第一章二十四話「無茶苦茶な作戦」
一時間ぶりに来た町は、グルグルと回っていた。
「どうじゃ主よ。ワシ仕事頑張ったぞ」
イブは嬉しそうに車イスの肘掛けをバンバンと叩きながら、圭太に回復魔法をかけていた。
彼女に再会したとき、魔王は嵐の中心にいた。魔法陣がいくつか周囲に浮いており、ブツブツと独り言を呟いていた。多分複数の魔法を同時に使用していたのだろう。ただ魔力を放出してくれればよかったのに、色々と工夫してくれたらしいイブに圭太は頭の下がる思いだ。実際に言うと調子に乗せてしまうのでもちろん本人には内緒だが。
「おお、お疲れ」
視界の霞と乗り物酔いのような吐き気が治まってきた圭太は、イブの頭に手を置いた。
「頭を撫でるな子供扱いするでない!」
「えっ違うのか? てっきり撫でてほしいのかと」
イブに怒られてしまった。天狗のように鼻高々にしていたから、てっきり褒められてほしいのかと思ったのだが、どうやら違ったようだ。乙女心は難しい。
「二人とも。時間がないんですが」
シャルロットがジトーッとした目で緊張感のない二人を睨む。
「ああ、悪い悪い」
圭太が手を合わせて頭を下げると、既にシャルロットの姿はなかった。一足先に奴隷解放に向かったのだろう。
「むっ? 何をするんじゃ? 作戦は成功したんじゃろ?」
イブには魔物を呼び寄せるところまでしか話していない。奴隷全員を解放した後彼女を回収し、シャルロットと一緒に速やかに離脱してもらうつもりだったからだ。
魔族とエルフの奴隷は無事解放できたがまだ人間の奴隷は残っている。助けなければ寝覚めが悪いのは確実だ。
「ああ、全員助けたしあのクソイケメンも降伏したぞ」
「じゃがあの男は生きておったぞ? 片腕は無くなっておったが」
事の顛末を知らないイブは小さく首を傾げた。
圭太とサンの苛烈な殺し合いを語ってやりたいところだが残念ながら時間がない。頭の中でとても簡単に話をまとめた。
「ああ、そこは交渉したからな。人間を連れてこの大陸から出ていきたいなら腕寄越せって」
「中々猟奇的じゃな」
「いいだろ別に。俺たちの目的から外れてないんだから」
イブの評価が不満だった圭太は眉を寄せた。
「まあよい。シャルロットが不機嫌なことと関係があるんじゃろうが、器の大きなワシは聞かんでおこう」
器が大きい奴はカッとなって辺り一帯を消滅させるような魔法は撃たないと思う。
圭太は微妙な顔をした。しかし、イブの言葉は否定しなかった。魔法が飛ぶ可能性もだが、それ以上に聞きたいことがあったからだ。
「……イブも勇者パーティを憎んでいるのか?」
シャルロットはサンを殺そうとした。圭太が止めなければ本当に首を斬り落としていたことだろう。
イブも本心ではどう思っているか分からない。シャルロットのように殺意をむき出しにする可能性だって低くない。
「いや別に」
イブは首を横に振った。
「でも仲間を殺されたんだろ?」
「ワシら魔族と人間は戦争をしておった。戦いのさ中なら殺すことも殺されることもある。戦いの中敗れたのなら、相手のほうが度量が上だっただけのこと。相手を称えこそすれ憎んではならぬのじゃ」
イブは本当に興味がないみたいだった。
嘘を吐いているようにも見えないし本心を隠しているようにも見えない。
ほとんどつきっきりになっていたからこそ分かる。イブはサンに対してなんの感情も抱いていない。
「悟りを開いているみたいだ」
「まあの。ワシは既に途方もない時を生きた。人間と違う価値観を持っておるのも当然じゃ」
イブはどこか寂しそうな顔をしていた。
魔族にはイブ以外に不老不死はいない。シャルロットも不老ではないのだろう。魔王と同じ時を生きていたのなら、主と同じ考えになるはずだ。
「全員解放したぞ」
ドコンと隕石が落ちたような音がして、シャルロットが姿を現わす。
奴隷市の方向からぞろぞろと歩いてくるボロ切れをまとった人間が近付いてくる。どうやら首輪の鎖も斬ってくれたようだ。
「よくやった」
イブが胸を張り、仕事が早いシャルロットを褒めた。シャルロットはとても嬉しそうだ。
「どうして俺たちまで」
「質問は後だ。今大量の魔物がこの町目指し近付いている。英雄様に従って海岸へ向かってくれ」
「分かった。君たちは」
「魔族だ。分かったらさっさと行け」
正確に言えば圭太は種族が違うのだが、立場を告げると人間たちはささーっと逃げ去っていった。
「これでこの町にいる人間はいなくなった」
遠ざかっていく人間の背中を見つめて、圭太は呟いた。
「そうじゃな。あの雑踏が嘘のようじゃ」
この町に来たのは二度目。一度目はとても栄えた様子で、無数の人間が行き交っていた。とても騒がしかったのをよく覚えている。
それがどうだ。圭太たちがいるのはかつての大通りだが、今は木枯らしが吹きそうなぐらい閑散としている。サンが主導となって避難したからだろう。人間にとってこの大陸の魔物は脅威なのだから迅速に対応できるよう訓練でもしていたのかもしれない。
「わたしたちも移動しましょう。大量の魔物が来るのは面倒です」
シャルロットが当然の提案をした。
「ダメだ。それはできない」
圭太はその提案に首を振る。逃げるわけにはいかない。
多分世界で一番多い魔力に惹きつけられている魔物は、常識外の数だろう。下手すると三桁までふくれているかもしれない。シャルロットほどの実力者でも戦闘を避けたいと考えるのは当然だ。
「まあ、ワシの魔力を嗅ぎ付けてきておるからの。ワシらまで移動すれば当初の目的が達成できぬ可能性がある」
圭太の作戦をシャルロットよりは理解しているイブが、呆れたように肩をすくめている。
圭太の目的は人間の町を魔物に壊させることだ。
釣り餌がなくなってしまえばその目的も達成されなくなる。
「ああ。俺たちというかイブはこの場から離れられない。できればこの町ごと、大量の魔物を討たなければならない」
「なんっ、本当に無茶苦茶な作戦だな」
シャルロットが柄にもなく絶句した。
町一つ分の人間が揃って逃げ出す魔物の群れを相手にしなければならない。いくらイブやシャルロットが強いからといって、楽に終わらせるのは難しい。
「ワシは逃げてもいいと思うんじゃがな。どうせ無人の町じゃ。魔法一発で片が付く」
「なら逃げま――」
「じゃが、それでは主が納得できぬのじゃろう?」
シャルロットの言葉にかぶせて、イブは圭太に問いかける。
魔王はとても楽しそうにニヤニヤとしていた。
「さすが魔王。お見通しだな。そうだ。これは俺の我儘。戦う力を持たない人間たちが安全に避難するために押し寄せる魔物を食い止めたいという、小さな我儘だ」
手当たり次第に建物を壊して回るだけならいい。
だが、町を破壊し尽くした大量にいる魔物は、はたしてどこに行くのだろう。ほとんどは魔王の強すぎる魔力に引き寄せられるだろう。目的を失って帰るものもいるかもしれない。
そして、何割かは人間を追いかける。
サン一人では手が足りないかもしれない。相手は無数の魔物だ。いくら英雄でも片手では守りきれない。
この大陸から人間を追い出すだけでいい圭太は、わざわざ犠牲を増やす必要はないと考える。
犠牲を増やしたくないので殿を務める。魔物をここで食い止める。
シャルロットにイブを任せ、圭太は最初から一人でこの町に残るつもりだった。
「まったく。ワシやシャルルはともかく、主にとっては簡単ではないじゃろうに」
「構わない。元々俺の命なんて勘定に含んでない」
どうせ死のうとした命だ。無駄にならないだけ得している。
「そんなのダメですよ」
圭太の背後に軽やかな足音が聞こえて、振り向くとエルフの少女が立っていた。弓矢を携えたいつもの姿だ。
「ナヴィア。傷は……?」
「治りました。というか落ち着いて考えればわたくし回復魔法使えました」
「おい」
なんでそんな大切なことを忘れていた。サンにボッコボコにされずに済んだかもしれないのに。
「矢をたくさん持ってきたのう? まるでこれから戦うみたいじゃ」
ナヴィアの腰には矢筒があり、隙間なく矢が詰め込まれている。矢筒自体がナヴィアのくびれぐらいあるから、矢の本数は優に百を超えているだろう。
「わたくしも戦います」
ナヴィアは控えめながら確かなふくらみのある自分の胸に手を当てて、自信満々に宣言した。
「無茶だ。イブの魔力に引き寄せられた魔物の数はシャレにならない。二人ならともかく、生きていられる保証もないんだぞ」
自分のことを棚に上げて、圭太は危険性を訴える。
「分かっています。でもそれは一人だった場合の話ですよね?」
ナヴィアが頷き、右手を高らかに掲げる。
どこに隠れていたのか、エルフの少女の背後に膝をついたエルフが現れた。一人や二人ではない。十五を超えたあたりから圭太は数えるのをやめた。
「えっ……なんだよこの数は」
ナヴィアの背後にずらりと並ぶエルフたち。彼ら彼女らは革の鎧を着ていたり弓矢や斧を構えていたりしている。
表情を引き締めていたり逆に緩めたりしているエルフたちは、とても好戦的なようだ。
「我らエルフ。これより魔王様との共闘を望みます」
圭太の計画にない言葉を、エルフを代表したナヴィアは言った。
「ふっ、受け入れよう。ワシの邪魔をしないのであれば、じゃがな」
ニヤリと口角を上げるイブは、もしかしたらこの展開を予想していたのかもしれない。
「子供体形を矢面に立たせないぐらい活躍しますよ」
ナヴィアのいつもと変わらない挑発は、士気の高いエルフの叫びにかき消された。




