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第八章一話「オレの名前は」

「さて、と」


 圭太は頭をかきながら呟く。


「ここはどこだ?」


 視界いっぱいに広がる緑色。時計はないため確証はないけど、既に一時間ぐらいは歩き続けている気がする。

 世界を渡る黄金の輪は森の中に繋がっていた。とりあえず飛び込んできたはいいが、場所が分からないのでひたすら歩いている。無言で歩いていたけれど、一向に解決しない問題に圭太の我慢は限界を迎えようとしていた。

 ちなみにこの世界は圭太や琥珀が召喚された世界で間違いない。その証拠に圭太はイロアスを腕輪に戻していた。もしも魔素がないのなら不可能な芸当だ。少なくともこの世界では魔法が使える証明でもある。


「術者なんですからケータが知っているはずでしょう?」

「初めて使った魔法だぞ。俺が知るわけないだろ」


 もはや完全に圭太の中から出ている一桜が、大きくため息を吐きながら肩をすくめた。

 そんな顔をされても、オンネンを作る以外では初めて作った魔法だ。圭太に制御ができるわけがない。


「あははっ、空を見る限り人間が住む大陸みたいだけどね」

「空が赤くないからな。琥珀はここがどこだが分からないか?」


 琥珀は青い空を指差しながら苦笑を浮かべている。圭太もチラリと上を見てからその通りだと頷いた。

 魔族がいる大陸は、常に夕焼け空のように赤い。雰囲気づくりには最適だと当時は思っていたが、どうやらそれ以外にも意味があるらしい。迷った魔族が自分はどこにいるのか判別できるのに利用できそうだ。ちょうど今の圭太たちのように。


「分かるわけないでしょう。ここが森だということ以外は」

「さすがにボクも人間の大陸のすべてを把握しているわけじゃないからね。森だけだと区別つかないよ」


 圭太の質問に一桜が唇を尖らせ、琥珀も困ったように微笑む。


「なんだよ。この木はどこに生えてるとか知らないのか?」

「そこまで調べてないかな。あははっ、ごめん」

「いいって別に。適当に歩いていれば答えが出るだろ」


 頭を下げる琥珀に自分のせいだということは棚に上げた圭太が肩をすくめて気にしていないと表現する。

 歩いていれば分かるだろと考えて既に一時間近くは経っているのだが、圭太はその事実も棚に上げる。どうせ解決策はない。なら足を動かし続けるしか道はないのだから。


「知ってますかケータ。そういうのが一番遭難しやすいんですよ」

「じゃあどうしろって――いや、解決しそうだな」


 ずっと呆れた調子の一桜に言い返そうとして、圭太はイロアスを斧槍に展開する。

 彼の視線の先、木々を掻き分けて姿を見せたのは黒い四本足の獣だ。尻尾は二つあり、爪や牙は比較的小柄な体格に似合わず巨大で鋭い。


「グルルルル」

「魔物?」


 唸り声をあげる獣のおよそ生活には向かないであろう姿を見て、琥珀は小さく首を傾げた。あからさまに敵意を向けている獣に焦る様子はない。


「コハクやわたくしの魔力を嗅ぎつけてきましたか。ケータ」

「分かってるっての。これぐらい俺の相手じゃない」


 軽く言いながら、圭太は肩の力だけでイロアスを投げる。イロアスは魔物の牙を砕きながら進み、頭から尻尾まで大きな穴ができた魔物はすぐに砂のように空気へ溶けていく。

 魔物の見慣れた反応を見て、圭太は口の中で相棒の名前を呼ぶ。すると魔物を貫いたときとまったく同じ軌道でイロアスが飛んできたので、圭太は危なげなくキャッチしてから腕輪に戻して左腕に通す。すっかり慣れたものだ。


「さすが鮮やかだね。でもこれだけじゃ分からないんじゃないかな?」


 魔物を瞬殺した圭太にパチパチと手を叩きながら、琥珀は先ほど圭太が呟いた内容について首を傾げる。

 圭太は先ほど手がかりを得たみたいな言い方をした。だけど現れたのは魔物だけだ。魔物を追う人間がいたわけではないし、歩きやすそうな道が現れたわけでもない。手がかりと呼ぶにはあまりにも情報が乏しいと考えていた。


「琥珀、お前は俺よりこの世界で暮らしてきたんだろ?」

「えっうんそうだよ」

「ならどうして魔物の習性ぐらい理解してないんだ?」


 きょとんとしている琥珀に圭太はため息を吐いた。

 この世界では琥珀のほうが先輩だ。なのにどうして圭太よりも知識がないのか。知恵が回らないのか。


「わたくしも知りませんわ。どういうことですの?」


 琥珀がバカにされたと思ったのか、むっとした表情で一桜が圭太と琥珀の間に体を割り込ませた。

 どうやら琥珀だけでなく、この世界で生まれ育ち死んだ一桜ですら思い至らないようだ。それなら仕方ないかと圭太はもう一度ため息を吐いてからコホンと咳払いをした。


「簡単な話だ。魔物は魔素が多いから発生する。じゃあその魔素を増やすためにはどうしたらいいと思う?」

「それは、魔法を使えばいいんじゃないかな。実際ボクもそのおかげで向こうの世界でも魔法が使えたわけだし」


 魔素がない世界でも圭太がオンネンを使ったおかげで琥珀は光速魔法を取り戻した。オンネンはこちらの世界で生み出された魔法の一端だ。つまり、魔法を使うことが最も効率よく魔素を生み出す方法である。

 魔法を使うのが先か魔素が存在するのが先か。どちらでもいいが、よくできたシステムだと思う。


「その後ケータに殺されましたが」

「細かいことを気にするなよ。生き返ったんだからいいだろ」

「いいわけありませんわ! コハクの体を傷物にしたこと絶対に後悔させてあげますからね!」

「なんだか意味変わってきそうだなその言い方」

「何か言いましたか!?」

「何でもねえよ」


 琥珀の体に抱き着きながら一桜がぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる。圭太は困ったように苦笑した。もう終わったし解決した話だ。何度も掘り返されてもあまり話せることはない。


「さっきの続きだけど、魔物が発生する一番手っ取り早い条件は魔法が近くで使われたってことだ。つまりどういうことだと思う?」

「あっそうか人が近くにいるってことだね?」

「そういうこと。魔法を使える人間が近くにいる可能性が高いってわけだ。人里が近いとも言えるな」


 魔物は魔素がないと生み出されない。魔素は魔法が近くで使われない限りは発生しない。つまり魔物は魔法が使える生物の近くでしか生まれないのだ。

 恐らく魔物がでてきた方向に進めば小さな集落が見つかるだろう。そうすれば、この遭難も終わりを迎えるというわけだ。


「……近くに人が住んでいる可能性が高いから現在地も調べられると。なるほどその通りですわね」


 一桜が自分のあごに手を当てて、何やら不服そうな目をこちらに向けながら呟いている。


「な、なんだよ一桜。その物申したげな目は」

「なんでもありませんわ。ただこちらの世界で生まれ育ったわたくしでも思いつかなかったようなことにすぐに気付いたのが面白くないだけです」


 ふんと頬をふくらませながら顔を逸らす一桜。

 圭太はなぜ彼女が不機嫌なのかいまいち理解できず、頭の上に疑問符を浮かべる。

 これぐらい、誰だって思いつくだろう? 


「あははっ、仕方ないよイオ。圭太君は頭がいいんだから」

「ずる賢いだけだ」

「まったくですわ」


 なぜか誇らしげな笑みを浮かべている琥珀の言葉を圭太が軽く訂正すると、一桜が即答で頷いた。

 てめえ。圭太は思ったが黙っておくことにした。今は手がかりを得たばかりだ。ケンカをしている場合ではない。


「さて、それじゃあ」


 ケンカをしている場合ではない。なぜなら手がかりが向こうから近付いてきたのだから。


「物陰でこそこそ様子を伺ってるやつ、そろそろ出てきてもらえないか?」


 圭太が先ほど魔物が出てきた方向とは反対側に顔を向けて、もう一度斧槍にしたイロアスを水平に構えた。

 圭太の視線の方向から、でたらめを言っているわけではないと理解したらしい。視線に耐えかねて、無言で人影が姿を現した。

 赤みがかかったオレンジの髪。目つきは圭太に負けず劣らずなぐらい悪いが、頬は短所を長所に変えるぐらい白くきめ細かい肌だ。唇がひび割れているのはケアしている暇がないからか。服装も動きやすい長そで長ズボンに羽織るようにボロボロの外套。森の中で動くには最適な動きだと思うけど、なぜかヘソは出していた。引き締まった腹筋はもはや美しさすら感じさせる。

 肩には圭太たちが世界を渡る元凶となった兵器が担がれている。ライフル銃を持つ同い年くらいの美少女。この世界がファンタジーという点を差し置いてもまるでコスプレのような格好だ。


「えっ、良く気付けたね圭太君」


 まったく気付いていなかったのか、琥珀が目を丸くしながら同じく謎の少女を観察している。


「隠れるとしたら俺も同じ場所に隠れる。だから見つけやすいってだけだ」

「そういう索敵の仕方もあるのですか。勉強になりますわ」

「絶対に思ってないくせに」


 以前潜入を見破られたときに教わった方法を伝えると、一桜が白々しくポンと手を叩いた。圭太が疑いの眼差しを向けると彼女は顔を背けた。


「お前たちは何者だ」


 オレンジ髪の少女がようやく口を開いたかと思えば、圭太に銃口を向けてきた。

 何か悪いことをした覚えはないのだが、どうやら彼女にとって圭太は敵のようだ。仕方がないので両手を挙げて戦意はないアピールをする。


「人に名前を聞く前にまず自分が名乗れよ。親に習わなかったか?」

「生憎、親は小さいころに焼かれてね」

「そりゃ失敬。俺たちは旅をしている者だ。帰り道さえ教えてくれればすぐに立ち去るぜ?」


 嘘ではない。

 今の圭太たちは迷子だ。この森から出る方法を、もっと言えばイブたちがいるはずのあの大陸への行き方さえ分かればこんな場所に用はない。すぐにでも引き上げるつもりだ。


「嘘を吐くなよ。勇者を連れて瞬間移動してきたくせに」

「なんだ最初から監視していたのか。だったら俺たちが困ってるってのも分かるだろ?」


 だけど少女は圭太の隣で成り行きを眺めている琥珀をあごで指した。どうやら圭太たちが一時間ぐらいさまよっていたときから監視していたらしい。それなら事情もある程度理解してくれるはずだ。

 圭太は肩をすくめながらヘラヘラといつも通りの薄っぺらい笑みを浮かべる。だけど少女はさらに警戒心を強めた。


「分からないね。どうしてお前がその武器を持っている」

「……イロアスを知っているのか?」


 少女の視線が両手と一緒に掲げられているイロアスに向けられていると察し、圭太は驚いたように聞き返した。

 イロアスは圭太のものだ。圭太の知り合いでなければこの槍を知っているわけがない。だけど目の前で銃を突き付けてくるオレンジ髪の少女を圭太はまるで思い出せなかった。髪の色だけなら該当者が一人いるけれど、彼女はここまで大きくはない。圭太の腰ほどしか背がなかったはずなのだから。


「ああ知ってるぞ。オレを助けてくれた人間だからな。お前が本来の持ち主の皮を被ってることも」

「あん? 待ってくれ。イロアスの持ち主が助けた? もう一度聞くが、お前の名は?」


 少女はどうやらイロアスのことも圭太のことも知っているらしい。

 圭太はますます少女の正体が気になって、名前をたずねる。少女はニヤリと笑った。


「人に名前を聞くときは自分が名乗るのが礼儀なんだろ?」

「ちっ分かったよ。俺は圭太コイツは琥珀だ」

「……んな」


 見事にやり返された圭太が舌打ちをしながら自己紹介をすると、少女は皿のように目を見開いた。

 信じられない。彼女の表情はそう語っている。意味が分からなくて、圭太は不思議そうに首を捻った。


「じゃあやっぱり、ケータは夢の人間じゃなかったんだ」

「どういうこと? 君は一体何者なの?」


 少女の独り言に、今まで沈黙を貫いていた琥珀がもう一度たずねた。

 こちらは自己紹介をした。今度はそちらの番だと言外に告げる。


「オレの名前はシリル」


 少女の話し方に、圭太の脳裏に幼き復讐者の姿がよぎった。


「魔法を無力化できる魔力を持つ、反乱軍のリーダーだ」

「えっ?」


 琥珀が素っ頓狂な声を出す。圭太も同じ気持ちだ。


「「ええぇぇぇええええええっ!?」」


 圭太と琥珀、二人の驚愕の叫び声に耳を塞ぎながら、二人の記憶からは考えられないぐらい成長した姿のシリルは銃を下ろした。

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