第八章十一話「いい仕事」
シリルの先導に従って、圭太と花屋の女性は路地裏のさらに奥まで足を運んでいた。
「ここなら兵士も来ないだろ」
辺りを見渡しながらシリルは足を止めた。
彼女の言う通り、兵士の気配どころか人の気配すらない。表通りの喧騒もすっかり聞こえなくなっているし、そうそう人とすれ違うこともなさそうだ。
「さすがシリルだな。慣れてる」
「当然だろ。何回似たようなことをしたと思ってんだ」
「娘が正しく育ってくれて父さんは嬉しいよ」
「誰が父さんだコラ」
色々と頼りになるシリルの頭を圭太は感慨深そうに撫でてやる。彼女はどこかくすぐったそうに目を細めながら、言葉だけは鬱陶しそうにトゲを含ませている。反抗期の娘を持ったみたいで圭太はさらに微笑ましい気持ちになった。
「あの、助けていただきありがとうございました」
圭太とシリルが戯れていると、花屋の女性が両手を合わせて頭を下げる。
一応売り物である花が入ったバケツも回収している。四つのバケツを乗せた台車を押していた圭太は、妙齢の女性に台車を返す。車イスを押していた経験があるおかげか、花は変わらず花弁を揺らしている。
「気にしないでくれ。俺たちも打算ありきで助けたんだから」
「オレは違うぞ」
「分かってるよ。でも善意だけで兵士にケンカ売るヤツなんて信用できないだろ?」
「オレの仕事を全否定かよ」
胡散臭くならないように注意して余計と信用できない笑みを浮かべている圭太に、シリルは頭を押さえて項垂れた。
反乱軍は根本に多少の復讐心を持っているだろうが、仕事内容としては善意でロキの毒牙から人を助けることだ。つまり、圭太は反乱軍そのものを信用できないと断言したことになる。
実際その通りだと思うのだが。権力者にとって、そして関係ないその他大勢にとって反乱軍とはただの犯罪者集団だ。犯罪者に信用があるわけがない。
「打算、ですか? あなたたちは一体……?」
「ああ、申し遅れた。俺は圭太。コッチはシリルだ」
妙齢の女性が恐る恐るといった表情で素性を確認してきたので、圭太は自分とシリルを交互に指差して自己紹介をする。
「安心してくれ。オレたちは反乱軍だ。陥れるつもりはない」
「反乱軍……!? あなたたちが?」
「色々聞きたいことはあるんだろうが、まずはこっちが先に話をしてもいいか? その後でならいくらでも質問に答える。このシリルが」
あっさりと自分たちが反乱軍であるとシリルが名乗り、女性も驚いたように声を震わせた。
驚愕からの質問攻めも悪い気はしないが、まずはこちらが先だ。圭太は情報集めのために女性を助けた。シリルは違うようだが。まずはこちらの目的を達成させてほしい。
「おいケータ。勝手に約束すんじゃねえよ」
「いいだろ別に。どのみち勧誘するつもりなんだろ?」
「そうだけどさ」
勝手な圭太に納得いっていないようで、シリルは唇を尖らせながら言葉を飲み込んだ。
シリルが圭太の制止を振り切ってまで彼女を助けたのかはなんとなく理解している。反乱軍は少しでも戦力が欲しいのだ。彼女がどういう考えを企んでいるのか、手に取るように理解できた。
「ワタシに話、ですか?」
「かしこまらないでくれ。大した話じゃない。ここ最近の世間話がしたいだけだ」
緊張で顔を強張らせる花屋の女性に、圭太は両手を振って警戒しないでくれとおどける。
「どうしてあなたが襲われていたのか、そこら辺の事情を詳しく教えてくれ」
「……そういえば旅人さんでしたね」
なぜ当たり前のことを聞くのかと言わんばかりに疑問を表情に滲ませた女性が、すぐに思い出したように手を叩いた。
シリルは反乱軍でも圭太は旅人だ。そう名乗ったし、あまり事情にも詳しくない。だから質問しているのだが、どうやら彼女の中でも合点がいったらしい。
反乱軍でも町の事情には詳しくないと感じてもらえたら後々の話で楽になる。
「この町は競争が激しいんです」
「競争?」
「はい。表通りは見ましたか?」
思ってもみなかった言葉に圭太は首を傾げる。妙齢の女性も圭太の反応は予想していたようで、頷きながら説明を続けてくれる。
「ああ。かなり賑わっていたが」
「盛り上がりますよ。あそこに店を構えられるのは超人気店だけですから」
女性の言葉と表情には少しだけ羨望が混ざっていた。
「食事や鍛冶屋の腕は選りすぐりですし、雑貨を取り扱ってるのはどこかの貴族様だったはずです。皆資金には悩まされていません」
「表で店を開くには上納金がいるんだ。かなり高額な」
「よく知ってますね。払えなければすぐに追い出されます。だから裏路地でひっそりと店を開いていたんです。裏路地は上納金がなくても商売できますから」
シリルが腕組みして吐き捨てるように呟き、花屋の女性も少しだけ驚いたように目を丸くしてから悲しそうに頷いた。
上納金。よくあるシステムだと思う。選り好みをする一番手っ取り早い手段はやっぱり金だ。金さえあればどうとでもできるのだから。
上納金を払い続けられれば、表通りで店を構えられる。あの賑わい具合だ。上納金を差し引いても儲けは大きいだろう。
しかし払えなければ金を稼ぐことも許されない。滅多に人の通らない裏通りで渡り売りをするしかない。
「花屋、だもんな。それほど莫大に稼げる商売じゃないってことか」
「はい。花が好きなので仕事を変えるつもりはありません。それに、たまに買ってくれるお客さんもいるんですよ?」
花屋の女性はどこか嬉しそうに話しているが、話を聞いている圭太はとても笑えるものではなかった。
花屋が繁盛するという話は聞いたことがない。圭太が思いつく花をわざわざ買う目的と言えば故人や恋人への贈り物か観賞用ぐらいだ。どちらにしてもしょっちゅう人が来る理由ではない。法外な金額設定をすればまだ儲けは大きくなるのだろうが、それでは花を愛でる気持ちは生まれないだろう。逆に店が潰れてしまうはずだ。
「でもそれも今日まで、ですね。兵隊に目をつけられたらもうこの町では生きていけません」
妙齢の女性は困ったようにため息を吐く。どこか憂いを感じさせる、本当に成す術がないとでも告げているようなため息だ。
「そうなのか? 同じ場所で店を開き続けるのは厳しいだろうけど、花屋を続けるだけならできるんじゃ」
「無理だ」
楽観的に状況を考えている圭太に、シリルははっきりと断言した。
「聞いてたろ? 兵士たちの中で花屋は詐欺同然の商売なんだ。表で店を構えてるならまだしも犯罪者に容赦はしない」
表で店を構えていれば、それは上納金を払って商売しているのだ。詐欺にはならないしむしろ上客である。
しかし、裏通りでこそこそと花を売ることは犯罪者と同列の扱いを受けてしまう。先ほどと同じように兵士に見つかればただでは済まないだろう。
「なんだよそれ。ただ自分の好きなことを仕事にしていただけじゃねえか」
「許されないんだ。この町じゃ稼げない人間に人権はない」
圭太が納得できないと顔を歪めて吐き捨てると、シリルはどこか申し訳なさそうに首を横に振っていた。
この町では金がすべてだ。金さえあればさらに儲けることもできる。表通りで店を構えている限りは億万長者も夢ではないのかもしれない。
しかし、裏通りに落ちぶれてしまった人間には人権は存在しない。人の目を盗むようにして仕事をして、それでも兵士に見つかれば戯れのように焼き殺されてしまう。
そんな町が許されるわけがない。気が付けば圭太は自分のこぶしを痛いぐらいに握りしめていた。
「仕方ないですよ。生まれ育った町を捨てるのは抵抗がありますけど、命には変えられませんから」
「なあ、アンタは反乱に興味はないか?」
妙齢の女性はどこか諦めたように呟き、そんな彼女にシリルが今さらのように声をかける。
「安心に店を構えられるなら嬉しいです。でも知ってますよ。今の領主様も反乱を成功させたことぐらい」
「そっか。オレたちがアイツと違うかどうかは分からないもんな」
「申し訳ありませんが。助けていただいたことは感謝しています」
だけど花屋の女性は首を横に振って、シリルの勧誘を蹴った。
ロキはかつて反乱軍を率いた人間だ。シリルたち今の反乱軍がかつてのロキと同じようなことをしでかさないという保証はない。女性からすれば同じようにしか見えていないのだ。
シリルもそれは理解しているらしく、素直に手を引いた。かつて似たようなことを言われた経験があるのかもしれない。
「気にすんな。オレたちが好きでやったことだ。この町を出る手助けをしようか?」
「遠慮しておきます。これ以上借りを作ったら後が怖いので」
あくまでも手を貸そうとするシリルに、妙齢の女性はさらに首を横に振った。
自分を苦しめている人間と同種かもしれないシリルだ。手を借りて、後でもっと恐ろしい目にあわされるかもしれない。女性がそう考えているのだと圭太は察した。
「分かった。達者でな」
「ありがとうございます。あなたたちも反乱が成功すればいいですね」
「待ってくれ」
台車を押して逃げるように路地の奥へと消えようとする妙齢の女性を、圭太が呼び止めた。
「はい?」
「一つ言い忘れてた。聞いてもらっていいか?」
「はい。なんでしょうか」
首だけで振り返り、女性は圭太の言葉の続きを待つ。
早く離れたいというのは表情に滲んでいたので、圭太は手短になるよう言葉を選ぶ。と言っても一瞬の出来事だが。
「花の質がいい。よく手入れされているし、種類も豊富だ。店主の愛情も感じられる」
圭太の視線は女性が持つ台車、バケツの中の花たちに向けられていた。
圭太は花に詳しいわけではない。だけど花弁の艶とか色合いとかぐらいなら読み取れる。
花に目を向けるときの女性の優しそうな瞳とか、台車を押すときに花に衝撃がいかないようにと注意している様子とか見ていれば彼女がどれだけ花を大切にしているのかも理解できる。
「いい仕事してると思うぜ。他の場所でもきっと成功する」
もしもどこか別の場所で花屋をしたとしても、売り物を大切にしている彼女ならきっと成功するだろう。今回は場所が悪かっただけだ。圭太は精一杯の優しそうな微笑みを浮かべながら、親指を立てて妙齢の女性に向けた。
「……ありがとう、ございます。では」
「ああ。話に付き合ってくれてありがとな」
女性は目を丸くして、すぐに顔を俯かせる。彼女がどんな表情をしているのかは震える声音でだいたい察することができた。
そして今度こそと足を進める女性に、圭太は微笑みを浮かべたまま手を振って見送る。シリルも圭太の真似をして小さく手を振っていた。




