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第九章二十三話「繁栄のために」

 エルフの村は圭太の記憶とまるで変化がなかった。

 ファンタジーの世界に来たのだと嫌でも理解させられる幻想的な光景。森と建物が調和し溶けあっているようで、心なしか行き交うエルフも上流階級のような気品さを感じられた。


「来たか」


 村の入口とは反対側の一番大きな建物。まるで大樹に飲み込まれているような立派な屋敷に入ると、スカルドが正座してお茶を飲んでいた。

 スカルドの家の中に入ったのは初めてだが、まさか古き良き木造建築だとは思わなかった。畳がない和式屋敷と言って伝わるだろうか。時代劇でたまに出てくる百姓の家みたいな雰囲気だ。


「遅くなりました父さん」

「良い。お前なら来てくれると思いましたよナヴィア」


 ナヴィアが声をかけると、スカルドは湯呑を床に置いて微笑みの仮面を被る。床から生えた根っこが湯呑を受け取ってどこかへ持ち去っていった。魔法を手足のように扱う繊細な技術だ。イブには逆立ちしたって真似できないだろう。


「スカルド……!」

「はて? 名乗っていませんが?」

「有名人だからなお前は」


 いつぞやと同じようにわざとらしく首を傾げているスカルドに、圭太は鋭い眼光を浴びせる。

 スカルドはゆっくりとした動作で立ち上がった。一瞬だけ警戒を強める圭太の横をすり抜けて、屋敷の外に出る。


「なるほどシャルロットが教えたのですね?」

「いやわたしじゃない」

「正直に答えるな。分かってる」


 スカルドの後を追って外に出たシャルロットが真顔で首を横に振ると、スカルドはわずかながら仮面を外して冷たい声音で呟いた。


「久しぶりだな腰抜け。今さらどうして顔を見せる?」

「お前、俺のことを覚えてるのか?」


 スカルドは侮蔑しているような視線で圭太を見据える。腰抜けという単語に腹を立てる前に、その口ぶりに圭太は目を丸くした。

 臆病者と言われる所以はないが、少なくとも初対面の人間に向ける侮辱ではない。ある程度の行動なり考えなりを理解していなければ、臆病者かどうかは判断できないはずだ。


「何を驚く? 禁忌魔法の代償について学んだのだろう?」

「禁忌魔法の代償だと?」

「禁忌魔法は魔力があれば軽減できる。言い換えれば魔力さえあれば代償を支払う必要はない」

「なっ!」


 シリルが声を荒げた。

 そういえばイブもそんな話をしていた気がする。禁忌魔法の本来の代償は術者の命だ。だが魔力さえあれば命までは取られない。イブの両足が動かなくなったのも彼女の魔力が多かったからだ。単純な魔力量だけが代償を免れる条件ではないため、まさかシリルみたいな特殊な例を除いて圭太を覚えている存在がいるとは思わなかった。


「スカルドはわたしよりも魔力が多い。可能性はある」

「とは言っても今回は世界すべてに働きかける代償だったからだ。個人で支払うものならそう上手くはいかなかった」


 シャルロットは不可能ではないと納得した様子で頷いており、スカルドも運が良かったとばかりに補足で説明する。

 圭太の記憶と記録が消えるという代償はシリルでも無効化できるぐらいの軽いものだ。ナヴィアの反応から察するに、あくまでも忘れているのは圭太という存在に関してだけで、圭太が巡り合わせた琥珀やシリルのことは覚えていた。

 だから魔力を多く持っている者なら圭太のことを覚えている可能性が高いというわけだ。目の前にその結果がいる。


「じゃあ父さんはケータさんを知ってるんですか?」

「ケータ、さんか。よそよそしい呼び方をされているな」

「うるせえよ。仕方ないだろお前がイレギュラーなんだ」


 ナヴィアの疑問に目を細めて、スカルドはさらに嘲笑の色を視線に宿らせる。圭太は舌打ち交じりに肩をすくめた。

 ナヴィアはもちろん、かつて最強の四天王と呼ばれたシャルロットも覚えていないのだ。いくら魔法が不得手とはいえ、シャルロットの魔力もそれなりの量だ。ナヴィアだってエルフの中ではトップクラスの魔力量だろう。それでも覚えていないのだから、代償を支払わずに済ませる魔力は相当な量だったのだろう。この世界で単純な魔力量だけで圭太のことを忘れないようにした存在はきっと片手の指で足りるぐらいしかいないはずだ。


「既に諦めていると見える。あのバカ親に何か仕込まれたみたいだな」

「バカ親、だと? じゃあお前はアダムの子供なのか!?」


 スカルドは恐ろしいぐらい正確に言い当ててくる。

 だからこそ、単語の一つが聞き逃せなかった。この場で知らない単語が指し示す人物は一人しかいないのだから。


「そうだ。魔族を見捨てたバカ親と魔族を助けようとしたクソガキ。二人の子供だ」

「なんだと……!?」


 あっさりとした調子で答えるスカルドの言葉に、圭太はかつてないほどに絶句した。

 ずっと不思議に思っていた。

 エルフの長だから魔力量が高いのはまだ分かる。だけどシャルロットすら怯むほどの実力を持っている理由が分からない。イブの近辺を守る最強の剣士が、どうしてスカルド相手に冷や汗を流したのか。

 その答えは、簡単だった。

 スカルドは神と魔王の子供だった。だからシャルロットも敵わないぐらい高みにいるのだろう。イブと真っ向から言い争えるのも、実の親子だからというわけだ。


「我々は皆兄弟だ。ナヴィアとシャルロットもいとこ同士になる。元はほとんど同じ血筋だ」

「神話のアダムとイブ。その伝承通りですわね」


 話を聞いていた一桜がまるでおとぎ話でも聞いているみたいに呆れた調子で呟いた。

 この世界にも神話があるのかは知らない。もしかしたら圭太が捨てたかつての世界のことなのかもしれない。楽園から放り出された二人が生命を育んでいった聖書そのままの内容だ。呆れるしかないとは今みたいな心境のことを言うんだろう。


「正確には親は二人だけではないが、まあそんなことはどうでもいい。お前には不要だろう?」

「ああ、いらねえよ。誰の親だろうと俺は取り戻すだけだ」


 それにアダムとイブがかつて子供を育てていたとか、そんな話は圭太にはどうでもよいことだった。

 イブを救い出す。大切なのはそれだけだ。今さらバックボーンを知ったところで行動を改める気はない。


「だけど一つだけ言うぞスカルド。お前、イブのことも覚えてるな?」

「だったらなんだ?」

「どうして助けようとしねえんだ」


 スカルドは先ほどクソガキと呼んだ。彼がクソガキと呼ぶ人物を圭太は一人しか知らない。スカルドが一切仮面を被らず本心から言い争いができる魔族の王。彼女だけだ。

 だけど普通ならそれはあり得ない。圭太同様、イブに関する記憶と記録も消えているのだから。おかげで今魔族を守護しているのはアダムだけになっている。まったく、クソみたいな歴史に改変したものだ。


「我々には関係がないからだ」

「関係ない? んなことないだろ!」


 覚えているなら助けに行くべき。そう考える圭太とは対照的に、スカルドは冷たく答えた。

 シャルロットだってイブのことを思い出せないのに助けようとしていた。なのにどうして関係ないからと見て見ぬフリができるだろうか。


「エルフの存亡に関係ない。あのバカ親は千年間の間に考えを改めたらしいからな。魔族を滅ぼそうともしていない。クソガキを独り占めできたら満足なんだ」


 確かに魔族の町を見る限り、アダムが危害を加えようとしているとは思えなかった。魔物の大量発生は深刻な問題ではあるけれど、魔族は町を作って自己防衛している。そもそもどうやって町を作ったのかは疑問に残るが、恐らくアダムが手を貸したのだろう。イブが手に入ったのだから君たちは勝手にしてろとばかりに適当に神造兵器の一つや二つを渡したのかもしれない。

 魔族がわざわざアダムを倒す目的がない。最初からそういうことになっていたのだ。アダムを倒せば魔物の数が減ると説得したところで聞き入れてもらえるとは思えない。


「わざわざ火種を貰う理由がない」

「だから見捨てんのかよ! イブが今までどれだけ魔族を守ってきたと思ってやがる!」

「お前こそ語るなよ」


 だけど、イブがこの千年間どれだけ魔族の繁栄に心を砕いたと思っている。

 とても辛い思いをして、自分の両足まで失って魔族を守ろうとしたイブを、助けるメリットがないからと見捨てていいわけがない。

 だが、語句を荒げる圭太とは対照的に、スカルドは冷たく言葉を放つ。


「あのクソガキがどんな思いでアダムに囚われているのか。抵抗すらしていない理由を考えたことがあるか?」

「っ!」


 イブは、強い。

 不覚こそ取ったが、異世界にいる圭太に連絡を取れるぐらいだ。抵抗の意思があるのなら、何らかの行動に移ってもおかしくはない。

 だけどイブが抵抗したという情報は聞いたことがなかった。つまり彼女は、自分が囚われている今の状況を甘んじて受け入れているということだ。


「ないだろう? なぜなら我らが魔王は自分を犠牲にしてこの平和を守っている。お前の勝手な事情で壊していいものではない」

「んなの知るかよ!」

「ならば勝手にイブの想いを踏みにじればいい。いつかのようにエルフが協力することはないぞ」


 イブがいる限り、アダムは平和を崩さない。

 だからイブは抵抗しないのだ。すべては魔族の繁栄のために。

 理屈で言えば、とても理にかなっている。だけど理屈ではないのだ。圭太がイブを助けたいのは、小難しく考える必要のない単純な感情に従っているからだ。


「父さん。そろそろわたくしを呼んだわけを教えて欲しいんですが」

「おお、そうでした。せっかく呼び戻したのに、放っておいて申し訳ありません」

「思ってもいない謝罪はいりません。帰ってもいいですか?」


 圭太と話をしていたときとは打って変わって飄々とした仮面を被るスカルドに、ナヴィアは気持ち悪いものでも見るような冷めた目を向けた。


「残念ながら、お前が帰ることはもうありません」

「? どういうことですか?」

「ナヴィア。お前の処刑が決定しました」


 スカルドの声音に変化はない。淡々とまるで今日の仕事は畑仕事だとでも言わんばかりの調子で、とんでもないことを口にする。


「処刑!? どういうことだよスカルド!」

「黙れ。部外者に用はない」


 圭太が叫ぶが、スカルドは相手をするつもりはないらしい。短く吐き捨てるだけで、まるで興味を持っていない様子だ。


「お前になくても俺にはあんだよ! ナヴィアを処刑なんてさせねえぞ!」

「アダムから直々に通達が来ました」


 圭太のことなど無視して、スカルドはナヴィアに向けて事情を説明する。


「スカルドの娘はこの平和を乱す。だから処刑しろと」

「それを受けたのか!?」


 アダムにとって、圭太は重大な反乱分子だ。この世界で唯一アダムを倒す可能性を持っている。事実アダムを倒そうとする面々は圭太のもとに集まりつつある。

 だから最後のピースであるナヴィアを排除したいのだ。アダムの考えは容易に想像できる。理解できないのはスカルドの意思だ。


「先ほども言いましたが、この平穏にはクソガキの意思の上に成り立っています。個人的な理由で乱していいものではありません」

「だから従うのか。だから自分の子供を殺すのかよ」

「どのみち縁は切ってます。なら処刑したところで困りません」


 視線だけで人を殺せそうなぐらい感情のこもった圭太の目も、スカルドはどこ吹く風とばかりに受け流している。

 縁を切っているから実の娘を処刑しても支障はない。そんなのあっていいわけがない。バカげている。


「分かりました。それが村長の意思なら、わたくしは喜んで従います」


 徹底抗戦の意思を見せる圭太とは裏腹に、ナヴィアは重く頷いた。


「ナヴィア!? 何を言ってんだよ!」

「エルフの繁栄のために死ねというのなら」


 圭太の声も届いていない。

 追放された身ではあるけれど、ナヴィアにも情はある。長が死ねと言うのなら、ナヴィアは喜んでエルフのために最後の仕事をしよう。

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