第八章十二話「収穫」
「……」
花屋の女性と別れた後も圭太とシリルは路地裏を歩いていた。
運よく路地裏に入ってすぐに人と遭遇したけど、本来は人通りがほとんどない道だ。まだ情報を集めたいと思って歩いてはいるけれど、人を見かけることすらない。これ以上の収穫はなさそうだ。もう帰ったほうがいいのかもしれない。
圭太はとっくにやる気などなくなっていたけれど、無言で足を進めていた。理由は簡単、女性と別れてからずっとシリルがどこか責めるような目を向けてきているからだ。帰ろうとも言い出しにくい雰囲気である。
「なんだよさっきから黙りこくって睨みやがって。言いたいことがあるなら言え」
帰るためにも、そろそろシリルの視線の意味を聞いておかなければならない。もしかしたら彼女は何かに気付いたのかもしれないし。
あまり長居していてはシリルの正体を勘付かれる可能性もある。情報もある程度は集めたことだし撤退したい圭太は、ぶっきらぼうに口を開いた。
「別に。ナヴィアが可愛そうだなって思っただけだ」
「なんで今ナヴィアの名前が出てくるんだよ」
「無自覚かよ。これだからケータは」
今は圭太の恋人兼奴隷の、どっちが主人で奴隷かごっちゃになっているが、エルフの少女は関係ない。妙になつかしさを感じる名前が急に出てきて首を傾げる圭太に、シリルはとても呆れたようにため息を吐いた。
「なんで怒ってんだ? もしかしてさっきの花屋への態度か?」
思い当たる節と言えばそれぐらいしかない。圭太が口に出すとシリルはわずかにまぶたを細めジト目をさらに冷たくする。どうやら圭太の予想は当たりのようだ。
「別にいいだろあれぐらい。ただのお世辞だよ」
「なんだって?」
「だからお世辞。演技、リップサービスだよ」
なんだそんなことかと圭太が肩をすくめると、シリルは右の眉毛を上げた。
「故郷を捨てるんだ。相当な覚悟だと思うぜ? ただでさえお先真っ暗なんだし、誰かに応援されたいだろ?」
妙齢の女性はこの町を捨てる決心をした。今まで自分が生まれ育った環境を捨てるのだ。その覚悟は相当なものだ。圭太も同じ経験があるからこそ気持ちはよく分かる。
言葉だけとはいえ、誰かに応援されれば心強いはずだ。
気持ちが分かるからこそ圭太は自慢の演技力を使って本気にしか思えないような態度で、花屋の女性を応援してあげた。反乱軍の仲間になるのなら言葉は送らなかっただろう。
「はぁーっ。これだからケータは」
「なんで呆れられるんだ。おかしなこと言ってるつもりはないんだが」
「だからこそだよ。オレの覚えてるケータ過ぎてため息が出る」
「んだよそれ。まあいいけど」
あっけらかんと答える圭太は嘘を吐いていないと理解して、シリルは困ったように頭を押さえた。
どうやらシリルの十年前にいる圭太と今の圭太に違いがなさ過ぎて頭が痛いようだ。納得できないが、あまり話を広げてもよくない気がする。要は圭太の嘘吐きっぷりに呆れているのだ。シリルにとっては十年ぶりかもしれないけど圭太からすればそれほど期間が空いているわけではない。話題を広げれば今の圭太が責められているような気分になってしまうだろう。
「シリルが戦う理由も分かったことだしな」
「……いいだろ別に。戦う理由なんて」
「そうでもないさ。まあ、生きるために仕方ない場合もあるけどな。俺も元々はそうだったし」
圭太とてやられてばかりではない。
少しだけからかうように笑みを浮かべてシリルを見ると、彼女は目を逸らしてなんだか気まずそうにしていた。
圭太は元々生きるために武器を取った人間だ。自殺しようとしていたくせに魔王に捨てられないようにと血塗られた道を進むことを決意したどっちつかずの人間だ。何かを求めて武器を取る人間がいる一方で、戦うことでしか生きていけない人間も存在している。圭太も自分のことをそう考えていた。
「でもシリルは違う。お前は最初からあの花屋みたいな人間のために銃を取った。俺にはとても真似できないよ」
「よく言うぜ。助けてって縋られたら絶対に助けてくれるくせに」
「そりゃあ助けを求められればな。でもあの人は最初からどこか諦めた様子だった。ああいう人は絶対に誰かに助けは求めないもんだ」
だけどシリルは生きるために戦いを選んだわけではない。生きるための戦いはキテラを倒したあの瞬間に終わりを迎えた。今のシリルなら銃を取らずに平和な生活を送ることだって可能だった。
だけど彼女はそうしなかった。誰かが困っていればすぐに手を差し伸べるために武器を手に取った。誰かに助けを求められて初めて行動に移す圭太にはとても真似できない芸当だ。素直に尊敬する。
「シリルは優しいんだな」
「やめてくれ」
圭太が微笑みかけると、シリルは申し訳なさそうに首を横に振った。
「オレは優しくない。仲間は皆死んでいく。オレについて来たからだ。もっと長生きできたかもしれないのに」
「そんなことはないだろ」
そのまま自虐を始めたので圭太はすぐに言葉をかぶせて否定した。
シリルが責任を背負う必要はどこにもない。彼女は仲間の命を背負っているのだ。余計な後悔は邪魔なだけだ。
「シリルの仲間も立派な反乱軍の一員だ。お前がいようといまいとどのみち死ぬ運命だった。言い方は悪いけどな」
「でもケータや勇者なら」
「ああ、被害は減らせたかもしれない。でも逆に全滅していた可能性だってある。俺たちだって人間だ。失敗もする」
シリルの言う通り、圭太や琥珀がいれば被害を出さずに反乱に成功していたかもしれない。
しかし、その逆もあり得る。
極論を言えば一切の魔法を使わせないような状況にすれば琥珀はちょっと人より強い剣士だし、圭太だって無数の兵士に囲まれて銃弾を受け続けていれば普通に死ぬ。だからこそ致命的な状況に陥らないように琥珀も圭太も動いているのだが、いつだって例外は存在する。罠にはまって倒される可能性は十分にある。むしろ今まで自分の力に頼ってきたからこそ自信があるし、罠にまんまと引っかかる可能性はある。事実圭太は油断を誘って琥珀を倒したわけだし。
現状維持だって立派なものだ。少なくとも圭太には真似できないだろう。反乱するにしろ全滅するにしろもっと早くに決着がついていたはずだ。
「今も戦い続けていられるのはお前のおかげだシリル。もっと胸をはれ」
「でも、だって――」
「大丈夫だ。ある程度は敵の性格も理解できたし、後は俺が終わらせてやる」
「えっ?」
圭太が小さな肩で圭太とは比べ物にならないぐらい色々なものを背負っているシリルの頭を撫でる。
するりと圭太から出てきた言葉に、シリルは頭を撫でられたまま顔を上げた。
「理解した? そんな話があったか?」
「くくっ、指導者としては優秀でも情報収集はまだまだだな」
シリルが頭の上に疑問符を浮かべ、圭太はその様子が面白くて喉を鳴らした。
「あの兵士たちの行動に違和感はなかったか?」
「違和感? ……いや別に?」
「しょうがないか。お前にとっては日常なんだし」
しばし考え込んでから首を傾げるシリルに、圭太はちょっと残念だとばかりに肩をなで下ろした。
シリルにとって兵士が花屋の女性を襲おうとしていたあの光景は当たり前の光景だ。当たり前だからこそ、圭太のように違和感には気付けないみたいだ。
「兵士たちは脅しのときにわざわざ松明を使っていた。銃を肩にぶら下げていたにもかかわらず」
圭太は人差し指を立てて、教師のようにシリルに説明する。その脳裏では先ほど花屋の女性が兵士たちに絡まれていた様子が浮かんでいた。
「どう考えても効率が悪い。多分だが上から命令でもされてるんじゃないか? 可能な限り人間は火あぶりにしろとか」
確かに火を使ったほうが苦痛は与えられるだろう。だがしかし、圭太が口を出しても兵士二人は銃に触れようともしなかった。まるで銃を使うのに抵抗でもあるみたいに。
「そういえば確かに、兵士に家族を殺された仲間も火あぶりにされるところを見たやつが多かった」
「だろ? つまりロキは人を焼くのが好きなんだ。それだけ残忍とも言えるな。拷問も好きなんじゃないか?」
路地裏で人間を焼いたところでロキに届くわけがない。だがそれでも命令していた可能性がある。いつどこに行っても悲鳴が聞こえてくる素敵な町でも目指しているのだろう。圭太には共感できないがそういうタイプの人間だと予想はできる。
「言い換えれば、やつは極限まで人をいたぶりたい。付け入る隙があるとすればそこだろうな」
人を痛めつけたい。つまりロキと相対したときはギリギリを楽しむように生殺しにあうはずだ。すぐに殺されないのならその隙を狙って作戦を練り込むべきだ。圭太ならどれだけ血反吐を吐こうと命尽きるその瞬間までは戦うことができる。珍しく相性がいい敵になりそうだ。
「すげえ。あのやり取りでそこまで」
「それだけじゃない。貧富の扱いの差が大きいってことは階級を重んじてるってことだし、表と裏でわざわざ分けてるってことは完璧主義に近い思考の持ち主でもある。軽く考えただけでも作戦は何個か思い浮かぶぜ?」
さっそく突破口を見つけた圭太にシリルが目を輝かせる。だが圭太はそれだけではないとさらに町を歩いて手に入れた分析結果を口にする。
裏で上納金のやり取りをすることで貧富の差を操作している。つまりロキにとって自分を最上にした階級を構築していることになる。反乱軍からのし上がった反動か、階級社会の頂点に憧れでもあるのだろう。
表通りと裏通りでわざわざ貧富の境界を分け、落ちぶれた人間をおもちゃのように扱っている。つまりロキは貧しい人間なら何してもいいと思っているクズであり、仕分けをはっきりとさせたい完璧主義者ということだ。挑発するなら貧しい人間に予定を崩させれば一発で顔を真っ赤にするだろう。
「……マジかよ」
「だから言っただろ? 直接足を運んだ方がいいって」
もはや絶句しているシリルに、圭太はからかうような笑みを浮かべながら得意げに鼻を鳴らした。
どこに情報が転がっているかは分からない。前の世界では捨てられたレシートから買い物した人間の性格を推測するようなことも行われていたのだ。些細なものから情報を結びつける方法を知っていなければ、これほど情報収集はできないだろう。
「確かにケータの言う通りだ。考えたこともなかった」
「気にするな。適材適所ってやつだ。卑怯者は作戦を考えるのが上手いってだけだよ」
シリルの羨望の眼差しが眩しくて圭太は顔を逸らした。
別に褒められるようなことではない。ただテレビでやっていたような内容を実践しただけだ。普段の生活で役に立つようなものではないし、シリルのほうがずっと凄いと思っている圭太にはむず痒いだけだった。
「じゃあもう倒す算段もできたのか?」
「さあな。やってみなければ分からないし、こっちの被害の大きさまでは考えてない。これから煮詰めていくしかないだろ」
いくつか作戦のアイデアはある。だけど実践するにはいささか心許ないし、思いついたからといって実現できるかどうかはまた別問題だ。自分たちの手札も考えながら作戦を決めていかなければならない。
「まあでも、収穫はあった。今日のところは帰ろうぜ。長居しててもいいことはないんだし」
「分かった。ケータが来てくれて良かったぜ。もう勝ったようなもんだな」
「だから分かんねえって。俺は神じゃないんだから」
シリルが期待している眼差しを向けているが、圭太はへらっと自嘲の笑みを浮かべる。
圭太は神ではない。神は唯一アダムのみ。
圭太には絶対なんて存在しないし、勝てるかどうかも分からないのだから。




