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最終章十話「わたくしの作戦」

 弾丸のように一歩を詰めるクリス。懐に潜り込み、必殺の聖拳が唸る。

 迎撃は間に合わないと判断したナヴィアは咄嗟にヒリアを盾のように縦に持ち直す。聖拳を受けたヒリアは衝撃を吸収しきれず持ち主諸共吹き飛ばされた。

 空中でナヴィアは腰を捻り態勢を立て直し、サーカス団員のように軽やかに着地する。


「衝撃で手が痺れるなんて初めてです」


 しかし決して無傷というわけではない。

 ナヴィアはヒリアから手を離す。彼女の両手は小さく震えていた。衝撃に耐えられず、震えが止まらない手の感覚は鈍い。

 魔物の体重を乗せた体当たりを正面から受け止めても手が痺れることはなかった。さすが英雄である。素手の一撃で魔物を粉砕するだけはある。


「頑丈な弓なの。人間ならともかく、殴って壊れなかった物は初めてなの」


 対するクリスも自分のこぶしに視線を落として手応えを確かめて首を傾げていた。

 彼女は人間だろうと魔物だろうと魔族だろうと正面から殴って壊せないものはなかった。勇者の盾といつからか呼ばれていたサンであっても、殴り続けていれば壊せる自信があったのだ。

 なのにナヴィアの持つヒリアに大きな損傷は見受けられない。手応えから受け流されたわけではないのは理解できるから、余計と気に入らなかった。


「壊せるわけありません。この弓は神造兵器に近いんですから」

「神造兵器じゃないの? 余計驚きなの」

「この弓はわたくしが作ったものです。それを誰だか思い出せないですけど強化してもらいました。英雄であろうと壊せません」


 ヒリアの作成者はナヴィアだ。元々エルフは成人の儀式として自分で弓を作る。森と共に生きる彼らにとって木とツルで作成できる武器はとても身近なのだ。材料も豊富にある。

 彼女の愛用していた弓にイブは手を加えた。その結果得られたのがピアスに変身する能力と魔力をそのまま矢として放てる機能だ。もちろん基礎スペックも向上させている。それこそ聖拳が相手でも壊せないぐらいの耐久性とか。


「面白いの。神造兵器を壊してみたいと思っていたの」

「近付かないでください」


 聖人とはとても思えない暴力的な舌舐めずりをするクリスの一歩を、ナヴィアは正確に打ち抜いた。

 右足の膝から下を吹き飛ばされたクリスに浮かぶ表情は苦痛ではなく苛立ちだった。彼女は片足になって小さく顔をしかめる。


「面倒なの。それぐらいの傷じゃ止まらないって分かってるはずなの」

「近付かせないためです」

「分からず屋なの。じゃあもう決着をつけるの」


 一瞬で足を生やしたクリスが、今度はナヴィアの反応速度を超えて接近する。


「一撃でダメなら連続で殴るの」


 そして一撃でも必殺の聖拳を何の躊躇いもなく幾重にも重ねてぶつけてきた。

 衝撃を受け止めきれずにナヴィアの足は白い空間を滑る。しかしその程度では逃がさないとばかりにクリスも一歩を詰めながら殴り続けた。

 とうとうナヴィアの口から苦悶の声が漏れる。


「まだ壊れないのは流石なの。でも持ち主はそうもいかないの」


 右を打ち、右を下げると同時に左を出し、もう一度右を打つ。

 左右の手を交互に突き出す。やっていることはただそれだけだが一つ一つの威力は岩をも砕く。ヒリアにヒビが入る気配はまるでないが、衝撃を流し切れないナヴィアは違う。


「衝撃を受け流せないようじゃ死ぬだけなの」

「そうですね。このままだとわたくしは負けると思います」


 手の感覚が既に怪しくなっていた。

 手だけではない。ずっと踏ん張り切れずに滑り続けている足の裏も、思うように動かせない中勢いよく流れる体の節々も限界が近い。

 このまま続ければどうなるか。そんなことは当事者であるナヴィアがよく知っている。知っているからこそ状況を打開するために膝を曲げ、次の瞬間にはクラスの手が届かない位置まで跳び上がっていた。


「でもケータさんに任されたんですからそう簡単には諦められません」


 クリスは膠着状態が崩れたことに理解が追いつかず、呆けた顔で頭上を跳び越えていくナヴィアを目で追っている。

 ナヴィアはクリスの様子を冷静に見下ろしながら、震える手に鞭打って再び矢の雨を降らせ始めた。

 突然のことにそれでも反射は追いついたのかクリスは自分の顔を守るように両手をかざした。


「まだ分からないの? どれだけ矢を射っても効果はないの」

「それはどうでしょうか?」

「……何を企んでいるの?」


 無数の穴はできたそばから埋められていき、矢を刺したまま残そうにも筋肉を脈動させるだけで粉砕されてしまう。

 それでもナヴィアは不敵な笑みを崩さない。そんな彼女に、クリスも怪訝そうに眉を寄せた。


「敵に教えるわけないじゃないですか。自分で考えてください」

「上等なの。なら企みが成功する前に殴り壊すの」


 ナヴィアはまるで捻くれ者などこかの誰かみたいな相手をバカにした顔になって鼻で笑う。

 ナヴィアに作戦を話すつもりはない。それならクリスが取る行動は一つだ。面倒くさい作戦ごとすべて殴って壊す。単純で簡単な絶対だ。


「樹木よ。壁となりて我を守りたまえ」


 クリスが無数の魔力の矢を気にせず飛びかかる。だけど彼女のこぶしがナヴィアに届くことはなかった。

 ナヴィアの眼前に現れた木の壁が砕けながらクリスのこぶしを受け止めたからだ。


「魔法? ますます面倒なの」

「耐久勝負です。わたくしが作戦を成功させるかあなたがわたくしを壊すか」

「気に入らないけど付き合ってあげるの。絶対に壊してあげるの」


 木の壁を形成すると同時に後ろに跳んでいたナヴィアは勝利を確信しているみたいだった。

 ナヴィアが何を企んでいるかは分からない。だけどクリスにできることは一つだけだ。彼女が飛びかかるたびに木の壁が作られて距離を取られてしまうが、構わず何度も突撃する。


「そうもいきません。わたくしの作戦もあと一歩です」


 追いつかれればもれなく粉砕される恐ろしい鬼ごっこ。

 だけどナヴィアに焦りはなく、冷静に目を細めていた。彼女の弓の腕は正確だ。クリスを貫いた矢の箇所でそろそろ塗りつぶしが終わる。

 ついに彼女の努力は身を結んだ。刺さった一本の矢によって、クリスの再生魔法が完全に止まったのだ。


「んっ!? 何、したの?」


 再生ができなくなれば、傷だらけなクリスが動けるはずもない。

 彼女は辺りに血を擦り付けるようにして倒れ込んだ。腕すら持ち上げられない様子を見るに、どうやら鬼ごっこはナヴィアの勝ちみたいだ。


「やっと見つかりましたか」

「何したかって聞いてるの!」

「難しい話じゃありません」


 叫んだせいで器官に血が入ってしまったのか、クリスが盛大にむせる。

 ナヴィアは種明かしをするように、今にも死にそうなぐらいの大怪我を負っているクリスに見せつけるように人差し指を立てる。


「あなたは信仰によりアダムから再生魔法をかけてもらっている。そうでしたよね?」

「だったら何なの? 今の状況とは関係ないはずなの」

「聖人としての力です。人間としてのものではありません」


 クリスの腕力は紛れもない彼女の才能だ。サンも似たような筋力だから、腕っ節に自信がある人間なら不可能ではないのかもしれない。

 だけど再生魔法は違う。アダムから与えられているものだ。つまり、最高の能力は最大の弱点に成り得る。


「どこかにアダムから魔力をもらうジュシンキ? があるはずです」

「ジュシンキ? 初めて聞くの」

「わたくしも詳しくないです」


 具体的にジュシンキという言葉がどういうものかは説明できない。

 何せナヴィアは記憶の中から言葉を引っ張ってきただけだからだ。詳しく教えてもらったような気がしないでもないけど、覚えているわけがない。


「聖女と戦うなら狙うは一つ。神からの力を降ろすための場所があるはずだ。そこからクリスが無意識に振り分けてるんだろう」


 ナヴィアは声のトーンを下げて、まるでどこかの勇者のように人差し指を立てる。

 彼は直接戦い機会がなかった英雄の対策も考えていた。実際に肩を並べて戦ったのだから情報も不足していなかった。故に最適解を既に導き終えていた。


「記憶の中の誰かがそう話していたのを思い出したんです。確かあの方はジュシンキと言っていました」

「……私の弱点を見つけられるなんて間違いなくケータなの。本当に覚えてないの?」


 今まで何度も圭太の働きは見てきた。彼なら自分の弱点を見つけていたとしても不思議ではないとクリスも納得している。

 だからナヴィアが圭太から自分の弱点について聞いていたとしても疑いはしない。しないのだが、最初にナヴィアは圭太に関する記憶を失っていると言っていた。もしもそれも作戦のうちだとしたら大したものだ。まったく気付かせなかったのだから。

 クリスは思わず疑り深い目でナヴィアを見る。


「記憶の誰かがケータさんなのかはわたくしには分かりません」


 大切な何かを確かめるように柔らかく微笑んでいるナヴィアが嘘を吐いているとはとても思えなかった。


「でも記憶がなくても体が覚えてるのかもしれませんね。勇者も似たようなことを言ってました」

「コハクが適当なことを言うとは思えないの。本当に体には刷り込まれてるってことなの」

「そんな話はどうでもいいんです」


 ナヴィアが思い出せないだけで待ち人である誰かが圭太かどうかなんて関係ない。

 ナヴィアは首を左右に振って、この戦いに関係のない話を無理やり終わらせた。


「これでわたくしの勝ちです。あなたは自力で動くこともできません」

「舐めないで欲しいの」


 全身から血を流し、黒いシスター服でも分かるぐらい真っ赤に染まっているクリスが震える腕に力を入れて体を起こそうとする。

 誰とは言えないが何度も見たような闘志の高さに、ナヴィアはわずかに目を細めて新たな魔力の矢をつがえる。


「聖人と呼ばれていた私だけど、戦ってきたのはこのこぶしなの。このこぶしがある限り私はまだ戦えるの」

「ならそのこぶしを砕きます」


 クリスが握りこぶしこそ武器であると闘志を燃やす。

 だからナヴィアは当然の判断としてクリスの両手を魔力の矢で貫いた。


「ぁっ」


 クリスは吐息混じりの小さな声を漏らし再び血の海に沈んだ。全身を傷つけられ、武器も奪われた。彼女が戦えるわけがない。


「これでもまだ、抵抗しますか?」

「私はまだ、戦えるの」


 しかしナヴィアは問いかける。クリスの瞳から戦意は消えていなかったからだ。

 ナヴィアの見立ては正解だった。クリスは全身の痛みに歯を食いしばって、それでも譲れないと全身に力を込めている。

 きっと殺さなければ止まらないだろう。


「でも今ならケータさんたちの後を追えますよ。それってもうわたくしの勝ちも同然ですよね?」


 勝利条件がクリスを傷つけずに戦意を削ぐなら不可能に近いと思う。力尽くではますます火に油を注ぐだけだ。逆に懐柔しようにもアダムの洗脳が阻むだろう。

 しかしナヴィアは別にクリスをどうにか洗脳から解かなければならないわけではない。

 ナヴィアは圭太の助けになりたい。そのために必要な条件であるクリスの無力化はたった今完了したばかりだ。


「――確かにその通りなの」


 ナヴィアの冷静な一言に、クリスもどこか腑に落ちたらしい。うむと一度頷いた。


「あーもう、悔しいの! 私が負けるなんて思わなかったの」

「仕方ないですよ。わたくしが強かっただけです」

 きっと全身が自由に動けば破壊を振りまいていただろう調子でクリスがバタバタと悔しさを表現する。

 そんな彼女にナヴィアはドヤ顔を放った。相性の問題もあるが、矢一本分ズラして当てる精度の弓の腕がなければクリスの受信機を探し出すことはできなかっただろう。


「アドバイス貰うなんてズルいの!」

「そんなこと言われましても、わたくしその人の顔も思い出せないんですよ?」

「なら私が思い出させてみせるの」


 ナヴィアは困ったように首を傾けた。

 アドバイスを貰うのが、人の助けを借りるのがズルいというならクリスはどうなのか。他ならぬアダムから再生魔法を常にかけ続けてもらうほうがずっとインチキだと思う。


「聖人が全力を出せばできないことなんてないの!」


 負けた悔しさのあまり、クリスは大きく宣言する。

 確かにクリスなら、聖人である彼女なら本腰入れればできないことはないだろう。


「…………えっ?」


 だからこそナヴィアは戸惑ったように声を漏らした。

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