第八章二十一話「神の一柱」
「ここか」
一際荘厳な装飾がなされた扉を前に、圭太は小さく呟いた。
ライアンの案内により圭太たちは地下にやってきていた。どうやら面倒な事態になったため、ロキはシェルターの機能もある第二執務室にこもっているらしい。圭太の予想通りだった。恐らく面倒な事態とは琥珀が姿を見せたことだろう。
「今はお楽しみ中だ。一人でいると思う」
ライアンが真剣な顔をして生唾を飲み込んだ。
お楽しみとはいったい何のことなのか。情報がないので圭太には分からないが、扉越しに感じる火のにおいが最低な想像をさせてくれた。
シリルは無言で扉を、その向こうにいるであろう仇敵を睨んでいた。
そして彼女は扉の取っ手に手を置く。引き返すとしたら多分これが最後だろう。だけど彼女に撤退の文字はないらしい。
「あっおいシリル」
「おーい誰だー? 俺様が遊んでる間は部屋に入るなって言っただろー?」
圭太が制止するよりも早くシリルは扉を開け放ち、扉の向こうに立っていた人物が不機嫌そうな声を飛ばしてきた。
部屋の隅には手を伸ばしている人間のような炭のオブジェがある。腰の剣が怒りを抑えられないとばかりに震えるが、圭太は気付いていないフリをした。
わざわざ目の届かない部下の兵士たちにまで火あぶりを命じるような狂人だ。彼がどんな趣味をしているかなんて、考えるまでもないし考えたくもない。
「ってシリルじゃねえか! 久しぶりだなー」
ロキが、圭太の記憶にいるロイとまったく同じ姿の狂人が、まるで長年離れていた親友と再会したときのように両手を広げてシリルに微笑みかける。
対するシリルは無言で肩から銃を下ろし、洗練された動作で素早く構え、一切の躊躇いなく引き金を引いた。
ロキの頭蓋を撃ち抜こうとまっすぐ突き進む銃弾は、けれども目的を果たせなかった。
ロキが人差し指をシリルに、正確には彼女が放った銃弾へと向ける。すると突如として指先から炎の壁が現れ、銃弾はじゅっと短い音と共に消滅した。
「再会の挨拶にしては冷たいな?」
「そりゃあ殺すつもりだからな」
「怖いなー。せっかくの美人が台無しだ」
「黙れ!」
「照れてるな。あんなことやこんなことした仲だもんなー」
ロキの分かりやすい挑発に乗ってしまい、シリルが何度も銃を撃つ。だけど正面からではロキに銃弾は通用しないらしく指先一つ、正確に言えばロキの指先から出てくる炎の壁によって阻まれてしまう。シリルに消耗戦でもさせたいのだろうか。もしも狙いがそれなら、彼女はまんまとロキの思惑に乗っていることになる。
「でもどうして反乱軍の指揮官が俺様の部屋に? ああ、ああ。言わなくてもいい。裏切り者だろ?」
「っ」
無駄に消耗していてはロキに敵わない。シリルの武器は銃。銃弾がなければ戦えなくなってしまう。
ロキの狙いに気付いた圭太が、シリルの肩を掴む。そこでようやく冷静さを取り戻したらしく、シリルは息を切らしながらも人差し指の動きを止めた。
「いるんだよなー。俺様のことが気に入らないってバカが。明日はお前で遊んでいいってことだよな?」
「そんな明日は来ねえよ。俺が止める」
ロキの嗜虐的な視線にライアンが息を呑む。一応協力者である圭太は、ライアンを背中で隠すようにして立ちはだかった。
ロキの相手は一般兵士ではない。ひねくれ者の勇者だ。そしてそれはライアンではない。
「おや? おやおやおや?」
口を出して初めて存在に気付きましたとばかりに、ロキの表情がさらに楽しげなものになっていった。
「これは珍しい客だ。また会えるとは思わなかった」
「……何してたんだ?」
なんだか変な言い方が気になったが、圭太はとりあえず部屋の隅のオブジェをあごで指しながら問いかける。腰の剣の震えがそろそろ耐えがたいものになってきた。どうやらもう一人の勇者は激怒しているらしい。
「ケータなら察してんだろー? 人の悲鳴ってのは聞いてて気持ちいいのさゾクゾクする」
「分からないね。俺には人をいたぶる趣味がないからな」
「そりゃあ残念だ。魔王と一緒に旅してたんだから、てっきりお手の物だと思ってたぜー」
何が楽しいのかくくくっとロキは笑っている。
残念ながら圭太が一緒に旅をしていたイブは魔王とは思えないぐらい優しい性格だった。人を丸焼きにして楽しむような狂った趣味はない。もしあったとしたら圭太もイロアスの矛先をアダム以外にも向けていただろう。
「……? 待てどうしてロキがケータとイブが旅してたことを知ってるんだ?」
抱えている渦巻く感情のせいで気付くのが遅くなったシリルが、ようやく圭太が感じた違和感を口にする。
「そもそも俺の名前を覚えてるわけがない。俺の記憶と記録は消えたんだ。特殊な存在でもなければ、俺の名前を知ってる人間はいない」
「その割には驚いてないなー? ホントは予想してるんだろー?」
「ああ。というか、そっちも隠す気ないんだろ? ロキ」
そう。圭太は世界を渡り、この世界での記憶と記録が消滅している。シリルのように魔法を無力化できる人間ならまだしも、普通の人間なら圭太のことを覚えているわけがない。もちろんイブという魔王と旅をしていた人間の話も出てくるわけがない。
だからからかったような薄汚い笑みを浮かべているロキが圭太に対して懐かしむような目を向けてくるわけがないのだ。本来ならば。
圭太は例外を知っていた。シリル以外に圭太のことを覚えている存在がいることを。可能性の一つではあるけれど、その代償を直接選んだアダムなら、圭太のことを覚えている可能性が高い。
「お前、神の一柱だな?」
つまり、アダムと同ランクの高次元な存在。
神と呼ばれる者なら、圭太のことを覚えている可能性があるのだ。
「ごめいとー。といっても元、だけど」
ロキはやはり隠すつもりなどないようで、軽薄な態度で圭太の予想が間違っていないと断言した。
「どういうことだ? コイツがアダムなのか?」
「俺様をあんな人形と一緒にすんな。俺様は純粋な神だとも」
一人だけ蚊帳の外に置かれてしまったシリルが困惑したような目で圭太に答えを求めてくる。だけど圭太が答えるよりも早くにロキがそれまでとは一変して不機嫌を露わにした。
「ロキ。火と嘘の神。ラグナロクを引き起こした元凶とされる、俺たちの世界の神だ」
「よく知ってるなー。やっぱりアレか? 憧れの対象的な?」
「狡猾なひねくれ者に憧れるわけないだろ」
「ケータも似たようなもんだと思うけどなー?」
圭太が鼻で笑うと、ロキもニヤニヤと卑しい笑みを浮かべる。
ロキは多分世界で一番有名な神だと思う。下手したら主神ゼウスよりも有名かもしれない。それだけ多くの世界で悪者として君臨していた。
そしてこの世界でもロキは悪者であるらしい。早くて単純な話だ。分かりやすくてずっといい。
「いやいやいや、二人は納得してるみたいだけど、おかしいだろ。ケータの世界の神? それじゃあコイツも世界を渡ったってことか?」
「正確には違うけどなー」
圭太やロキとは違い、常識人であるシリルが狼狽えた声を出す。
だけどシリルの言う通り、圭太や琥珀のように世界を渡ってきたわけではないらしい。軽薄な声と共にロキは首を横に振っていた。
「俺様は戦争に参加して死んだ。この体は新たな人生を歩んでいた俺様みたいなものだ。要は異世界転生ってやつ?」
「神様が転生か。それだけで一本ネタになりそうだな」
「うるせえなー。俺様も嘘は得意なんだぞー」
「悪かったな素人の嘘は見抜けるってわけか」
「俺様神様だからな」
冗談めかして言うもんだから同じく冗談で返すと、圭太の嘘に気付いたらしいロキがわずかに眉間のしわを深くした。
と言っても冗談半分での会話に友人同士の和やかな雰囲気はない。圭太もロキも笑みを浮かべているが、笑っていない瞳は相手の隙を伺っていた。まるで皮肉をぶつけ合うお茶会みたいだ。ちっとも楽しくないし心も休まらない。
「だから手は引きな人間ども。お前らじゃ俺様は倒せない」
「すると思うか? 玉座に踏ん反り返って悪行三昧。許されることじゃない」
「許されることじゃない? クヒーッヒーッヒーッ!」
ロキの忠告に圭太が中指を立てて返すと、なぜかロキは腹を押さえて大笑いした。
「笑わせんなよー! 誰のせいだと思ってやがる!」
楽しそうなロキが何を言おうとしているのかすぐに理解したので、とりあえず圭太はロキを全力で睨むことにした。
「元はと言えば人形に敗北してこの世界から追い出されたお前が悪いんだろケータ。どのツラ下げて正義を語るー?」
「俺が原因ってか。まあ否定はしないよ」
分かっていたことだ。仰る通り、まごうことなく真実だ。
圭太がロキを玉座に座らせたのだし、圭太がアダムの不意打ちに対応できなかったから反乱を長引かせてしまった。
すべて圭太の行いが原因だ。それは否定できないしするつもりもない。諸悪の根源だと罵られようと喜んで受け入れよう。圭太自身、そう思っているのだから。
「だから決着も俺がつける。神が相手? 上等だ。俺は神殺しがしたいんだよ」
原因が圭太なら、解決するのも圭太の仕事だ。
圭太はイロアスを腕輪から本来の姿に戻し、その矛先をロキに向けた。
神を殺す。いい予行練習だ。虫唾が走る。
「クヒーッヒーッヒーッ! やってみな! 人間一人じゃ何もできないんだ!」
「一人じゃない」
圭太の戦意を目の当たりにしたロキは、口が裂けるんじゃないかと思うほどに口角を吊り上げる。
人間と神の争い。どう考えても不利な圭太の隣に並ぶ者がいる。
「オレもいるぞロキ」
「ションベンくせえガキが追加かー! やめてくれよ笑い殺す作戦かー?」
シリルが名乗りを上げ、ロキは左手で目元を押さえてさらに大爆笑する。
次の瞬間、何の前兆もなくシリルを炎が包んだ。
「普通の人間はすっこんでなー? 来世では自分の立場を弁えろー?」
「そっちこそ笑わせんな」
突如焼かれ、当然何の抵抗もできずに炎の中に消えたシリル。
殺したと思ったロキが哀れみの表情を浮かべると同時に、彼の意思に反して炎が吹き消された。
「オレの特性を忘れたか?魔法が通用するわけないだろ」
炎を消したのは圭太ではない。
左手を振るった姿勢で立つシリルには傷一つついていなかった。いかに必殺の炎であろうと、それが魔法である限りシリルには通用しない。確か強力な魔法は防げなかったはずだけど、どうやら彼女の能力はパワーアップしているようだ。シリルの成長に圭太は頼もしい気分になった。
「……ここで死んどきゃ楽だったのによー」
ロキが初めて本音を口にした。
確かにここで諦めて死んだほうがよっぽど楽だろう。焼かれるならなぶり殺しにはならないはずだ。少なくとも拷問のような目にはあわない。
「嫌だね。オレはどんな苦痛を味わってでもお前を倒す」
「そういうわけだ。人間舐めてると痛い目見るぞ」
だけどシリルも圭太も、命を投げ捨てて降伏するという選択肢は持っていなかった。
あるのはただ、ロキという悪党を倒すこと。それだけだ。たとえ首だけになっても食らいついてやる勢いで、二人は戦意を漲らせる。
「……クソツマンねえー。さっさと死ね」
ロキが手をかざし、虚空からいくつもの炎が浮かび上がる。
こうして神対人間の戦いの火蓋は切って落とされた。




