第一章二十六話「頼もう!」
「頼もう!」
魔王城。厳かな謁見の間が開け放たれた。
奴隷が解放された戦いから一晩が経過して、すべてが終わった魔族やエルフはこれまで通りの日常に戻っていった。
人間もたくましく、避難用のテントを張って即席の村を作っていた。先頭に立って指示を出していたサンも、右腕の傷は既に塞がっている。こうして魔王城まで来れたのは、ひと段落ついたからだ。
「何の用じゃ人間」
車イスに座り、宙に浮いている球状に展開された魔法陣を弄っていたイブは、お呼びでない訪問者をジロリと睨んだ。
「君の旦那様はいるかな?」
「ケータのことかの? 今はちょっと手が離せぬな。今頃血まみれじゃろうし」
イブが手を振ると、複雑に構築されていた魔法陣が一瞬で消えた。
「血まみれ? 何をしてるんだろうか……」
「特訓じゃよ。勇者としての才はあるが実力はまだ赤子に毛が生えた程度じゃからな」
圭太の実力を知っているサンはイブの言葉に納得した。
圭太は弱い。人間としては強いほうではあるが、サンやイブといったトップクラスの実力者からすれば赤子同然である。
「君は……やっぱり魔王なのか?」
サンは辺りを一度見渡して、他に誰もいないのを確認してから声を潜めてたずねた。
サンが会った、変わった三人組の内二人とは敵対した。エルフの少女の足を斬ったし圭太とは殺し合いまでしたのだ。結果的に誰も死ななかったが、圭太が気を利かせなければサンは今頃土の中にいた。
だが、剣を向けた二人の中に、車イスの少女はいなかった。
心当たりならある。町から放出された常識はずれの魔力。誰のものなのかは、必然的に限られてくる。戦場に唯一いなかった存在こそ、最有力候補だ。
「じゃったらなんじゃ? また殺すか?」
イブは即答で肯定して、右手に魔力の塊をまとう。
サンは本能で理解した。これほどの魔力を戦闘態勢の段階で準備する時点で、この銀髪赤目の少女こそかつての敵、魔王その人であると。
「勇者様が殺せないような相手を僕が殺せるわけがない。それに利き腕を失ったからね」
「ケータに落とされたのかの?」
「うんそうだよ。いくつかラッキーがあったって言っていたけど、完敗だった」
サンは冷や汗を左の手の甲で拭った。今日は剣を置いてきた。戦うつもりはない。
サンは圭太に完膚なきまで敗北した。優勢だったのはスカルドが参戦するまでの戦闘のみで、結果として奴隷も解放され、町まで崩壊された。
「いつつ、シャルロットもうちょい手を抜いてくれてもいいんじゃないか?」
「だからまだ生かしているだろうが。イブ様、治療を」
言い争いながらシャルロットの肩を借りた圭太が謁見の間に現れた。全身から血が流れており、どう見ても重傷である。
「やあ。昨日ぶり」
用事のある二人が来たので、サンは軽く左手を上げて挨拶する。
「何の用だ。またイブ様を討ちにでも来たか?」
シャルロットが剣を抜き、サンの首に突き付けた。
「ワシが先に話したのじゃ。どうやら争う気はないらしい」
イブが肩をすくめると、シャルロットは厳しい目で睨んだまま剣を離した。
どうせなら鞘に収めてほしい。抜き身で振り回すのはとても危ない。
「不老不死を殺す術を僕は持たないからね。盾に攻撃力はないし、何なら今日は武器も持っていないし」
サンは腰を指差す。圭太はそこで初めてサンが丸腰だと気付いた。
「攻撃力がないって、あれでかよ。こちとら殺されかけたんだけど」
「まだ甘いよ。僕には地形を変えるほどの力はない。他のパーティ、特に魔法使いと勇者様は山一つぐらい余波で消し飛ばすからね」
思い出話のように頰を緩めるサンに、圭太はドン引きした。
「マジかよ。化け物揃いじゃねえか」
「仮にもワシに勝利した連中じゃぞ? それぐらいできなければ話にならぬ」
確かにイブやシャルロットに並ぶ実力者なら山ぐらい簡単に消し飛ぶだろうが。庶民的な圭太からすればまったく別の生き物としか思えない。
「それで、戦う気もないのにどうしてここに来たんだ?」
「色々と話がしたかったからね。まずはお礼を」
サンは綺麗に九十度頭を下げた。
「本来なら敵である人間を一人残らず助けてくれてありがとう。君たちには感謝してもし足りない」
サンは人間たちを代表してこの魔王城に来たらしい。
「ほれケータ。お礼を言われておるぞ」
「えっ俺なのか?」
「主以外に誰がいる。あの作戦の立案も実行の要もケータじゃろうが」
イブに肘で突かれて、圭太は狼狽しながら前に出された。
「君が、助けてくれたのか」
サンはとても驚いた顔をしていた。なぜか殴りたくなった。
「まあ、反対意見もなかったしな。無駄に殺す必要もないだろ。そっちは大丈夫だったか?」
「ああ。今は海岸にテントを立てて暮らしている。便りは送ったから数日もすれば船が来るだろう」
どうやら人間は無事なようだ。シャルロットが微妙な顔をしていたのは見なかったことにした。
圭太の目論見通り、町を壊された人間たちはこの大陸から撤退するようだ。やはり殺さないようにして正解だった。被害が大きくなりすぎれば報復に動いていたかもしれない。
「なるほど。お前がいなければ魔物が現れるんじゃないのか?」
サンは一人でこの大陸の人間を守っていた。せっかく誰も死なせなかったのにサンが何も考えていないせいで台無しにされては困る。今すぐ帰ってほしい。
「人間に気付かれないようエルフたちを配置しているだろう? だから僕は魔王城まで来たんだ」
「エルフを配置? 何のことだ?」
圭太の作戦は昨日の時点で完遂している。アフターケアまでは考えていなかった。
「スカルドじゃろうな。あ奴め。借りを返そうとか考えておるな?」
イブがエルフの村の方向を睨んで、がっかりだとでも言いたげにため息を吐いた。
「君たちが仕向けたわけじゃないのか?」
「それは無理だ。エルフは我々魔族とは違う。一時的な共闘ならまだしも駐屯命令なんて聞き入れてもらえない」
シャルロットがおそらく人間側が持っていないであろう情報を簡単に説明した。情報は強力な武器だと知らないのだろうか。だから魔族は負けたんだ。
「そうなのか。君たちのおかげだと思っていた。彼らの分のお礼も言っておくよ」
サンはエルフと魔族が一枚岩ではないことに目を丸くしていたが、もう一度頭を下げる。
「自分で言え」
自分たちの功績ではないのだからと心の中で続けて、圭太はぶっきらぼうに言い放った。
「ケータよ。言えるわけないじゃろう?」
「えっ何故?」
「本気で言っておるのか? 平和ボケも直さねばならぬな」
「えっ?」
イブとシャルロットがやれやれと肩をすくめた。
圭太は本気で分からない。お礼を言う以外にサンが魔族に用事があるなんてまったく思いつかない。
「僕がここに来た目的のもう一つは、この首を差し出しに来たからだよ」
「はっ?」
サンはとてもいい笑顔で言い切った。
「当たり前じゃろう。人間はこの戦に負けた。しかも全員を救われてしもうたんじゃ」
「僕の首だけで済めば安いほうだ。だけど僕たちが渡せるものはもうこの首しかない」
イブは呆れた様子で、サンは申し訳なさそうな顔になっていた。
「そ、うか。戦争だもんな」
「そうじゃ戦争じゃ。敗者は奪われるのみなんじゃよ」
この世界でもっとも長く生きてきた戦争の主格の言葉がとても重たかった。
「そう。僕たちも数々の命を奪い、魔族の権利を殺してきた。次は君たちの番だ」
「じゃそうじゃ。こたびの英雄はどうしたい?」
どうしたいと言われても、圭太は答えることはできない。
戦争で圭太は勝利し、サンは敗北した。
許すと口に出すのは簡単だ。しかし、サンを許すということは人間を許すということ。魔族を散々奴隷扱いした人間を、人間である圭太の独断で許していいとは思えない。
「……俺は殺したいとかって気持ちじゃない」
許されるかは別として、圭太は主語を小さくして自分の気持ちを正直に伝えた。
「そうか。ワシも実はどうでもよい。シャルルはどうじゃ?」
悟りを開いていそうなイブはさして興味がないらしく、圭太の気持ちを責めたりしなかった。
「――正直言って、殺したくて仕方がないです」
シャルロットは修羅の様相になっていた。
「わたしたちの同胞はこの騎士に殺されてきた。イブ様が封印されてからというもの、奴隷にされた仲間を救おうとして何度この男と剣を交えたか分かりません」
「そうだね。君が四天王の最後の一人だったなんて知らなかったけど」
「わたしは知っていたぞ。お前が勇者の仲間の一人だと」
剣が鞘を走り、シャリンと音が響く。
シャルロットは剣を抜いていた。剣を握る右手には、黒いモヤが纏わり付いている。
「どうするんじゃ? そろそろ結論が聞きたいんじゃが」
痺れを切らしたイブが、自分の配下を冷たく睨む。
「わたしはこの時を待っていました。ですがケータのせいで、殺すよりも無様に生き長らせるほうが苦痛であると学んだのです」
胸に手を当てて、シャルロットは目を閉じていた。
「利き腕を無くし剣を握れなくなったお前を、わたしは永遠に奴隷として扱いたい」
魔族一の剣士が目を開ける。その瞳に憎悪の色はない。
「だそうじゃ。よかったのう。首だけでは済まなくなったようじゃぞ?」
くっくっと喉を鳴らして、イブは楽しそうにサンを見上げる。
「それは僕を殺さないってことなのか?」
「そう言っておろう? 幸せかどうかは別じゃがな」
右腕を落とされた身で奴隷に落とされる。苦痛だろう。地獄のような日々が待っている。
だが、サンは下唇を噛み、嬉しさを噛み締めているように見えた。
彼は死ぬつもりで魔王城にきた。年齢は圭太より少し年上ぐらいだから、色々と心残りもあったのだろう。命が拾えただけで儲けものだと考えているのかもしれない。
「シャルロット助かった。口出しするつもりはなかったが、実を言うと殺されたら困るんだ」
圭太が一歩前に出て、話が終わったらしいシャルロットに手を合わせた。
「騎士よ。勇者の盾よ。俺はお前をまだ利用したい。具体的には船に俺たちも乗せてほしい」
「ああ。構わない。君たちは恩人だ。拒絶されることもないだろう」
「それはよかった。じゃあイブ、旅の準備をしよう」
ニヤリと笑って、圭太はイブに微笑みかけた。
「なんじゃ? 今度は何を企んでおる」
「企むも何も俺は元から同じことしか考えてないって」
訝しげなイブに圭太は苦笑した。
なんで警戒されなきゃならないんだとも思うが、心当たりはいくつかあったので強くは責められなかった。
「勇者パーティを全滅させる。そのためにはこの大陸を出ないといけないだろ?」
この大陸から人間はいなくなる。
勇者を倒さなければならない圭太がこの大陸にいる理由は、既に無くなっていた。




