第八章二十三話「最強技」
「コハク……? ああ、人形のおもちゃかー」
金髪の勇者を前に、首を傾げていたロキが納得したように手を打った。
「おもちゃか。うん否定はしないよ。ボクはまんまと利用されたんだし」
琥珀は曖昧な笑みを浮かべて、体の周りで火花を散らしていた。
「だから今度はボクの番だ。仕返ししたいんだから君に手こずっている場合じゃないんだよ」
「言ってくれるねー」
琥珀は好戦的に、彼女にしては珍しくバカにしたような態度を取る。
露骨な挑発にロキも不敵な笑みをこぼした。新たな敵を前にしてロキもやる気が出ているらしい。
「琥珀お前、自分で戻れたのか?」
「正確にはボク一人の力じゃないよ。ね、イオ」
「わたくしたちを頼ると言っていたくせに、いざ始まれば一人で戦って。ケータは無茶をしすぎですわ」
イロアスは持ち主の意思に反して姿を変えることはできない。
だから琥珀も自分勝手には動けないと思っていたのだがどうやら違ったらしい。と思ったが、やっぱり琥珀一人では不可能なようだ。
圭太の左側、今度こそ正真正銘圭太の中を自由に出たり入ったりできる一桜が呆れたように肩をすくめていた。
「だってアイツは神だ。普通にやったって」
「勝てないね。それは圭太君も一緒だよ」
圭太の言葉にかぶせるようにして、琥珀は首を横に振った。
「勝てないから協力するんだよ」
琥珀がポンと圭太の肩を叩く。すると圭太の全身から力が抜けて、ペタリと座り込んだ。自分で思っていたよりもずっと消耗していたらしい。不発に終わったイブの最強魔法の代価だとしたら、ますます魔王との格の違いを実感してしまう。
「今度はお前らが相手かー?」
ロキが指先を琥珀に向けて燃やそうとする。だけどロキが指差したときには既に琥珀は炎の範囲から抜け出していた。
光速魔法。いくらロキが無制限に人を燃やせようと、指を向けるよりも速く移動されれば成す術はない。
「うんよろしくね神様。イオ、圭太君を治せる?」
「もちろんですわ。時間を稼いでください」
「分かった。いくらでも稼ぐよ。ライアン、剣を借りるね?」
琥珀の体が瞬き、部屋の入口で隠れるようにして戦いを眺めていたライアンの腰から剣を抜く。
「はいっ! こんななまくらで良ければいくらでも」
「仮にも今まで一緒に戦ってきた相棒なんだからそんな言い方はやめたほうがいいよ」
「はいっすみません!」
事後承諾を得た琥珀が調子を確かめるように剣を上下に振り、謙遜するライアンを諫める。
琥珀は剣士でもある。武器にはそれなりに愛着があるのだろう。だから自分の相棒を卑下するような発言はいい気分ではないのかもしれない。
ライアンが敬礼をして謝っている間に、ロキが指先を二人に向ける。だけど不意打ちに近い一撃に気付いていたようで、琥珀はライアンを突き飛ばして光の尾を引きながら今度はロキに急接近する。
まばたきはしていないはずなのに、圭太の目には突然ロキがサイコロステーキ状になったように見えた。
だが、いくら細かく刻まれようとロキには効果がない。
逆再生のようにすぐに切断面同士をくっつけたロキが今度は全方位に炎の波を展開する。だけど炎が発生した次の瞬間には琥珀は安全圏まで避難していた。
「ほらケータ。見惚れるのも分かりますが、両腕を出してください」
先ほどとはまるで違う高度な次元での膠着状態に圭太が目を奪われていると、一桜がまるで子供でも相手にしているような声でしゃがんでいた。
「あ、ああ。ってなんだこれ」
圭太は言われたままに両腕を持ち上げようとして、まったく動かない両腕に疑問を持って目を落とした。
そして思わぬ事態につい声を出してしまう。圭太の両腕はまるで爆心地にでも突っ込んだかのようにボロボロになっていた。イロアスを直接持っていたからか右腕に関しては骨さえ見えている。
「気付いてなかったのですか? 誰が見ても重傷ですわよ?」
「まったく気付かなかった。腕が動かないし全身の力も入らないとは思ってたけど」
「痛みを感じないというのは問題ですわね」
一桜が圭太の右腕に両手を添えて、何やら緑色の光を放つ。
圭太の焼け爛れたような腕がゆっくりと治っていく。まるで植物の成長を早送りで見ているような速度だ。我が腕ながら、中々面白いものだと思う。
「なあ、聞いてもいいか?」
「どうぞ。わたくし治療中ですので手短に」
ぶっきらぼうに文句を言おうと一桜の顔を見ると、彼女は至極真剣な表情を浮かべていた。額からは汗が滲んでいて、頬まで垂れて流れ落ちていく。それだけ集中して作業してくれているようだ。もしくは圭太の腕を治すのにかなり消耗しているのか。
「一桜は勝てると思うか?」
さすがに自分のために頑張っている人間を責めるようなことはできないので、圭太は一桜に言われた通りに短く問いかけた。
琥珀とロキの戦闘は今も続いている。だけどどちらも決定打には欠けるようで、先ほどから似たような内容の繰り返しだ。琥珀が攻撃するが効果はなく、ロキの反撃する頃には既に琥珀は遠く離れている。高次元ではあるけれど単調な内容だ。
「コハクが負けるはずないでしょう? と言いたいところですが」
一桜が顔を上げて、抗議するような目を一瞬だけ向けてからすぐ俯いた。
「よくて引き分けでしょうね。勝つ方法がありませんもの。存在しないものをどうやって掴めばよいと言うのですか?」
「だよな。クソッどうする……?」
「せいぜい頭をひねってくださいケータ。コハクを勝利に導けるとすればあなたしかいませんわ」
圭太は頭を抱えようとして一桜に阻止されたので、苦い顔で舌打ちをした。
琥珀は強い。光速で動ける彼女は最強と言っても過言ではないほどだ。
だけど速いだけでは負けなくても勝つことはない。ロキの不老不死をどうにかしない限りは、堂々巡りのままだ。琥珀とて消耗はする。長期戦になればいつかは琥珀の息が切れるだろう。
一桜の言う通り、現状を打破するためには知恵を絞らなければならない。琥珀は戦いの最中だし一桜は治療に集中している。作戦を考えられるとすれば圭太しかいない。
「いや、あるのか」
そして圭太はすぐに可能性の一つに思い立った。
「一桜、琥珀の最強技は知ってるか?」
「最強技? 光の速さでの移動ではなく?」
「ああ。オンネンを吹き飛ばした技だ」
「ああ、それが?」
自分で食らったので圭太はよく覚えている。わざと暴走させたオンネンをまとめて吹き飛ばした魔法がある。イブですら手を焼いたというのに琥珀は簡単に行った。状況を打破する可能性は十分にある。
「それならロキにダメージを与えられないか?」
「可能だよ。多分」
圭太の質問に、一桜ではなく琥珀が答えた。
戦闘はどうしたと圭太が慌ててロキのほうを見る。するとロキはまたサイコロステーキになっていた。すぐに再生しながら炎を噴射しているが、琥珀を捉えることはできていないようで不愉快そうに舌打ちをしている。
「琥珀? あれ、どこに」
「ここだよ。戦闘の合間だから」
一瞬だけ圭太の近くに琥珀が姿を現す。と思ったらもう彼女はいなくなっていた。
どうやら戦闘の合間に話だけ聞いているようだ。光速で動けるからこそできるのだろうけれど、あまりの異次元っぷりに圭太は口をあんぐりと開けた。とても圭太には真似できそうにない。
「うぜえーなあー。俺様を置いてお話かー?」
「圭太君に手は出させないよ」
「うぜえーうぜえー。ちょこまかと」
「それがボクの戦い方だからね」
からかうようにわずかに軽やかな声で、琥珀は光の尾を部屋中に走らせる。
改めて思う。よくこんな相手に勝てたものだ。
「凄えな。琥珀ぐらいになると戦いながら話ができるのか」
「時間稼ぎだからいいんだよ。ボクより遅い人に合わせてるからね」
ロキの速度は琥珀にとって取るに足らないものだ。だからと言って、仲間内で談笑することもできるのはさすがにどうかと思うが。
わざわざ一度立ち止まって姿を見せた琥珀は、どこか嘲笑うような調子で肩をすくめている。
挑発を重ねられて、ロキの額には青筋が走っていた。
「俺様神様なんだぞー舐めた真似しやがって」
「じゃあそっちも光の速さで動いたらどうかな?」
「面白えー。じゃあ望み通り高速戦闘してやるよー」
「っまだまだ」
圭太の目からロキの姿が消える。あるのはただジェット機の近くにいるかのような轟音ばかり。
二人が高速で戦闘しているのだろう。全方位から何か大きなものがぶつかり合うような音が響いている。
「琥珀。無理なら返事はいらないからな」
どう考えても琥珀に余裕はないはずだ。彼女の目的は時間稼ぎ。高速で動いているロキの足止めに彼女は手がいっぱいだろう。
「俺が纏ったオンネンを吹き飛ばした魔法。あれをもう一度使って欲しい」
「いいよ。今のままじゃ厳しいけど」
圭太の周りから声だけが聞こえてくる。
「あの魔法は発動までに時間がかかるんだ。立ち止まらないと」
どうやら琥珀の奥義は光速で動きながら扱えるようなものではないらしい。それならまだ想定の範囲内だ。むしろ光速で動きながらオンネンを吹き飛ばす超威力の魔法を使うほうがよっぽど恐ろしい。弱点なんてほとんどないようなものだ。圭太とはまた別のベクトルで化け物である。
「それなら大丈夫だ。なあ一桜?」
「ええ。ケータの両腕は治しましたわ」
圭太が治療に集中していた一桜に目を向けると、彼女は満足したように頷いた。
十八禁グロ画像だった圭太の両腕は完治していた。イロアスだって握れるし、立ち上がることだってできる。
そしてすべてを終わらせるために戦うことだって可能だ。
「交代だ琥珀。俺が相手をする」
「うん分かった。任せるね」
圭太がグルリとイロアスを一回転させると、琥珀がすぐ近くに姿を現して剣を上段に構えて目を閉じる。そして彼女を中心に光の粒子が渦を巻き始めた。
「愚かだなー。俺様にも作戦聞かれてる時点で失敗だろー?」
「そうでもないさ」
高速で、それこそ琥珀ほどではないが目にも止まらぬ速度で動いているロキの嘲笑ったような声が聞こえてくる。
イラっとしたので、圭太はイロアスを無造作に振るった。
「ぐえっ!」
確かな手ごたえがイロアスから伝わってくる。
ジェットエンジンを背中に積んだような状態だったロキが、初めて情けない声を出して壁に激突する。さすが日常的に趣味用の部屋として用意しているだけはある。恐らく全力であろうロキのタックルでも部屋の壁はクレータができるだけだった。
「何度も見せられたんだ。対処できないわけないだろ?」
ロキのジェットエンジンは何度も見てきた。琥珀のように光の速さで動いていれば反応すら超えてくるので対処はできないが、そうでもないのなら予想して先回りすることができる。俗に言う決め撃ちというやつだ。圭太の場合は銃ではなく槍だが、細かいことは気にしてはならない。
「生意気だなー人間。そんなに死にたいかー?」
「いいやまったく。何度も言わせんな俺たちはお前を倒したいんだ」
「ははっうぜえー。いいぜー。なら茶番に付き合ってやるよー」
這いつくばったような姿勢からすぐに立ち上がり、ロキの周りに今までの比ではない炎が巻き上がる。今までは紅蓮だったが今は青い炎だ。確か火というものは青い状態のほうが温度が高いんじゃなかったっけ。
「騙し嘯き誑かし、それでも俺様は偉大である。その証は二つの神器。刮目せよ! 偽りから生まれた雷鎚!」
ロキが初めて詠唱し、雷と炎が混ざり合った魔法を発動する。
見た瞬間に生物の本能として理解する。この魔法に触れるだけで死んでしまうと。
「いいや神様だからって何でもしていいわけじゃない。別れを告げる光」
だけど圭太は身動ぎ一つしなかった。
琥珀が上段に構えていた光の柱を振り下ろし、ロキの魔法を真正面から迎え撃つのだから。




