最終章四話「立派なババァ」
残してきたナヴィアを心配しながら、圭太たちはそれでも足を進める。
ついに視界に赤一色に染まった人影を見つけた。
「やっぱりいましたわね」
「久しぶりねイオアネス。まさかアンタに先を越されると思ってなかったわケータ」
真紅の魔法使い、キテラはヘラヘラと薄っぺらい笑みを浮かべている。
先を越されるというのはイオアネスを自由に動かしているという意味だろうか。それなら圭太は何もしていないのだが、流暢に話し込んでいるわけにもいかないので口には出さない。
「キテラ。お前はどんな風に操られてるんだ?」
「操られてる? 冗談でしょ? アタシがそんなヘマするはずないじゃない」
サンは精神そのままに肉体の自由を奪われていた。クリスは自分でも気付かないうちにアダムへの信仰心を強められていた。
だからキテラも何か手が入れられていると思ったのだが、圭太の予想に反して彼女は首を左右に振った。
「さっきの二人もそう言ってたぞ。だけど襲ってきた」
「あの二人は素直だもの。アダムに牙剥いたんだから、そりゃあ洗脳されるわよ」
「キテラは違うと聞こえますが?」
シリルも目を細めながら剣を抜いて警戒態勢を強める。だがキテラに襲い掛かってくる気配はなく、肩をすくめながらどこか呆れた調子で呟いた。
話を聞いていた一桜が怪訝そうに右の眉を動かす。自分は二人とは違う。確かにそう聞こえる言い方だ。
「ケータなら分かるわよね? アタシがどんな行動をしたか」
「まあな。あくまで俺ならこうするってだけだが」
もしも圭太がキテラと同じ立場だったら、仲間をことごとく洗脳されてしまったとしたら、選べる選択肢はそう多くない。自分ならきっとこう動くと断言できた。
「最初から従順なフリをした。それなら余計な手を加えられることもない。反撃の機会を伺うこともできる」
「さすがアタシと思考が似てると自称するだけあるわ。その通りよ」
自分に敵意はないと白旗を振ればいい。そうすればアダムは信用してくれないままかもしれないが洗脳しようとまでは出ない可能性がある。抵抗する気がないのなら、わざわざ手を出す手間を選ぶ意味がないからだ。もしも裏切るつもりならそのときに洗脳すればいい。
圭太の考えとまったく同じ行動を取ったらしいキテラは、腕を組んでうんうんと何度も頷いた。つまりキテラはチャンスを待っていたということだ。
「じゃあキテラは正気ってこと? 正気でボクたちに立ち塞がるの?」
「そうね。悪いことは言わないわ」
もしも正気であり操られていないのなら、キテラが圭太たちの前に立ちはだかる理由がない。
琥珀がわずかばかり動揺した様子を見せると、キテラはまったくの悪意もないと表情で語りかけてきた。
「引き返しなさい。アタシたちのことは綺麗さっぱり忘れるの。そうすれば平和よ」
そして操られていないからこその本心であろう言葉を圭太たちに投げかけてきた。
「できませんわ。理解しているでしょう?」
「どちらかと言えばイオアネスはアタシ側だと思ってたんだけど」
かつての仲間に引き返せと言われて、琥珀の動揺は大きくなっていく。彼女の代わりとばかりに一桜が即答で拒否知した。
琥珀の安全を最優先に考える一桜ならここで撤退しようと言うと思ったのだが。キテラと似た思考回路を持つ圭太も少しだけ目を丸くして彼女の横顔を見る。
「キテラが渋るのはアダムがそれだけ規格外だからでしょう? その程度の理由でコハクが止まると思いますか?」
「止まらないでしょうね。だからこんなとこまで来ちゃったんだろうし」
圭太の目に映ったのは琥珀を誰よりも理解した親友の顔だった。
一桜の言葉は正しい。琥珀は不可能と言われた程度で止まるような性格ではない。それなら魔王を封印することもできなかったはずだ。キテラも思わず呆れた調子で頷いてしまっている。
「キテラ。ボクは止まるつもりはないし引き返す気もない。イブが待ってるんだ」
「魔王のためにアンタが命を張る必要はないわ。魔王のための勇者じゃないんだから」
親友に背中を押されて琥珀は自信を取り戻したのか改めて宣言する。
だけどキテラの表情は渋かった。琥珀は人類のための勇者であり、どちらかと言えばアダムの味方だ。わざわざイブのために無理かもしれない相手に挑む理由はない。
魔王のための勇者は圭太ただ一人だ。ともに戦ってくれる仲間たちは圭太が巻き込んだだけに過ぎないのだから。
「ううん。ボクはボクのために命をかけるんだよ。だから通してくれないかな? 時間がないんだ」
「残念だけど、アタシもアダムに命令されてるの。全員無傷では通せないわ」
琥珀は言った。イブを親友だと。親友のために命をかけるのだと。
だからキテラの忠告を受けたぐらいで今さら迷うことはない。強い魔力が彼女の周りで火花を飛ばしているが、対するキテラもこればかりは譲れないと纏う雰囲気を変えた。まるで竜巻でも相手にしているような気分だ。
「ならオレが残る」
「シリル。大丈夫か?」
「ナヴィアも言ってただろ。オレが一番相性がいいんだ。だからオレが残る。ケータたちは先に行け」
圭太には認識しづらいが魔力を渦巻かせているキテラに、シリルが一歩前に出て手負いの獣みたいな鋭い目を向ける。
「あら? 誰かと思えばアンタあのときのちんちくりん? ずいぶん大きくなったのね……アタシもしかしてオバちゃんになってる?」
「オレが復讐してから十年は経ってるからな。立派なババァだ」
「――いい度胸ね。気に入ったわ。クソガキには礼儀ってもんを教えてあげないとね」
キテラが初めて不安そうに呟き、シリルの一言ですぐに般若の顔になった。完全にシリルをターゲットにしている。
「ほら。ケータたちは先に行け」
「だがシリルはまだ子供だ。子供に英雄の相手なんて任せられない」
「いつまで昔の話してんだよ。初めて会ったから十年経った。もう同い年だろ?」
異世界にいた圭太と違い、シリルはこの十年で成長した。今や年齢による体格差はほとんどなく、年齢もほとんど変わらない同年代だ。
それでも圭太は心配してしまう。いくらシリルが魔法使い相手の相性がいいとしても、どうしても十年前の姿がチラついてしまう。圭太を利用として逆に利用されてしまったまだ幼き復讐者が。
「ケータたち勇者みたいにはいかないかもしれないけど、任せてくれよ」
「……しかしだな」
「行こう圭太君。シリルなら大丈夫だよ」
「そうですわ。このときのために三人がかりで鍛え上げたのでしょう?」
まだ踏ん切り付かない圭太の両脇から引っ張るようにして琥珀と一桜が頷く。
シリルとて立派な戦力だ。相手はこれ以上にないぐらい相性の良いキテラだし、何も心配する必要はない。
今までと同じように彼女に任せて先を急ぐべきだ。
「それに時間もあまりないわよ。アタシの見る限り、魔王の抵抗は随分弱くなっていた。もう限界でしょうね」
「くっ、分かった。頼むぞキテラ。殺すなよ」
「さあ? それは分からないわ。このクソガキの強さ次第ね」
ここで迷っている時間はないと告げられ、圭太は苦渋の決断を下した。シリルに任せて先を急ぐ選択をしたのだ。
操られていないと自分で言うぐらいだ。きっと今までの二人と違い手加減ぐらいはできるだろう。そう思って圭太が頼み込むと、キテラはあっけらかんと首を捻った。
「ババァに負けるわけねえだろ」
「今決めたわ手加減なしよ」
シリルが安い挑発をし、キテラは額に青筋を走らせた。
「ケータ。オレが心配なら必ずイブを連れてこい」
おい何してんだと言おうとするよりも早く、シリルは圭太をまっすぐに見つめる。とても信頼している目だ。圭太とは大違いである。
「イブなら派手好きのババァが相手でも勝てるんだろ?」
「――ああ。分かった。必ず加勢させに戻る」
つまり、心配ならイブを連れて来いということだ。
シリルの考えを正確に読み取って、圭太はしっかりと頷く。
イブならキテラにも勝てる。だから急いで連れ戻さなければならない。
「だからそれまで耐えろ。絶対に」
「任せとけ。オレの背中もたまには頼りになるって見せてやる」
シリルは自信満々にニカッと笑みを浮かべた。まるで一人でも問題ないと告げるみたいに。
「急ごう圭太君。手遅れになる前に」
「分かった今行く。頼りにしてるぜ、シリル」
琥珀に急かされて、圭太たち三人は瞬く間にアダムたちの元へと走っていく。
どんどんと小さくなっていく背中を眺めながら、シリルは小さくため息を吐いた。
「……珍しく嘘が下手だなケータめ。オレが負けると思ってやがる」
圭太は堂々とした演技と口調で敵地であろうと飄々とした顔で情報を集めてきた。
そんな彼でもシリルが心配らしく、自慢の演技もおざなりになっていた。何度も圭太に騙されてきたシリルにはすぐに見破れるほどだ。
「その通りでしょ? 安心して。命までは取らないから」
「そんな余裕でいいのか?」
キテラは強者の余裕たっぷりの笑顔を浮かべている。
対するシリルは不敵な笑みを浮かべて、体の調子を確かめるように剣を二、三度振った。
「あのときは助けてもらったけど、オレ一人でも復讐できたって証明してやんよ」
最強の勇者が手を貸さなくても、時間さえあれば一人で復讐を果たせる。
圭太に心配される必要はないと証明できることに、シリルの気分はウキウキしていた。




