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第八章三話「アジト」

「なぁシリル」

「なんだ?」

「どこまで歩くんだ?」


 シリルの先導に従って、圭太はまた一時間ほど歩いていた。時計はないから体感だけど、確実に日は傾いている。旅慣れているはずの圭太の足にもほのかに疲れが溜まってきた。

 圭太が声をかけるとシリルははてとばかりに首を傾げながら振り返る。そして何言ってんだとでも言いたげな顔をぶら下げて口を開いた。


「言わなかったっけ? オレたちのアジトだって」

「アジト? 家じゃなくて?」

「家なんか構えてたら襲ってくれって言ってるようなもんだろ」


 ん? と首を傾げる琥珀にシリルは呆れたように言い返す。世界を渡った三人組は頭の上に疑問符を浮かべた。


「おかしいですわ。今のこの世界は平和なのでしょう? コハクがいたときよりも」

「ケータたちがいなくなったときを言ってるなら確かにそうだ。魔族との戦争はなかったことになってる」


 魔族との戦争がなくなったのなら、表向きは平和になるはずだ。魔物の脅威が減っているわけではないが、魔物を生み出した原因が魔族ではなくなっているはず。つまり人類側が戦意を漲らせていないわけだ。

 人類が戦争状態でなければ、民間人のほとんどは平和に暮らせるはず。シリルの反応はそんな圭太たちの予想とはズレていた。


「ならどうして人の目を恐れるのです?」

「俺も聞きたい。教えてくれシリル」


 どうやら一桜も圭太と同じことが気になるらしい。先を越されたが、圭太も便乗して質問する。


「……ケータはいいとして、金ピカの勇者とこの女は信用できるのか?」


 シリルが琥珀と一桜に疑いの目を向ける。

 シリルの知っているのは敵としての琥珀だ。信用できないのも無理はない。一桜に警戒の目を向けるのも、彼女の得体が知れないからだろう。先ほど知らなかったとはいえ圭太にも銃を向けてきた。きっとシリルには警戒しなければならない事情があるのだろう。


「信じて欲しいな。少なくとも敵意はないよ」

「だな。お前が本気になればオレなんてすぐだ」


 琥珀が裏表のない笑顔で肩をすくめると、シリルは不機嫌を露わにして舌打ちをした。

 圭太が琥珀を倒す瞬間をシリルは観戦していた。だからある程度は琥珀の手の内も知っている。

 琥珀がその気になれば、文字通り光の速さで取り押さえられるのも理解しているのだろう。

 目で訴えてくるシリルに、圭太は無言で頷いた。二人に警戒する必要はない。そうアイコンタクトを送る。


「ケータは覚えてないか? あの派手好きを倒したときのこと」

「キテラのことか? 当然覚えてるけど、それがどうした?」


 シリルはため息を吐いてから説明を開始してくれた。圭太が言うなら大丈夫だろう。そう目が語っている。

 圭太は彼女の信頼を受け取りながら気付いていないフリをして話題を拾い上げる。シリルと一緒に戦った派手好きと言えば、全身真っ赤の魔法使いのことしか思い浮かばない。


「キテラが派手好き……本人が聞いたら怒りそうですわね」

「でも的を得てるよ」

「お前ら話を聞く気あんのか?」


 クスクスと話を聞きながら忍び笑いしている一桜と琥珀。質問してきたくせに二人だけで会話を楽しんでいる二人にシリルが目を細めて冷たい視線を送っていた。


「悪いシリル。コイツらは無視してくれ」


 シリルの意識を本題に戻すために、圭太はシリルと琥珀たちの間に体を割り込ませた。

 真の意味で情報の大切さを理解していない二人は放っておいて、とりあえず話を続けてほしい。シリルが置かれている状況が圭太たちに影響しないわけがないのだから。


「あのクソ女を倒したとき、ケータは色々と手を借りたよな?」

「まあな。イブがいなかったし、シリルや反乱軍の力を借りた」


 シリルにとっては十年も前の出来事でも、圭太からすれば半年も経っていない間のことだ。忘れているわけがない。

 イブがキテラに囚われて、圭太は紅蓮の魔術師を倒す決定打を失った。それでもイブを解放するために圭太は当時燻っているだけだった反乱軍とまだ子供だった復讐者に声をかけた。その結果イブを取り戻してキテラを倒すことができたのだ。


「反乱軍ですって?」


 だけどそんな話は初耳だとばかりに、一桜が片方の眉を上げて心なしか表情を険しくさせた。


「キテラのやつ、自分がどんな仕事をしてるか話してなかったんだ。その結果周りからは不機嫌になったらすぐ人を燃やすんだと勘違いされてた。反乱の動機には十分だろ?」

「あははっ、キテラは自分の努力は話したがらないからね。そっか。ボクの耳まで届いた情報もまったくの嘘じゃなかったんだ」


 なんだか思うところがありそうな一桜に圭太が軽く説明すると、琥珀も困ったように笑う。

 当時の琥珀は王妃だった。だから手元に情報が来ていたのだろう。当時は情報に誤りがあり、本当はイブが倒したと勝手に判断していたからか、一人でポンと手を叩いて納得していた。


「オレもその勘違いしてた一人だ。つってもオレは両親を目の前で殺されたけどな」

「結果的には禁忌魔法の代償で魔物になってたけどな」

「分かってるよ。さすがに十年もあれば気持ちの整理もできてる」


 圭太がポツリと呟くと、シリルは顔を俯かせながら小さく答えた。

 十年という年月は圭太が思っているよりもずっと長かったらしい。あの復讐者がなんだかやるせない顔で反省しているように見えるなんて。


「オレの敵は当時の反乱軍のリーダーだった男だ。名前はロキ。人間の火あぶりが趣味のイカれ野郎だ」

「ちょっと待て」


 さらりと出てきた核心の言葉がとても消化しきれず、圭太はシリルの肩を掴んで会話を中断させた。


「反乱軍のリーダーはロイだったはずだ。それに、俺が協力したときはそんな狂ったやつじゃなかった」


 まず名前が違う。そんな嘘吐きの神みたいな名前のやつに協力は頼んでいないし、そもそも圭太の知るロイは火あぶりを楽しむような人間ではなかった。シリルの言葉とは何もかもが違っている。


「圭太君がそんな人に手助けを頼むとは思えないしね」

「演技ではないでしょう? ケータは嘘吐きですから、同類に騙されるような無様はしないはずですわ」


 琥珀と一桜も圭太の味方らしい。変なところで信頼されているのはこそばゆいものがあるが、実際その通りなので黙っておくことにした。


「ああ、最初は普通だった」


 シリルも神妙な顔で頷いて、三人の困惑が間違っていないと告げる。


「でも徐々におかしくなっていった。そしてある日突然壊れたんだ」


 シリルは目を閉じて、まるで昔の記憶を思い出しているようだった。浮かない表情だから、良い記憶だけではないのは確かだ。


「壊れた? 何があったんだ?」

「分からない。でもケータを覚えてる人がいなくなったのと同じぐらいだから、多分関係してると思う」

「間接的に俺のせいってことか」


 圭太が世界を渡ったタイミングで、ロイはロキという頭のおかしい独裁者になってしまった。

 圭太がアダムに抵抗できていれば話は変わっていただろう。シリルが銃を肩にかけ、今も戦いの渦中に身を置くこともなかったはずだ。

 そう考えると圭太は自分の無力さに嫌気がさしてくる。


「仕方ないですわ。ケータは抵抗することすらできなかったんですから」


 一桜の手が肩に置かれ、そこで初めて圭太は自己嫌悪から現実へ引き戻される。


「多分圭太君が手伝った記憶そのものがなくなったから歯止めが効かなくなったんじゃないかな?」

「それは本人以外分からない。一番近くにいたオレでも分からないんだから」


 シリルはどこか寂しそうな顔で肩に担いでいる銃を撫でた。

 彼女とロイの間に何があったのかを圭太は知らない。だけど本当はシリルも今の状況を望んでいないのだと理解できた。


「だからお前は銃を持ってるんだな」

「まあな。アダムが広めたって噂だけど、少なくとも剣よりは役に立つ。二人にはどうせ通じないんだろうけど」

「お前は俺たちをなんだと思ってるんだ」


 聞きたくない名前が出てきて圭太は思わず顔をしかめたが、すぐに演技によって本心は隠す。

 銃が通じないというシリルの考えに文句があるのも事実だ。銃が通じないとかそんな化け物になった覚えはない。


「でも事実ですわ」

「今はそんなことどうでもいいんじゃないかな」


 一桜が呆れたように肩をすくめ、琥珀も困ったように話を逸らしている。圭太は二人のほうに目を向けなかった。


「ねえ圭太君」

「なんだ?」


 現実から目を逸らしていると、琥珀に袖を引っ張られた。

 圭太が首だけで振り返って彼女に目を向ける。困ったような、それでいてどことなく言いにくそうな顔の琥珀と目が合った。


「少しぐらい遅れても、イブなら許してくれると思うよ」

「うるせえな。分かってんだよそんなことは」


 きっとイブならこう言うはずだ。

 ワシのことはどうでもよい。クソ生意気で可愛げのないガキじゃが、そっちを優先せいと。

 車イスに座ってふんぞり返り、誰よりも偉そうに腕を組んでいる魔王様の姿が容易に想像できて、圭太は盛大なため息を吐いた。


「シリル」

「なんだ?」

「どうせ俺が蒔いた種だ。手伝わせてくれ」


 ロイが暴走し独裁者になったのなら、それは圭太にも責任がある。

 圭太が反乱を手伝わなければ、今の状況は生まれていない。圭太が元凶のようなものだ。


「いいのか? オレは助かるけど」

「いいんだ。それにロイとも約束したしな」


 圭太は目を閉じて、約束をしたときのロイの呆れたような、それでいて自信満々に答えた姿を思い浮かべる。


「暴君になるのなら、殺してでも俺が止めるって」

「そっか……助かる」


 冗談交じりの軽い口約束だが、果たさなければならない。それが圭太の責任だ。

 シリルはどことなく悲しそうな顔で、それでも本心を隠すように俯きがちに頷いた。


「じゃあ急ごうぜ。このペースだと日が暮れる」

「そんなに遠いのか?」

「近場だと危ないだろ? どうせなら競争といこうぜ」


 顔を上げたシリルは、とても好戦的な笑みを浮かべていた。まるで自分の実力を試したい子供みたいだ。十年経っても人間ってのは変わらないなと圭太は思わず安心してしまう。


「おっ、俺に勝てると思ってるのか?」

「オレだってこの十年遊んでたわけじゃないぜ?」

「いい度胸だ!」


 圭太の記憶が確かなら以前も同じように競争したはずだ。

 シリルも当時から成長しているのだろう。その成長を圭太に見せてくれるらしい。それは楽しみだ。

 圭太はさっそく走り出し、枝を掴んでブランコの要領で茂みを飛び越える。


「あっ、フライングはズルいだろ!」

「勝てばいいんだよ!」


 後方からシリルの怒ったような声と、急いで後を追ってくる足音が聞こえてくる。

 確かに昔では考えられない速度だ。圭太は楽しくなって、ますます速度を上げていく。これなら道を確認するために手加減する必要はなさそうだ。


「……似た者同士ですわね。まるで兄妹のようですわ」

「どうしようイオ急いで追わないと」

「大丈夫ですわコハク。わたくしは入れ物の位置をいつでも把握できますから」


 すっかりその場に取り残された琥珀が焦ったように光速魔法を発動させようとする。

 一桜はまるで子供同士の追いかけっこを眺める保護者のように呆れた笑顔を浮かべ、焦る琥珀の肩を掴んでため息を吐いた。

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