第九章二十一話「呪い」
「ナヴィア!? どうしたの!?」
「簡単な話だ。俺の近くにいたナヴィアもアダムからすれば反逆者。罰を与えている可能性は高いってことだ」
ナヴィアは頭を抱えて叫び、目からは大粒の涙を流している。何もできなくて琥珀は困惑した様子を見せていて、圭太は変わらずに冷静に解説する。
「アァァアア!?」
「……一桜。権限を寄越せ」
だけど圭太とてナヴィアの悲鳴を聞き続けていたいとは思わない。
彼女の悲鳴を止めるために治療を終えたばかりの圭太は立ち上がり、一桜に手を差し伸ばした。
協力を求めるためではない。彼女のすべてを使うためだ。今は一桜が持っているオンネンの使用権限を、圭太は求めている。
「まさか彼女を殺すつもりですか? 恋人なのでしょう?」
「十年前はな。どっちにしろ殺すわけじゃない」
「……分かりましたわ。ケータなりの考えがあるんですわね?」
「ああ。暴走を止めるだけだ」
オンネンの危険性は一桜が一番よく理解している。だから彼女は圭太がナヴィアを殺すつもりなのだと考えてしまったようだ。そんなことあるわけない。いつぞやシリルが暴走したときのように、強引に意識を奪いたいだけだ。
圭太の手を握り、泥に戻った一桜が中に入っていく。
調子を確かめるために圭太は手からオンネンを滲ませる。オンネンの操作権限は完全に圭太に移されたみたいだ。今なら精密作業も可能だろう。泥を操ってトランプタワーだって作れる。
「頭がぁあ、割れそうです!!」
「悪かったなナヴィア。眠っててくれ」
「待ってくださいケータさ――」
「時間がないんだ」
魂の集合体である泥を纏った手を伸ばし、何かを言いかけるナヴィアの額に当てる。
オンネンに触れた瞬間、ナヴィアの体から力が抜けた。目を閉じて意識を失っている彼女の体を、圭太は壊れ物でも扱うみたいに慎重に抱きとめてから地面に横たわらせた。
ナヴィアの胸が小さく上下している。どうやら圭太の行動は功を奏したみたいだ。愛おしい端正な顔も苦痛に歪む様子はない。
「……なっ? 俺が言った通りだっただろう?」
「そんな、ナヴィアに一体何が」
圭太が薄っぺらい苦笑いと共に肩をすくめる。ここまで事態が重たくなると思っていなかったのか、シリルは自分を責めるように目を泳がせていた。
放っておいたら自分を責めて潰れそうなシリルの頭を、圭太は軽くポンポンと叩く。圭太以外の誰だって予想していなかったのだ。悲観する必要はない。むしろ予想が現実になったと喜ぶべきだ。とても喜べるような内容ではないけれど。
「多分封印だね」
「知ってるのですかコハク?」
「うん。剣をもらったときと同じ魔力を感じた。アダムが何か細工をしてるんだと思う。多分、彼女だけ厳重に封印が施されてるんだ」
圭太は知らなかったが、琥珀はアダムと直接話をして、今は自分の依り代である剣を貰っている。アダムの魔力に一番触れてきたのは彼女だ。だからこそ、言葉に嘘が混ざっているようには聞こえなかった。知っているからこその説得力すら感じられる。
「じゃあアダムを倒せばその封印が解けるんだな!?」
「そう甘い話じゃない」
パンと小気味よくシリルがこぶしを叩く。だけど圭太は渋い顔で首を横に振った。
「俺の名前を呼んでいた。だから記憶の消去自体はとても軽いものだ。シリルがいれば解決する」
意識を奪う直前、確かにナヴィアは何かを思い出したような顔をしていた。もしかしたら記憶が戻っていたのかもしれない。今となっては確認しようがないが、シリルには圭太が世界を渡った代償の影響を受けていないみたいだし、シリルの魔力さえあれば記憶を取り戻すことは簡単なのかもしれない。
「だけどナヴィアは激しい頭痛に襲われているみたいだった。もしも封印されているなら俺の名前を思い出せないはずだ」
単純に圭太に関する記憶を厳重に封印されているだけだったら、圭太の名前を思い出せるはずがない。
つまりアダムがナヴィアにしたのは封印ではないということだ。頭痛を伴う何か。あまりいいものではないのは簡単に予想できる。
「じゃあ封印じゃないってこと?」
「そうですわね。触れた感じでは呪いが近いかと」
ナヴィアに直接触れたからか、圭太の背中からホラー映画みたいな感じで出てきた一桜が自分の感想を口にする。
どうでもいいが、もう少し出てくる方法は考えられないものか。無理か。圭太の中に入っていたんだし、どう考えてもホラー路線は免れないか。
「呪いだと!?」
「今は記憶の戻り方が不完全だったので頭痛で済みましたが、もしも完全に思い出せば命を奪うでしょう。彼女の魂に杭が刺さっているような状態です」
「イブが戻れば記憶は解決できるからな。だから記憶を取り戻すと発動する呪いが仕込まれてるってわけだ」
シリルでもどうにかできる程度なら、魔王でありほぼすべての魔法に精通しているイブが対処できないわけがない。
だがイブを取り戻し、ナヴィアの記憶を完璧に取り戻せば呪いが発動する。きっとナヴィアは圭太の名前を呼びながら崩れ去るわけだ。なんと面白い悲劇だろうか。胸糞悪い。
「そのほうが俺を絶望させられるだろ?」
「そんなのおかしいよ」
敵としてもっとも有効であろう手に、圭太は薄っぺらい笑みを浮かべた。
イブを助け出したときは間違いなく圭太は最高潮の気分だろう。そこでナヴィアが死ぬ。落差の分受ける衝撃は大きいだろう。卑劣な捻くれ者を自称している圭太も参考にしたいぐらいの手だ。もはや笑みしか出てこない。
だけど圭太と同じ勇者は納得がいかないらしく、不満そうに顔を俯かせていた。
「どうして圭太君は笑っていられるの? ナヴィアは二度と圭太君のことを思い出せないっていうのに」
「しょうがないだろ。どうしようもできないんだから」
「だからって!」
「落ち着いてくださいコハク。ケータは決して平静ではいませんわ」
圭太に突っかかろうとする琥珀の肩を、一桜が掴んだ。
圭太や琥珀の親友という設定である彼女に隠し事は通用しないらしい。いや今や良くも悪くも貴重な圭太の理解者だし、琥珀とは苦楽を共にした仲間であるんだけど。
「あのクソ野郎は俺から大切なものを二つも奪いやがった。正直ハラワタ煮え繰り返ってるよ」
圭太は平静を装っているけど、握りこぶしからは赤い滴がこぼれていた。不甲斐なくて、自分のせいでナヴィアを苦しめてしまって、アダムに良いように利用されてしまって、それでも自分のせいだからぶつける相手もいなくて、ただひたすら手に力が入ってしまう。
イブだけでなくナヴィアまで奪われて、圭太が穏やかでいられるわけがない。
「だけど怒りに支配されたら負けなんだ。相手はただでさえ格上なんだから。勝つためには冷静でいないと」
「……ゴメン。圭太君の気持ちも知らないで」
「気にすんな。むしろ代わりに怒ってくれて助かるぜ」
圭太は痛みを感じられない。それに損得勘定が先に来てしまうせいで、満足に感情をまき散らすこともできない。いつものように、誰にでも見破られるような薄っぺらい仮面を被ることしかできないのだ。
だから琥珀が代わりに怒ってくれて、正直気分が晴れた。圭太にはできないことをしてくれるのだから、琥珀はかけがえのない存在なのだ。
「でもどうすんだ? 記憶を取り戻したナヴィアが死んじゃうんだろ? 対策できなくないか?」
「そうでもない。逆に考えれば実際に記憶を取り戻す前に発覚して良かったんだ。ナヴィアを殺されずに済んだんだから」
シリルが真剣な表情で思考を巡らせている。だけど既に圭太の中で答えは出ていた。
この呪いは不意を突いてこそ最大の落差を生み出せる。逆に言えば、今知れたのは大きな利点だ。対策を練る時間があるのだから。
「対策もある。目には目を、禁忌魔法には禁忌魔法だ」
「禁忌魔法? そんなもんでなんとかできるのか?」
「もちろん。代償が必要になるけど一番強力だ。きっとナヴィアの呪いも消せる」
この世界でもっとも強力な魔法は禁忌魔法だ。代償を必要とする代わりに死者を生き返らせるみたいな事象を捻じ曲げることだってできる。間違いなくナヴィアの呪いも消せるだろう。
「ダメだよ。せっかく記憶を取り戻しても圭太君がいないと意味ないもん」
「それこそ気にするな。俺が魔法を行わなければいいんだから」
禁忌魔法の代償のほとんどは術者の命だ。だけどそれはあくまでも圭太が魔法を使用した場合の話であり、それについても既に対策を考えている。
「? どういうことですか?」
「アダムに解除させる。俺たちで解けるならそれまでだけど、一応神の端くれだからな。半端な魔法じゃないかもしれない」
イブやシリルでどうにかできる程度の呪いなら悩む必要はない。だけどアダムがそんな生ぬるい魔法を使っているとは思えない。禁忌魔法でしか解呪できないと考えておいたほうが無難だろう。
「だから禁忌魔法の代償を支払わせる。テメエの始末はテメエで払えってな」
もしも禁忌魔法でしか解呪できないのなら、そのときはアダムに代償を支払わせればいい。簡単な話だ。
「それはいいですわね」
「爽快だな。単純で分かりやすい」
「だろ? 俺たちがやることは変わらないんだ。これほど楽なことはない」
圭太の言葉に一桜とシリルもうんうんと同意してくれた。
己の過ちは自分で責任を取る。人間にだって求められる真理である。神だから支払えないという道理はない。
「またアダムを倒す理由が増えたね」
「本当に諸悪の根源だよ。あのクソ野郎を倒せばすべて解決するんだ。御都合主義もほどほどにしろってんだよ」
「いいじゃん。そのおかげで目的ははっきりするんだから」
アダムを倒せばイブを解放できる。サンやクリス、キテラも助け出せるしそのうえナヴィアの呪いまで解除できる。
ご都合主義にもほどがあるが、おかげで圭太たちがしなければならないことも一つにまとまっている。なら余計全力で解決しなければならないだろう。
「ああ。アダムを倒せば大団円だ」
圭太にとってのハッピーエンドは、諸悪の根源を排除して初めて迎えられるのだから。




