第七章二十一話「聖剣」
「うおわっ!」
地面を伝って迫ってくる光の波を、圭太は横っ飛びすることですんでのところで躱す。
「逃げないでほしいですわオトコでしょう?」
「いやいくら男でも勇者の剣は受け止められないからな!」
一桜は黄金の剣を振り回しながら圭太を追っている。
彼女が剣を一振りするたびに地面をえぐりながら迫ってくる光の波を回避し続けながら、圭太は叫ぶ。
当たれば必殺の一撃が、まるでバーゲンセールのように襲ってくる。痛み耐性がマックスなだけで耐久力はあくまでも一般人レベルである圭太では、触れただけで消滅してしまうだろう。
「クソッ、どうしてお前にその剣が」
反撃したいが、圭太にその手段はない。
圭太の手元にイロアスはない。オンネンが持っているのかと思っていたのだが、どうやら一桜は持っていないらしい。もしくは隠しているかのどちらかだろう。どちらにせよ、武器がなければ反撃のチャンスはそう簡単にやってこない。
一桜が棒切れのように振り回している武器は勇者にしか扱えないとされた神造兵器だ。どうして彼女が振り回せるのかは定かではないが、どちらにせよまずは一桜の動きを止めるところからだ。
「知らなかったのですか? この剣もケータの中にしまってあったんですよ?」
圭太本人は知る由もなかったが、イブを封印したとき黄金の剣は圭太の中に取り込まれていた。
つまり圭太は自分が使えなかっただけで、ずっと勇者の剣を持ち歩いていたということだ。
「知らねえっての。俺は使ったことないんだから」
「でしょうね。ケータの中で見てましたわ」
口元に手を当てて、クスクスといつも通りの笑みを浮かべる一桜。いつもなら皮肉の一つでも返しているのだが、今の圭太にそんな余裕はなかった。
「ならテメエも素手でかかってこいや」
「それなら勝てると踏んでいるのでしょう? そんな手に乗るようなわたくしではありませんわ」
「手の内がバレてるって面倒くせえな」
苛立たしさを混ぜた安っぽい挑発は、圭太とは対照的にいたって冷静な一桜に鼻で笑われてしまった。
彼女は圭太の中でずっと圭太のことを観察していた。つまり圭太の思考や手の内は完全に読まれてしまっているというわけだ。
今までの戦闘のほとんどは圭太が情報を集めていた。だから圭太自身が手を読まれている戦闘もなかった。
今回は違う。まったくの逆だ。ただでさえ手が足りないのに、その手すら読まれているのではどうしようもない。
「コハクもケータの手はある程度読めますが、わたくしはそれ以上だと思ってください」
「なぜならケータの中で観戦していたのですからってか? うっせえな分かってんだよそんなことは!」
今まで直線的だった光の波の動きが、放射状に変わった。
圭太は慌ててその場から跳び上がり、腰を捻って空中で態勢を変えることで紙一重に回避する。
「わたくしもそこそこ驚いていますわ。この剣があれば英雄殺しが相手でも負けないと思っていたのですが」
神回避を目の当たりにして、一桜はわずかに目を見開いた状態で呟いた。
確かに剣の性能は凄まじい。剣を乱暴に振るっているだけで体育館裏は見る影もないぐらい荒れている点から見てもそれは明らかだ。
「誰も殺してないから! それに、逃げるだけなら誰にでもできるだろ!」
だけど圭太とて素人ではない。武器はなく、攻める手立てはない彼は回避に徹しているからこそ今も呼吸ができる。
攻めようとすれば、隙を晒すことになる。隙を晒せば一桜は決して見逃さないだろうから、光の波に飲み込まれる可能性はずっと上がる。回避のみに専念しているからこそ、圭太はほとんど無傷でいられるのだ。
「……それはつまり、逃げるだけならわたくしは素人相手でも簡単にできるぐらい未熟者だと?」
「どうしてそう受け取るかな!?」
一桜が不機嫌を露わにして剣を振るう間隔をどんどんと短くしていく。
彼女の動きに比例して光の波が襲ってくる頻度も跳ね上がっていく。圭太は直線的な軌道の光は左右に避け、放射状に襲ってくる波は上下に滑り込むようにして跳ぶ。
この戦い、持久戦は不利だ。
オンネンの魔力量に底はない。キテラの魔力源となっていたのだし、圭太自身もオンネンの持つ力に何度も助けられてきた。だからこそ理解している。オンネンの魔力がなくなるまで逃げるという選択肢は初めから存在しない。
「さて、どう攻略するべきか」
しかし圭太に負けるつもりなんて当然ない。
負けるつもりはないが、このままではじり貧だ。自然と頭を抱えてしまう。
「何か企んでいますわね? させませんわ」
一桜がもう一度剣を振るう。
いい加減彼女が剣を振るタイミングを掴めてきたので、圭太は最低限の動きで光の波を避けた後に一桜へ急接近する。
「知ってるか? 手の内を見せびらかせば、その分不利になるんだぜ?」
一桜の攻撃のタイミングからして、圭太を迎撃するには間に合わない。
そんなことも気付いていないのか、はたまた反射的に振り払おうとしているのか、一桜は黄金の剣を振りかぶる。
その剣が振り下ろされるよりも早く、圭太は彼女の手首を掴んで止めた。
「なっ、離してください!」
「これでお前の手は封じたぜ?」
一桜が身動ぎするが、パルクールのために鍛えた圭太の腕はそう簡単には振り払えない。
これで彼女の攻撃は止めた。密着状態であれば、筋力で勝る圭太のほうが有利なはずだ。
「――本当に?」
「グッ」
だが、そんな圭太の予想を嘲笑うような声がして。
一桜の左肩から生えた第三の腕が圭太の首を掴む。そして抵抗する間もなく圭太を持ち上げた。
「甘いですわねケータ。あなたならオンネンの特性ぐらい理解しているでしょう?」
「元々決まった形を持っているわけじゃない、てか」
「そうですわ。だからあなたはわたくしの手をまったく封じられていなかった」
オンネンは元々泥のような姿をしていた。どちらかと言えば液体のほうが感覚が近かったぐらいだ。
だから人間の姿をやめて新たな腕を生やすぐらい造作もないということだろう。武器を持つ腕を掴んだところでいくらでも新たな腕が出るのでは接近戦は不利すぎる。
「うっせえな。意趣返しとは性格が悪い」
「ケータに言われたくありませんわ」
一桜がふうとため息を吐きながら、圭太の首を掴む第三の腕からさらにトゲをいくつも生やして圭太の体に突き刺した。
痛みというよりはこの世ならざるものが体内に入ってきた不快感に、圭太は思わず歯ぎしりした。
「とは言え、不愉快ですがコハクの幸せにはあなたの存在は欠かせません。あの世界に帰ることを諦めるというのなら、解放してあげますわよ?」
圭太を串刺しにしておきながら、それでも一桜は譲歩すると言い出した。
一桜が圭太を助ける理由は一つだけだ。圭太は琥珀の恋人である。彼が死ねば、きっと琥珀は悲しむだろう。一桜もそれは望んでいないはずだ。
「断ったら?」
「ジドウシャにでも当たったと」
「殺すってことか……本当に性格が悪いな」
一桜はオンネンであり、剣と魔法と戦いの世界の人間だ。
彼女なら人殺しにも躊躇いはない。最初から戦いのある世界で生まれ育った彼女なら、命のやり取りにも慣れているはずだ。
「だからケータに言われたくは」
「イオアネス。俺の中にいたのなら、どうしてそんな大切な話をするんだ?」
「なんですって?」
一桜が不穏げに眉を寄せる。首だけで体を持ち上げられている圭太は、そんな彼女を嘲笑うような視線で見下していた。
「俺に目的を話せばどうなるか、その結末は分かっているだろ?」
「なっ、まさか」
「そうじゃねえかと思ってたんだ。今、琥珀には俺たちの戦いが中継されてるぜ?」
一桜が来るまで圭太は携帯を触っていた
そして携帯は、彼女が来ても暴れても一度も電源を切ってはいない。
圭太の唯一の味方であり、一桜の大切な親友でもあるもう一人の当事者に、圭太たちの結末を知ってほしかったからだ。
「このっ!」
「ヅッ! 残念だったなあ。お前はもう、俺たちと同じ日常は歩めない!」
刺さっていたオンネンのトゲが、体内で蠢くことで圭太にダメージを与えてくる。
体内を弄繰り回されるような感覚に思わず圭太も声をあげるが、それでも彼は誇らしげに笑みを刻んでいた。
「……まあ、いいでしょう。それでもコハクが幸せだと言うのなら、わたくしは喜んで身を引きますわ」
圭太に痛みは通用しない。それは圭太の中にいた頃から何度も見てきた。
一桜は八つ当たり気味にぶつけていた怒りをため息と一緒に吐き出して考えを改める。
自分はただの人間ではない。いつかは琥珀にも気付かれていただろう。なら早いか遅いかの問題でしかない。
「チッ、これで動揺してもらえると思ったんだがな」
「もう一度言います。甘いですわ。わたくしがその程度で今さら手を止めるわけがないじゃないですか」
「知らねえよ。イデッ」
拍子抜けだと首を掴まれた態勢で肩をすくめる圭太。一桜は不愉快だと言わんばかりに眉間にしわを作り、肩から生やしていた第三の左腕を体の中に戻す。
突然体の支えを失った圭太は尻もちをついた。
「どうせコハクには聞かれているのです。それならば、この手ですべてを終わらせてもいいでしょう」
座り込むような姿勢の圭太に、一桜は大きく背中を逸らすように剣を構えて見下ろす。
黄金の剣は太陽の光と自分の魔力の光を纏い、眩しいほどに輝いていた。
「……嬉しいね。音に聞く聖剣で終わりを迎えられるとは」
「あなたのせいですわ。この剣さえあれば、コハクを守り抜けたのに」
それは、勇者の剣を最初から扱えていれば、琥珀を戦いに巻き込まなくても済んだということだろうか。
それはきっと不可能だろう。圭太は魔王であるイブの味方であり、琥珀はイブを倒さなければならない勇者だ。
剣があろうがなかろうが、いずれ琥珀は戦いに巻き込まれていたはずだ。圭太がアダムと戦うと言い出せば、どれだけ非力でも味方になると言ってくれたはずだ。
「そうだな。最後に辞世の句を良いか?」
「ジセイノク?」
「そうだな。遺言みたいなもんだ。まあ、素人だけどな」
圭太に比べれば、一桜はこの世界に来てまだ日が浅い。
どうやら日本史の勉強はあまりしていなかったらしい。そこらへんの詰めの甘さも彼女らしいといえるのかもしれない。
「……いいですわ。電話越しのコハクと一緒に聞き届けてあげます」
「サンキューな」
一桜はしばし考え込んでから、やがて観念するようにいつも通りの呆れたような笑みを浮かべた。
彼女の存在は確かに紛い物かもしれない。それでも一桜は確かに、圭太たちの親友だった。
「琥珀には悪いと思う。イオアネスお前はやっぱり――」
友人のご厚意に内心で頭を下げたまま、圭太はゆっくりとした口調で電話越しの恋人に謝罪する。
圭太の我儘のせいで、彼女の日常は戻らないほどに崩れてしまった。赤の他人なら殺すことも厭わないけど、圭太は琥珀に本気で申し訳ないと感じている。
「――油断し過ぎだ」
だって、これから彼女の友人を倒すのだから。
圭太はスライディングの要領で一桜の股下を潜り抜ける。そして背後に回り込んで背中の後ろに構えていた剣を掴んで引っ張った。まさかこの状況で奪われると思っていなかったようで、勇者にしか扱えない剣はあっさりと一桜の手から離れた。
「なっ」
「傷を負わせて満足したか? この程度なら俺は、普通に動けるんだぜ?」
圭太の全身はトゲに貫かれたせいで血が流れている。制服も赤く染まっていた。
しかししょせんはその程度。圭太が動きを止めるには遠く至らない。四肢を切断でもされなければ、圭太は事切れるまで立ち上がることができる。
「そして、俺の武器はこの剣じゃない。やっぱり魔王から授けられたものただ一つなんだよ。イロアス!!」
圭太が左手に持った勇者の剣を掲げ、この世界のどこかにあるはずの相棒の名を叫ぶ。
一桜の体から、彼女の背丈よりも長い斧槍が飛ぶ。そして圭太の手にすっぽりと収まった。
「やっぱり、魔力があれば反応してくれるか」
懐かしい感触を確かめるように、圭太は右手だけでイロアスをクルクルと回してみる。
この感触だ。これこそが、圭太の相棒であるイロアスの重みなのだ。
「この剣は返すぜ一桜。俺はコイツしか使えないんだ」
圭太は左手首の力だけで無造作に勇者の剣を投げ、一桜の近くの地面に突き刺す。
イロアスさえあれば、圭太には十分だ。それ以外のの武器を扱えるほど、彼は修練を積んでいない。
「もう一ラウンドと行こうぜ。琥珀が来るまでの間だけだけどな」
騒ぎを聞きつけて、きっと騒ぎの元まで走ってくるであろう恋人の姿を瞼の裏に浮かべつつ、圭太はイロアスを構える。
ようやく意地のぶつけ合いができる。彼の頬は楽しそうに吊り上がっていた。




