り囲うようにして剣に放たれた。
だが、すべての魔法が空を切った。
剣から人の姿に戻った琥珀が光の尾を引きながらイブに急接近し、魔王の両手を掴んで拘束したからだ。
「油断したね?」
「舐めるなよ人間」
わずかでも琥珀に虚を突かれて不機嫌になったイブが、自分を巻き込むのも厭わずに魔法を展開する。琥珀を逃がさないように全方位、逃げ道の隙間すらないぐらいの密度と数の魔法だ。
「それを待っていましたわ」
だが、その程度は当然想定の範囲内だ。
琥珀の背中からオンネンが放射状に伸びて襲い来る魔法をすべて吸収した。
オンネンは元々魔力を吸収する性質がある。かつてイブですら手を焼いた厄介さは伊達ではない。
「なっ!?」
「忘れましたか? わたくしはこんなこともできるんですわ」
「そのまま倒せそうだなお前たちなら」
二人には時間稼ぎを頼んだつもりだったのだが、なんだか放っておけば二人だけで解決してくれそうだ。
圭太は二人の稼いでくれた時間を有効活用してイブに接近し、魔王の手を封じながら苦笑いを浮かべていた。
これで王手だ。少なくとも格闘戦でならイブに負けないだろう。
「くっ。手を離せケータ。消し飛ぶぞ」
「それは無理だ」
イブが圭太を払いのけようと全身に力を入れる。だけど小柄な彼女がどれだけ力を振り絞ろうと勇者二人の拘束を解くほどではなかった。
圭太は覚悟を決めるために小さく息を吐き出してから、そっとイブに顔を近づける。
そして戦闘中でも艶やかなイブの唇に自分の口を重ねた。
「――っ!?」
「俺はイブが好きだ。アダムよりもずっと」
思いもしていなかった行動に全身を強張らせるイブの動揺を掴んでいる腕から察しながら圭太は唇を離す。
だけどもちろん攻撃の手は緩めない。追撃とばかりに、自分の気持ちを吐き出した。
「だから受け入れてくれ。俺という勇者を。俺の夢を」
初めて見る真っ赤な顔のイブに、圭太はまっすぐな気持ちをぶつけた。
イブは強き者だ。今まで一度も弱みを見せていない。誰かに頼ろうともしないし、すべて自分一人で抱え込んでしまう。
だけど誰かに助けを求めるぐらいしてくれてもいいじゃないか。圭太の夢は、皆から頼られるヒーローになることなのだから。
「――助けてくれケータ。ワシも主が大切じゃ。もう二度と手放したくない」
「任せろ。もう二度とお前を離さねえ」
心なしか目を潤ませているイブから求めていた言葉を聞いて、圭太は小さな体で誰よりも大きな運命を背負ってきた魔王の少女を抱きしめる。
そして再び唇を重ねる。今度はイブも受け入れてくれるみたいで、体を強張らせながらも目を閉じていた。
「力を抜いてくれ。今ならきっとアダムの洗脳も関係ない」
「そうじゃな。抱き締められるのはこんなにも心地よいものなのじゃな。ここまで熱く求められたのは初めてやもしれぬ」
「嬉しいね。千年生きたイブの初めてが貰えるなんて」
一瞬だけ唇を離して二人で笑い、すぐにまたお互いに求め合う。
完全に二人だけの空間だ。アダムも琥珀も一桜も関係ない。琥珀はイブから手を離して、一歩離れた位置から二人の様子を眺めていた。
「主今バカにしたじゃろ。ワシこれでも知らぬこと多いんじゃからな」
「知ってるよ。安心しな。これから初体験の連続だ」
「それは楽しみじゃな」
まるで踊るようにクルクルと回りながら、圭太とイブはキスを重ねる。
次第にイブの体がゆっくりと溶けていった。指先から光の粒となり、圭太の中へと溶け込んでいく。
「何を、している?」
「ようやく驚いてくれたか? 見て分かるだろ取り返してるんだよ」
ここにきてアダムが初めて狼狽えたような声を出してくれた。
圭太はイブから意識を外さずに、いたずらっぽい笑みを浮かべてアダムに目を向けた。神は動揺に怒気を滲ませて、表情を歪めていた。
「取り返す? イブを殺してか!」
「殺す? 何言ってんだよく見ろよ」
イブの腕が光の粒と代わり、圭太の手からこぼれる。圭太はイブを離さないように彼女の腰に手を回した。
「俺はイブを受け入れる。イブも俺を受け入れてくれている」
気が付けば腰のほうも大分溶け込んでいるようで、あまり感触がなかった。それでも圭太はイブを離したくないので両手で挟み込むように彼女の顔に触れる。イブは目を閉じて、圭太のすべてを受け入れてくれていた。
「だから俺たちは一つになるのさ。文字通りな」
やがてイブの顔も光の粒へと代わり、圭太の中へと消えていった。
そこでようやく圭太は踊っているような軽やかな足取りをやめて、慈愛の微笑みを浮かべたまま神を名乗る天敵へと目を向ける。
「――何を言っている?」
「理解できないか? じゃあ改めて自己紹介してやるよ」
圭太の目は真紅に染まっていた。髪の色も日本人らしい黒髪だったのにすっかり色が抜けている。まるでどこかの魔王みたいな銀髪だった。
「俺は圭太。光速の勇者とオンネンと魔王を受け入れた依り代だ」
顔を向けずに琥珀に左手を伸ばす。最強の勇者は圭太の手を取って剣へと姿を変えた。
「神だからって甘く見てるとお前も取り込むぞ」
右手で肩に担ぐようにしてイロアスを構え、左手で琥珀である剣の切っ先をアダムに向けて。
魔王であり勇者である捻くれ者は不敵な笑みを浮かべていた。




