第八章五話「節操なし」
「細かい説明は明日ってさ」
使い潰されたのか硬くなったベッドに腰掛けて、圭太は改めて周囲を確認する。
人が横歩きすることで何とか通れるぐらいの狭い感覚でベッドが置かれている。数は三。きっと人数を考慮してのことだろう。少々窮屈だが住めば都だ。少なくとも野宿よりはよっぽどマシだろう。
壁は無数の銃痕とヒビがあり、いかにもなボロボロ加減だった。何があったのかは分からないが、どうやらここでひと悶着があったのだろう。圭太たちのような旅慣れた人間でなければ、この部屋で寝るのは躊躇しそうだ。
圭太と琥珀、一桜の三人は一室に案内された。どうやら反乱軍が準備できる最高級の客室らしい。その割には豪華さのかけらもないが、圭太にとっては気を使わないで済む分むしろありがたい。
「ありがたいよ。ボクたちは疲れていたんだし」
「そうですわね。ホタルとシリルにはお世話になりそうですわ」
シリルの話では、今日のところはもう休んでもいいとのことだった。多分気付かれていたのだろう。圭太たちが疲労困憊であると。
圭太と一桜の戦いから始まり、世界を渡るための大虐殺に琥珀の蘇り、さらには世界を渡ったのだ。一日の出来事にしては内容が濃すぎる。既に圭太たち三人の体力はないに等しかった。ここからさらに反乱軍のあれやこれやを聞かされたらきっと頭がパンクしてしまうだろう。
普通に考えれば合流してすぐに客室へ案内なんてありえないのだが、疲れ果てている圭太たちは快く受け入れた。一桜の言う通り、これからは二人に世話になりそうだ。
「でもよかったな。琥珀は覚えられてて」
世界を渡った代償は元の世界での記憶と記録。もしくは術者の両足の自由だ。
アダムが両足を犠牲にするとは考えられないので、圭太と琥珀の記憶と記録はこの世界から消滅する。そう考えていただけに琥珀の記憶と記録がこの世界にもまだ残っているのは僥倖だった。
「ケータのことを覚えている人間はいないみたいですわ。日頃の付き合いのなさが露見しましたわね」
「うるせえな。シリルだけでも覚えていてくれたんだからいいだろ」
「そうですわね。ケータは忘れ去られたわけじゃありませんわね」
シリルには禁忌魔法の代償が通用していなかった。それも想定外の出来事だ。彼女も成長しているという証拠だろうか。
なんだか一桜が一人悲しそうな顔をしていた。
「そういえば、イオはホタルと話をしたことがあるの?」
ベッドの上で寝っ転がり、疲れているからか大の字になっている琥珀が首だけを動かして一桜のほうに目を向ける。
「どういうことだ? 王女様なんだから話ぐらいするだろ?」
「でもホタルはイオに何の反応もしてなかったよ? 顔を知っていたんなら変じゃない?」
圭太が何を言っているんだとばかりに問いかけると、琥珀は首を傾げながら逆に問いかけてきた。
琥珀の言う通りだ。一桜は王女としてホタルと接触したはず。ホタルが自分の主の妹を忘れるとは思えない。だけど彼は一桜を見ても何の反応もしなかった。
琥珀の話では一応そっくりさんレベル、まったくの同一人物というわけではなく知り合いでも声をかけ間違えるぐらい似ているという話だった。イオアネスが死んでいるから別人と判断したのだろうか。それにしても眉一つ動かさないのはやっぱり違和感だ。
「顔を合わせたことぐらいはありますわ。といっても話をしたことはありません。わたくしはお兄様の後ろに隠れていただけで政務にはほとんどかかわりませんでしたから」
一桜が肩をすくめながら、当時のことを思い出すかのように目を閉じて答える。
王族がどんな感じで仕事をしているとかそんな話にはまったく縁がなかったので、圭太は黙って成り行きを見守ることにした。
「それに、わたくしは世界を渡りました。覚えていないのも無理はありませんわ」
一桜は腕を組みながら儚げに笑う。圭太の目には彼女が自嘲しているように見えた。
「……じゃあイオのことを覚えている人は」
琥珀は一桜以上に深刻に顔を青ざめ、口元を手で隠して震えている。
琥珀の中でも既に答えは出ているのだろう。だけど外れていて欲しい。間違っていて欲しいと願っているように見える。自分の勘違いだったと笑えるように。最悪の事態にはならず、あくまでも笑い話で済むように。
「いないでしょうね。お兄様がご存命なら話は別なのでしょうけど」
だけどそんな琥珀の期待を、一桜は首を横に振ることで粉砕した。
「エドワードはアダムに殺されたからな。一桜を覚えているやつはいなさそうだ」
「そういうことですわ。どちらにせよ死んでいるわけですし気になりませんけどね」
エドワードはこの世界にいない。オンネンの中にもいない。人類の王はアダムに利用され、そして命を失った。
一桜を一番知っているのは実の兄であるエドワードだろう。だけど彼はもういない。とすれば当然、世界を渡った彼女のことを覚えている可能性が高い人間もこの世界にはいないことになる。
どちらにせよ一桜の大元の人格であるイオアネスは既に亡くなっている。亡くなっているのだから、誰にも覚えられていなくても問題はない。結局新たな人間として生きていく未来は変わらないのだから。
「そんな……だってイオは」
「そんな悲しそうな顔をしないでくださいコハク。わたくしはオンネンです。ケータがいなくなれば死人に逆戻りするような存在です」
だけど琥珀はそう簡単に割り切れない。
そういう人間だと言えばそれまでだ。その割り切れない優しさこそが琥珀の魅力であり、圭太が生まれ持っていないものだ。
一桜も親友の反応に困ったような苦笑いを浮かべている。話して理解してもらえるようなものではない。そんなに聞き分けが良かったなら、魔王討伐の旅は途中で頓挫していただろう。
「怖いこと言うなよ。俺は寿命いっぱいまで生き残るからな」
「殺しても死なないような人間なのですから当然ですわ。むしろ早死にしたら永遠に呪いますから」
「オンネンが言うと迫力が違うな」
「よくもまあぬけぬけと。まあいいですわ」
圭太がおどけた調子で口を開くと、一桜は目を細めて胡散臭いものを見るような目を向けてくる。
このままふざけ続けていたら冗談ではなく呪い殺されてしまいそうだ。圭太はヘラヘラと肩をすくめるのを最後におどけるのを控えた。
「とにかく、この話はこれでおしまい。コハクが気にかけるようなものではありませんわ」
「……うん。分かった」
一桜が多少強引に話を切り上げる。だけど琥珀は当然納得していないらしく、声の調子は暗い。表情もどこか浮かない様子だ。
「ケータ」
「なんだよ」
「何も知らないわたくしのために教えてほしいですわ。反乱軍のリーダーを自称したあの少女について」
このまま琥珀を構っていても彼女の気分は治らない。それなら今は別の話をするべきだ。
そう判断したのだろう。一桜に唐突に話しかけられた圭太は、とりあえず話に乗ることにした。
「シリルのことか?」
「ええ。知り合いなのでしょう?」
「知り合いだよ。まああんなに発育がいいとは思ってなかったけど」
圭太とシリルは協力してキテラを倒した、いわば戦友だ。彼女がいなければ、圭太の作戦はそもそも機能しなかった。
だけど圭太の記憶にあるシリルはまだ子供。圭太の腰ほどまでしか背は高くなかった。それが再会したときには背丈とかふくらみとかは琥珀や一桜と比べても遜色ないぐらいに成長している。ふとした横顔とかには面影があるけれど、それでも圭太はシリルの成長に驚かずにはいられない。
「ケータとはどういう関係ですの? まさかまた恋人を増やすのですか?」
「俺を節操のないやつにするのはやめろ。恋人も二人しかいないだろうが」
誰がハーレム王だ。ひねくれている俺が誰にでも好かれるとは思えないし、そもそもハーレムを築ける器でもない。きっと琥珀やナヴィアのほうが変わっているんだと思う。多分二人は恋人に苦労したい性分なのだろう。
「日本では単婚が普通だったはずですわ」
「英雄色を好むって言葉があってだな」
「節操なし」
「だからそれは誤解だっての」
確かに日本の基準で言えば二人も恋人がいる圭太は問題かもしれない。いわゆる二股というやつだ。ナヴィアにいたっては圭太が琥珀とも付き合っているなんて夢にも思っていないだろう。
だけど節操なしと言われるのは誤解だ。圭太は彼女たちの気持ちに真摯に答えただけであり、誰彼構わず手を出しているわけではないのだから。
「シリルは少しだけ俺たちと一緒に旅をしたんだ」
目を閉じればすぐに思い出せる、楽しかった旅。イブとナヴィアとシリルと圭太で冗談を言い合いながら和気あいあいと続いていた旅。
もちろん苦しいこと辛いこともあった。だけどそれを差し置いても圭太にとっては大切な思い出だ。だからこそ、取り返さなければならない。
「コハクは知っているんだろうけど、キテラは人に擬態している魔物を倒す役目を持っていた。そこの領主としての仕事もな」
圭太はチラリと琥珀に視線を向けるが、彼女は特に反応を返してくれなかった。まだ俯いているから、一桜のことで頭がいっぱいなのだろう。圭太はむなしさを紛らわせるために話を続ける。
「復讐したかったんだと。だから俺は彼女を利用した」
自分で言っといて、最低だなと圭太は苦笑した。
苦笑したが、そうとしか言えないのだから仕方がない。シリルの力はイブですら持ち合わせていない能力だった。格上を倒すためには利用しない手はなかった。
「それがあの子たちの反乱と関係しているのですか?」
「ああ。キテラを倒すために俺は当時キテラに反感を持っていた連中も利用した。そのリーダーが今あの子たちが倒そうとしている人間だ」
圭太が力を貸したときはロイと名乗っていた。しかし今はロキと名前を改めているらしい。どうしてよりによって圭太の世界での嘘吐きの神を自称しているのだろうか。偶然とはいえいい気分ではない。
「でも当時は反乱されるような人間ではなかったのでしょう?」
「ああ。人間性に難があるとは思わなかった。一応釘も刺していたんだが意味なかったみたいだな。完全に俺のミスだ」
キテラの後釜に座る人間だ。当然圭太も最低限の配慮はした。例えば民主主義を普及させたりとか。民主主義がちゃんと機能していれば独裁者な度誕生するはずがないのだが、どうやら圭太の目論見は失敗に終わっていたようだ。完全に圭太の責任である。
「ケータが気に病む必要はないと思いますわ。権力は人を変える。人を率いるという責任は、それだけ重いのですから」
「でも良い王も知ってるぜ」
例えば一桜の兄貴とか。
「それはなるべくして王になったからですわ。きっとケータが手を貸した反乱軍の指導者は、小さなグループだったのでしょう?」
「よく分かったな。その通りだ」
「考えれば分かりますわ。人を率いた経験が、権力を振りかざしても大丈夫だと錯覚させてしまう」
一桜が一人納得したようにため息を吐いているのは、権力者の身内という経験があったからだろうか。それともオンネンとして無数の魂を制御下に置いているからだろうか。どちらにせよ、一桜の言葉には並々ならぬ説得力がある。
「本当はただのままごとだったのに、本人はまったく気付いていないのでしょう」
彼女が本心から浮かべる侮蔑の目に、圭太の背筋に冷たいものが走った。
「ケータ」
「なんだ?」
「倒しましょう。必ず」
改まって、一桜が覚悟の決まった目を向けてくる。圭太は初めて一桜にドキッとした。
「えっ? おうどうしたんだ急に?」
「見ていられないのですわ」
困惑する圭太に、一桜は冷たい目で断言する。
「最高の王を知っているがゆえに、反乱なんて隙を晒すこの状況が」




