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第九章二話「嫌な視線」

「なーんか変だな」


 行き交う見慣れない姿の雑踏を前に、圭太は腕を組んで小さく首を傾げた。

 圭太たちはとりあえずということで手近にあった町に寄っていた。空の色は人類のものとはまるで別だったけど、町の作りそのものは人が作ったものとさして変わらない。少しばかり威圧感のある壁が囲っている以外はいたって普通の町と言っても過言ではない場所を、圭太は雑踏の流れに逆らわずに進んでいた。

 圭太が首を傾げたのは雑踏が原因だった。額から角が生えていたり太い尻尾を揺らしていたり背中から大きな翼を広げていたり肌の部分に青い鱗が敷き詰められていたりと、ビックリ人間コンテストのような見た目の魔族たちが行き交っている。パっと見たところ圭太のような人間は見当たらない。

 だが、圭太が気になったのは魔族たちの見た目についてではない。


「えっ? そうかな?」

「人の目に慣れすぎた琥珀は黙ってろ」

「酷くない!?」


 琥珀が圭太の違和感の正体が掴めずにきょとんと首を捻った。

 なんだか説明するだけ面倒だったので圭太が冷たくあしらうと、彼女はうるさく叫んだ。

 仕方がないだろう。見られていることに慣れ過ぎている琥珀じゃ違和感には気付けない。そしていちいち説明するのも面倒だ。もう少し他人を疑うことを覚えてほしい。


「シリルは何も感じないか?」

「いや感じる。なんだか嫌な視線だ」


 シリルに話を振ると、どこぞのお人好しな勇者様とは違い圭太の違和感に気付いているらしい彼女は眉間にしわを作った。

 そう、感じるのだ。魔族たちの視線を。

 圭太たちに向けられる視線には戸惑いと興味。そして少なからぬ敵意を抱いていた。他人の敵意に晒され慣れている圭太からすれば気付かないわけがない。もはや心地よくすらある視線なのだ。実家に帰ったような安心感すらあった。


「遠巻きに見られてるみたいですわ。あのときみたいに」

「……いやいや、そんなわけないよ」

「コハク、現実逃避はよくありませんわ」

「うっ」


 一桜がどこか懐かしむように目を細め、琥珀も見たくないものでも見たかのように目を泳がせていた。

 一桜が琥珀へ説き伏せるような声音を向けると、最強の勇者様は見る影もないぐらい小さく肩を寄せた。


「なんださすがの琥珀も自覚できるのか」

「どこかの誰かと違って悪意に晒されることがありませんもの」

「悪かったな悪意に慣れてて」


 正直琥珀なら悪意ある視線には縁がなさそうだし気付けないと思っていたのだが、どうやらそんなことはなかったらしい。圭太が感心するように呟くと、一桜が胡散臭いもので見るような目を向けてきた。覆しようのない事実なので圭太は不機嫌に腕を組んだ。


「まあいいか。行動に移す度胸はなさそうだ。このまま情報を集めよう」

「マジかよ。結構険悪な目だぜ?」


 圭太が知るものかと肩をすくめる。するとシリルは目を丸くして顔をひきつらせた。


「大丈夫だ。遠巻きで囲っているうちはな。火種が出てきたら話は変わるが」


 見逃すには抵抗がある視線であるのは確かだが、少なくとも嫌な視線を向けてくるだけで実行に移すような度胸のある者はいない。それなら無視しても問題はない。手を出してきた時点で敵確定になるので容赦はしないが、敵未満の相手まではしていられないしするつもりもない。

 だから今回は見逃す。いちいち相手にする時間もないのだし、目的さえ達成すればそれでよいではないか。


「それよりも人間の姿がないのは変だな。交通の便はあるはずだが」


 魔族たちの目に敵意があるのは置いておくとして、圭太はもう一つの違和感を口にする。


「確かに人間の姿を一人も見かけませんわ」

「別の場所で生活してるのかな?」


 一桜と琥珀も圭太と同じ違和感に気付いたようだ。というか敵意のある視線に隠れていただけで、よく見れば普通に分かることではあるのだが。

 先ほどから雑踏が歩き流れていく。だけど人間の姿は一人もない。あくまでも全員が気合いの入ったコスプレと言われても納得しそうな魔族たちしかいないのだ。

 人間と似たような町を作っているからこそ、人間がいないという事実は違和感を与えてくれる。


「かもな。でもそれ以上に変なのが」


 琥珀の言う、人間と魔族の住む町が違うというのならまだ納得はできる。似たような建築の建物ができるのもまたしかりだ。交流があるのならあり得ない話ではない。


「さっきから見かける魔族の種族がごちゃ混ぜってことだ」


 だけどそれは普通ではない。圭太のように魔族をよく知る立場からすれば、あり得るわけがないのだから。


「何が変なんだ? 魔族の町ってことだろ?」


 唯一生まれてこのかた一度も魔族を見たことがないシリルが、意味が分からないとばかりに首を傾げた。


「シリルは知らないから仕方ないけど、俺たちが知ってる魔族は種族同士で固まってたんだ。一緒に町を作るほどの交流はなかった」

「そうだね。やっぱり同じ種族同士のほうが生活しやすいって言ってたよ」

「これもアダムの効果ってわけか。いいとこばっかり見えてくるなチクショウ」


 圭太と琥珀が知る魔族と、今目の前にいる魔族はまったくの別物だ。彼ら彼女らは戦争を経験していない。圭太や琥珀が奮戦した戦いはもちろん、千年前のアダムとイブの大戦も知らないのだ。

 魔族も共存しているのはアダムが戦争そのものをなかったことにした功績だろう。人間との間に大きな戦争も起こらないようだし、そう考えれば良いことばかりだ。アダムを倒すのは良くないのではと迷いが出てきそうになる。


「ですがいいところばかりではないのでしょう?」


 少しだけ、本当に少しだけ迷いが生じて顔を歪めている圭太に、一桜はあっけらかんとした口調で言った。


「魔族が種族間を超えて交流していなかったのはそれなりの理由があるはずですわ。無理やり混ぜたところで問題が浮き彫りになるだけです」


 物事にはすべて事情が存在する。

 圭太がこの世界へ渡ってきたのはイブの封印を解くためだし、琥珀がこの世界に召喚されたのはイブを倒すためだ。

 一桜が圭太の近くにいるのはオンネンとして器を失うわけにはいかないからだし、シリルが手を貸してくれるのは彼女がこの世界で唯一圭太のことを覚えている人間だからだ。

 そのほかにもすべて事情がある。まだ判明していないだけで生命が生きる意味だってある。アダムとイブが対立した理由もアダムが今や唯一神になっているのも。

 それこそ魔族が種族の垣根を越えて共存してこなかったのも利点があったからだ。アダムが無理やり押し込んだところでいずれ綻びが生じる。


「さすが一桜だ。そう言ってもらえると助かるよ」

「別にわたくしはケータを励ますつもりなんてありませんわ」


 圭太が頭を下げると、一桜は腕を組んで顔を背け、まるでお手本みたいなことを呟く。

 そんな彼女の照れ隠しに、圭太は心の中で手を合わせてさらに感謝した。彼女の言葉がなければ圭太は自分を悪だと断言してしまいそうだったからだ。悪は滅びるべき。イブを助けられなくても死んでしまったのなら仕方がないと考えなくて済む。


「で、これからどうすんだ? イオの言うようにこの町のあらでも探すか?」

「いや、やめておこう。魔族たちに罪はないんだ。この町を潰すならまだしも、情報を集めるだけだしな」

「分かった」


 シリルの物騒な提案に圭太は首を左右に振って否定した。

 圭太の目的はあくまでもアダムであって、いかにも平和を満喫していそうな魔族たちを滅ぼすことではない。無意味に手を出せば救い出したあとにイブと殺し合いになりそうだ。それでは戦う意味がない。

 シリルも納得してくれたようで、小さく頷いていつの間に伸ばしていたのか肩の銃から手を離した。戦意があるのは結構だが、むやみに敵を作らないでほしい。色々と影響が出てくるだろ。


「ところでボクたちはどこに向かってるの? 圭太君についていってる感じだけど」

「もちろん酒場だ」

「酒場?」


 琥珀の質問に、圭太は何を言っているんだまったくとでも言いたげな顔で答える。

 琥珀はえっ? どういうこと? と言わんばかりにさらに首を傾げた。


「情報収集の基本は酒場で酔っ払いの噂話に耳を傾けることだぜ? 酒が入って本心しか出てこないからな」

「さすがにマンガの読み過ぎじゃないかな?」

「そう思うなら代案を出せ。あるならな」


 圭太としては至極当然な思考回路だと思うのだが、琥珀には呆れられてしまった。ちょっとだけイラっとしたので冷たく言い返してしまう。


「うぅ、確かにボクはあまりそういうことを考えたことないけど。イオ何かない?」

「ありませんわ。ケータに従っておけばいいんです。そしたら責任はケータにしかいかないんですから」


 琥珀に助けを求められた一桜が、とても冷ややかな視線で圭太を貫く。恐らくだが琥珀を傷つけたと判断されたのだろう。琥珀を傷つけるやつは一桜の敵だ。そう考えると今圭太は一桜に敵認定されているらしい。


「とても仲間とは思えない言葉だな」

「勘違いしないで欲しいのですが、わたくしはコハクの味方であってケータの仲間ではありませんわ」

「このツンデレめ」


 あまりにはっきりと断言されてしまったので圭太は軽口を叩くしかできない。一桜に無言で肩を殴られてしまった。


「オレはケータの味方だからな」

「慰めなくてもいいよ。余計惨めになる」


 シリルが圭太の袖を引っ張ってから自分の胸をはって自信満々に手を当てている。

 なんだか余計と辛くなってきた圭太は苦笑いを浮かべてシリルの頭をポンポンと軽く叩いた。気分は愛犬の相手でもしているみたいだ。


「じゃあ酒場で情報集めな。異論があるやつは?」


 圭太が確認のためにもう一度確認すると、琥珀と一桜とシリルは揃って首を横に振った。

 どうやら反対意見はないらしい。あったとしても相手をするのは面倒だと思われているのかもしれないが、圭太は詳しくは気にしないことにした。


「よろしい。欲しいのはシャルロットの情報だ。あの剣士は頼りになる」

「そうだね。シャルロットがいれば状況は良くなると思うよ。ボクら勇者ほどじゃないけどね」


 圭太が一番欲しい情報を軽く口にし、琥珀もそれが最善だと微笑む。

 その瞬間、周りの雑踏が嘘のように静まり返った。


「――なんだ? 空気が急に」

「アイツら勇者って言ったぞ!」


 圭太が疑問を口にするよりも早く、魔族の叫びが答えとして響き渡る。


「アダム様の敵だ殺せ!」

「何言ってんだ! アイツらを取っ捕まえれば褒美が貰えるんだぞ! 生け捕りだ!」


 魔族の一人が叫ぶと、他の魔族も同様に叫んで騒ぎがどんどんと広まっていく。まるで波のようだが、海で見かけるものよりもずっと嫌な気配を宿していた。


「えっ何?」

「やべえなコレ。反乱軍ってバレたときみたいだ」

「それって犯罪者の顔が割れたようなものですわよね? 大問題では?」


 琥珀、シリル、一桜の三人も顔色が良くない。どんどん伝播して大きくなっていく叫びに、圭太と同じく嫌な流れを感じているらしかった。


「生け捕りだ! 金になるぞ!」

「とりあえず俺たちにできることは一つだな」


 魔族の一人と目が合った。

 圭太たちを捕まえればそれだけで幸せになれるとでも書いてありそうな狩人の目だ。殺し合いをした英雄たちとは違う、相手をモノとしか思っていなさそうな無機質な目だ。


「逃げるぞ!」

「うっうん!」

「分かった!」

「わたくしはケータの中に避難しておきますわ」


 圭太が振り返り、来た道を戻るべく最初の一歩を踏み出すと同時に欲望に目が眩んだ魔族たちも動き始める。

 一桜が入りきるのも確認せずに、圭太たち一行は超規模の鬼ごっこを開始するのであった。

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