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第七章二十五話「この世界はクソ」

 圭太は玄関の扉を開けた。土足のまま家に上がり、床が汚れるのも気にせずに足を進める。


「父さん、母さん」


 顔だけを覗かせて圭太はリビングの様子を確認する。圭太の両親は二人揃ってリビングにいた。


「おかえりなさい圭太」

「今日はデートだったんじゃ……」

「実は二人に用があってさ。俺のために死んでくれないか?」


 圭太が微笑みながら全身を二人に晒す。

 右手にはイロアス、左手には勇者の剣を持っている。圭太の服の所々には赤いしみができていた。

 通りすがりの人間をオンネンに変えたせいで汚れてしまった。


「どういうこと? どうして圭太がそんな武器を」

「これ? イロアスって言うんだ。カッコいいだろ?」

「そういうことが聞きたいんじゃありません!」

「落ち着いて清子。圭太はそんな話をするつもりはないんだよ」


 圭太が誇らしげに相棒であるイロアスを見せつけてあげると、清子が怒気を露わにする。そんな妻を諫めようと一郎はゆっくりと腕を組んだ。


「だよな圭太。説明しろって父さん言ったもんな?」

「そうだったな。理解はしてもらえないと思うけど説明ぐらいはいいぜ。時間はあまりないけど」


 圭太には予定が詰まっている。両親だからとあまり時間を使ってもいられない。

 だけど圭太は父親と既に約束していた。もう二度と会えない家族との約束だ。果たしてあげるぐらいの時間は割いてあげるべきだろう。


「俺は異世界に行ったんだ。二人が旅行に行く途中に事故にあってさ。後を追おうとしたところを異世界の王様に救われた」


 あまり詳しく説明しても意味不明になるだけなので、圭太は簡潔に話す。それでも意味が分からないだろう内容になっているが、これ以上簡単に説明する能力を圭太は持ち合わせていなかった。

 両親を失ったショックで自殺しようとし、イブに召喚されることで一命を取り留めた。まとめるならこんなところだが、十中八九頭の心配をされてしまうだろう。


「旅行? それって……」

「僕たちだけで先に行こうとしていたやつだね。圭太が必死に止めた」

「そう。俺は止めた。だって両親が死ぬのが分かってるんだぜ? 誰だって止めるだろ」


 旅行には心当たりがあったようで、清子と一郎は納得したように頷いていた。

 今まで圭太が両親を説得するようなことはしたことがなかった。まったくの無干渉でもなければなんでも話し合うほど近くもない関係で、圭太は今まで過ごしてきた。

 初めてのことだった。圭太の我儘で旅行を中止にしたのは。だからこそ圭太が思っているよりも両親の印象に残っているのだ。


「そうだな。二人に分かりやすく言うなら俺はもしもの未来から来た。パラレルワールドって言うんだけど、そんな話しても意味分からないよな」

「そっか。圭太は僕たちが死んだ未来から来た。だから事故の原因である旅行を止めたってことだね?」


 清子は頭に疑問符を浮かべており、一郎は納得したように手を打った。

 どうやら不可思議な話には一郎のほうが耐性があるらしい。もっとスキンシップを取っていたら好きなアニメの話とかできていたかもしれない。


「一郎さん! こんな話を信じるなんて」

「分かってるよ。あり得ない。でも僕らが育てた圭太がそんなくだらない作り話のために凶器を振り回すような子じゃない。そうでしょ清子?」

「それは、そうですけど」


 清子の責めるような目に、一郎は親としての根拠を告げる。清子は歯切れ悪く黙り込んだ。


「それに圭太の持っている槍は普通じゃない。よく分からないけど、多分本能なんだろうね。逃げろってさっきから頭痛がする」

「それが正しい反応だと思うぜ。クソッたれな神様が作り出した、この世界には存在しない槍なんだからな」


 一郎が圭太の持っているイロアスを憎らし気な目で睨む。頭を押さえている姿は確かに頭痛に悩まされていそうだ。

 恐らくこの世界の人間にとっては恐ろしい存在なのだろう。魔力がある向こうの世界とは違い、この世界の人間に魔力を感知する能力はない。だけどそれでも神が造りだした兵器の脅威を本能的に理解してしまう。

 神造兵器があれば世界を壊すことも可能だ。圭太も自分の世界を壊すためにこの槍を振るっている。


「それで、どうして圭太は僕たちを殺したいのかな?」

「必要になったからだ」

「必要?」


 視界に入れないようにとイロアスから目を逸らしながら一郎は本題へ戻る。

 圭太は先ほどとは打って変わって端的に答えた。


「二人の命が、いやもっと多くの魂が必要になった。だから俺はこれから材料を集める」

「その槍で?」

「この槍で。安心してくれ。痛みは感じさせない」


 圭太の技量とイロアスさえあれば、一般人は痛みを認識する前に命を失う。

 これは圭太なりの心遣いだった。どうせ殺すことは確定している。それなら少しでも痛みがないほうが親孝行になると本気で考えていた。


「嫌よ!」


 微笑みながらせめてもの気配りを見せる圭太に、清子は大声で首を横に振った。


「嫌よ! どうしたのよいつもの圭太に戻ってよ! あなたはこんなことを言う子じゃなかったでしょ!」

「……変わったんだよ俺は」


 圭太の言葉がすべて嘘であり作り話であれば、清子の言葉は正しい。

 圭太は簡単に人を殺すような人間ではない。毎日のようにケンカに明け暮れているが、それでも最後の一線だけは越えないでいた。そう、この世界にいる間は。

 でも圭太はとっくに両親が知っている子供ではなくなっていた。

 圭太は説明しても理解してもらえないと判断して、おもむろに自分の左腕にイロアスを突き立てた。


「――ヒッ」


 突然の奇行に清子が悲鳴をあげ、一郎も辛そうに目を背けた。


「俺はもう、二人が育ててくれた鳥羽圭太じゃない。如月テーマパークをテロリストが占拠したのは知ってるよな? そこの大将が言うには、俺は傭兵ですら恐れるような化け物らしい」


 圭太は眉一つ動かさずにイロアスを引き抜く。左腕からシャレにならない量の血が流れて床に赤い水たまりを作っているけれど、当の本人は一切気にしていなかった。

 圭太の痛みを感じる機能はマヒしている。腕が砕けようと千切れようと、痛みに苦しみ悶えることはない。百戦錬磨の傭兵にも痛みを感じられなくなるのだけは避けたいとだけ言われてしまったほどだ。

 自分が普通ではないのはとっくに自覚していた。魔力を持たない圭太にはそれだけ体を痛めつけなければ目的を達成できなかったのだから。


「いや、お前は圭太だよ」


 圭太が自嘲の笑みを浮かべていると、一郎が首を横に振った。


「お前は圭太だ。僕たちの大切な息子だよ。化け物なんかじゃない」


 圭太は帰ってきてから初めて、驚きを露わにして一郎を見る。彼は真っすぐ圭太を見つめていて、とても嘘を吐いているようには見えなかった。

 本気で、圭太を化け物ではないと言っているらしい。


「そうよ。圭太、お願い。もうやめて。今ならまだ、引き返せるから」

「ごめん母さん。俺はもう、止まるつもりはないんだ」


 縋るように手を伸ばしてくる清子に首を振りながら、圭太は二人の元へゆっくりとした足取りで近付く。

 イロアスの間合いの中に二人を捉え、もう一度圭太は足を止める。


「ダメよ。ああ神様助けてください! 私たちの子を!」

「……神に祈らないでくれ。俺の敵なんだ」


 圭太は申し訳なさそうに呟いて、右腕を動かす。

 清子の首が体から離れ、床に転がった。

 彼女の胴体から遅れて血が溢れ出す。首からも残りの血がドロリと流れ、家のリビングが一瞬で猟奇殺人現場に早変わりしてしまった。

 そして圭太にしか見えない黒いものが、清子の首だったものと体だったものから漏れてくる。黒い靄のような物体は流れるように圭太の中に入ってきた。体の内側を掻きむしられるような慣れた痛みが全身に広がった。


「――」

「どうする父さん。と言ってもこっちの答えは決まってるけど。今ならまだ、復讐の機会ぐらいはあげられるよ」


 絶句している一郎に、圭太は両手を広げてみせた。

 圭太は実の息子でありながら妻を殺した張本人でもある。復讐したいというのなら、喜んでその殺意を受け入れよう。それが圭太なりの親孝行だからだ。

 今さらナイフで刺されたぐらいでは圭太に影響は出ない。だけど一郎の気分は晴れるだろう。復讐したいのならそれぐらい叶えてあげたい。


「……最後に一つ、聞かせてくれ」

「何?」

「お前は、圭太は僕たちの子供で幸せだったかい?」


 一郎が、覚悟の決まった目を向けてくる。


「……正直言うと、この世界はクソだった」


 だから圭太は正直に答えることにした。

 いつものように雰囲気を壊さないための嘘ではない。もちろん一郎の求めている答えは分かっているし、そう答えたほうがいいのも理解している。だけど圭太は自分の本心をしっかりと答えることにした。


「意味不明な因縁でケンカを売られるし、一人を除けば俺の味方になってくれる奴はいなかった。親身になって寄り添ってくれる人は、両親を含めていなかったよ」


 圭太の理解者とは誰かを問われれば、真っ先に浮かんでくるのは琥珀だ。

 世界を渡ればイブやナヴィア、オンネンも理解者と言えるのかもしれない。だけど純粋にこの世界での理解者は琥珀ただ一人。両親も圭太の理解者とはならなかった。毎日のように続くケンカに両親を巻き込みたくはなかったからだ。


「でも俺は、二人が亡くなったら自暴自棄になって自殺しようとした。少なくとも、父さん母さんは俺にとってそれだけ大きな存在だったんだ」


 しかし、理解者ではなくても大切な人たちではあった。

 少なくとも、事故を知った直後には自殺する程度には、圭太にとって両親はあってはならない人たちだった。


「……そうか。これが一家心中だったら全力で抵抗したんだけどね」

「残念だけど違うよ。俺はこれから、大切な奴を助けに行くんだ」


 圭太に死ぬつもりはない。これからイブを、異常な俺を理解してくれた彼女を助け出さなければならないのだから。


「そっか。それがずっと紹介してくれなかった彼女なんだね?」

「さあ? 俺もよく分かってないんだ。俺の気持ちを」

「最初はそんなものだよ。じゃあ、幸せに――」


 一郎の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。

 圭太がイロアスを振り下ろし、一郎の頭上から足元まで両断したからだ。


「――ああ。絶対に幸せに生きるよ」


 一郎の断面から出てきた黒い靄を受け入れながら、圭太は微笑む。


「さようなら父さん母さん。俺の中で、結末を見守っていてくれ」


 そして猟奇殺人鬼はかつての家族に別れを告げ、禁忌魔法の代償で焼け爛れた顔のまま颯爽と家を飛び出した。

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