第七章二十三話「誰の命を使うか」
「二人ともどういうこと!? あの電話は――」
駆け付けた琥珀は、耳に当てたままの携帯から漏れ聞こえてきた内容を開口一番に問い質してきた。
圭太は一桜と話をするとは言ったけど、琥珀にもその内容を聞かせるとは言っていない。しかも聞こえてきた内容は琥珀の予想を上回るものだったはずだ。だから彼女は、全力でここまで走ってきたのだろう。
「どうもこうも、琥珀が聞いた通りですわ。わたくしはイオアネス。かつてあなたに告白した人間の姫ですわ」
一桜は既に観念しているようで、開き直ったように自分の胸に手を当てて、圭太の知らない二人だけの過去を交えて自己紹介する。
「告白してたって、そういう関係だったのかよ。今までのも冗談じゃなかったのか」
「冗談なんて言いません。わたくしはいつでも本気ですわ」
いつも好意を示していたのは冗談交じりのじゃれ合いだと思っていたのだが、告白までしていたとなると話は別だ。
面と向かって言い切る一桜が嘘を吐いているようにはとても見えない。つまり彼女にもそれなりの覚悟があるのだろう。
「……そんな気が、していたんだ」
琥珀は、ポツリと呟いた。
「でもありえないって思ってた。一桜とイオは顔がよく似ているだけの別人だと思ってた。だって君はもう――」
「ええ。死にました。だからこそオンネンの一部としてケータの中にいたのですわ。それだけはケータに感謝しなければなりませんわね」
琥珀の口ぶりからして、一桜は容姿を変えているわけではないらしい。つまり彼女は生前、向こうの世界で生きていたイオアネスそのままだということだ。
琥珀が友人に気付かないわけがない。だけど圭太の知る限り、彼女は一向にそんな素振りを見せなかった。
きっと何かの間違いだと自分に言い聞かせていたのだろう。たまたま向こうの世界の知り合いと一桜が似ているだけで、同一人物なわけがないと。
「正確には俺じゃなくてキテラだけどな。どうせアイツが細工したんだろ?」
「さすが頭の回転が早いですわね」
「バカにしてんのか? それぐらい簡単に予想ができるだろ」
圭太は実際にその場を見たわけではないが、彼の予想通りの小細工が行われていた。
イブを封印した後、キテラはゴーレムの研究に勤しんでいた。その結果圭太やナヴィアを上回る性能のゴーレムを開発していたのだが、目的はそれではない。
キテラは彼女なりのやり方で人間を生き返らせようとしていた。
ゴーレムにオンネンの一部を埋め込むことで人工的に人間を作成する。オンネンはキテラが観測した範囲で死亡した人間がほとんどだ。つまり魔法に成功すれば、実質的に人間を生き返らせられる。
誰のためか。そんなものは考えるまでもない。かつて道中で亡くなったたった一人の仲間のためだ。
「それで、どうしてイオが圭太君と戦ってるの? 二人とも武器を構えて」
「それは……」
「俺がこの世界で新たなオンネンを作ろうとしていたからだ」
一桜が言い淀んでいたので、代わりに圭太が答えてやった。
「ケータ?」
「一桜は大量虐殺を企てている俺を止めようと正体を明かして剣を構えた。そして今に至るってわけだ」
間違い、ではない。
オンネンとして一桜を使えば、圭太たちが世界を渡れる可能性は十分にある。だけど彼女は異世界に渡るのをよしとしていない。
それなら他にも方法がある。今いるオンネンが協力しないというのなら、新たにオンネンを作れば済むだけの話だからだ。
「……相変わらず嘘が下手だね。圭太君は」
「だと思うなら一桜を止めてくれ。そうしたら答えが出る」
半眼で睨んでくる琥珀に、圭太は不敵に微笑む。
嘘だと思うなら勝手にしてくれ。俺も勝手に動くだけだから。
「そんなにボクを敵に回したいのかな?」
「もちろんだ。忘れたか? 俺にとってお前は宿敵なんだぜ?」
「でも恋人同士だよ」
「なら協力してくれ。俺はあの世界に帰りたいんだ」
圭太と琥珀は友人であり、殺し合った宿敵であり、生涯を誓った恋人同士だ。
自分一人だけで世界を渡るのは圭太も抵抗がある。いくら世界を渡れば元の世界での記憶と記録が消えるからと言って、戦力的にも人間的にも琥珀を失うような真似は避けたい。
「君のいるこの世界こそが故郷だよ。それに、向こうに行ってももう手遅れだ」
「やってみなければ分からないだろうが」
「ううん分かるよ。圭太君も、本当は分かっているんだよね?」
琥珀の言葉に、圭太は自覚なく声にトゲが混ざる。
「ボクたちがいるこの世界と向こうの世界では時間の流れが違う。ボクがあの世界に召喚されてから魔王を倒したまでに一年ぐらい経っているんだよ? でも圭太君はボクが呼び止めたあのときに自殺した」
琥珀が召喚されてから圭太が自殺しようとして召喚された時間は五分と離れていない。
その間に異世界では琥珀が勇者として旅をしてイオアネスがオンネンの一部となりイブが封印された。たった五分で起きた内容にしてはあまりに濃密すぎる。
「こっちの世界での五分は向こうの世界では一年。もう何日も経っているんだよ? 向こうではいったいどれだけの時間が経過していると思う?」
「まだ決まったわけじゃない」
「決まってるよ。だから君はイオを使おうとしてる。オンネンってやつをもう一度取り込めば、きっと禁忌魔法の代償も気にしないで済むんだから」
振り絞るような声で答える圭太に、琥珀ははっきりと首を横に振った。
こちらの世界と向こうの世界では時間軸が違う。圭太が今世界を渡ったところですべてが終わっているだろう。
だからオンネンを使う。オンネンの力があれば世界を渡るときに時間を巻き戻すことも可能だ。そもそも世界を渡ること自体が禁忌だが、代償はオンネンに代わりに払ってもらえばいい。そうすれば、圭太はイブを助け出すことができる。
「コハク、どうしてそんなに」
「話は全部聞いていたからね。今も通話は切られていないんだから」
圭太は戦闘中も琥珀がたどり着いてからも一度も携帯を触っていない。ずっと通話中だ。
もちろん琥珀も携帯も通話中の文字が浮かんでいるだろう。情報はすべて彼女に筒抜けだ。
「そしてボクがすべて事情を知っていることこそ圭太君の狙い。そうなんでしょ?」
「ああ、そうだ。さすがは勇者様だな。俺ごときの考えはお見通しってわけか」
圭太が琥珀に盗聴させていたのは、二つの理由がある。
まずは彼女にこの場に来てもらうためだ。そしてもう一つの理由は、彼女にも答えを出してもらうためだ。
世界を渡る。かつて勇者として活躍していた琥珀も当事者だ。圭太だけで答えを出すのは間違っている。
「ボクの答えは最初から決まってる。圭太君の望みは彼女として叶えてあげたいし、イオを失いたくもない。二度も親友を失いたくないんだから」
琥珀はやっぱりお人好しだ。
自分のことは最初から度外視して、大切な友人たちのために考えてくれているのだから。
「だからボクはボク自身の命を使うよ」
琥珀の宣言には、自然と表情を引き締める力が宿っていた。
「コハク!? 何を言っているのですか?」
「琥珀の命を使った禁忌魔法。それで世界を渡るってことさ」
当然のように狼狽える一桜に、圭太は軽く説明してやる。
「魔力を持つ勇者の剣と魔法を記憶する俺の槍。この二つがあれば条件は整う」
魔力と魔法陣。この二つがあれば魔法は発動できる。
そして圭太たちの手元には神造兵器が二つある。しかもどちらも世界を渡るためには必要な要素を持っている。
「後は誰の命を使うか。だからボクはボクを使う。そうすれば誰も傷つかない」
しかし問題が一つ残っている。
それは、世界を渡ることが禁忌だと言うことだ。
禁忌魔法を発動させるためには莫大な魔力が必要だ。しかし今は魔力源は勇者の剣しかない。琥珀の持っている魔力があれば話は別だろうが、魔素がないこの世界では人間だけで魔法を扱うことは不可能だ。
つまり、魔力が足りない。代わりに魔法を行っている人間の魂を代償として奪われるだろう。琥珀は、自分が死ぬことで魔法を発動させようとしているのだ。
「そんなわけありませんわ。コハクがいなくなるなんて」
「夫婦は考え方が似てくるって言うけどその通りだな。俺たちは恋人だけど」
もしも逆の立場なら、圭太は簡単に自分の命を犠牲にするだろう。
それが勇者というものだ。圭太は歪な勇者だけど、根本の在り方は彼女と変わらない。
「なら頼めるか? できれば今すぐ」
「なっケータ!」
「うん分かったよ。圭太君が望むなら、何でもするね」
圭太があっさりと頼み、あまりの躊躇いのなさに一桜が信じられないようなものでも見るような目を向けてくる。
圭太の頼みを聞いて、琥珀は覚悟の決まった顔でゆっくりと頷いた。




