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第八章四話「きれいさっぱり」

「フライングがなけりゃ絶対に勝ってた」


 肩で息をしているシリルが、不機嫌に顔を歪ませていた。

 圭太とシリルは森を抜け、開けた場所に来ていた。彼女が足を止めたことだし、恐らくこの広場がシリルの隠れ家とやらなのだろう。もしくは隠れ家にとても近い目印的な場所か。


「負け惜しみか?」

「大人げねえケータが悪い」


 圭太がニヤニヤとからかうと、記憶の中と同じ仏頂面でシリルが言い返す。どれだけ成長しても、やっぱり彼女はシリルのようだ。怒った顔は変わらない。


「ほとんど同年代のくせに」

「十年違うからな!」


 圭太がやれやれと肩をすくめるとシリルがすぐに言い返してくる。

 いやいや、俺がパルクールに出会ったのは数年前、シリルのように十年以上の練習期間はなかった。年齢で言うのならシリルのほうがよっぽど上手くなっているはずだ。

 インターネットで効率よく練習方法を見てきた圭太と違い、シリルは記憶の中の圭太しか参考材料がないのだが、当の圭太本人はそんな当たり前のことに気付いていなかった。


「それにしても本当に速くなってたな。驚いたぜ」


 圭太は誇らしげな笑みを浮かべて、ちゃんと成長していた少女の頭を撫でる。

 昔なら圭太の後を追うこともできなかった。なのに今は手加減なしでちょうどよいぐらいだ。単純な身体能力の差はもちろん、障害物競争に対する熟練度もかなり上がっているようだ。


「……当たり前だろ。いつまでもお荷物じゃイヤなんだよ」

「俺は貴重な戦力だと思ってるけどな」


 へらっと答える圭太を、シリルは胡散臭いものでも見るような目を向けてきた。


「常にオレを守ろうとしてくれたこと、忘れてねえからな」

「あれはナヴィアの意向だけどな」


 助けてくれと言われたのだ。圭太はもちろんシリルを守るために動いていた。

 だけど圭太以上にシリルに気をかけている者がいた。それがナヴィアだ。彼女はシリルを妹分として可愛がっていたから、何度か扱いが雑だと圭太を怒ってきたほどだ。大局を見ての扱いだと説明すれば納得してくれたがそれでも不服そうだった。

 奴隷として、またはご主人として彼女としてのエルフのやり取りを思い出して、圭太は懐かしさに顔を綻ばせた。なんだかとても遠い出来事のようだ。早く会いたい。


「やっと追い付いた。速いよ二人とも」

「まったくですわ。やっぱりケータはニンジャなのでは?」

「遅かったな二人とも」


 背後の茂みを掻き分けて琥珀と一桜がようやく圭太たちに追い付く。圭太は振り返りながら、ようやく来たかとばかりにため息を吐いた。


「ニンジャってなんだ?」

「ケータのように身軽に動ける人間のことですわ」

「いや、俺忍者じゃないから」


 この世界出身のシリルと一桜が何やら楽しそうに話している。

 圭太は忍者ではない。忍者ならハルバードなんて持っていないだろう。手裏剣とか使えないし。


「でも忍者の仕事って情報集めだったよね?」

「やっぱりケータじゃん」

「違うから」


 琥珀がそういえばと自分のあごを指で撫でて、シリルはどことなく目を輝かせて圭太を見る。

 なんだか期待されているような気がするが、圭太は首を横に振って否定した。一応圭太も勇者だ。暗殺を生業とする忍者は勇者らしくない。行っていることがほぼ同じだとしてもだ。


「それで、ここら辺にあるんだよな? シリルのアジト」

「あっ、ちょっと待てって」


 全員揃ったことだし、と琥珀が一歩前に出る。シリルはなぜか慌てた様子で琥珀へ手を伸ばした。

 次の瞬間、琥珀が踏み出した足のすぐ近くに鉛玉が突き刺さった。


「だから待てって言ったのに」


 突然の襲撃に圭太と琥珀、一桜の三人が臨戦態勢を取る。

 イロアスを展開する圭太の視界端で、シリルが頭を押さえてため息を吐いていた。


「誰だお前たちは! ここをどこだと心得る!?」

「あれ? この声どこかで」


 方向を絞らせないためか、広場の全方位から声が聞こえてくる。どんなトリックを使っているのか知らないが、相当な熟練者だろう。圭太は目を細めて重心を落とす。どこからの攻撃でも反応できるように。

 琥珀がはてと首を傾げていた。どうやら彼女は戦意が削がれたようだ。圭太が守ってやらねばならない。


「待ってくれ。オレだ。シリルだ。仲間を連れてきた」

「シリルだと? 証拠はあるのか!」


 シリルが周囲に声を張り上げる。両手を挙げて、自分たちは戦う意思がないと示していた。

 しかしどこからかの声の主はシリルの言葉を信用していないらしい。シリルに対してか、それとも仲間だと紹介された圭太たちに対してかは不明だが、証拠を求めてきた。


「ないな。こりゃ困った」

「圭太君。ボクたちのせいで彼女を困らせてるんだよ。黙っていようよ」

「当事者なんだから黙ってるわけにはいかないだろ? なあ一桜」

「どうしてわたくしに振るのか分かりませんが、ケータの言葉も一理あると思いますわ」


 圭太と琥珀、そして一桜の三人は臨戦態勢を解き、それでも油断なき目で周囲を確認する。

 話の内容からしてシリルの知り合い、つまり反乱軍の一員だろう。それならすぐに殺すような真似はしないはずだ。不意打ちの可能性があるので警戒は怠らないが、あまり戦意を見せるのも悪手だ。

 圭太は周囲に目配せし、けれでも相手の姿が発見できず舌打ちした。どうやら相手は隠密のエキスパートらしい。それも圭太よりも技量は上だ。厄介な相手に目を付けられたものである。


「彼らは十年前の反乱にも手を貸してくれた人たちだ。オレを助けてくれた」

「十年前だと? つまりロキの差し金かもしれないってことか!」

「違う! ロキの仲間じゃない!」


 どこかの誰かは最大限の警戒をしているようで、シリルの説得にもまるで耳を貸そうとしていない。

 圭太とロイ改めロキは顔見知りだ。それは間違いない。だから裏で通じているとしても否定する材料がない。突然この近くに出てきて、たまたま知り合いのシリルと出会った。そんな本当のことを説明しても理解してもらえるとは思えなかった。


「いいってシリル。どれだけ話をしても意味がない。どうせ納得させられる証拠を持ってないんだから」


 圭太はどうやって信用させようかと少しだけムキになっているシリルの肩を掴んだ。

 多分だがシリルに任せていては平行線をたどるばかりで話は終わらない。それなら強引に話を進めるべきだ。


「おい。どこの誰だか知らないが顔も見せずに好き勝手に言ってくれるな」

「黙れ! 敵に顔を晒すわけがないだろう!」

「それもそうだ。ならこうしよう」


 シリルの隣に並んだ圭太にどこかの誰かが反論し、圭太もその通りだと頷く。

 そして声の主が反応するよりも早くシリルを抱き寄せて、首に展開したままのイロアスを突き付けた。


「ちょっ、ケータ?」

「姿を見せろ。さもなくばこの女を物言わぬ肉の塊にするぞ」


 突然の奇行に目を丸くしているシリルに圭太は片目を閉じ、すぐにどこからか敵意を向けてきている相手に冷たい声音をぶつける。

 声は聞こえなかったが、どこかの誰かが狼狽えたのが気配で分かった。


「圭太君……!」

「いえ、これしか方法がないですわ。ケータにも考えがあるのでしょう。黙っておきましょう」


 圭太を止めようと動き出す琥珀の肩を掴んで、一桜は首を横に振る。


「でもそれって、ボクらと反乱軍が敵対することになるでしょ」

「そのときはそのときだ。俺たちだけで動けば問題ない。それに無視して先に行くことだってできるんだからな」


 圭太たちが協力すると言ったのはあくまでシリルだけだ。別に反乱軍そのものに手を貸したいわけじゃない。ロイとの約束はあるが圭太たちだけでも問題ないわけだし、何ならイブを救い出した後にでも戻ってくればいいのだから。

 反乱軍が敵意を向けるというのなら、こちらも相応の対応を取らせてもらう。


「それでどうする! シリルを失うのはお前らにとっても不利なんじゃないのか!」

「くっ」


 圭太が再度声を張り上げると、姿を隠している相手が悔しそうな声が聞こえてきた。

 シリルは他者の魔法を阻害する能力を持っている。彼女の代わりを得ることは難しく、だからこそ貴重な戦力だ。もしもシリルを手放してもよいと言えるのなら、それはよっぽど切羽詰まった状況かよっぽどの愚か者かのどちらかだ。


「分かった。姿を見せる。だから彼女を解放しろ」


 どうやら声の主はそのどちらでもないらしい。予想通りの対応に、圭太はわずかに頬を吊り上げる。


「まずはお前からだ。嘘を吐いている可能性がある」

「それはお前もだろう?」

「どっちだっていいんだぜ俺は。早くしな」

「くっ分かった!」


 圭太がニヤニヤと、今この瞬間においてはただの狂人にしか見えないだろう態度でイロアスの刃をシリルの首に近付ける。肉がわずかにへこむ。もう少し力を入れれば簡単に赤い滴がこぼれるだろう。


「これで満足か。その子を離せ!」


 ガサガサと茂みを掻き分けて圭太たちの正面、広場の反対側から人が出てきた。

 眼鏡をかけた物腰の柔らかそうな痩せ型の男だ。どちらかといえば荒事より書類相手のほうが本領発揮しそうである。

 見覚えのある姿に、圭太と琥珀は目を丸くした。


「あれ……? ホタル?」

「ん? もしや、コハク様ですか?」

「ホタル! よかった無事だったんだね!」


 眼鏡の優男、かつて護衛として近くに控えていたホタルの名前を呼びながら琥珀は光の速度で彼の手を取る。

 琥珀の知名度は凄まじいものではあるけれど、十年も経っていればさすがに容姿を正確に覚えている人はいないはずだ。それこそ彼女の近くで仕事をしていた人間でもない限り。

 どうやら人間違いではなく、本当に琥珀の知るホタルらしいと判断して、圭太は全身の力を抜いた。


「……知り合いだったのか?」

「ああ、俺も見覚えがある。確かコハクの付き人だったはずだ」

「そうなのか。全然知らなかった。もういいだろ?」

「あん? ああそうだな。悪い。大丈夫か?」

「今さらだな。そのペテンぶりは嫌いじゃないぜ」


 喉をさするシリルが呆れたようにため息を吐いている。しかし圭太の興味は既にホタルのほうへと向けられていた。

 だからシリルが子供みたいに頬をふくらませていることにも気付いていなかった。


「てっきり亡くなったのかと……ご無事で何よりです」

「よお、久しぶりだなクソ眼鏡」


 琥珀との再会に感激した様子のホタル。なんだか和やかな雰囲気をぶち壊すようにして、圭太は声をかける。


「誰だお前は」

「トボけるなよ。コハクを倒した化け物だ」

「何を言ってるんだ? コハク様が誰かに負けるはずがないだろう?」

「あん? 何言ってんだ?」


 ホタルはとぼけているわけではなく、本気で圭太のことなど記憶にないとばかりに顔をしかめている。

 圭太とホタルは知り合いだ。むしろ敵同士として言い争ったこともあるぐらいなのだが、どうしてそんな反応になるのだろうか。


「無理だケータ」


 圭太も意味が分からず首を傾げていると、シリルがため息を吐いた。


「言っただろ? ケータのことを覚えてるやつはいない。皆きれいさっぱり忘れてんだよ」

「そうか……世界を渡った代償ってわけか」


 圭太は世界を渡った。だからこの世界で圭太のことを覚えている人間はほとんどいない。むしろ圭太を覚えているシリルがおかしいのだ。普通は覚えていないのが当然なのだから。


「コハク。後は任せた」

「あっうん分かったよ。じゃあホタル、案内してくれるかな? 反乱軍のアジトに」

「かしこまりました。こちらです」


 シリルの言葉に頷いて、琥珀がホタルに頭を下げる。

 そしてホタルの先導に従って、圭太たちは反乱軍のアジトに招待された。

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