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第八章十九話「不思議エネルギー」

 圭太が首を下に突っ込み、辺りを確認する。

 薄暗い広い空間。人の気配はなく、なんだか埃っぽい。どうやら資料室のようで、世界が変わっても変わらない本棚にはぎっしりと何かの本が収められているようだ。

 圭太は辺りに人の気配がないのを確認して小さく頷くと、顔を覗かせていた穴からぶら下がるようにして体を出し、そのまま音を立てずに降り立った。そして圭太に続いて顔を覗かせるシリルに両手を広げてみせ、抱きとめるようにして彼女を受け止める。

 少しだけ大きな音がしたが、騒ぎにはならなかったようだ。気配が近付いてこないのを確認して、圭太は初めて小さく安堵の息を漏らした。


「よしっ、とりあえずひと段落だな」


 圭太は頭上の穴、つい先ほどまで身を隠していたダクトの通気口に元々はめてあった格子を直して侵入の痕跡を隠す。

 一応潜入している身だ。できる限り痕跡は残したくない。


「凄え。一応敵の足元なんだけど」

「通気口だからな。広い施設なんだし、人が通れる大きさになるんだよ……俺からすれば空調があるほうが驚きだけどな」


 まったく問題が起きずにロキが支配する町の中央、権力の象徴である城に潜り込んだシリルが信じられないものでも見るような目を圭太に向けてくる。

 もうなんだか訂正する気も起きてこなかった圭太は、疲れたような目をたった今侵入のために利用したダクトに向ける。

 ダクトがあるということは空調があるということ。言い換えるならエアコンと同じような考え方の代物がこの城には根付いているのだ。前回圭太の世界にもあった技術を見つけたときは散々だったからどうしても嫌な想像ばかりしてしまう。


「そうか? ロキが考えた唯一の成功例だぜ?」

「俺が元いた世界じゃ普通だったけどさ。何というか、この世界にはまだ早いと思ってた」


 魔法を使っているのなら、まだ理解できる。

 だけどダクトがこんなあまり人が来なさそうな資料室まで伸びていることには違和感がある。個室なら個人の魔法だと納得できるが、城中に管理の手を伸ばすのは人間業ではない。それこそイブでもなければ不可能なはずだ。


「まあそうかもしれないな。画期的な発明だし」

「……深く考えるのはやめようか。嫌な予感しかしないし」


 考えれば考えるほど、ロキが実はとんでもない怪物なんじゃないかと思えてきてしまって、圭太は思考を停止した。

 情報を集めるのは大切だけど、それで気後れしているのでは話にならない。どうせ目的は変えられないのだ。たまには愚かに何も見ないフリをすることだって重要なはずである。


「それで、大丈夫か琥珀?」

「うん。ボクは大丈夫だよ」


 圭太が腰の左側に差した剣に話しかけると、とてもよく知った声が剣から返ってきた。


「不思議だよな。声帯ないのにどうやって喋ってんだ?」

「うぅーん? 振動?」


 琥珀が首を傾げている様子はまざまざと予想できるが、剣となっている彼女にそんな仕草はできない。

 圭太が行った魔法。それは神造兵器と一体化している琥珀を剣状態に変身させるというものだ。

 イブがイロアスを腕輪に変えられるようにと魔法を使ったのは圭太も見ているし、イロアス自身も魔法を覚える機能があるから記録していた。後は一桜と琥珀の知恵を借りて少しだけ改良しただけだ。人間相手に成功するかは未知数だったが、ご覧の結果だ。これでいざというときはいつでも琥珀に頼ることができる。


「どうでもいいだろ。オレたちには調べようないんだし」

「それもそうか。どうせ不思議エネルギーだろ」

「あのね圭太君。仮にも恋人が当事者なんだよ?」


 潜入中にまったく関係ない話に二人で唸っていると、シリルがなんだか冷たい目を向けてきた。

 言われてみればその通りだ。どうせよくある魔力をうまい具合に使っているとかそんなオチだろう。圭太も深く考えないことにして雑念を頭から振り払った。


「さて、うまく潜入はできたがどうするかね?」

「ねえ無視かな?」


 当の本人である琥珀が何かを言っているが、圭太は聞こえていないことにした。


「どうするってロキのところに行くに決まってんだろ?」

「シリルはどこにロキがいるか分かるか?」

「どこってそりゃあこの城の――あっ」

「そういうこと。普通城なら一番上にいるのが相場なのかもしれないが、間違っていたら面倒だ。琥珀への対策として場所を移してる可能性もある」


 何言ってんだと言わんばかりの顔をしているシリルに圭太が軽く問いかけると、彼女はすぐに圭太の懸念が理解できたようでポカンと口を開けた。

 定石であれば、城で一番偉い人間は城で一番高いところにいるはずだ。

 しかし琥珀の存在に勘付かれて警戒されているかもしれない以上、わざわざ分かりやすい場所にはいないだろう。それどころか最上階に行けば罠が待っているかもしれない。潜入している立場としてみすみす罠に嵌まるような真似だけは避けたい。


「ゴメンねボクのせいで」

「仕方ないだろ有名人なんだから。それに琥珀も情報は集めたんだ。責めるつもりはないよ」


 しゅんとした声をする琥珀に、圭太は微笑を浮かべながら剣の柄を撫でることで励ます。

 仕事していなければ問題だが、琥珀もちゃんと情報を集めている。仕事をした結果なのだからあまり責められない。元はと言えば琥珀を町に出す決断をしたのは圭太なのだし。


「でもどうすんだ? あまり観光してる余裕もないぜ?」

「分かってるっての。この世界にダンボールはないし、服を奪おうにも複数用意しなきゃいけない」

「だんぼーる? それがあったらよかったのか?」

「おう。潜入の必需品だぜ!」


 聞き慣れない単語に頭の上に疑問符を浮かべるシリルに、圭太は勢いよく親指を立てた。

 伝説の傭兵も愛用していたダンボール。それさえあればどんな場所であろうと潜入できる自信がある。


「それ、ゲームの話だよね。前に見せてもらったことあるよ」

「余計なことはいいんだよ」


 琥珀が横槍を入れてきたので、圭太はちょっとだけ不機嫌に剣の柄を指で弾いた。


「何か考えはあるか一桜」

「どうしてわたくしに聞くのですかケータ」

「そりゃあ、こういうとき頼りになるし」


 圭太が虚空に呼びかけると、呆れた調子で圭太の肩から一桜の顔が出てきた。

 知らない人が見れば完全にホラーだが、一桜がオンネンであり今は圭太の中に隠れていると理解している面々に驚きはない。


「さすが圭太君分かってるね。イオは困ったときは一番頼りになるんだよ」


 琥珀はさすがだねとばかりにうんうんと頷いていた。いや完全に予想だけど。圭太の頭の中でそれはもう自信満々に。


「ケータほどではありませんわ。どうせ何か企んでいるのでしょう?」

「企むとは失敬な。可能かどうか聞きたいんだ」

「なるほど。じゃあできると思いますわ」

「投げやりか」


 圭太の理解者である一桜は、わざわざ肩から両腕も出して呆れたように肩をすくめる。

 あまりの適当な言い方に圭太は思わずツッコミを入れてしまった。


「ニンジャなら服二着盗むぐらいどうってことないでしょう?」

「だから忍者じゃないって。やっぱりシリルにはここで待機してもらったほうがいいか?」


 圭太の考えを完全に把握しているらしい一桜。一応答えは出ているが圭太はさらに質問する。すると彼女はほとんど即答で頷いた。


「その方が無難でしょうね。一応ケータにはホタルたちを出し抜いた実績がありますし」

「キャンプのことか? あれは死角が多かったからできたんだ。今とは状況が――」

「泣き言は聞きたくありませんわ」


 買いかぶってくる一桜に、圭太は今とはまるで状況が違うと説明しようとする。だけど途中で一桜にピシャリと切り捨てられてしまった。

 一人なら警戒されている城を歩き回れるとかそんなわけがない。圭太とて人間だ。目的が大きくなくてもそう簡単にはいかないだろう。


「分かったよ。じゃあシリル、ちょっと待っててくれるか?」

「捕まんなよ?」


 資料室は変わらず人の気配がない。多分普段近付かれるような場所ではないのだろう。潜入者たちが身を隠すのにはうってつけだ。

 一人資料室を出ようとする圭太に、シリルはいたずらっぽい笑みを浮かべていた。


「誰に言ってんだ。一応琥珀は置いていくな」

「今回はしょうがないね。いってらっしゃい」

「おう行ってくる」


 圭太は腰に差していた剣をシリルに預ける。琥珀も納得してくれたようで大人しくしていた。一応神造兵器だし、彼女が本気で嫌がれば圭太の手には負えないはずだ。手渡す直前に一瞬だけ頭をよぎった不安が杞憂になってちょっと安心した。


「あっ」


 資料室を出た、一歩目で。

 圭太は動きが止まった。目の前には、同じように人と遭遇すると思っていなかったと物語っている表情を浮かべた兵士が立っている。

 まさかの鉢合わせ。脳裏によぎった言葉を理解するよりも速く圭太は動いていた。


「だ――」

「うるせえ黙れ」


 何やら叫ぼうとしていた兵士の口元を押さえて、圭太は素早く資料室へ引きずり込む。関節を極めることで体の自由を奪うのも忘れない。


「早いね。さすが圭太君」

「むぐぅっ!」


 どこか呆れた調子で呟く琥珀。だけど剣が喋っているという不思議を前にしてる兵士には気にする余裕はなかった。現在進行形で圭太にギリギリと腕を曲がっちゃいけない方向に曲げられようとしているからだ。


「運がいいのか悪いのか。とりあえず一人確保だ。しかも雑魚」

「気絶させるか?」

「だな」

「待ってくれ! 頼む話を聞いて!」

「あん?」


 まさかの事態に圭太自身も思わず苦笑しているが、とりあえず見つかった相手が圭太の拘束すら振りほどけない雑魚でよかった。シリルの言葉に頷いて、意識を奪うために圭太は拘束の手を首のほうへと伸ばしていく。

 暴れていたせいでうっかり口から手が離れ、その瞬間叫んだ兵士の言葉に興味を持ってしまった圭太はつい話を聞こうと動きを緩めてしまう。


「お前ら侵入者だよな? そっちの女は見たことある。確か反乱軍のリーダーだ!」

「よく知ってるな。ますます見過ごせない」

「だから待ってくれ! 痛い痛い痛い!」


 どうやら腕っぷしは弱いが色々とこちらの情報を掴んでいる勤勉家らしい。

 圭太としては見逃す理由がないので、とりあえず首に腕を回した。後はちょっと力を入れるだけであっさり意識を奪えるはずだ。兵士が焦ったようにより激しく暴れるが、パルクールで鍛えた圭太の腕力は半端ではない。


「なんだ? 有益な情報なら早いとこ頼む。俺たちには時間がないんだ」

「協力させてくれ!」

「……協力?」

「ぼくも反乱軍になりたいんだ! 頼むよ!」


 兵士の口から最も予想していなかった言葉が出てきて、圭太は思わず素でとぼけてしまう。

 これぞチャンスだと無駄な抵抗をしながら足をばたつかせる兵士は、圭太の聞き間違いではないとさらに全力で叫んだ。


「……どう思うシリル?」

「どうって、ケータに任せるぞ?」

「リーダーはシリルだ。使うかどうかはお前が選んでくれ」

「そういえばケータはそういう奴だったな。うぅーんそれじゃあ」


 圭太は逃がさないようにしっかりと首に手を回したまま、シリルに視線を向ける。

 シリルは圭太に判断を任せるつもりのようだ。だけどそれではいけない。反乱軍関係なしで動いているという建前の今ならともかく、この兵士は反乱軍への入隊希望だ。反乱軍のリーダーであるシリルに判断してもらわなければならない。


「信用しよう。オレたちは誰であろうと同胞は拒まない」

「了解。良かったなお前」

「良かった! 本当に良かった!」


 うむと頷いたシリルに従い、圭太は名残惜しそうに兵士を解放した。危うく気絶させられるところだった兵士は自分の首をさすりながら安堵に叫んでいる。うるさいのでやはり黙らせたほうが良かったかとちょっと後悔する圭太だった。


「でも罠に嵌めようとしてたらもちろん」

「ああ、そのときは俺が片付ける。それが俺の仕事だからな」


 もしもこの兵士が策士であり、圭太たちを罠に嵌めるつもりだったなら。

 そのときこそ圭太の出番だ。だから彼はこの場に立ち、武器を持っているのだから。

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