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第九章十話「勝手に逃げる」

 薪を集めて、琥珀の光で火をつけた。焚火が完成し、火を囲うようにして圭太たちも腰を落とす。

 すっかりと日が落ちていた。さすがに真っ赤な空も日光がなければ意味がないらしく、頭上には見慣れた星空が広がっている。そういえばマジマジと空を見上げることもなかったっけと圭太はプラネタリウムでしか見たことがない夜空に感嘆の息をこぼした。


「あー疲れたー!」


 シリルは両手足を投げ出して寝そべっている。彼女は今日一日魔物相手に奮戦してきたのだ。疲れも相当たまっただろう。


「お疲れさん。よく頑張ってたと思うぜ?」

「ケータに言われても嘘にしか聞こえないんだよなぁー」


 圭太の自己ベスト討伐数には遠く及ばないが、今まで人間の大陸で生活していたシリルには体力的に厳しかっただろう。そう思って労いの言葉を送ったのに、シリルにはなぜかジト目を向けられてしまった。


「なんでだよ。せっかく褒めてるんだから素直に受け取っとけ」

「いや無理だろ」

「なんでそこだけ真面目なトーンなんだよ」


 それまでとは打って変わって真剣な表情で首を横に振るシリルに圭太は苦笑いを浮かべる。

 これではまるで圭太は常日頃から額面通りの言葉を言っていないみたいではないか。


「しょうがありませんわ。日頃の行いです」

「仕方ないだろそうしなけりゃ――って一桜大丈夫か?」

「何がですか?」


 やれやれと言った調子で追撃をしかけてきた一桜のほうへ向きながら言い訳を並べる圭太。だけれど言い訳は途中で止まり、彼女の様子に目を丸くしてしまった。

 一桜は自分の異変に気付いていないのか、きょとんと首を傾げている。


「肌が荒くなってる。まるで別人だ」

「ジロジロ見ないでください。変態」

「心配しただけだぞ!?」


 一桜が自分を抱きしめるようにして体を隠す。いわれのない罵りに圭太は心外だとばかりに叫んだ。


「大丈夫だよ圭太君。イオが無理してたらすぐに分かるから」

「コハクにも隠し通しますわ」

「ダメだよ。仲間なんだから助け合わないと。もう二度と口利かないよ?」

「……それは嫌ですわ」


 琥珀が一桜に何やら不穏な微笑みを向けている。一桜は親友も心配させたくないみたいだが、琥珀の一言であっさりと白旗を上げた。

 いつも人を食ったような態度の一桜も、さすがに琥珀と口が利けなくなるのは嫌なようだ。もしも一桜が琥珀と話せなくなれば、もう相手は圭太しかいない。もしかしたら彼女はそれも嫌なのかもしれない。なぜか圭太は自分の胸を自分で刺しているような感覚に襲われた。


「じゃあ正直に話して。圭太君にも」

「そうだぞ。入れ物として中身の状態は気になるだろ」


 琥珀が真剣な目を向けて、あごで圭太を指した。

 圭太としても一桜の異変はできる限り知っておきたい。自分がオンネンを使うときに彼女のやせ我慢のせいで苦労するのは避けたいからだ。


「よく言いますわ。使えるかどうかでしか見てないくせに」

「そんなわけないだろ。これでも俺は友達思いなんだぜ?」

「どうだか」


 あっさり本心を見抜いているらしい一桜に、圭太はへらっと笑みを浮かべて肩をすくめる。うそぶく圭太を一桜は信用していないようで冷たい目を向けていた。


「わたくし、あまり動くのは得意ではないみたいですわ」

「あん? どういう意味だ?」

「言葉通りの意味ですわ。ケータのアドバイスを受け止めましたが、この体にとっさの判断は求められないということです」


 琥珀がいなければ誤魔化されていただろう内容を、一桜は観念した調子で呟く。

 意味がいまいち掴み切れなかった圭太が首を傾げると、一桜はどこか呆れたようにため息を吐いた。


「? ますます意味が分からないぜ?」

「まずそうですね。普段こうやって腕を上げることはできます」


 恐らくこの中では一番一桜を知らないシリルが頭を抱えて顔をしかめる。一桜はシリルにも分かるように説明するためか右腕をまっすぐ上げた。

 腕を上げればそりゃあ腕は上がる。何を言っているか分からないと思うが、それだけ当たり前のことなのだ。疑問に感じるようなものではない。腕を上げようとして腕が動かないのは問題であるが。


「ではケータ。適当に攻撃してもらえませんか?」

「は? いやいやできるわけないだろ琥珀の前だぞ」

「遠回しにコハクがいなければいつでも殺してやると言っているようなものですが、まあ今回はいいでしょう」


 圭太が琥珀のほうを指差しながら首を左右に振ると、一桜はなぜかジト目の温度をさらに下げた。

 さすがに監視の目がなかったとしても意味もなく仲間を殺すような真似はしない。邪魔になるか本人が望みでもしない限りは。


「大丈夫ですわ。証明がしたいだけですので、寸止めしてください」

「寸止め? それならいいけど」

「ほら。コハクの許可もおりましたし」


 話の成り行きがおかしくなってきたなとでも言いたげに厳しい表情を浮かべていた琥珀が頷き、一桜は鬼の首でも取ったように笑みを浮かべて圭太に非はないと見せびらかす。


「分かった。寸止めな?」


 せっかくお膳立てしてもらったのだ。圭太が従わない理由はない。

 圭太はイロアスを斧槍に戻して上段に構え、そして一桜の頭蓋骨を割るために振り下ろす。

 無意識の反射か、一桜の両腕が彼女の頭を守るために跳ね上がる。その直前でイロアスは止まったが、彼女の両腕は恐怖でも感じているのか大きく波打っていた。


「なんだこれ?」

「一桜は元々オンネンだ。原型はあってないようなものだけどこれは……」


 普通の人間なら絶対にありえない現象に、シリルと圭太は目を丸くしていた。

 一桜は普通ではない。オンネンだし自由に姿を変えられるのだと既に実践している。だけど一桜の表情を見る限り両腕の波打ちは本人の意思ではなさそうだった。そもそも寸止めしてくれと頼んだのは彼女だ。体を変化させる理由はない。


「そんなに難しい話ではありませんわ。わたくしは無数の魂の集合体と知っていますわね?」

「うん。何度か助けてくれたし、圭太君の中に入れるんだよね?」

「その通りですわコハク。でもその代償というか、危機が迫ると魂たちが勝手に逃げようとするんです」


 一桜に、オンネンに助けられてきたのは一度や二度ではない。一桜の意識が目覚めるまではキテラの魔力源として圭太の力の一部として共に戦ってきたし、一桜にも手助けはしてもらった。

 だが、完全無欠の力というわけではないらしい。オンネンにも弱点はあったようだ。


「勝手に逃げる? でも俺を襲ってきたときは」

「それは暴走していたからですわ。わたくしの感情が強すぎたからでしょう」


 琥珀を殺したとき、圭太がどれだけ敵意を向けても一桜に怯える様子はなかった。

 だがあのときはオンネンの主人格であるイオアネスの感情が強すぎるのが原因だったようだ。イオアネスの殺意により、オンネンの集合体である一桜は波打つ暇もなく圭太を襲ったらしい。


「議論を重ねるつもりはありませんわ。要はわたくしが昔みたいに近接はできないというわけです。敏捷性を活かそうにも一瞬の判断を下してる間に体は散り散りになろうとするのです。戦えるわけありませんわ」


 一桜の話が本当なら戦えるわけがない。

 近接戦闘は瞬間の判断こそ明暗を分ける。そうしなければ一瞬で死んでしまうからだ。防御はもちろん攻撃だってチンタラと考え込んでいる暇はない。

 だけど一桜は違う。攻撃されそうになるたびに本人の意思とは別に全身がバラバラに動こうとするのだ。それぞれ最適の動きをするならともかく逃げ出そうとするのでは戦えるはずがない。


「なるほど。遠距離なら問題ないのか?」

「危機が迫らなければ問題ありませんわ。そう考えると離れているほうが安全でしょうね」


 ふむと頷く圭太に、一桜も自分の見解を口にする。

 体が勝手に動こうとするのは攻撃されそうになったときだけ。それならそもそも狙われないように遠くから攻撃に徹するほうがいい。

 無限ナイフ投げが一番適した戦い方になりそうだ。


「じゃああの派手好きみたいに魔法を使えばどうだ? 元々魔力源として利用するために生まれたんだろ?」

「ああ。でもそう簡単にはいかない」

「そうだね。魔法は知識を寄せ集めて初めて使いこなせる。ボクや圭太君みたいに神造兵器を使えば違うだろうけど、今から魔法を覚えるのは厳しいかな」


 それならとシリルが自分の考えを話すが、圭太と琥珀はあまりいい顔をしなかった。

 魔法は知識量こそが強さである。だからキテラはさまざまな魔族に魔法を学びに行っていたのだ。最終決戦も近いというのに今さら魔法を勉強している余裕はない。


「まあ、しょうがないか。じゃあ一桜には遠距離からアシストしてもらおう。それでいいな?」

「構いませんわ」


 近接戦闘ができないなら仕方がない。圭太が役割分担として唯一のアシスト要員に決めると、一桜は仕方ないとばかりに頷いてくれた。

 キテラほど魔法の引き出しはないとはいえ、一桜にはほぼ無限の魔力と多少の魔法がある。アシストに徹してくれれば圭太たちが戦いやすくなるのは間違いない。


「よしっ。じゃあ二人は先に休んでてくれ」

「ケータはどうするつもりだ?」

「あぁー、アレだ。トイレだ。ついてくんなよ」

「誰がケータの排泄を見たがりますか」


 話が終わったと圭太は焚火から離れていく。シリルと一桜がはてと首を傾げていたので、圭太は軽く笑いながら手をヒラヒラと振った。


「だよな。琥珀」

「うん。ボクが二人を守るから、死なないでね」

「おう。じゃあ二人は寝ててくれ」


 トイレに行くにしては重々しい表情の琥珀に、圭太はヘラヘラといつも通りの笑みを浮かべて答える。

 圭太が向かうのはトイレではない。

 話をしている途中から感じていた、刺さるような殺気を向けてくる相手の顔を眺めに行くのだ。

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