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第七章二十二話「旅をしていたとは」

「なんで、それは」


 イロアスを取り戻した圭太に、一桜は揺れる瞳を向けている。


「この世界に存在しているはずがないってか?」


 そんな彼女に圭太はいたずらっぽく笑ってみせた。

 武器があるだけで気分は最高だ。これで一方的に攻撃されることもなくなった。光の波を避けながら近寄るのは容易ではないけれど、イロアスがあればきっと成し遂げられるはずだ。


「それはありませんわ。わたくしの中にあったはずですから」

「お前が奪ってたのか。ホント、手段を選んでないな」


 一桜が圭太の中から脱出した時点で、イロアスも一緒に奪っていたらしい。

 恐らく圭太が異世界に戻る手掛かりになるからだろう。イロアスさえあれば、向こうの世界での生活が嘘ではなかったと実感できる。

 嘘ではないと実感できれば、圭太の心は決して折れない。この世界での生活なんてまるで無視して、世界を渡る方法を探していただろう。

 圭太が日常を捨てれば、琥珀もまた後を追う。だから一桜はイロアスの存在をその身に隠していたのだろう。


「コハクの敵に言われたくありませんわ」

「今の俺は琥珀の恋人なんだが?」

「つまりわたくしの敵ですわ」

「いつも通りか」


 一桜の殺意すらこもった冷たい瞳にも、圭太はヘラヘラとした調子で答えられる。

 彼女の態度は正体を見破る前と何ら変わらない。お互いに武器を持ち対等な関係だ。圭太もいつもの日常と変わらぬ態度を心がけるべきだろう。


「その槍はこの世界では機能しないはずですわ。魔法を記憶する能力も魔法がなければ意味がありませんし、手元まで戻ってくる機能も魔素がなければ意味がないはずなのに」

「そうか。イロアスの能力は魔法の記憶か。俺じゃ使いこなせないわけだ」


 自分の中に入れていたからこそ詳しいのだろう一桜の言葉に、圭太は納得したように頷いた。

 魔法の記憶。キテラと一緒にいたサンやキテラこそこの槍の魅力を最大限に引き出せるだろう。魔力量は多く、けれども扱える魔法が少ない人材だからだ。そういう意味では琥珀もイロアスを使いこなせばさらに強くなるに違いない。

 だけど残念ながら、圭太にはイロアスの能力を十全に引き出すことはできない。

 圭太に魔力はない。オンネンがいたところで魔法は扱えなかった。イブという最高の魔法使いが先生なのにダメだったのだ。天性の才能がないのだろう。


「それの答えなら、その剣の本来の持ち主が語っていたぜ」

「コハクが?」

「勇者の剣さえあれば、異世界に帰れる。魔素がなくて魔法が使えない世界でも、その剣さえあれば魔法が扱えるってな」


 勇者の剣。それはアダムが琥珀の為だけに創造した神造兵器だ。

 その持ち主である琥珀は当然、剣に対してのあらゆる知識を持っている。その彼女が剣があれば魔法が使えると言ったのだ。勇者の剣に隠された能力が、彼女にそう言わせたのだろう。


「だから剣を奪い槍を呼び戻したとでも? 失敗する可能性だってあったのに」

「そのときは剣を返さずに戦っていただけだ。オンネンの手の内は理解しているからな。武器さえあればどうにでもできる」


 原型を持たず、どんな形態になってでもこちらを攻撃してくる。人型に囚われてはいけない。それさえ理解していれば、後は一桜の性格を考慮しながら戦うだけだ。武器さえあれば余裕で対処できるだろう。


「イロアスが呼び戻せたからわたくしに剣を返したのですか。その余裕が命取りになるかもしれませんよ?」

「構わないさ。友人として、真っ向勝負をしなくちゃいけないときもある」


 一桜が挑発的にニコリと微笑み、対する圭太もヘラヘラと薄っぺらい笑みを浮かべながら肩をすくめる。

 一桜は圭太の中にいたからすべての手の内を知っている。圭太はオンネンの入れ物だったから彼女の攻撃方法は理解している。

 条件は対等。なら圭太だけが武器を使うような真似は正々堂々とはいかないだろう。格上が相手ならまだしも、一桜は圭太の友人だ。どうせなら後残りのないように戦いたい。


「サンのときも同じことを言っていましたわね。それがあなたの意地ですか?」

「そう俺の意地だ。御託はいいだろ? そろそろ戦おうぜ」

「いいですわ」


 一桜が理解できないとでも言いたげな顔になっていたので、圭太はヘラヘラと薄い笑みを浮かべたままイロアスを水平に構える。

 時間はない。圭太と一桜が殺し合いをしていると知れば、琥珀はきっと急いで向かってくるはずだ。一応琥珀が帰っているのは確認しているけど、既にいつ駆け付けてもおかしくないぐらいの時間は経っている。

 一桜も圭太と同意見のようだ。すんなりと頷いてくれた。


「と言っても、既にわたくしの攻撃は始まっているのですが」


 そして彼女の言葉の意味を考えるよりも早く、圭太の周囲から泥が巻き上がる。そのまま圭太を飲み込もうとドーム状に襲い掛かってくる。


「知ってるとも」


 一桜が流暢にただ世間話をするような人間ではないことを知っている圭太は小さく呟いて、イロアスを地面に突き刺す。そしてイロアスを支えに逆立ちし、ドーム状に覆いかぶさろうとしていた泥の隙間から抜け出した。


「本当曲芸師のようですわね。予想の範囲内ですが」


 しかし、一桜だってそれぐらいは考えている。

 圭太を捉えきれないままドームになった泥が形を変え、イロアスの石突の上で片手逆立ちしている圭太へと無数のトゲを伸ばしていく。このままでは人間の串刺しという面白くないオブジェクトができてしまうだろう。


「それが狙いだっての」


 だけどそれこそが圭太の目論見だった。

 圭太は体を屈伸させて逆立ちした姿勢からさらに空中へと跳び上がる。その勢いを生かして地面に突き刺したイロアスを引っこ抜き、今度はトゲのような形状のオンネンの横っ腹にぶつけることで強引に空中で横にズレた。


「さすがですわね。コハクたちを倒しただけはあります」


 サーカスの曲芸師でもそう簡単にはできないだろう空中での回避に、一桜はパチパチと拍手を送ってくれた。

 着地した圭太は倒れてくるようにしてまだ攻撃しようとしてくるオンネンをイロアスで薙ぎ払った。


「褒めてくれるな。今度は俺の番だ」


 圭太は軽く返しながら、横薙ぎに振るったイロアスの勢いを殺さぬようにその場で一回転し、一桜に向けて全力でイロアスを投げる。そしてその軌道に隠れるように低い姿勢で走り出した。


「その程度」

「動くまでもないってか?」


 イロアスの投擲を、一桜は何でもないように剣を横に振ることで弾く。

 だけどその行動こそが圭太の狙い。一桜がイロアスを弾いた瞬間には既に目と鼻の距離まで彼女に詰め寄っていた圭太は、弾かれたイロアスに手を伸ばしてどうにか掴む。


「オラァ!」


 そして走ってきた勢いを殺さぬように跳びかかり、同時に体をばねのようにのけ反らせて遠心力も加えたイロアスの一撃を叩き込んだ。


「甘いですわ」


 イロアスに、肉を斬るような手ごたえはなかった。

 一桜は体を泥に変化させ、圭太の一撃を無効化する。と同時に持っていた剣を突き立てようと圭太の額を狙う。


「お互い様だ!」


 圭太は攻撃が通じなかったことを気にせず首を大きく回して剣の腹を逆に頭突きする。横から邪魔された一桜の剣は肉を裂けずに弾かれる。

 そして泥になってイロアスを再び取り込もうとしている一桜を振り払うために手首を返して一回転。イロアスの腹で一桜の泥を吹き飛ばした。


「チッ」

「どうした? 動かないんじゃなかったか?」

「言ってくれますわね」


 ニヤニヤと笑いながら圭太が挑発すると、さすがに苛立ちが勝ったのか一桜はわずかに目に宿る殺意を強めた。


「お前の武器はナイフだろう? 片手剣は慣れないか?」

「何ですって?」

「だってそうだろ? お前の動きにはキレがない。平和ボケしたわけじゃないだろうし、この世界にも慣れてるはずだ。他の仲間はもっと恐ろしかったぜ?」


 先ほどから、一桜は自分の技量に頼った戦い方をしていない。

 泥として定まった形のないオンネンを利用し、剣の魔力をそのまま乱暴に放つ光の波でしか攻撃していない。

 一桜はまだ一度も、圭太と純粋に切り結んではいない。それどころか今まで一度も剣術を見せていない。


「それは、わたくしが弱いとでも言うつもりですか?」

「怖くないって言ってるんだ。琥珀と旅をしていたとはとても思えない」


 一桜がかつて琥珀と共に旅をしていたのなら、もっとしなやかに動くはずだ。圭太が相手した他の勇者パーティはほとんどが経験だけで圭太を軽くあしらっていたのだから。


「ええ、そうでしょうね。だからわたくしは一人だけ死んでしまった」

「言い訳すんなよ。今のお前には戦う理由がない。それだけの話だろ?」

「……」


 自嘲の笑みを浮かべながらハンと鼻で笑い飛ばそうとする一桜に、圭太はあくまでも予想を自信満々にはっきりと告げてやった。

 一桜が黙り込んだところを見ると圭太の予想はあながち間違ってはいなかったらしい。外れていたらどうしようかとちょっと不安だったんだ。


「俺とお前の仲は決して良いとは言えなかったけどさ。琥珀がいるときはお互いに笑っていた。あの顔まで嘘だとは言わせないぜ?」


 圭太と琥珀が話していると、一桜は理解できませんわとか言いながらいつも一緒にいた。そしてくだらない話題で笑い合っていた。

 そのときの笑顔が嘘だったとは到底思えなかった。いくら一桜が人殺しになれていても、友人に刃を向けるのには抵抗があるはずだ。多分。そうあってほしい。


「役者のケータが言うと説得力が違いますわね」

「からかうなよ。確かに俺のは嘘だったけどさ」


 鬱陶しそうに目を細める一桜に、圭太は軽く肩をすくめた。


「嘘吐きだからこそ、分かることだってあるんだぜ?」


 圭太は嘘吐きで、話す言葉に内容なんてなくて、きっと底抜けの愚か者以外誰にも信用されない。

 だからこそ分かる事実だってある。例えば、一桜は嘘が下手だとか。


「……ええ。わたくしは、本当は戦いたくありませんわ」


 やがて観念したように一桜はため息を吐いた。


「コハクと、不本意ですけどケータと、笑顔で弁当をつつき合う。向こうの世界では決してなかった平和な生活。わたくしが望まないわけないじゃないですか」


 一桜のいた世界には魔物という現象があった。

 魔素が長い時間をかけて変異し、魔力を求めて近くの生物を襲うという現象。対策はなく、たとえ町中だろうと安心はできない。

 だから彼女にとって、まったくの危険がない環境というのは喉から手が出るほど欲しいものだった。少なくとも教室で談笑している間は誰かに襲われることもない。一桜にとってその時間は、いくら望んでも手に入らないものだった。


「だからわたくしはあなたを止めたいのですわ。もう一度戦場へ向かおうとするあなたを。命を懸ける覚悟を決めていると知っているがゆえに」


 一桜は既に理解しているのだろう。圭太がどうしてイロアスを構え、自分へとその矛先を向けてくるのかを。

 理解しているからこそ、彼女は圭太に剣を向ける。

 彼女にとって圭太はせっかくの平穏を壊そうとする象徴だ。見過ごせるはずがない。


「俺の中にいたんだ。俺の性格は熟知しているんだろ?」

「もちろんですわ。二人も恋人を作っておいて、まだ自分の命を軽く見ていることも含めて、ケータのことならなんでもお見通しです」

「それは困った。作戦の立てようがないな」


 そして一桜は同時に理解している。圭太が既に答えを出していて、そのためなら友人ですら利用としていることも。

 ふざけた調子で肩をすくめる圭太が、自分を倒すために脳をフル回転させていることを。


「それにタイムリミットだ」


 一桜がすべて察していると理解していながらも圭太は道化を演じたまま背後へと振り返る。


「一桜! 圭太君!!」

「琥珀が来ちまった」


 圭太の視線の先には、走ってきたからか大きく肩を上下している金髪の少女が立っていた。

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