最終章三話「奇跡を起こす」
サンをシャルロットに任せて、圭太たちは白い空間を走り抜けていた。
途中シリルのためにペースを落としたりしたが、足は止めなかった。サンの忠告を信じるのなら、今イブは一人で戦っている。とても足を止めて休憩する余裕はなかった。
「もうサンを倒したの?」
やがて人影が見えたが構わず走っていると、白い空間では異物感極まりない黒いシスター服で水色の髪の少女が話しかけてきた。圭太たちも思わず足を止める。素通りするには少々難儀なシスターだった。
「やっぱりクリスもいるよね」
「久しぶりなのコハク。その様子だと想いは成就したみたいなの」
シスターとして、英雄として多分勇者パーティで一番人と触れてきたからか、クリスは一目見て琥珀と圭太の関係に進展があったと見抜いた。
サンが操られていたから、他の二人もこの先で待ち構えている可能性が高い。圭太と同じ予想を琥珀もしていたらしく、彼女の表情は暗かった。
「サンは忘れていたのに、クリスは覚えているの?」
「当然なの。サンは一番激しく抵抗したの。だから大切なものを奪われてしまったの。その点私は信仰深かったおかげでほとんど何も取られなかったの」
大切なもの、それは間違いなく記憶だろう。だけどシャルロットに蹴られたぐらいで思い出していたぐらいだからとても簡易なもののはずだ。それにサンなら記憶を奪われたぐらいで抵抗をやめるとは思えないし。
「だからケータのことも覚えているの」
クリスが圭太にまっすぐな瞳を向ける。
圭太の記憶と記録はこの世界に残っていない。シリルやスカルドが無効化できるぐらいの軽いものだけど、この空間に閉じ込められていたクリスが覚えているのはまったく違う意味だろう。
この空間なら禁忌魔法の代償も届かないのかもしれない。
「サンは認められなかっただろうな。アイツはまっすぐな性格だから」
「まったくなの。それで大切な想いを忘れてしまったんだから本当に愚かなの」
「わたくしはそう思いません」
サンの性格なら圭太も理解しているつもりだ。自分と同じように、大切なものを守るためなら自分のことを度外視するような性格だと。クリスも同じようで、呆れた調子で肩をすくめていた。
だけどナヴィアは納得いかないとばかりに首を左右に振った。
「大切な人のために命をかける。素晴らしいと思います」
「それで守り抜けるなら確かに美談なの。でも現実はそう甘くないの」
ナヴィアはサンを尊敬に値すると評する。だけどクリスは冷たい評価を下していた。
守り抜けないならどれだけ命をかけようと無意味。なんだか圭太にも刺さる言葉だ。
「それに、アダム様に対抗するなんて無意味なの。あんなに素晴らしい考えの持ち主なのに」
「……クリス」
出会ったころならまだしもアダムのせいで仲間たちはバラバラにされた今、クリスから出てくるはずのない言葉に琥珀は顔を曇らせた。
クリスは少なくとも仲間よりも信仰を取るような人間ではない。それは一緒に旅をしてきた琥珀が一番よく知っている。
「コハクもすぐに引き返したほうがいいの。そうすればアダム様は不問にしてくださると言っていたの」
「それは聞けません」
心配する仲間からの忠告にも聞こえるようなクリスの言葉。ナヴィアが一歩前に出て拒否した。
「わたくしたちはアダムを倒します。大切な方を取り戻すために」
そして彼女の両耳が、正確に言えば彼女のしているピアスが光って弓の形になる。
ヒリア。ナヴィアの持つ武器の名だ。彼女は半身になって左手でヒリアを持って構える。
「立ち止まっている場合ではないんです。引き返すなんて以ての外。さっさとそこをどいてください」
「できない相談なの。私は全員を倒すように命令されたの」
「ならわたくしが相手します。ケータさんたちは先に行ってください」
ナヴィアが透明な弦を絞るように右手を引くと、魔力の矢が彼女の手に現れた。
「一人で大丈夫か? アイツの馬鹿力は半端じゃないぞ」
「知っています。ですがわたくしが適任です」
クリスは再生魔法こそ使えるが戦闘に使えるような特殊能力はない。あくまでもヒーラーとしての役割だ。
だけど彼女は単騎でもそう簡単には負けない。圭太が知る限り最強の腕力があるからだ。下手したら剛剣のサンに並ぶかもしれない。ナヴィアが相手するには酷だろう。
だけどナヴィアは自信満々に断言した。どうやら圭太には見えない勝算があるらしい。
「適任? 相性は悪いんじゃないかな?」
「二人と遭遇した以上、最後の一人もこの先で待ち構えているでしょう。魔法使いならシリルが負けるはずありません」
サンとクリスはいた。それならキテラがこの先で待ち構えているのは間違いないだろう。
優れた魔法使いであるキテラにとって魔法を阻害できるシリルは天敵みたいなものだ。相性は最高にいい。
「それにわたくしは弓、遠距離武器です。いくら力が強くても勝ちます」
腕力が強いのなら、近付かせなければいい。
確かにナヴィアの言う通りだ。そういう意味では腕力が強く再生魔法が使えるだけのクリスは相性がいいのかもしれない。
「分かった。なら先に行こう」
ナヴィアの説明を聞いて、その説得力に納得した圭太は彼女の肩を叩いてから横を走り抜けようとする。
「待って圭太君! 危険だよ!」
「分かってるよんなことは」
先を急がないといけないのに琥珀に止められた。琥珀はどうやらまだ納得していないらしいので、圭太は振り向いて何言ってんだとばかりに目を細めた。
「ナヴィアが任せろって言ったんだ。信じてやらなくてどうするよ」
「でも……」
たとえナヴィアが記憶を失っていたとしても、圭太にとって彼女はもっとも頼りになるエルフだ。下手したらイブよりも多く一緒に戦ってきたのだから。
琥珀はまだ納得していないみたいだったが、これ以上付き合うつもりはないと圭太はまた前を向き直した。
「私は全員が相手でも負けないの」
「抜かせ。俺たちで相手したらうっかり殺してしまうからナヴィアに任せるんだよ最弱」
「私は弱くないの。何なら証明してみせるの」
圭太があからさまな嘲笑を浮かべると、クリスは簡単に挑発に乗って接近してくる。
身体能力に優れるエルフであるナヴィアよりも走る速度は速い。間違いなく人間でもトップクラスの足の速さだろう。だけどサンや琥珀を見慣れている圭太にとっては遅いぐらいに感じた。
「させません」
ナヴィアが呟き、右手を弦から離す。魔力でできた矢が正確にクリスの足を撃ち抜いた。
「あなたの相手はわたくしです。ケータさんたちには触れさせません」
「その程度で私を足止めできると思ってるの?」
「いいえまったく。だから数で攻めます」
平然と言い切って、ナヴィアが矢の雨を降らせる。雨に晒されたクリスが赤い滴を飛び散らせ、シスター服もズタズタに引き裂いていく。
「今のうちに。再生が追いついていないはずです」
「おう任せた」
あまりの容赦のなさにドン引きしていると気付かれたくなかったので、圭太は短く頷いた。
「その……」
「あん?」
「わたくしにもあの言葉をくれませんか?」
「あの言葉? ……ああ、なるほど」
一瞬だけナヴィアが何を求めているか分からなかったが、圭太はすぐに思い当って手を叩く。
「俺たちは先を急ぐ。だから助けてくれ」
「任せてください」
何度も圭太が求めた言葉を逆に求められてしまうとは思ってもみなかったが、気持ちは痛いほどに理解できる。
圭太は真剣な表情で助けを求めた。真剣な表情で頷くナヴィアはとても頼りになるように見える。
「信じてるからなナヴィア」
最後にナヴィアの肩を叩いてから、圭太は今度こそクリスの隣を走り抜けた。後ろ髪を引かれるように顔をしかめながら琥珀たちも後を追ってくる。
一人だけ残ったナヴィアは、小さく手を振ってとても頼りになる背中を見送った。
「私が目の前の獲物を逃がすなんて、屈辱なの」
「心配しないでください。あなたは誰一人倒せません。わたくしもです」
「言ってくれるの。調子に乗らないで欲しいの」
ナヴィアがちょっと手を離した隙に再生してクリスが立ち上がる。どういう原理かシスター服まで元通りになっていた。
「洗脳されているなら、本来ほど動きにキレはないはずです。それならわたくしにも勝ち目はあります」
「舐めないで欲しいの」
クリスがジロリと背が凍るような瞳を向ける。まるで自分では勝てない獣と相対したときみたいに、ナヴィアは一歩後ずさった。
「私はアダム様に愛されたシスターなの。お前のように卑しい魔族に負けるはずがないの」
「なら教えてあげます」
卑しい魔族。ほんの十年前なら自分は違うと即座に訂正させていたのに、今はただ単純にむっとした。
「想いは時に奇跡を起こす。駒の一つになってしまったあなたを正気に戻す奇跡を、わたくしが起こしましょう」
雲泥の実力差をことごとく覆してきた英雄がいたことを、名前も顔も思い出せないけど知っている。
彼がしたように自分も目の前の格上を超える。きっとできるはずだ。
「すべてはわたくしの想いのために」
想いはときに現実を凌駕する。ナヴィアは何度もその光景を見てきたのだから。




