第九章四話「俺の奢り」
「なあおい聞いたか?」
「ああ聞いたさ。人間がいたんだってな」
大捕り物に大騒ぎの町の喧騒も、町の外れの酒場には届かない。
飲んだくれ二人はカウンターに座り、コップの酒を煽る。すると酒場の扉が開き、腰に剣を差した新しい客が隣に座った。
「お二人さんは行かないのかい?」
酒場の新たな客こと圭太が人差し指を立てる。すると青い肌の店主が無言で小麦色の液体が入ったグラスを差し出してきた。
圭太が一息で喉へと流し込むと酔っ払い二人はそこで初めて気付いたとばかりに横を向く。喉が焼けるような感覚を味わって、圭太は酒臭い息をこぼした。
「なんだおめえ」
「見ねえ顔だな」
左右で目の色が違う犬歯を口から覗かせている男と、まるでのこぎりみたいな歯を耳元まで裂けた口から覗かせる女。
どちらもひどく酒臭い。顔は赤いし、いつから飲んでいるのか目も虚ろだ。圭太の顔を見ても不審に眉を上げるばかりで大声は出そうともしない。
「最近流れてきたよそ者さ。そんなことより、せっかく町全体がお祭り騒ぎなんだ。参加はしないのかい?」
「ケッ! 酔っ払いが混ざって何になる」
「褒美があるんだろう? 儲けになるじゃないか」
追いかけまわされている間に背後から聞こえてきた情報を当たり前のように口から出して、圭太は不敵に笑みを浮かべてコップを指で弾く。すぐに新たな酒が注がれたので一気に口に含んだ。
「俺たちでも捕まえられるならとっくに誰かが捕まえてるっての」
「そーそー。あたしたちには無理な話なんだ。時間潰すぐらいならここで飲んだくれてるほうがずっといい」
「違いない。じゃあ酒の肴ついでに聞かせてくれないか?」
さすがに圭太も昼間から酒場に入り浸っているような魔族に捕まるつもりはない。多分歩くことすら困難なはずだ。泥酔しての鬼ごっこは見ている分には楽しそうだが、後ろから観客が迫ってくるような状況では踏み潰される未来しかない。
「この祭りって人間が目的なんだよな? 褒美って一体何なんだ?」
「なんだそんなことも知らねえのか?」
「いやいやコイツはよそ者だろ? もしかしたら他の町じゃやってねえのかも」
「そうかそうか。この町は特に信心深い連中が多いからな」
圭太が何も知らないフリをしてたずねると魔族の男女は二人で話し始める。
何か使えるものはないかと聞く耳を立てていた圭太に、興味を惹かれる単語が届けられた。
「信心深い? っていうとアダム様かい?」
「おうさ! この町はよく神託を授かるのさ」
「つっても内容は似たようなもんだ。人間を生け捕りにしろって話と鬼女を殺せって御触れだ」
「鬼女? へえ……」
圭太が旅人のフリをしてさらに話を掘り下げると、魔族の男が誇らしげにグラスを片手に胸を叩く。
女のほうは酒が入ってもそれほどテンションは上がらないらしく、男と比べればいくらか冷静に補足で説明してくれる。
鬼女に心当たりがある圭太はわずかばかり目を細めた。
「そういやお前さんこそ祭りには行かないのか?」
「俺ぁ旅人だからな。旅の疲れを取りたいし、大立ち回りで疲れるつもりはないよ」
「それもそうか」
もっと正確に言えば圭太が追いかける側にいれば永遠に追いかけっこが終わらないだけなのだが、そんなことは知らない魔族二人は納得したようにさらに酒を煽る。もしかしたらそれほど興味がないのかもしれない。
「邪魔して悪かったな。この酒は俺の奢りだ。存分に呑んでくれ」
どうして追い掛け回されるのか、その原因を掴めた圭太は用が済んだとばかりに立ち上がって魔族二人の肩を抱くようにして手を回す。
「おっ! いいのかい!」
「もちろんだとも。頼み事には礼するのが礼儀ってもんだ」
「いいねえ兄ちゃん! 助かるぜ!」
そして二人に見えるようにして小銭が入っていそうな巾着をカウンターに置く。魔族二人が感謝の視線を向けてきたので、その間にテーブルには置いていないほうの巾着の中身を抜いて、テーブルに置かれているものとまとめておく。
「どうせお前らの金だ。好きにしな」
店を出るついでにポロリと出た本音は、カウンターでさらに飲むペースを上げている二人には聞こえていなかった。
「ホントに気付かれないもんだな」
何か探し物でもしていそうな鱗の生えた魔族が隣を走り抜けていき、恐らくその探し物であろうシリルは声を潜めて呟いた。
「琥珀の予想は正しかったわけだ。これで動きやすくなった」
「ケータって意外と単純だよな」
「うっせえよ」
フードを被って目元を隠している圭太は、もう追われる心配はなさそうだと声を弾ませる。
どうやらシリルには心情を読み取られたようで呆れられてしまった。図星だったので少しばかりの不機嫌を添えて圭太は言い返す。
「それで目的の情報はあったの? ボクには酔っ払いと与太話してたようにしか思えなかったけど」
腰に差したままの剣が鈍く光を放った。
盗む手間は少ないほうがいいということで琥珀には剣になってもらっている。圭太が盗んだのは自分の服とシリルのものだけだ。平然と圭太の左隣を歩く一桜はイオアネスによく似た姿ではなく、大きなしっぽを生やした魚人みたいな恰好をしている。まるで人魚みたいだ。
「色々あっただろ? 人間と鬼女をどうにかしたいってアダムが考えているとか、他にも町があるけど、町同士の交流はあまりないとか」
「与太話からよくもまあ知りたい情報を紐解けますわね?」
「今回は全部向こうがそのまま話してくれたけどな。やっぱり酔っ払いの相手は楽だ」
目的以外にも情報を手に入れられた圭太はホクホクと口元を綻ばせている。実際にその場にいたわけではない一桜は呆れているのか肩をすくめていた。
今回の情報集めは圭太が工夫したわけではなく、ほとんど酔っ払いが勝手に話してくれた内容だ。だからこそ信頼できる情報でもある。求めずに手に入れられたのだから、嘘を混ぜている危険性はほとんどないのだ。
「お金も盗めるしね」
「いいだろ情報料だって。どうせ自分たちの金で飲んでいるんだし」
「そう言う問題かなぁ」
琥珀がどこかトゲのある言い方をしているが、既に割り切っている圭太には効果が薄かった。
圭太が行ったのは酔っ払い二人の巾着を拝借して一つにまとめ、これ見よがしに目の前に置いただけだ。元々二人の金で二人が飲むのだから大きな問題ではない。
人の奢りだと自分の持っている金額以上に飲んでいようと圭太に責任はない。飲みすぎるほうが悪いのだ。
「で、これからどうすんだ? 同じ目の敵にされてる鬼女ってのを探すのか?」
「そうだな。当面はそれが目的になる」
シリルがこれからの方針に首を傾げ、圭太ははっきりと頷いた。
どうやら鬼女とやらは圭太たちと似たような立場にあるらしい。敵の敵は味方というし、協力できるなら単純に喜ばしいことだ。
「鬼女ってシャルロットのことだよね。彼女大丈夫かなぁ?」
「シャルロットほどの腕なら問題はないはずだ。付き合わせたとはいえ神造兵器を力尽くで加工する腕前だぞ」
「そういえばイブの車イスってシャルロットが作ったんだっけ? ケータに騙されたって本人が言ってたよ」
「別に騙してないぞ。イブの力になりたいだろ? って誘っただけだ」
半狂乱していたシャルロットとの車イス製造を瞼の裏で思い返しながら、圭太はしれっと嘘は一つも吐いていないと嘘を吐く。
誤解しやすいような内容は口に出したかもしれないが、それは誤解したシャルロットの責任だ。嫌なら逃げ出せばよかったのだし、圭太には何の非もない。
「そういうとこだぞケータ」
「まったくですわ」
「どうして呆れられないといけないんだ」
どうやら嘘を見破っているらしいシリルと一桜に冷たい目を向けられて、圭太は冤罪だとばかりに両腕を広げた。
「にしても人間を生け捕りにして欲しいなんて、アダムもオレたちのこと怖がってんじゃねえの?」
「多分違うだろうな」
「ボクもそう思うよ」
「えっ?」
シリルが少しだけ期待したように口元に弧を描くが、圭太と琥珀はすぐに首を左右に振った。二人の勇者の予想外の反応にシリルの表情が一瞬で凍り付く。
「アダムにとって俺たちは取るに足らない存在だ。指一本でどうにかできるとか思ってるだろうぜ」
「気にしてるとすれば喉に刺さった魚の小骨程度だろうね。自分の手を動かさないのは面倒だからじゃないかな?」
「もしくは眷属を使うのに慣れすぎてるか。どちらにせよ油断してるのは間違いないだろうな」
アダムはこの世界に干渉できなかった。だから琥珀を召喚し、代わりにイブを引き連れてくるように命令したのだ。
だけど琥珀は途中で考えを変えてイブを封印することにした。それから紆余曲折あってイブを奪われてしまったわけだが、もしかしたらアダムは自分の手を動かさないことに慣れ過ぎてしまったのかもしれない。
いつ来るかも分からない襲撃者に備えるぐらいなら配下の魔族に事前に情報を渡して報酬を与えるとでも言っておけばいい。それだけで邪魔者は排除できると舐め切っているのだろう。
「狙うとしたらそこ、というわけですわね?」
「そういうこと」
一桜がふむと頷き、圭太もニヤリと笑みを浮かべた。
油断、慢心。付け入るとしたら大きな隙だ。狙わない理由はない。
「こっちも準備しないと厳しいとは思うけど、逆を言えば準備さえすれば勝てると思うよ」
実際圭太たちは不老不死の自称神であるロキを倒した。つまり方法はあるわけだ。ロキと同じ手が通用するかはまた別問題だが、神殺しも決して不可能ではない。
「なんてったって最強の勇者がボクたちにはいるからね!」
「はいはい。自画自賛すんな」
「圭太君のことだよ!?」
自信満々に胸をはる琥珀に、圭太はうんざりといった調子で答えた。すると彼女は慌てた様子で圭太を指差す。
「うるせえな。分かってるよ」
そんなこったろうとは思っていたので、圭太は琥珀の指差しすら面倒くさそうに答えて。
「命に代えてでも倒してみせるさ」
期待に応えるように、好戦的で獰猛な笑みを浮かべるのだった。




